第23話 出発

 目を覚ますと、ダイニングで朝食の準備をする鶉娘うずめの姿が目に入る。スマホで時間を確認すると、午前十時を少し回っていた。


「おはよう、ウズメ……朝飯、作ってくれてるのか?」

「おはよ、ショーマ。うん、もう少しだから、ちょっと待ってて」


「おう、ありがとう。……起き抜けでアレなんだけど、芸能事務所に連絡しようと思うんだ。……イイかな?」


 僕は気が変わらないうちに、佐竹に連絡を入れておきたかった。


「……うん。二人で決めたことだから……いいよ」

「わかった」


 佐竹の名刺に書かれた番号に電話をすると、午後一時に車で迎えに来てくれるということになった。

 鶉娘は、私物といえるものをほとんど持っていないので、出発に当たって準備するというほどのこともない。


 今朝は、昨日と同じパーカーとキュロットスカートという装いである。

 朝食を済ませつつ、僕も鶉娘もそれぞれ身支度をしながら、佐竹の到着を待つことにした。


 黒塗りの外国車が、ゆっくりとアパート前に到着する。


「ウズメ、来たみたいだぞ」


 カーテン越しに、外の景色を眺めながらそう言うと、

「……うん」

 やや緊張した面持ちで、返事が返ってくる。


「ウズメなら、大丈夫だよ。初めてのステージで、あれだけ多くの観衆を魅了したんだ。心配ないさ……」

「う……うん。でも、なんか、ちょっと……ドキドキする……。ね、ねぇ……」


 トントンと、玄関ドアをノックする音が聞こえてくる。

 僕がドアを開けると、ブランド物……と思われるスーツ姿の佐竹が、顔を表す。サングラスを外して、優しい笑顔を見せている。


「三神さん、この度はご連絡頂き、誠にありがとうございます。うずめさんも、初めまして。私、芸能プロダクション-Lumminus- 芸能部 アイドル課の佐竹と申します。よろしくお願いいたします」

「よろしく、お願いします」


 僕が挨拶をすると、鶉娘は、僕の後ろに隠れるように、佐竹の様子をうかがっている。


「よ……よろしく、おねがいします……」


「ハハハッ……そんなに警戒されなくても大丈夫ですよ、うずめさん。今日見て頂く施設には、うずめさんと同じくらいのアイドル候補生が大勢いますので、おそらく、お友達もすぐにできると思います」


