第16話 原石

 ピィーーッと、ヤカンが沸騰ふっとうげる。


「あの、お茶でいいっすか?」

「はい、あ、いや、その……恐れ入ります」


 見た目とは大違いの反応に、こっちが戸惑っちまう。

 アパートの前で土下座されたままってワケにもいかなかったので、とりあえず中に入ってもらった。


 ステージ裏……スーツ姿で名刺めいしを渡された時は、正直、かかわりいになりたくないと思っていた。ただ、目の前の男と、あの男が、同一人物とはとても思えない。


 けれど、男は部屋に入るなり、思い出したようにポケットからサングラスを取り出し、身にけていた。


 ……なるほど、ステージ裏で僕に名刺を渡した男と、面影おもかげ一致いっちする。

 それにしても、僕みたいな若僧わかぞうに、こんなにも下手したてに出るなんて、よっぽど鶉娘うずめの才能に見込みこみがあるってことなのか……?


 湯呑ゆのみにお茶をそそぐと、そっと佐竹さたけという男の前に差し出す。


「あ、ありがとうございます! お兄様にいさま

「お……にい……さま? …………いえ、どういたしまして……」


 佐竹はズズッとお茶をすすると、室内を見渡した。


「あの……ところで、そのー、妹さんの姿がお見えにならないようですが……その、今はお出かけ中……なのでしょうか? お兄様にいさま!?」


 まあ、そうなるよね……どうしようかな……。


「えっと……ウズメはその、ちょっと事情がありまして、実家じっかほうへ帰っていると言いますか……なんと言いますか……あ、あと、その、っての、なんとかなりません……?」

「え? あぁ、すみません……ええと、ご実家じっかほうへ!? どうしてまた……遠方えんぽうなのですか? いつ、お戻りになられるのですか?」


 佐竹は今一度サングラスを外すと、切実な表情でせまってくる。よく見ると、なんともつぶらな瞳だ……。


「そ……それはなんとも……」


 いつ戻ってくるかなんて……正直、こっちが聞きたいくらいだ。遠方かどうかはともかく……いつ戻ってくるかなんて……戻ってくるかさえわからないってのに……。


「あまのうずめ、さんとおっしゃられていましたけれど、三神さんとは、苗字みょうじことなるのですね……あ、いや、べつにその……ご家庭の事情をさぐろうとか、そういったことではないのですが……」


「ま、まぁ、色々とありまして……」

 アイツの家庭の事情なんて、全く知らねぇけどな……。


「三神さん……私……この業界に飛び込みまして、かれこれ十年になります。まぁ、それが長いのか短いのか、私にもわかりませんが、多くのアイドル候補生……アイドルのたまごたちを見てきました」


 ダイニングテーブルに両肘りょうひじをつくと、口元くちもとで両手をわせて、昔を思い出すようにかたはじめる。


玉石混交ぎょくせきこんこうとは、まさにあのような状態をあらわすための言葉なのでしょう。ピンからキリまでとは良く言ったものです。……まぁ正直、そのほとんどがみがいてもひからない、ただのいしコロなわけですから、こちらとしましても、その鑑識眼かんしきがん……見抜く力というものが、自然と鍛えられていくのだと思います」


 湯呑ゆのみに手をかけ、スッと小さくすすると、そっとテーブルに戻す。


美玖みくを初めて見たときは……衝撃が走りました。当時、十四歳。まだみがかれていない……いわゆる原石げんせきの状態にもかかわらず、その存在を知らしめようと、ほんの一瞬……本当にほんの一瞬だけ、かがやきをはなつのです……」


