第15話 日常

 目の前にぶら下がったオーダー伝票が、少しずつ減っている。来客のピークタイムを越えたのだろう。


しょうちゃ~ん、それ上がったらテーブルいける?」

「はい、大丈夫です! 五分後くらいだと思います」

「オ~ケ~、頼むね~」


 基本、調理担当だけど、時々フロアのヘルプに入る場合もある。


 五歳年上のチーフ、本田ほんださんの判断は、とても正確だ。

 オーダーと料理の提供、食器の片づけやレジまわり。調理の進捗しんちょく状況も含めて、レストランとしての表向きの業務全般に目を光らせ、適切な指示を出してくれる。


 デミグラスハンバーグセットの準備が整うと、そのまま伝票と共にフロアに出て、それをお客様に提供する。


「……あ、お兄さん? ちょっとイイですか?」


 バックヤードに戻る途中、お客様に声をかけられた。

「はい、少々お待ちください」

 注文だな……エプロンのポケットからオーダー用タブレットを取り出し、対応する。


 野球帽を目深まぶかにかぶった、ジャージ姿の大柄おおがらな男性客。おひとり様のようだ。

 男性客はメニュー表を開くと、チョイチョイと手招きをしながら、オーダーの品を指差す。

「この……コレ、イイかな?」

「えっと、こちらですね。はい、オーダー確認します。ジャンボストロベリーパフェ白玉きな……」


「お兄さん!! シー! 静かに!!」


 ……え? あー、なるほど。そういうことか。


 僕はオーダー用タブレットの画面を、その男性客へ見せる。

「一応、オーダー確認をすることになっていますので、コレでよろしいですか?」

「…………」

 コクリと無言のままうなずくと、大きな体を小さくすぼめながら、右手でオッケーサインを出している。


「ありがとうございます。少々お待ちください」


「……あの、三神みかみさん……」


 大きな体に似合わない、小さなささやきが僕に届く。


「え? は、はい」

 な、なんで名前……?


「お兄さんは……さん、なんですね……」

 そう言って、僕の名札を指差ゆびさした。あぁ、名札を見たのか……。


「はい、それがどうかされましたか?」


「……そうなんですね……お兄さんは、三神みかみさん、なんですね……あ、いえ、『みかみ』って、水と上で『水上』とか、三と上で『三上』とか多いじゃないですか……だからちょっとめずらしいなと、思いましてね……」

「あ、ははは、そ、そうですね……少ないかもしれないです……では、ごゆっくり……」


 な、なんだろう……不思議な人だな……そんなに長く生きてる訳じゃないけど、こんなこと言われたの、初めてだな……。


「ど〜したの? しょうちゃ〜ん!? 変なお客さんにからまれたの?」

 クネクネと身をよじりながら、心配そうな本田チーフ。一応、男性だ。

「あ、いえ、大丈夫です」

「そ〜なの〜ん? 変なお客さんいたら、すぐに知らせてね、ぶ~~~っ飛ばしてあげるから!」


「やめてください」


「てへ、冗談冗談! それより、休憩入りましょうよ。照ちゃんとワタシ、休憩入りま~す、よろしくお願いね~ん」


「はーい」という返事が、バックヤードから聞こえてくる。こんな感じだけど、チーフの本田さんはとても勤勉で、スタッフからの信頼も厚い。


 控室ひかえしつに入ると、ドリンクバーじゃないほうのコーヒーをれてくれた。


「お疲れ様〜、そこにあるチョコ、食べていいわよ。すっごくおいしいの! 疲れもとれるよ~」

「ありがとうございます」


 チーフのセレクトは当たりが多い。お言葉に甘えるとするか……。


「ねぇ、照ちゃん。休み……取りなよ〜。あ、その……こっち関係で事情とかあるなら、仕方ないのかもしれないけど……」

 チーフは、親指と人差し指で〇を作って、それを反対の手で隠しながら、チラッと僕に見せてきた。


 僕が首を横に振ると、少し安心したように笑顔を見せる。


「よかった~~! じゃあ、コッチだ!!」

 今度は、隠した手の奥から小指をニョキッと立てて、僕の顔の前に突き出してきた。


「………………」


「え!? そ〜なの……ゴメンね、茶化ちゃかすつもりじゃ無かったんだけど、でも……そっか、でも、照ちゃんもスミに置けないな〜。おせんべい食べる?」

「あ、頂きます」


「でも、助かってるのよ〜。学生さんのシフトって、チョパチョパあてにならないじゃな〜い? だから~、照ちゃんがいなかったら、チーフってば絶対にチョンチョロいだよ~」

