第14話 決意

 ガタンゴトンと、帰りの電車にられながら、ボーっと窓の外をながめていた。もう日は沈み、しばらくすると、辺りは夕闇ゆうやみに包まれるだろう。次第に外の景色は見えなくなり、車内を映し始める頃合ころあいだ。


 隣に座る鶉娘うずめは、先ほどからコクリコクリと、首をらしている。


 まあ、あれだけ色々なことがあったのだから、眠くなるのも当然か……結局、結果発表では鶉娘うずめが優勝ということになったようだ。

 けれど、会場は微妙な空気に包まれていた。優勝の座を獲得した本人の口から、まさかの宣言がなされたのだ。当然といえば当然か……。


 イベント終了後、僕は「兄」を装ってステージ裏へ向かったのだが、確証かくしょうが取れるまでは会わせることができないと言われ、随分ずいぶんと待たされるはめになった。

 スタッフによる入念にゅうねんな確認が行われ、ようやく鶉娘と顔をあわせることができたのは、それから三十分ほどってからという具合だ。


 スタッフのはからいにより、このままの衣装でここから出るのは危ないということになり、僕は衣装を借りたお店へ、鶉娘の服を取りに向かった。

 綾波あやなみに事情を説明すると、こころよく服を返してくれた。もう一度ステージ裏へ戻り、鶉娘の着替えをっていると、スーツ姿の男がそっと近くにやってきて、一枚の名刺を渡してきた。


 レンタルした衣装は、スタッフが返却してくれるということになり、僕と鶉娘はコソコソと観衆に気づかれないように、逃げるように会場を後にした……というわけだ。


 電車に揺られながら、まどろみに包まれる鶉娘を横に、僕はポケットからそっと名刺を取り出す。


『芸能プロダクション-Luminous-』


 この名称には、見覚えがある。それもそのはず、桜庭さくらば美玖みくが所属する芸能事務所だからだ。

 ファンクラブに入っていたりするわけではない。けれど、大手芸能事務所ということもあり、世間一般にも、その名は知れ渡っている。


『芸能部 アイドル課 佐竹さたけ智彦ともひこ


 その下には、Luminousのホームページアドレスに加え、携帯番号とメールアドレスも記載されている。


「いつでも、連絡してきてください。楽しみにしていますよ……」


 そう告げる佐竹さたけという男は、おそらく三十代前半といったところだろう。背が高く、サングラスを掛けて、スーツもブランド物……だと思う。いかにもこの業界で仕事してますといった雰囲気をかもし出していた。


 正直、一番苦手なタイプ……というか、そもそもあんな人種じんしゅとの接点が無い。できることなら、関わり合いたくないタイプの人間だ。


 けれど、大手芸能事務所に勤める人間から見ても、鶉娘のあのパフォーマンスは、目を見張るものがあったという事だろう。

 実際、僕もあの時の鶉娘には、完全に見惚みとれてしまっていた。まるで吸い込まれるように、釘づけとなってしまっていたのだ。


 いったい、いつの間にあんなパフォーマンスを身に付けたのだろう……あの美玖みくのPVは、公開されて間もないものだ。僕もスマホで先日初めて見たばかりだし、秋葉原UPXの大型ビジョンで見たのは、あのステージのほんの数時間前だ。練習はおろか、覚えることさえ不可能に近い。


 僕は、隣でうたた寝をする鶉娘に、そっと視線を送る。


 ……女神様……か。


 この小さな体に、いったいどんなチカラが宿やどっているのだろう……今はお休み中と言っていたけれど、その片鱗へんりんを、たりにしたということなのだろうか……。


 いや……それよりも……そんなことよりも…………。


 言葉……あれが本当であるならば……鶉娘が宣言したあの言葉が真実であるならば……。


 僕は、これからどうするべきなのか……どうしなければならないのか……真剣に考えなければならない。


 ……いや……考える必要なんて無いのかもしれない……。


 突然、目の前に現れた、謎の少女……彼女は、自分自身を、「女神様」だと言っている……にわかには、信じられない。


 けれど、いくつかの不思議な現象は、幻ではないと思う。これも、何かの運命なのだろうか……?


