第9話 魔法

 深夜しんや一時、ファミレスのバイトが終了する時刻だ。


 土曜の夕方から日曜深夜までのあいだ来客らいきゃくが多い時間帯。専門学校に通っていたころに働き始めたが、める理由も無いので、なんとなくそのまま続けている。


 アパートに帰り着いたのはそのさらに三十分後。玄関ドアの前で、ふぅーっと息をつくと、できるだけ音を立てないように、ドアを開けた。


「……ただいま……」


 ささやくように帰宅をげる挨拶あいさつをする。


 上京じょうきょうして以来、無言のまま部屋に入るのが当たり前だったから、そんな一言ひとことはっしている自分が、ちょっぴりむずがゆい。


 明かりはけずに靴をぎ、忍び足で和室の前まであゆると、そっとふすまを小さく開いて中をのぞき込む。

 常夜灯じょうやとうらし出された僕の布団から、小さな寝息ねいきが聞こえてきた。


 ふぅ……。


 ふすまを閉じてダイニングの明かりを点けると、片隅かたすみ丁寧ていねいたたんだ洗濯物がみ上げられているのが目に入る。

 僕がバイトに行ってる間に、鶉娘うずめがやってくれたのだろう。


 はぁ〜、色々あって疲れた〜。今日は湯船ゆぶねかろう。いつもはシャワーで済ませているけど、ゆっくりとかりたい。そんな気分だ。


 できるだけ音を立てないように注意しながら、風呂を沸かす。


 洗濯物の中から、着替えとバスタオルを手に取る。いつもよりいいにおいがただよってくる。ん? これは……面倒くさくて使わなくなった柔軟剤の香りだな。さわ心地ごこちもふんわりしていて、心地いい。同じ洗濯でも、僕がやるとこうはならない。

 そっとバスタオルに顔をうずめると、スーッと大きくいきを吸い込んだ。やさしい香りに包み込まれるような感覚に、不思議となつかしさを覚える。


 この感じ、何年ぶりだろう……。

 上京して以来、初めて味わう感覚かもしれない。


 僕は、しばらくの間、じっとそのままの姿勢しせいを保つと、ゆっくりとバスタオルから顔を上げた。


 ……さてと、風呂に入るか……。


 チラリと和室へ視線を送る。ふすま一枚へだてた隣の部屋に、女の子が寝ているんだよな……。そう思うと、何だかここで服を脱ぐのが恥ずかしく思えてくる。べつに、見られているって訳でもないのにな……。

 せまいのは覚悟の上だけど、バスルームに入ってから服を脱ぐか。




 風呂を出ると、洗い立ての部屋着に着替きがえる。冷蔵庫からビールを取り出し、扇風機のスイッチを入れつつダイニングテーブルに腰掛こしかけた。

 そっとおでこをさわってみたが、もうそれほど痛くない。れも引いたみたいだ。


 あーなんか、目まぐるしい一日だったな……。ビールを飲みつつ、今日一日を振り返る。


 そういや鶉娘うずめ、自分のこと女神様って言ってたけど、本当かな? ……女神様っていうわりには、特別な力、いわゆる魔法みたいなものを使う気配けはいが全く感じられない。本当にただの女の子って感じだし。


 それに、どうして僕の前に現れたんだろう。なにか、手違いがあって、こっちの世界にまぎんじまったのかな?

 鶉娘うずめと初めて出会った時のダイニングの様子……あれは間違いなく、この部屋とは違う別の空間だった。手品やトリックで、どうこうできる代物しろものとは到底思えない。


 夕方、お弁当を食べながら鶉娘に色々と聞こうと思っていたんだけど、なんとなくそんな空気じゃない気がして、結局聞けずじまいのままだ。


 ビールを飲み終え、空き缶をテーブルに置くと、もう一度ふすまを開けて、鶉娘の様子をうかがった。

 スースーと寝息ねいきを立てて、よく眠っている。あんだけ大暴おおあばれしたんだ、なんだかんだいって疲れているんだろうな?