 遠くを見つめるような目で……静かに、けれど力強く語るその口調から、真剣さがひしひしと伝わってくる。


「あふれ出す才能の輝き……それは、見るものを瞬く間に惑わせてしまう……」


 僕は、佐竹の言葉に、知らぬ間に少しずつ引き込まれていた。


「あの瞬間……私は完全に美玖のとりこになっていました。この仕事をしていて、あれほどの衝撃は、いまだかつて一度きりです……」

 あのステージ上で、美玖のダンスを披露ひろうする鶉娘うずめの姿を思い浮かべる。


 佐竹は、両手で顔をおおかくすと、そのまま話を続ける。

「……一度きりでした……もう二度と、あのような衝撃は、味わえないものだと思っていました。しかし、ついに訪れたのです……二度目の衝撃が……」


 そう言って佐竹は顔を上げると、僕を真っ直ぐに見つめる。


「お兄様! うずめさんは本物です……美玖みく以来の……いや……美玖を超える逸材いつざいと言っても過言ではない……そんな原石が、うずめさんなのです……」


 佐竹は椅子いすから立ち上がると、ゆかに正座をして頭を下げる。


「お兄様!! お願いします。うずめさんをしゃへ預けて下さい! どうか、このとおりです。お願いいたします!!」


 こんな若僧に、一度ならず二度までも……プライドも何もかもかなぐり捨てて、そこまでして鶉娘をスカウトしたいというのか……?


 美玖を超える逸材……正直、アイドルの素質そしつなんて僕にはまったくわからない。けど、あのステージ上のパフォーマンスは、鶉娘だからこそしえた振舞ふるまいだと思う。その点については、異論はない。


「佐竹さん……佐竹さんのお気持ちは分かりました。ただ、これはウズメの問題です。僕がどうこうできる問題ではありません。ウズメ本人の気持ちを確かめるまでは、保留とさせてください。お願いします」


「も、もちろんです。お兄様、よろしくお願いします」

 今一度深々ふかぶかと頭を下げると、佐竹の顔に笑顔が戻る。


「ただ、ウズメの、その……あのステージ上でウズメが言った言葉は、問題にならないのですか?」


「……と、もうしますと?」

 佐竹は、優しい顔を僕に見せる。


「その……ウズメが言った、『婚約者こんやくしゃがいる』っていうのは、問題にならないのでしょうか……?」


「ハハッ……あ、失礼しました。ええ、それに関しては問題ありません。と言いますか、むしろキャラクターとでももうしましょうか……良い意味で、妹さんの個性としてとらえております。上手うま活用かつようさせていただきますよ」


 ニカッと笑いながら、お任せくださいとばかりに、胸に手をあてる。


 なるほど、さすがに大手芸能プロダクションともなると、色々な場面や発言に対するノウハウみたいなものが、あるってことなのか。

 年端としはもいかないアイドルを、芸能界という世界で活躍させているわけだ。そりゃ、いろいろな場面に遭遇そうぐうしているだろうし、それに対する対応も、プロフェッショナルってわけか。


「そうですか。いずれにしても、ウズメの気持ち最優先でお願いしたいと思いますので、ウズメ本人の気持ちがわかるまでは、しばらくおねがえますか?」


「もちろんでございます!!」




 ひと通りの話を終えると、佐竹さたけは何度も何度も頭を下げながら、僕のアパートを後にした。


 鶉娘うずめがアイドルデビュー?


 ……アイツが聞いたら、なんて答えるのかな? 「やったー」って大よろこびしそうな気もするし、それをネタに僕のことをからかってくるんだろうなぁ……。


 でも、だったらなんであんな宣言、わざわざしたんだろう……する必要ないよな?

 あの時、鶉娘は自分の口から、みずからの意志で、その宣言をおこなったんだ。


 ステージ上の鶉娘は、本当に輝いていたし、鶉娘本人だって……とても楽しかったに違いない。


 それなのに、その可能性を、みずから消し去ってしまうような宣言を、アイツはしたんだ。


 美玖みくの妹として選ばれたのだから、普通にそれを喜んで、その先に待ち受ける、はかり知れない可能性に、心ときめかせるのが、普通じゃないのか?


 まぁ、女神様に、僕たち人間の感性を当てはめるのも、無理があるってもんかもしれねえけど……。


 ただ、それをってでも、その『約束』ってのが大切だったってコトなのか……?


 鶉娘にとって、そんなにも大切な存在ってことなのか……その『約束』ってのは。


 ……鶉娘の気持ちを最優先に。そうだよ、それが一番……大切なんだ。鶉娘の気持ちを確かめるまでは、僕にはどうすることもできない。

 確かめようにも、もう二度と確認することさえ、できねぇかもしんねぇけどな……。


 佐竹が飲み終えた湯呑ゆのみをそっとながしに置くと、僕はそれを無言のまま洗い始めた。

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