第26話 嫉妬

 美玖みくの公式サイトは、クリスマスライブの情報一色となっていた。一部コンテンツはシークレットになっていて、謎の少女を匂わせる演出が、所々にちりばめられている。

 小柄で長い髪の少女を連想させるそのシルエットは、間違いなく鶉娘うずめのものと思われる。


 プロダクション-Luminous-としては、このクリスマスライブを、鶉娘のお披露目の場と考えているようだ。

 ライブまであと一週間を切った今現在、美玖みくファンを中心としたコミュニティーも、謎の少女は誰なのか? といった憶測が、飛び交っている。


 SNS界隈も同様に、この謎の少女の話題で持ち切りとなっていた。

 美玖の妹選手権に偶然い合わせていたと思われる人物から、あの時優勝したまま姿を消してしまった少女なのではないか? といった書き込みも見られる。


 僕と鶉娘は、あの日以来、会っていない。佐竹の携帯を通して数度会話をしたといえばしたけれど、時間にしても数分程度だ。

 僕は極力、自分から鶉娘にコンタクトを取ることを避けていた。僕からの勧めがあったからとはいえ、鶉娘は、自分の道を歩き始めたばかりなのだ。

 一人前の女神様になるために、特別な何かを見つけて、大きく羽ばたいてほしい。その第一歩を、今まさに踏み始めているのだ。


 僕はそれを……陰ながら応援するしかない。それしかできないのだ。決して邪魔をするわけにはいかない。


 12月25日 17:00開場 18:00開演。


 エクサドームで行われるクリスマスライブは、チケット完売。五万人を越える観客動員が予想されている。WEBによる同時配信チケットも盛況のようだ。僕の手元にも、佐竹を通して関係者席への招待状が届いていた。


 このライブを境に、鶉娘を取り巻く環境は、大きく変わることだろう。そうなったら、鶉娘の生い立ちや家族構成などを、プロダクションはどうとらえるのだろう? 僕と鶉娘の関係も、疑われるかもしれない。いわゆる芸能人となった鶉娘に対して、実は僕は赤の他人だったと知れたら、会うこともできなくなるかもしれない。少し調べれば、僕に妹なんていないことくらい、直ぐにバレるだろう。


 鶉娘と離れておよそ二か月間、僕はまた、いつも通りの平凡な毎日を繰り返していた。アパートとファミレスとコンビニを行き交う毎日。当たり障りのない日常が、延々と繰り返されている。


 情けねぇ話だけど……僕はそんな平凡な毎日に打ちのめされていた。当たり前のように繰り返される日常に、侵食されていた。知らず知らずのうちに、僕の心はむしばまれていた……。


 ……応援するって……何なんだろう?


 具体的に、何すりゃいいってんだ……。実際のところ、心の中で「がんばれ!」と叫ぶくらいしかできない……。

 鶉娘はおそらく、毎日のように様々なレッスンや、トレーニングを繰り返しているに違いない。ライブまで一週間を切った今となっては、リハーサルなども行われているのだろう。五万人を越える観衆を前に、最高のパフォーマンスを見せるために、日々、戦い続けているはずだ。


 僕は、いったい何をやっているのだろう……応援している? ただ単純に、鶉娘が努力しているのを、指をくわえて見ているだけじゃないのか?

 ほんの少しの間、僕の近くにいてくれた女の子が、今まさに羽ばたこうとしている。そのための努力を続けている……計り知れない試練の日々を過ごしているのかもしれない。


 それを僕は、応援している……応援?

 ……応援するって……何だよ……。


 愛莉先輩も、一心不乱に練習していた。僕の部屋を飛び出してからの一か月間は、本当に練習の虫となっていた。僕はそれを……応援していた。

 応援? ……ただ見ていただけ……だったんじゃないのか?

 先輩が上手くいくことを、祈っています。そうやって先へ進んでいく先輩を、心の中でサポートしていますって、そんな自分に酔っていただけなんじゃないだろうか……。


「ギターの野村愛莉さんって知ってる? 僕の先輩なんですよ! 同じ専門通ってて、僕と凄く仲が良くて、僕のアパートにも来たことあるんですよ!! 凄いでしょ……」


「天野鶉娘ってアイドル、いるじゃないですか!? あの子って……僕がアイドルになるように勧めたんですよ。僕が勧めなかったら、ただの女の子だったかもしれないんですよ!! ねぇ凄いでしょ……」