 っていたように、目の前に現れた小さな女の子。この少女とのこれからを、真剣に受け止めなければならない。


 これは、恐らく冗談などでは無いのだ……そんな気がするし、そんな核心もある。


 隣同士、付かず離れずの距離感で電車に揺られる、頼りない男とあどけない黒髪の少女。


 僕は、真剣な眼差しで、小さな決意を胸に、窓に映るその二人を見つめ続けていた。





 ふわぁと、欠伸あくびをしながら隣を歩く鶉娘うずめは、とても晴れやかな顔をしている。


「ねぇショーマ、お買い物していこうよ」

「買い物? ……ってそうだったな、まだ必要なモノ、あったな……」


 電車を降りた僕と鶉娘は、駅近くの商店街に立ち寄り、買えなかった生活必需品を調達ちょうたつすることにする。ニヤニヤといたずらっぽく笑う鶉娘に、下着店に引きずり込まれそうになったけれど、それは回避かいひして外で待つことにした……んだけど、会計を済ませるために、結局店内に入るはめになった。


「んふ。カワイイの買っちゃった。んーと、必要なのは、だいたいこんなところかなぁ……? あとは、おなかすいたよね」

「まぁ、そうだな……」


 色々あって疲れたし、どこかで外食にでもしようと思うけど、今日はそれなりに出費もあった……予算的に厳しいというのが本音なんだよなぁ。


 下着店で支払いを済ませた時点で、1,000円札一枚しか残っていない……見栄みえを張っても仕方ねぇし、正直に打ち明けるか……?


「ウズメ……その、晩飯なんだけど……」

「ねぇショーマ、晩御飯、私が作ってあげようか……?」

「え?」

 買い物袋を後ろ手に持ったまま、タタッと僕の前へ回り込むと、前屈まえかがみになってイタズラっぽくのぞき込む。


「あーっ! その顔は疑ってるなー!?」


 にこーっと後ろ向きに歩きながら、僕を指差してそう告げてくる。

 その場でクルリと一回転すると、両手をばっと広げて僕の行く手をはばんだ。

 買い物袋を持ったまま、ドンと胸を叩くように得意顔とくいがおを見せる。


「食べるだけじゃなくて、作るのも好きなんだから! ショーマの胃袋なんて、簡単につかまえちゃうんだから!」


「……あ、……ああ」


 商店街の外れ、やや薄暗い街灯をスポットライトのように浴びながら、笑顔を見せる鶉娘。


「……ずっと笑顔だな……」


「ん?」


 笑顔のまま、小首をかしげる。


「……あ、いや、ウズメは……ずっと楽しそうにしてるなって、思ったからさ……」

「うん、楽しいよ! 今日もショーマと一緒にお出かけできて、ホント良かったよー……まぁ……まさかあんなステージに立つとは、思ってなかったけどね! えへっ」


 片方のほっぺを、ポリポリとくような仕草で、照れ笑いを見せる。


 ……あぁ……何だろう……たぶんこれは…………けど……。


「…………寂しいとか……思ったり……しねぇのか……?」

「全然っ!」


 あまりにも、あっけらかんとした返事が返ってきた。正直、面食らってしまう。


「い、いや……ほら、だって……天界? ……に帰りたいとか、そういうの……あるんじぇねえのか……と……思ってな……。その……会いたい人とか……」


 僕は再び歩きながら、そう鶉娘に問いかける。


「うーん、そぅねぇ……まぁ、無くはないっていうか……でも、たぶん、当分とうぶん帰れないと思うから……だから、まぁ、仕方ないのかなーって」


 タタッと駆け寄るように僕の隣に並ぶと、帰り道をまた一緒に歩き始める。


「……当分……帰れない……のか?」

「うん……たぶん……」

「……当分って……どの……くらい……?」

「んー、わかんない。当分とうぶんとしか言いようがないけど……私次第しだいってところもあるし……」


 ……何となく、今な気がする。どこかのタイミングで聞こうとは思っていたけど、聞けずじまいだったこの問いかけ……けど、なんとなく聞きたくないという気持ちが、知らないうちに少しずつ、大きくなっている気がする。これ以上、大きくならないうちに……っていうか、これ以上大きくしないうちに……。


 これ以上大きくなってしまったら……たぶん、聞けなくなってしまう……。


「……な、なぁ……ウズメは……その……どうしてこっちの世界に来たんだ?」


 鶉娘から顔をそむけて、そっぽを向いたまま、そっと静かに問いかける。


「……ん〜……聞きたい?」


 鶉娘にしては、小さな声で返事をしてくる。


「……あー、うん……聞きたい……かな……」


「……うん……なんか、そんなあらたまって聞かれると、なんかちょっと恥ずかしいなぁ……えへ……あのね、私って……ちこぼれなんだ!」


 ネガティブな打ち明けにしては、明るい声だ。


「落ちこぼれ?」


「うん。こぼれね。私、神様とか女神様とか、全部でどれくらいいるのか知らないけど、その中で、私は日本の神様……女神様なの……あ、正確に言うと、女神様? なのかな?」

