第28話 到着

「ほれ、行くぞい!」


 大家の爺さんはヘルメットを脱いでミラーに掛けると、僕を誘うように手招きをしながら走り出す。

 僕も急いでヘルメットを脱ぐと、爺さんの後に続いた。それにしても大家の爺さん、どんだけ元気なんだよ……。


「たしか、こっちが近道のはずじゃ……」


 入り組んだ通路を、ズンズンと進んで行く。もう、大家の爺さんの行動に驚くのは止めにした。

 なんだかわかんないけど、タダモノではないということだけは、もう理解したつもりだ。とにかく爺さんの後に、必死についていく。


 次第に美玖みくの音楽と、観客の声援が大きくなる。ステージは間違いなく近づいているようだ。

 腕に腕章を付けた、係員と思われる人が立ちはだかる。僕はポケットから招待状を取り出すと、それを係員に見せる。通過が許可された。

 そうだ、爺さんはどうすればいいんだろう。僕の家族とかテキトーな事言えば、通してくれるかな?

 爺さんは、別の係員に何かを渡すと、同じように通過が許可される。


「え!? 大家さん、まさか……お金? 買収!? い、いくら払ったのっ!?」

「ぬかせいっ!! ワシも関係者じゃわい!! むしろ、おまえさんと違って、ホンマもんじゃぞい!」


 ホンマもん? 僕の招待状がニセモノってこと? まぁ、たしかに、兄をいつわって頂いた招待状だしなぁ……ってことは、ホンマもんって、どゆこと?


 僕がニセモノで、爺さんがホンマもんってことは……

「あー、なるほど! 大家のお爺さんって、実はウズメのお爺さんだったんですね?」

 渾身こんしんのボケをかましてみる。


「孫娘の晴れ舞台、見なけりゃ成仏できんわい……おっと、こっちの生活が長いのでな、ついつい言い間違ってしもたわい。ワシは成仏はできんかのう……仏様じゃなくて、神様じゃからのう」


「神様? マジ?」


「おーい、ここは笑うところじゃぞ! 老人のボケをスルーしたらいかんぞい!! 本当にボケたと思われるでなっ!!」


 冗談を言い合いながらも、爺さんと一緒にステージへ向けて、薄暗い通路を突き進む。

 走り続ける僕の頭の中で、パズルのピースがピタリとはまった気がした。色々な不思議な出来事の、一部がクリアになった気がする。


「ハァ、ハァ……大家さん……マジ神っすね……」

「ヒィ……ハァ、元……ハァ……神じゃがのう」


 正面に大きな扉が現れる。膝に手をついて、呼吸を整えつつ係員に招待状を見せると、扉を開けてくれた。


 途端に美玖みくの曲が大きくなる。観客の声援が、音の波となって会場内をこだましているようだ。


 簡易フェンスに囲まれた通路を進んで行くと、ようやく関係者席へとたどり着いた。

 左手前方、見上げるような位置に、妖艶なダンスとともに歌う美玖の姿が見える。いまだかつて、これほど近い距離でステージを見たことはない。


 曲に合わせて色とりどりの光を放つ照明。

 美玖を大映しにする巨大ビジョン。

 腹の底に響く重低音を轟かせるスピーカー。

 うねるように光の波を見せる観客席。

 会場のボルテージは最高潮に達しているようだ。


 ドームの中央はセンターステージとなっており、美玖はそこへ通じる細長い通路を、手を振りながら走っている。

 光の波が、美玖を追いかけるように移動していく。美玖も観客も、最高の盛り上がりを見せていた。


 僕は、右手柱の蛍光式デジタル時計を見る……19:36……おそらくライブは残り30分弱だ。


「よう爺さん、随分と遅かったじゃねえか」

 やたらと厳つい身体をした短髪の若い男が、椅子に座ったまま大家の爺さんに話しかける。


 えっ!? 僕はこの男に見覚えがある。


 いつしか、あの呪文でアパートに入った時にいた男。鶉娘と約束があると言っていた男だ!

 僕は、大家さんの前に立って、身構える。どうしてこの男がここに!?


「三神君を迎えに行っとったんじゃよ。スリル満点じゃったぞい!」


 大家さんは僕の横をすり抜けると、その男の隣の席に座った。

 って、え!? 普通に会話してるっ!?

「大家さん! この男のこと、知ってるの!?」

「はて? その様子だと知らんかったようじゃのぅ。言っとらんかったのかぃ?」

「どうだったかな……今更どうでもいい」


 男は、吐き捨てるように、そう口にする。

良く見ると、フォーマルなスーツ姿に身を固めている。

「コイツも天界うえで、だいぶ絞られたようじゃ。ほんに兄妹そろって面倒ばかりかけよるわい……」

 大家の爺さんは、呆れたような顔で首を横に振る。


 兄妹そろって? 兄妹そろってって、何? 誰と誰が兄妹なの……? え? え?