「それはどうも……テンテコっすね」


「でも、明日はお休み取りなさいね〜! わかった〜!? コレは業務命令なんだから。上司からの命令ね! ブラック上司、発動しま〜す。二週間連続勤務なんて、ぜ〜ったい許さないんだからぁ〜。もぉ~ピュンピュン!!」

「そこは……プンプンで、良くないすか?」


「カップ下げるね~」

「はい、ごちそうさまです」


 ながしでコーヒーカップを洗うチーフのうしろ姿を、ボーっと眺める。


むすめがね〜、『おとーさんと、けっこんするー』って。四歳の娘にプロポーズされちゃった。ど〜しよ〜。お父さんには、お母さんという、将来をちかった大切な人がいるんだよって、わかってくれるかな~?」


「……かわいいっすね。……チーフも、なんかそれ、カッコイイと思います」


 チーフが使っているパソコンの壁紙は、奥さんと娘さんとチーフ三人の写真だ。絵に描いたような、ほのぼの家族って感じに見える。

「やだ〜、も〜、しょうちゃんったら〜。れるんぞい、そんなん照れるんぞい」

 お尻をフリフリしながらも、チーフの耳が赤くなるのが見て取れる。


「お腹すいてない? 照ちゃん。たしかドーナツもあったと思うけど……」

「あ、いや、大丈夫です……ってか、これぎゃくですよね……僕すわってて、チーフ立ってて……」


 先輩であるチーフがおもてなしをして、僕は椅子いすにふんぞり返っている。


「照ちゃん、逆って……どうして? なんかそ〜んな決まり、あるんのん? ……のん?」


「……え?」


「僕と照ちゃんは、一緒だよ〜。う〜ん、でも、今日きょうは照ちゃんつかれてるから……ゴホン、言いなおしま〜す。今日疲れてるから、僕は照ちゃんにコーヒーれてあげたいし、チョコ食べて~元気出してほしいで~っす」


