第18話 再会

 気がつくと、ダイニングに倒れていた。


 つうぅ、鼻が痛い。天井から落下してくる鶉娘うずめを受け止めようとしたんだけど、顔面で尻を受け止める羽目になっちまった……。


 さっきまでの、あのおどろおどろしい雰囲気は消え去っている。いつもの静かなダイニングに戻っていた。


 隣を見ると、鶉娘うずめが僕に並ぶように、横になっている……あの時の、僕の目の前から姿を消してしまった時に着ていた、ワンピース姿だ。


 僕は、ゆっくりと体を起こして、そっと鶉娘の口元に耳を近づける。スースーと、小さな寝息が聞こえてきた。


 ホッとするのと同時に、室内をもう一度見渡して、異変がないことを確認する。どうやら、あの男の姿はなく、僕と鶉娘の二人だけのようだ。


 ふうぅ、一事はどうなることかと思ったけど、なんとかピンチをけることができたみたいだ。


 ダイニングの片隅に、牛乳瓶が転がっている。『酪農牛乳 特濃4.0』というラベルの文字。

 あいかわらず、いいコントロールしてるぜ、鶉娘のヤツ。なんか、そっち方面でも活躍できるんじゃねえのか?

 そう思うと、可笑しくなって笑いが込み上げてきた。


「アハハハハッ……」


 ゴロンとゆかに横になって、鶉娘のとなりに寝転ぶと、そっとその寝顔に目を向ける。


 ゆっくりと、少しずつ、その寝顔に近づいていく……。


 顔をかくすように垂れ下がった黒髪を、そっと指先で耳元から後ろへ向けて流すようにかきあげる。少しだけ乱れた前髪を、やさしく指先ででるように整えると、小さなおでこが現れる。


 きめの細かい、絹のような白い肌。そっと閉じられた瞳。それほど長いとは言えない、ひかえめな睫毛まつげ。小さいけれど、綺麗なラインを見せる鼻筋。ぷっくりとしたとがったくちびる……そのどれもが信じられないほど、いとおしい。


 右目の横に、小さなホクロが二つある。今まで気づいていなかった。


 僕は、吸い寄せられるように、鶉娘のほほに手を伸ばしていた。


 …………え? 体温が少し高い。


 手の甲を鶉娘の首筋に当ててみる。熱があるのかもしれない……。


「……ショーマ……?」


 鶉娘が薄目を開けるように、瞳をゆっくりとまばたきさせている。


「……ウズメ? 目、覚めたのか?」


 鶉娘は、ゆっくりとした動作で僕の腕に手を伸ばしてくる。


「うん……」


 やさしく口元をほころばせながら、小さくうなずく。そっと僕の腕に差し伸べられた手が、少しだけ熱い。


「もしかして、熱……あるんじゃないのか?」


「……わかんない……」


 ゆっくりと、ふたたびまぶたを閉じていく……。


「もう、しゃべらなくていいから……からだ、休ませた方がいい」

 僕が起き上がろうとすると、腕を握るそのチカラが、ギュッと強くなる。


「……ショーマ……ゴメンね……。急に……いなくなっちゃって……」

「そ、そんなこと、気にするなって……全然、全然ヘッチャラだったんだから……」


「…………平気……だった……の……?」

「あ、ああ。へーきへーき、元気いっぱいだったぜ……!」


 ホント言うと、どん底まで落ちちまってたけど、鶉娘に変な心配させる訳にいかねえしな。


「……そっか。ショーマは……平気だったん……だね……」

「……い、いいから、僕のことなんてどうだっていいから、今はからだを休めるのが優先だ。な、ゆっくり休んで、元気なウズメをまた見せてくれよ!」


 そうだよ、こんな弱々しい鶉娘に、心配されてる場合じゃない。鶉娘を元気づけてやらなきゃな!


「………………う……ん」


 そっと小さく頷くと、鶉娘はまた眠りについたようだ。

 このまま床に寝かせておく訳にもいかねぇな。和室の布団へと、連れて行ってやるか。


 ……ん? ダイニングテーブルの裏に、なにか可愛らしいシールのようなものが貼ってある。今まで気づかなかったけど、何だろう……QRコード?