 爺さんがこっそり耳打ちしてくる。


「……この男、いい歳してまだ半人前なんじゃよ。最終試験には、半分しか合格しとらんのじゃ。まぁ、仮免許の神様みたいなもんじゃな。妹の鶉娘に抜かれるんじゃないかと、ヒヤヒヤしとるんじゃよ。ふぉっふぉっふぉ」


「おいジジイ! 聞こえてるぞ!!」


 男は苦々しい顔を見せている。ばつが悪そう。って、えっ!? 妹の鶉娘!?


「大家さん!? 今『妹の鶉娘』って言いましたよね!?」

「なんじゃ? 三神君。わしゃてっきり知っとるもんだと思っとったぞぃ」


 え? ちょっと待って……混乱してきた。どーゆーこと? 鶉娘とこの男が兄妹!?

 だって、鶉娘とこの男の間には約束があるって……ってことは……つまり!?


「神様って、兄妹でも結婚とかするんですかっ!?」


 目の前の厳つい男が、豪快に椅子ごとひっくり返った。大家の爺さんも椅子から滑り落ちて、床に尻もちをついている。

 爺さん、大丈夫?


「オマエは……訳の分からんことを、ほざくな! 兄妹で結婚など、ある訳ないだろ!」

「えっ!? だって、ウズメは婚約者がいるって、その相手は……アンタじゃないのか?」

「はぁ? オマエ、なにを訳のわからんことを……ん? もしや? うーん、なるほど……。ふーん、フフ。フッフッフ……そういうことか。オマエ、どうやら自分の置かれている立場が、分かっていないようだな。これは愉快な……」


 ゆっくりと椅子を直して席につくと、不敵な笑みを浮かべている。


「み、三神くん……ちょっと手をかしてくれんか? 年寄りをズッコケさせるもんじゃないぞい」

「え? あ、大丈夫ですか大家さん? でも、もう僕には何が何やら……」


 大家さんの手をグッと引いて、起き上がらせる。


「ふうぅ、どうやら三神くんは色々と勘違いをしているようじゃな……」

「オイ! 言っておくがな、たとえアイツが妹でなかったとしても、あんな乱暴な娘は願い下げだ。あんなじゃじゃ馬、こっちからお断りだ。まぁ、他人の趣味に口出しするつもりもないがな。ふふっ……オマエがアイツとどんな約束をしたのか、それは知らんが、覚悟しておくことだな。天界における約束は、それなりに重いぞ……」


 約束? 僕と鶉娘の……約束。


 美玖みくの曲が静かに鳴りやみ、会場内が暗転する。観客席を漂うペンライトの波が、より一層幻想的な空間を作り出していた。


 約束……そうだ、僕は鶉娘を応援するって約束したのに、それを破っちまった。鶉娘に会って謝りたい。約束守れなくてすまない。


 鶉娘……そうだ、鶉娘はどうなったんだ! あんなに怯えていたけど、あんな状態でステージに立てるのか?


「三神さーん!! ハァ、ハァ、着いたんですね! ギリギリ間に合いました!」

 佐竹が息を切らしながら走り寄ってきた。

「佐竹さん、ウズメは! ウズメは大丈夫なんですかっ!?」

「声が聞けたからって、それだけで十分だって言って、もうスタンバイしています」

「そうですか……よかった」

「いいえ、ダメです!! 私は、最高のパフォーマンスを……うずめさんの、最高のステージを、この大観衆に見せてあげたいんです!!」


 佐竹の心からの叫びが、そのつぶらな瞳からも伝わってくる。


「佐竹さん……」


「お兄さん! 私は今日、このステージのためなら、全てを投げうっても構わない。そう思っています。美玖と、うずめさんの、この二か月間を無駄にするわけにいきません。ですからお兄さんも、覚悟を決めてください! 行きますよっ!!」


 え!? 佐竹は僕の腕を掴むと、凄いスピードで走り出す。


「佐竹さん!? もうウズメはスタンバイしてるんですよね? どうするんですか!?」


 佐竹は無言のまま僕を引っ張っていく。大柄な体を小さくかがめないと通れないような、細くて狭い秘密の通路を進んでいるようだ。


 身をかがめたまま通路の終点にたどり着くと、数名のスタッフに取り囲まれる。


「お兄さん、ここでしゃがんだまま、ジッとしていてください。合図があるまで動かないでくださいね!」


 な、なになに、どうなるの……これ?


「5……4…………」


 スタッフによるカウントダウンが始まる。


「3……2……1……」


 バンっと弾くような音が、足元で鳴り響いた。

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