 そーっと寝室に入ると、枕元まくらもとに正座して鶉娘の寝顔をのぞき込んだ。

 こうやって静かにしていれば、まぁ……可愛かわいいっちゃあ、可愛いよな。結局、僕のTシャツを着たまま寝ちまったんだな。


「うぅ~ん」


 おいおい、寝相ねぞう悪いなぁ。これでも一応男なんだぞ、全く警戒心無しか? ったく、められたもんだ……。

 まぁ、この部屋エアコンねぇしな。寝苦ねぐるしいのか……蹴り飛ばしたタオルケットの隙間から、透き通るような白い太ももがあらわになる。


「…………」


 そっとタオルケットを手に取り、けなおす。

 油断してると、夏風邪なつかぜひくぞ……。


 ……たしか、もう一枚あったな?


 薄明うすあかりの中、そーっと立ち上がって押し入れをさぐると、タオルケットに手が届く。ちらりと押し入れの中をのぞくと、キラリと光る5本のげん。目をそむけるようにその光から視線をらすと、タオルケットを引っ張り出して、和室を出た。静かにふすまを閉じる。


 ぐるりとミノムシのようにくるまると、ゴロンと床に横になった。


 これからなんて……考えても仕方ないや。なるようにしか、ならんだろ……。

 そう自分に言い聞かせた。


 おやすみなさい……。







 ブイーーーーン!


 ……ん? ……なんだ、騒々そうぞうしいな?


「ショーマ、きて起きて! そんなところで寝てたらジャマだよ!」

 朝っぱらから掃除機をかける鶉娘うずめ。吸い込み口をガシガシと背中にぶつけてくる。

「うお、おい、いててて。な、なにすんだよ、昨日遅かったんだから、もう少し寝かせてくれよ……」

「何言ってるの、もう十時じゅうじぎだよ。寝過ねすぎ寝過ぎ!」

「じゅ、十時過ぎ? ……もうそんな時間か……」


 ゴロゴロと寝転がったまま和室へ避難ひなんすると、掃除機をかける鶉娘うずめの姿へ目を向ける。昨日僕が買ってきたTシャツとハーフパンツに着替えている。どうやらサイズは問題無かったようだ。


 鶉娘うずめは掃除機の電源を切ると、「ふぅーっ」と一息つきながら、おでこの汗を拭う。掃除機を押し入れに仕舞しまうと、ニコニコとしながら僕のところに近づいてきた。


「ねえ、ショーマ。これ見て、これ」

 そう言って、スマホの画面を僕に見せてくる。


「ん? ……アナタも……アイドルになれる? ……コスプレ? ……カフェ?」

 鶉娘うずめと同じくらいの年頃の女の子が、いかにもアイドルといった可愛らしい衣装を身にまとっている。


「ね、ちょっと面白そうじゃない? 私、ここ、行ってみたい!」

「アイドル? ……って、おい、ひとのスマホ勝手に使って何調べてんだよ……てかウズメ? どうやってロック解除したんだ?」


 鶉娘うずめは、にこーっと笑顔を見せると、そっと僕の手を取り、優しくにぎり締める。


 ……え? ……お、おいっ!?


 僕の人差し指をスマホに押し付けた。


「はい、解除。簡単でしょ?」

 な、なるほど。いよいよ魔法を使って暗号あんごう解読かいどくでもしたのかと思いきや、指紋しもん認証か。なんたる原始的な方法……なんだよ、ちょっとだけドキッとしたじゃねえか……魔法を使ったのかと思ったからな!