「見習い? ……そういや、高二って言ってたからまだ学生だよな……」

「うん。あっちの高校は、成績とかそんな重要じゃなくて、日本の神様は八百万やおよろずって言ってね、それぞれが何かの特別な神様だったりするの」

「あー、うん……なんか、聞いたことある気がする」

「まわりはみんな、そういう特別をとっくに見つけて……うん、普通は中学のうちに見つけて、高校はそれを伸ばす場所なんだけど……私は全然見つかんなくて……でも、あせってもしょうがないし……そしたら、さすがに問題になっちゃって、呼び出されちゃった!」


 舌を出しながら、握りこぶしで頭をコツンとするような仕草を見せる。鶉娘はそのまま話を続けた。


「両親とか、先生とか集まって、色々協議したみたいなの。それで……一度地上界ちじょうかいりて、色々と見たり知ったりするのがイイんじゃないかなってなって……でも、本当はこっちの世界の人達と、接触する予定は無かったの……何故なぜか突然、ショーマが私の部屋に入ってきて……うぐぐ」


 鶉娘は何かを思い出したように、僕をジロリとにらみ始めた。


「……え? え? な、何にもしてないよ!? マジでこっちがビックリなんだから……部屋の中、全然違うんだもん」

「んふ、んふふふっ……でも、良かった! ショーマで良かった! ……それに……それに……とんでもない約束まで……決まっちゃうし……キャー!!」


 鶉娘は、なにかブツブツと言いながら突然走り出したかと思うと、遠くの方でクルクル回りながら謎のダンスを踊っている。


 ……ウ、ウズメ……? なにやってんだアイツ……。


 まぁ、一先ひとまず、鶉娘がこっちの世界にやってきた理由は分かった。まだ出会って間もないけど、アイツが嘘や出まかせを言っているとは到底思えない。そこはやっぱり女神様ってくらいだから、信用してあげたいし、疑う理由もない。


 ただ、天界に戻る手段というか、こっちの世界で何をすれば戻れるのか、それは分からない……話の流れからすれば、鶉娘が特別な何かを見つけられれば……おそらくそのきっかけくらいでもつかめれば、天界の人達も納得してくれるんじゃないだろうか。


 そんな考えを巡らせながら、踊り続ける鶉娘のもとへ歩み寄る。


「よし、協力すっからさ、ウズメの特別を、一緒に見つけようぜ!」


「ショ、ショーマ!! うんっ!」


 そう言って、鶉娘はものすごい勢いで僕に向かって走り出す。


 ……お、おいおい、おいおいおい、ちょ、ちょちょ、ちょっとーー!


 両手を大きく広げて、真正面からジャンプするように僕に向かって飛びついてくる……。

 僕はそれを、ぎこちない姿勢で必死に受け止めようとする……なんてったって、こんなシチュエーション、僕の人生の想定外だから……。


 ……フワッっと前方から凄い勢いで風に吹かれる。下着や生活用品を入れた買い物袋が、僕のすぐ隣をすり抜けていく。僕の後ろから、袋の中身が道路に散乱する音が聞こえてくる。


 不意ふい突風とっぷうに、無意識のうちに目を閉じていた。


 そっと目を開くと、僕はその場に一人、身構みがまえるように立ちすくんでいた。


 …………え?


 ゆっくりと後ろを振り返ると、買ったばかりの下着や、未開封のピンク色の歯ブラシが、道路に散乱している。


 僕は走り出していた。脊椎せきつい反応のように、考える間もなく散乱した買い物袋の中身に、駆け寄っていた。気がつくと、つんいになりながら、必死にそれらをかき集めていた。


 ……ウソ……だろ? …………え?


 ピンク色の歯ブラシをギュッとにぎりしめると、もう一度振り返って辺りを見渡した。


 ……なん……だ……これ……冗談はよせって……。


 ……かくれんぼ? いいとししてホント子供じみてやがる……。


 ……魔法か? ……チカラ使ったのか? 今は、お休み中だって……言ってたじゃねぇか……。


 なんの変哲もない、ただの日常が……戻ってきた。普段と何も変わらない、平凡な日常が帰ってきた……ただ、それだけだ。


 ……突如として必要の無くなってしまった生活必需品。


 僕はそれらを、ギュッと強くにぎりしめる。


 女神様見習いは、忽然こつぜんと僕の前から、姿を消してしまった。

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