「ねっ! 凄いでしょ!! あの子と知り合いなんですよ……僕! ねぇ、凄いでしょ……僕!! 僕って凄いでしょ! ねぇ……凄いでしょ!!」


 バッカじゃねぇの? ……ほんとに馬鹿みてえだよ……。小っさ!! 小せぇなぁ……虫ケラかよ。


 ……虫ケラに……失礼だ。


 仕方ねぇじゃねえか……鶉娘には才能がある。計り知れない才能が……。もうすぐそれが日本中に知れ渡って、想像もつかない高みへと、登っていくんだ。


 もうすぐ鶉娘は……あと一週間もすれば……僕なんかには全く手の届かないところへ、行ってしまうんだ。


 才能のないヤツは……おとなしく見守っているしかないんだ。それでよかったはずじゃねぇのか? 送り出してあげるって……笑顔で送り出してあげるって誓ったはずじゃなかったのか?


 いつしか心に誓った決意が……揺らいでいる。


 あれだけ格好つけて、鶉娘の前で啖呵たんかを切って見せたけど……結局僕は、この期に及んで尻込みしてるってのか?

 本当は、うらやましいんじゃねぇのか……?

 まわりはみんな先に進んじまって、取り残されるのが怖いんじゃねぇのか?


 なぁ、正直に言ってみろよ……。


 本当の本当に、心の底から成功して欲しいって、思ってるのか?

 …………とても、そんなふうには、見えねぇぜ……。




「照ちゃ〜ん……お疲れ様ね~」

「はい、お疲れ様です」


「……う〜ん、なんか〜チーフ悲しいんぞ〜い。照ちゃん元気ないと、チーフも悲しいんぞ~い」


 あいかわらず、本田チーフは僕のことを心配してくれる。


「あ、やあ、まあ、はい……」


 二十四日……世間はクリスマスイブ。

 時計はすでに深夜零時を過ぎ、日付は二十五日になっている。

 いよいよ、クリスマスライブ当日になっちまった……。


 今日は、いつもより来客は多かったけど、それを見越したシフトになっている。なので、仕事の負担はいつもとさして変わらない。けれど、チーフを心配させてしまうほど、落胆が表に出てしまっていた。


「ねぇ、照ちゃん。明日は、クリスマス当日は来客少ないから、お休み……取っていいよん」

「いや、大丈夫です。シフト入れたのは自分なんで、ちゃんとやれますよ。それに……明日は予定、入れておきたいんで」


 チーフは控室のパソコンデスクに座りながら、膝の上で揉み手をするように、モジモジとしている。


「照ちゃん……ちゃんと、会えてるの?」


 僕の目を、チラチラと見ながらそう尋ねる。


「あ、いや、その……」


「とっても……大切な子なんじゃないの?」


 ……大切な子。


「実はその……もう、二か月近く会ってなくて……」


「……ケンカ……した?」


「いや……実は……」


 事のあらましを……チーフなら話してもいいかなって思って、非現実的な部分を若干にごしつつ、それでもギリギリのところまで話してみた。

「……照ちゃん、ちょっとこの画面、見て見て!」

「な、なんすか?」


 チーフはパソコンの画面を見るように、僕を手招きしてくる。


「ほらほら、ここをね、クリっとするでしょ〜。そんでもってぇ〜、パチパチパチッとすると〜、ほら! にっこり~ん!!」

 明日の僕のシフト欄が「休」ではなく、「厳禁」に打ち変えられた。しかも赤太文字。

「で、でも明日は……」

「照ちゃん!! チーフがブラック上司ってこと、知ってるよね〜。これは命令だからぁ〜、んふふっ! 逆らえないのん!」


 ぱっちりーんと、ウインクが飛んでくる。


「ねぇ照ちゃん。明日……もしも明日、ここに来たら? ……もしも……明日……ここに来たら……ねぇ……どうなると思う?」

 チ、チーフ……? なんか……目が座ってませんか?


 ……ゴクリ。


「ど、どうなるんすかねぇ……ははは……」

 バンッ! と、僕の肩に手を置くと、耳元でポソリとつぶやいた。


さんが、お迎えに来てくれるよ……メリクリ~ってね……」


 地獄の底から響くような重低音……。


「チーフ!! 僕! 明日、お休みしますっ!!」

 にっぱりーんとした笑顔を見せるチーフ。

「照ちゃん! よくできました!!」

「は、はい。今日は失礼します! お疲れさまでした!!」


 やべぇ、やべえよチーフ……いつも優しいけど……もしかして、もしかすると、これまでに一人や二人……。


 チ、チーフ……僕はチーフのこと、信じてますからねー!

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