「…………」


「上とか~下とか~、そんなの全然、もっこり関係ないよ〜。そ〜もそ〜も〜、そんなの〜最初からナイじゃ〜ん。上とか下とか、そ〜ゆ〜のん、嫌〜い! プンプン!」

「言えるんじゃないですか……」


「上から~下から~~後ろから前から~~、知ってる?」

「知らないっす。……誰すか?」

「チーフ!」

「まさかのオリジナル……」


「上も下も、前も後ろも、も無いよ~」

「……チーフ……チーフって、マジで凄いと思います。それ……今でます? 普通?」


「う〜ん? なんのことかの〜ん? チーフ、さっぱりなの~ん」

「……そういうところ、尊敬してます」

「さ~、そろそろ時間ね。もうちょっとだけ頑張ろっか。もどりんこしましょ~」

「そうっすね……戻りんこしますか……」


 このバイト続けられてるの、チーフのおかげかもしれないな……。


「あ、照ちゃ〜ん? ついでに悪いんだけど、そこのダンボール箱、運ぶの手伝って〜。おねが~い!!」

「イイっすよ。これ、どこに運びます?」

「冷蔵庫の前ね〜。あ! その荷物、無用だから気を付けてね~!」

「…………チーフ、マジすか? ……マジ、尊敬します」

「……はにょ~ん?」


 そんな他愛のない会話に癒されつつ、いつも通りの時刻にバイトを終える。


 家に帰り着いたのは、いつも通りの深夜だった。




 翌朝、目を覚ますと、いつもと変わらぬ微笑ほほえみが天井から届く。


 今日はバイト、休みか……。


 ゆっくりと室内を見渡す。何も変わらない、いつも通りの室内。

 枕元に視線を移すと……カーテンの隙間から、日差しが差し込んでいる。

 もうが高いのか……スマホで時刻を確認すると、十一時を回ったところだ。


 体を起こして、うーんと伸びをする。


 あれ以来、掃除や洗濯はできるだけサボらずにやるようにしていた。なんとなく、ひょっこりと姿をあらわして、「やっぱり私がいないとダメね……」みたいなことを言われるのもしゃくだなって思っていたからだ。


 掃除の前に、部屋の窓を開けて空気の入れえをしよう。カーテンを開けて、外の景色を眺めてみる。

 いい天気だ。いつもと変わらない、平凡な日常……あれ? 少しだけ気になるものが目に入った。


 滅多めったに見ることのない、黒塗りの外国車が、アパート沿いの道路に停車している。


 珍しい車だな? なんていう車種なんだろう。見るからに怪しい雰囲気をかもし出しているその車……その横に男が立っている。ジャージ姿に野球帽をかぶった、大柄おおがらの男だ。タバコを吸っている。

 あの男……どこかで見た気がするな……どこだっけ? つい最近な気がする……っていうか昨日きのう


 あ! そうだ! 昨日、バイト先のファミレスで……パフェを注文していた男だ!

 いったい何をしているんだろう……そういや、僕の苗字に興味きょうみしめしていたけど……。三神って漢字がどうのこうのって。


 その矢先やさきにこれ……ってことは、もしかすると僕をつけて来たという可能性も考えられる?


 まさかね……だって、あんな男につけられる覚えは無いしなぁ……。


 どうしよう、ちょっと探りを入れてみるか……?


 そっとカーテンを閉じると、玄関からアパートの外へ出る。外階段を、音を立てないようにソロリソロリと降りると、男の死角しかくに回り込んだ。

 やっぱりあのパフェのお客さんで間違いなさそうだ。昨日の晩から、ずっとここにいるのか? いったい何やってるんだろう……。


 なんか、こんなことしててもらちかないなぁ……ええい、たまには度胸でも出してみるか!?


「あの! なんか僕に用ですか!?」


 僕は意を決して、ジャージ姿の大男に声をかけた。


「ぎゃひーーーーーー!」


 見た目からは想像もできない、可愛いらしい悲鳴をあげたかと思うと、道路に尻もちをついたまま、こちらをうかがう。

「やっぱり、ファミレスで僕の苗字みょうじを確認していた人ですよね!?」

 男はスクッと立ち上がると、スボンのお尻をパンパンと叩きながら、僕に視線を送る。


 な、なんだ……もしかして、やろうってのか!?


 ズンズンと、僕の前に歩み寄る。


 ……やっべえ、ホントにやんのか? 


 180センチを超える大男を前に、足がすくむ。


 ちょっ、ちょちょっ、ちょっとタンマ。早まったな……しくじった! もっと慎重しんちょうに行動すべきだった……って、もう手遅れか!?


 男は僕の目の前まで歩み寄ると、サッとその場に正座をして、両手をついて頭を下げる……え? マジか? ウソでしょ……土下座!?


「お願いします! 妹さんを僕にください!!」


 ……え!? なんだって!?


「大切にします! 悪いようにはしません!!」


 ……それって……まさか……?


「……セキュリティー万全のりょう完備! 送りむかえは勿論もちろんこのわたくしが責任を持って行います! 通常なら、研修生からスタートとなりますが、妹さんなら即戦力そくせんりょく間違いなし。あのステージでのパフォーマンスなら、即デビュー間違いありません!」


「デビュー!? って、つまりアンタは……」


 男は土下座をしたまま、ポケットから名刺めいしを取り出した。


『芸能プロダクション-Luminous- 佐竹さたけ智彦ともひこ


「何枚でもお渡しします!! ですから、ぜひとも我がプロダクションへ! よろしくお願いしますっ!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る