第17話 約束

 晩飯ばんめしの食材を買い終え、閉店間際まぎわのスーパーを後にする。トボトボとアパートへの帰り道を歩いていると、商店街の片隅かたすみにたどり着いた。


 ……あの場所だ……。


 佐竹さたけが僕のアパートを訪れてから、すでに二週間が経過している。鶉娘うずめが姿を消してから、もうすぐ一月ひとつきだ。


 文字通り、平凡を絵に描いたような日常が、繰り返されている。バイト先とアパートを往復して、ときどきコンビニに寄ったり、スーパーで買い物をしたり。

 休みの日は家でゴロゴロして、それも楽しみの一つだったはずなのに、一日ぽっかりと予定のない日がおとずれるのが、怖かったりする……。


 あの薄暗い街灯がいとうの下で、クルクルと、謎の踊りを踊っていた少女。ものすごいいきおいで飛びつこうとってきた少女。ずっとやさず笑顔を見せてくれていた少女……あれ以来、なんの音沙汰おとさたもない。


 あれは、まぼろしだったのかもしれない。いや、幻だったのだ……そう……思うようにしている。


 そもそも、女神様って……は? なに言っちゃってんのって感じだしよぉ……あまりに非現実的じゃねえか?

 そう思わねぇか? ……だよなぁ。だったら、何も怖いモノなんてねぇじゃねぇか。


 目の前に転がる石ころを、ポンと蹴り飛ばす……街灯のはしらに当たると、「カーン」と甲高かんだかい音がひびわたる。


「お! なぁウズメ! スゲーだろ今の、ナイスキック……」


 うおっ! ……ガサガサと勢いよく何かが飛び出してきた……と思ったら、野良猫が振り向いて立ち止まっている。

 なんだよ、驚かせやがって……。

「……バッカじゃねーの……?」

 しばらくすると、ノロノロと草むらの中に消えていった。

「…………バッカじゃねーの……って……ホント、馬鹿みてえだよ」


 アイツは帰ったんだ。帰れたんだ。アイツがそれを望んでいたか……それは、わかんねえけど、少なくとも僕はそう望んだ。そう決意したんだ。望んだ通り、帰れたんだよ。


 目的は達成されたんだ。喜ぶべきだ。


 清々すがすがしい気持ちでいなきゃ、ウソになっちまう……。


 そりゃ、こんな突然ってのはちょっと冷てぇなって……一緒に特別を見つけようって……まぁ、そんなの関係ねぇか。


 アイツみたいに、いつだって笑顔でいなきゃ……こんな顔してたら、笑われちまうぜ……。


 いつの間にか、ホロッとほほを、涙がこぼれ落ちている。


 ちがう……ちがうんだ。これは、そういうんじゃねぇからな。勘違いするんじぇねぇぞ!

 パシンと両頬りょうほほを叩くと、僕はその場から逃げるように家路いえじを急いだ。




 アパートにたどり着くと、そっと僕の部屋を見上げてみる。もちろん明かりは点いていない。

 フゥーッと息をくと、重い足取あしどりで外階段をゆっくりとのぼり、玄関ドアの前に立つ。


 ズボンのポケットから鍵を取り出すと、玄関ドアの鍵穴にゆっくりと差し込む。いつものように、反時計回りに九〇度回転させれば、開錠かいじょうするはずだ。


 …………あれ?


 またか? ……またなのか? 


 大家おおやさん、この鍵、直ってない……ってか、また壊れた!?

 このオンボロアパート…………って、あれ? ……どうするんだっけ? こういう時、どうすればいいんだっけ?


 …………もしかして……あの時……あの時の……?


 ……って、何言ってんの? そんなワケないじゃん。あんなんで、そんなことこるはずないって!


 僕は、小さく深呼吸をすると、全神経を指先ゆびさきに集中させる。


 ハハハ……まさかな。全然そんなの、ありないって! …………けど。

 おいおい、大家おおやさん。アンタいったいナニモンだよ……。

 とんでもねえこと教えてくれたってことに、なっちまうぜ?

 まぁ、まだ、そうと決まったワケじゃねぇんだけどさ……。

 なんでだろう、心臓がドキドキしてきやがる……。


 落ち着け、落ち着けって……邪念じゃねんを振り払うんだ……。


 とか言いながら、まるで、信じてるみたいじゃねぇか……笑わせんなって、神話やおとぎ話でもあるまいし……バッカじゃねぇの?

 ……ああ……バカみてえだな……でも、そんなもんか……? ……たしかに、そんなもんだっただろ? ありえねぇこと、散々さんざんこってたじゃねぇか?