 おっと、それより先に、鶉娘をなんとかしなきゃ。


 鶉娘を起こさないように、慎重にそっと救い上げるように抱きかかえる。

 ……想像していた、何倍も軽い。どこかへ、飛んで行ってしまうんじゃないかと、心配になるほどだ。こんな小さな身体で、無茶しやがって。


 女の子を、こんなふうにお姫様だっこするのは、初めてだった……。


 僕の両腕に、すっぽりと収まる鶉娘の小さな身体。少し高めの体温が、触れ合う肌をとおして伝わってくる。密着する腕、体、足、その全てが信じられないほど柔らかい。


 なんでだろう、僕は平熱のはずなのに、クラクラとしてくる。これは……マズい。急がないと……。


 できるだけ衝撃を与えないように寝室へ運ぶと、そっと布団の上に寝かせ、タオルケットを掛けてあげた。


 もう一度ダイニングに戻ってれタオルを作ると、おでこにそっと乗せてあげる。


 静かな寝息を立てている。少しだけほほが赤い。やはり熱があるのだろう。体温計が無いから、はかることはできないけど、まちがいなさそうだ。

 あとで、何か食べるものを用意してあげなきゃな……おかゆとか。


 目の前で眠る鶉娘を、もう一度見つめる。

本当に目の前に鶉娘が戻ってきてくれたことが、うそみたいだ。信じられない。

 そっと鶉娘の手をとり、軽く握りしめる。とても小さな手。指は細く、今にも折れてしまいそう。ただひたすらに、柔らかく温かい。


 そっと僕のほほへその手を引き寄せると、柔らかい温もりを肌で感じる。


 僕の中の、何かの境界線が、ぐらりと揺らぐのを感じた。


 そっと頬から手を離し、ゆっくりと下ろすと、両頬をバチンバチンと叩いて、それを必死にしずめる。


 今は鶉娘が体調を戻すことが、最優先だろ! しっかりしろ!!


 ゴロンと床に寝転ぶと、天井の美玖みくと目が合う。いつも通りの優しい微笑みを見せている。


「……そんな顔で見るなよ……ハハッ」


 自分でそう言いながら、思わず笑ってしまう。


 あ、そういや、あのテーブル裏のQRコード。あれはいったいなんだろう? 商品管理用とか、そういった感じではなく可愛らしいシールだったよな?


 僕はダイニングへ移動すると、テーブルの裏側をのぞき込む。シールをよく見ると、手書きで小さく『三神君へ』と書きえられていた。

 これって……もしかして?

 スマートフォンでQRコードを読み取ると、リンクが表示される。僕は、すこしだけ緊張しながら、そのリンク先をタップする。

 僕あての手紙が、表示された。






 拝啓

 三神 照真 様


 お元気ですか?

 あの段ボール箱でゴハンを食べる三神君を、想像しています。

 本当に笑けてきます。www

 その若さで、哀愁あいしゅうただよわせちゃダメだよ。

 だからお姉さんが、このダイニングセットをプレゼントします。

 イスはもちろん二脚!


 あの日、突然帰ってしまってゴメンなさい。

 その件について、いっさい詮索せんさくしないで、まるで無かったことみたいにしてくれる三神君は、やっぱり凄いなって思いました。

 ちくしょー、年下のくせにちょっとカッコイイぜ!


 あの頃の私は、本当に毎日が不安で、眠れない日々を過ごしていました。

 だからあの日、おぼれそうな私を救ってくれてありがとう。

 本当に自分が恥ずかしくて、いてもたってもいられなくて、逃げ出してしまいました。

 あの出来事があったから、もう一度ちゃんと音楽と向き合えたと思います。


 三神君もあと一年。三神君なら大丈夫だと思います。

 いつかどこかで、どんなカタチでもいいから共演できたらイイよね!


 それから、早く恋人を見つけて、このダイニングテーブルを使って一緒にゴハンを食べてください。

 そうやって、私をくやしがらせてください。


 たぶん三神君は、私に憧れのようなキモチをいだいていたと思います。

 なぜそう思うかというと、私が三神君に憧れていたからです。

 何事にも紳士的に、真っ直ぐに、真剣に向かい合う、心の優しい三神君は、私の憧れでした。


 三神君は、もっと自信を持っていいと思います。

 だって、三神君が憧れた(勘違かんちがいだったらマジはずいんだけど)私の、憧れの存在なのですから。


 雑用ばかりの毎日が、とても輝いています。

 いつか本当に、どこかで共演できたらいいよね。

 そのとき、恥ずかしくない演奏ができるように精進します。


 わたしの憧れの、後輩様へ


かしこ


野村のむら 愛莉あいり

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