「……なあウズメ? ウズメはその……、女神様なんだろ?」

「そうよ……それがどうかしたの?」

「なら、なんかこう、魔法みたいな、不思議なチカラって使えたりするのか?」

「もちろん!!」

「ほ、ほんとか? それじゃあ、ちょっとだけでいいから、なんか見せてくれないかな?」


 うたがってるって訳じゃないんだけど、何となくこの目で、魔法みたいなのを見てみたかった。納得できるというか、確信が持てるというか、目の前で見せてもらえれば、疑いようがなくなる。


「うーん、でも、今、ちょっとお休み中なのよね……」


 モジモジと、人差し指同士どうしをツンツンとわせている。


「お休み?」

 魔法にお休みとかあるの?

「そう、ちょっとね……調子悪いっていうか、その……とにかく、今はお休み中なの。だから、また今度ね」


 ま、まあ、無理強むりじいするのも良くないか……。


「そっか、それじゃ、仕方ないな。また調子がいい時に見せてくれよ?」

「うん! わかった……でぇ、それはそれとして、コレなんだけどー、ねぇ、行こうよ……」


 そう言って、おねだりをするように、もう一度スマホの画面を僕に見せてくる。


「まぁ……そうだな……今日はバイトも無いし、出かけてみるか?」

「やったー! ありがと、ショーマ!」

 鶉娘はピョンっと飛び上がってバンザイをすると、

「さっそく準備だね! 着替えないと!」

 そう言って、僕が買ってきた洋服の入ったふくろへ駆け寄ると、ジャジャーンと頭上にかかげた。


「そ、その、女の子の服なんて、買ったことないし……どーゆーのが好きか、全然わかんなかったから……」


 鶉娘は袋の中から洋服を取り出すと、両手でパッと広げるようにして、僕に見せびらかしてきた。

 そのままその服をギューッと抱きしめると、


「ショーマ……ありがとう……」


 顔をうずめたまま、その場にペタンと座り込んだ。


「お、おう……気に入ってくれたのか? ……それならいいんだけど……」


 な……なんだ? ……この感じ……やべえ、なんか……わっかんねえけど……。

 そんな仕草を見せる鶉娘を、僕は無意識のうちに見つめていた……ら、着ていたTシャツのすそにクロスするように両手をかけ、ぐいっと持ち上げようとしている。


「お、おい、ちょ、ちょっと待てって!」

「……ん? ……どうかしたの?」


 ポカンと口を開いたまま、小首をかしげている。またもや、おへそがチラリと視線に入る。


「ど、どーしたの? ……じゃねえって、いるから、ここに!」

「いるって、何が?」

「何が? ……じゃねぇ。からかっていやがるな?」


 こ、この小娘、警戒心けいかいしん無しとか、そういうことじゃねえな!? こ、これは、められている。舐め舐めに舐められている。完全に舐め切っている!!


 鶉娘の目元めもとが、ゆっくりとジト目に変わっていく……。


「はは〜ん、ショーマ、そーゆーこと……」


 鶉娘は洋服の袋をかかえると、ささっと和室を出てふすまをピシャリと閉じた。

「そーゆーことって、なんだよ……うっせぇなぁ……」

 ふすまがほんの少しだけ開いたかと思うと、隙間から鶉娘がこちらをのぞいている。口元を手で隠すように、イヒヒといった、いたずらに満ちた表情だ。にくったらしいの特盛とくもりだ。


「ショーマの……エッチ!」

「な、うるせえ!」


 僕は、かたわらのタオルケットをつかみ取ると、丸めて鶉娘に向かって投げつけてやった……が、明後日あさっての方向に飛んで行った。


「ププッ。へへーん、ノーコン!」


 そう言って鶉娘は、またピシャリとふすまを閉じる。


 あーもう、ダメだ。あいつにゃかなわん……。僕は、畳の上にゴロンと大の字になると、天井てんじょうを見上げた。


 美玖みくが優しく微笑ほほえんでいる。


「……こりゃ、今日一日、体がもつかわからんぞ……」


 目覚めたばかりだというのに、この疲労感……こりゃ、先が思いやられる……。

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