 僕の両腕に添えられた鶉娘の手が、ギュッと強く握られる。


「……ショーマも一緒に行く」

「え?」

「ね、お願い……ショーマも一緒に行こっ!」


 懇願こんがんするような表情……いつも元気で、笑顔を絶やさない鶉娘からは、想像もできないほど不安げだ。


「ウズメ……」


「お兄様、どうされますか? こちらとしましては、一応保護者となりますお兄様にも、一緒に施設を見て頂いた方が、ご安心かと思いますので、よろしければ」

「ほら……あの人も、ショーマが来た方がいいって言ってるよ……ねっ、ねっ!?」


 僕の腕を掴む力が、より一層強くなる。心なしか、震えているようにも感じられる。

「あ、ああ……それじゃ、最初だし一緒に行ったほうがイイかな……?」

「うん、そうしよ! 一緒に行こ! いいですよね!?」

「はい。もちろんでございます。では、私は車で待っていますので、準備ができましたら、お声がけください」


 佐竹は軽く会釈をすると、車に戻っていった。


「一緒に行くつもりなんてなかったから、何も準備してないけど、こんな格好でイイのかな?」

「……うん、大丈夫。全然いいから、ショーマが来てくれればそれでいいから……」

 背中に張り付くようにささやく鶉娘。


 どうしたんだろう……こんなにも不安げな鶉娘は、初めてかもしれない。


「ウズメ? とにかく、一度行って見てみようよ。そうすれば、不安も少しは解消されるかもしれないじゃないか」

「う、うん……」

「よし。それじゃあ出発するか」

「……うん」


 僕と鶉娘はアパートを出ると、佐竹の待つ車に向かう。サッと佐竹は運転席から出てきて、僕たち二人を後部座席へ案内する。

「よろしいですか?」

「はい、大丈夫です」

「それでは向かいましょう」


 黒塗りの外国車は、ゆっくりと滑るように、静かに走り出した。

 腰回りを包み込むように、優しく沈む後部座席に座りながら、流れる景色に目を向ける。

 こんな高級車に乗るのは、もちろん初めてだし、場違い感がハンパない。身分不相応とはこのことだ。


 隣りに目を向けると、鶉娘は神妙な面持ちで下を向いている。相変わらずのこわばった表情だ。


「お兄様、それにうずめさん。お二人とも緊張されていると思いますが、ご安心下さい」

 運転席から、落ち着いた佐竹の声が届く。

「なんといってもうずめさんは、未玖の妹として、あのイベントで優勝されていますから。そちら路線でのプロデュースが確定していますので」


 そうか……未玖と同じプロダクションなのだから、あのイベントの延長線上として活動するのが自然だよな。

「うずめさんの能力を確認させて頂いてからになりますが、恐らくかなり早い段階で、表舞台に立つことになると思いますよ」




 僕たちを乗せた車は、大きなビルの地下駐車場へと入っていく。セキュリティーチェックを数回くぐり抜け、ようやく停車した。


「到着です。ひとまず、私の後について来て下さい」


 車を降りると、佐竹の後に続いて歩く。鶉娘うずめは、僕に寄り添うように腕をぎゅっと掴んで、辺りをキョロキョロと確認している。

「ウズメ? ……頼りないかもしれないけど、一応、一緒にいるから大丈夫だからな」

「うん」

 少しだけ笑顔を見せる鶉娘。


 佐竹は、駐車場の一角に設置されたエレベーターに、カードらしきものをかざす。昇りボタンを押すと、程なくして空っぽのエレベーターが到着した。

「IDカードが無いと、エレベーターにも乗れません。うずめさんには、後ほどお渡しすることになりますよ」

「は……はい」

「ですが……ご家族であっても、お兄様にはIDカードを発行することはできません。すみませんが、その点はご了承下さい」

「はい、わかりました」


 エレベーターに乗り込むと、かなりの速度で上昇しているのがわかる。階数を表す文字盤が、あっという間に二桁を表示している。しばらくすると徐々に速度を落とし、緩やかに停止した。


「こちらです」


 扉が開くと、毛足の長い絨毯じゅうたんが敷かれた廊下が目に入る。佐竹に続いて進んで行く。

 な、なんか、すげー豪華な造りだな……ジーンズに安物のシャツで来ちまったけど、大丈夫か?

 一歩一歩がホフッホフッと絨毯に沈み込む。ただ、歩きづらいということもない。


 隣りを歩く鶉娘は、僕の腕にしがみつくように身を縮めている。

 高級レストランのドレスコードを知らずに、来店してしまった世間知らずの客のように、僕たち二人は身を寄せ合うように小さくなって進んで行く。




 僕と鶉娘は、佐竹の案内に従って様々なフロアの紹介を受けていった。さながら、学生時代の社会科見学を思わせるその行程に、ただただため息をつくばかりである。

 皆、パリッとした清潔感のある服を纏い、キビキビとした動作で仕事をしている。同じ社会人として、自分の置かれた立場の気楽さが、ひしひしと伝わってくる


 鶉娘は、僕の腕から離れようとせず、神妙な面持ちのままずっと押し黙っていた。


 再度エレベーターに乗ると、更に上の階へと連れて行かれる。到着したフロアは、ビジネスホテルのような造りとなっており、細長い廊下をはさんで、両側に部屋番号付きの扉がいくつも設置されている。


「ここは、研修生たちの寮となっています。うずめさんも、まずはこちらに入って頂くことになります」


 空き部屋となっている一室を見せてくれた。細長い部屋の入口付近にバスルームとトイレ、奥には小さめのベッドが二つと、机、椅子がそれぞれ二つずつという造りのようだ。


「ほとんどが学生さんになりますので、勉強用の机として使われる方がほとんどです。基本的に二人部屋となります……よろしいですかね。では、あちらへ向かいましょう」


 部屋を出て、再び細長い廊下を奥へと進んでいくと、突き当りにガラス張りの広い部屋が見える。ガラスの向こうには、ランニングマシンや、エアロバイクなど、スポーツジムでよく目にするトレーニング機器がズラリと並んでいる。


 数名の研修生と思われる若い女の子達が、トレーニングを行っている姿が見える。


「少々、お待ちください」


 そう言って僕たちをその場に残し、佐竹はIDカードをかざしてトレーニングルームに入っていった。

 ランニングマシンに近づくと、トレーニングウエアにキャップを被った女の子に声をかける。女の子は軽く手を上げると走るのを止め、ドリンクを片手に佐竹とともに廊下へと出てきた。


「こちらが、あまのうずめさんと、お兄さんの三神さんです」


 佐竹が、鶉娘と僕をその女の子に紹介したので、軽く会釈をする。


「あなたが、うずめさんね。よろしく、桜庭美玖です」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る