 ひとことじゃ言い表せないような、不思議なことばっかりだっただろ? ……信じられねえことばっかり、起こってたじゃねえか……。


 馬鹿ばかでイイだろ? なぁ、馬鹿になってみろよ……。なにカッコつけてんだよ……馬鹿でイイじゃねぇか! テメーみたいなヤツが、なにカッコつけてんだよ……自分で自分のこと、カッコ悪いって思ってるクセによ!


 そんなんだから、モテねえんだよ! そうやって、自分で自分のこと守ってっから、逃げられるんだよ! ホントみっともねぇな!

 馬鹿ばかにもなれねぇなんて、一周回いっしゅうまわってカッコわるいぜ……一周どころじゃねぇか!?


 馬鹿ばかで何が悪い? 上等じゃねぇか!?


 うえしたもねぇ! まえうしろも関係ねぇ! だったら、も知ったこっちゃねぇや! 掛かってきやがれってんだ!!  


 僕は、もう一度深呼吸をすると、あの言葉をとなえた。


「ひらけーーー! ごまーーーー!!」


 心の底から、真剣に、何のうたがいもなく……疑うどころか、僕の持つすべてを捧げるようなおもいを、その言葉に宿やどす。

 これ以上ないほどの、僕の中の精一杯を、この言葉にたくす。


 たのむ! 頼むよ……もう一度だけでいいからさ、なあ、つながってくれよ……お願いだ! お願いです! ……お願いします、このとおりだよ……最後のお願いでいいからさ……もう、本当にこのとおりだよ……なぁ、神様! なぁ、女神さまっ!!


 あら不思議、ウソのようにスルリとカギが回転し、なんの引っ掛かりもなく開錠する……開いた……開いたぞ!?


 はやる気持ちを抑えつつ、そっと玄関ドアを開ける。

 十月中旬ちゅうじゅんの夜十一時半、電気を点けなければ、何も見ることができない。


 ダイニングのスイッチに手をかける……祈るような気持ちで、そのスイッチをオンにする。

 チカチカッと蛍光灯が明滅めいめつすると、室内を照らし出す。

 まぶしさのあまり、サッと目を閉じると、ゆっくりとまぶたを開く。


 その瞬間、違和感を覚えた…………きた!


 目の前に、玄関マットが敷いてある。ドクロマークがプリントされたそれは、やっぱり僕の趣味じゃない。


 斑模様まだらもようのテーブルクロス、黒猫のカレンダー、人体模型。部屋全体が、おどろおどろしい雰囲気をかもし出している。


 お約束のように、ユニットバスからザーッという雨音あまおとが聞こえてくる。

「キュッ」という音とともにその雨音が止むと、バサバサという音が聞こえる。


 誰かいる……間違いない……誰かいるのは間違いないはずだ……身構みがまえるように、扉が開かれるのをジッと待つ。

 ゆっくりと、ユニットバスの扉が開かれる。


 鍛え上げられた腕が、グイッと扉を押し広げる。ととのった鼻筋、かくばったあご、切りそろえられた短い黒髪は……一切を隠そうとしない。

 ありがたいことに、腰のあたりにバスタオルを巻いてくれていた。


「……オマエがショーマか?」


 僕がここに来ることを、まるで予見よけんしていたかのようだ。


「あ、あぁ……」


 鍛えられたその体、胸板は厚く、腹筋もいくつかに割れている。年齢的には、若い……僕より少し上くらいか?


「……ふん、聞いた話と、だいぶ違うな……」

 鋭い眼孔がんこうを僕に向けてくる。


「……聞いた話って、なんだよ……誰に聞いたってんだよ……」

 怖いとか、そういった感情は、とっくに通り越していた。もう二度目だ……さすがに驚いてばかりもいられない。


「……まぁ、お察しの通りだと思うがな……」 

「……ウズメか!? ウズメは、どうなっちまったんだ!?」

 やっぱ怖い……足がブルブルと震えていやがる……とまらねぇ。


「ふふっ……まあイロイロと問題の多いヤツだからな……アレは。ある程度のさばきは、まぬがれんだろう」

「裁き!? 裁きって何だよ、ウズメが何したってんだ!? アイツが何か悪いことでもしたみてえな口振くちぶりじゃねぇか!」


「したさ……まったく面倒なことをしてくれたものだよ。キミも同罪みたいなモノだけれど……まぁ、こっちの世界の人間には、コチラの世界の都合など分かるまい……仕方なかろう」

 さげすむような視線で、にらみつけられる。


「同罪って……まったく身に覚えねぇけどな!!」

「まぁいい、アイツとオレには、がある……どうあがこうが、運命には逆らえんのだ。いずれ、わかるだろう」


 目の前の男は、僕にはもう用済みだと言わんばかりの表情で、和室のふすまを開ける。


「……約束? ……約束ってまさか……オイッ!!」


 パッっとまばゆい光がさしたかと思うと、目の前が真っ暗になる。


 その瞬間、天井から、ドーン、ドーーンと、もの凄い音が鳴りだした。音と同時にゆかが地震のように大きく揺れる。


「ん? ……あのバカか? ……おとなしくしていればイイものを……」


 ゴゴゴゴゴゴーッと、地響きのような音が、室内を包み込む。


「うおっ! くっそう、見えねぇ……何が起こってるんだ!?」


 少しずつ視界が戻ってくる……天井を見上げると、赤黒あかぐろうずきのようなものが、グルグルと稲妻いなずまともなっておおっている。


 男はその渦巻きに向かって手をかざすと、先程と同じような光を放つ。

 ドーン、ドーンと鳴り響いていた音が、止まった。


「フッ、所詮オマエはその程度、おとなしくしていればイイんだ……」


 ドドーーーンと、これまでにない爆音が、天井から鳴り響いた。あまりの大きな爆音と揺れに、その場に立っていられないほどだ。


「……なに!?」


 あからさまに、男がうろたえた。


 ドドーーーン、ドドドーーーン! ビシーーーーン!!


 渦巻きの中央から、放射状ほうしゃじょうにヒビ割れのような線が、まるで蜘蛛くもの巣のように天井にめぐらされる。


「うぉ……な、なんだあれ?」


 ひび割れの中央から、雪のように白くて細い腕が、少しずつ姿をあらわしている……あれは!?


「あのバカが! 無茶にも程があるだろ!!」


 男は何か呪文のようなものをとなえ始めた。あそこからちてくるモノを阻止そししようと、必死の形相ぎょうそうだ。


 無我夢中だった。気がつくと、僕はその男の横っ腹に、肩から飛び込んでいた。

 鋼鉄こうてつのように鍛えられたその体に、僕は弾き飛ばされる……か、硬てぇ。全く歯が立たねぇ……。


 男が呪文をとなえると、天井の渦巻きが逆回転を始める。

 もう少しで肩が見えそうなほどに突き出ていたはずの腕が、次第に引きずり込まれるように、うずの中へ連れ去られていく。


「ちくしょう、なんにもできねぇのか……?」


 少しずつ吸い込まれていく白い腕。男は不敵な笑みを浮かべると、僕をさげすむように見つめる。氷のような視線だ……さすがに怒らせたか?


 これは、やべぇかもしれねぇな……万事休ばんじきゅうすか?


 男の顔と、吸い込まれていく白い腕を、交互こうごに見る。その時、白い腕の先端に、何かがにぎられているのが見えた……アレは……。


 僕は、「あっ!!」と大きな声を上げて、吸い込まれていく腕を指差した。


 それにられるように、男が腕のほうを振り向く。


「今だ、ウズメー!! 高めだーーー!!」


 プレイボールの警鐘サイレンが、僕の頭の中に鳴り響く。

 剛速球ごうそっきゅうよろしく、白い腕からはなたれる牛乳瓶。縦回転と横回転、複雑な回転をみせながら、ものすごい勢いで男の額に吸い込まれるように襲い掛かる。

 僕はそれを、スローモーションのように見つめる……ガツーン!


「ストライーク!!」……ストライクでイイよな!?


 完全に不意ふいかれた男は、その場にひざから崩れ落ちる。


 バーーーン!! と、何かが大きく弾けるような衝撃音しょうげきおんとともに、天井が粉々こなごなくだる。


 僕は渦巻きの中心の下へ、ゴロゴロと寝転がるように移動すると、天井からちてくるその少女を、必死で受け止め……ようとしたんだけど、顔面にヒップアタックのように、お尻の直撃を受ける。


 これは、完全にしりかれたかもしれない……。


 痛ってぇなー、こりゃまた気絶しちまうパターンだ……けど、こんな不思議な痛み、今まで味わったことねぇや。


 やべぇ……痛みのせいで涙が出てきやがった。


 少しずつ意識が遠ざかっていく……けど、すぐそばにぬくもりのようなものを感じる。


 僕は安らかな気持ちに包み込まれながら、ゆっくりと眠るように、気を失っていった。

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