第4話 カタストロフィー

 午後1時。

 午後からの仕事をしようと僕のパソコンがある第二会議室に行く途中で、事務所に僕以外の全員が集まっているのがドアの窓から見えた。

 何か重要そうな話をしているらしい。ドアの傍で聞き耳を立てることにする。

 恨藤さんの言葉に思わず声を出しそうになった。

「予定通り、来期の予算を削ることにするよ。今までありがとう。素晴らしい研究だった。素晴らしい研究所だった」

「何故! どうしてですか!?」

「端的に言うと、意向が変わったんだ。自立思考型よりも遠隔操作型の方が開発コストも安くなる。そのように方向性を変更してもらうことも考えたが、プロジェクトごとたたんだ方が安く済むことも理解して欲しい」

「トロフィーの働きを見て、あなたは何も思わなかったんですか?」

 神楽坂さんが感情を露わにする。

「君は感情的で口が悪い。人間の悪いところを見ているかのようだ。いや、君の言うとおり、ロボットは素晴らしかった。ここにあるように、私は『予算続行嘆願書』も持参していたんだ。ここに印を押せば、予算は来期も存続される。しかし、それも叶わない。恨むなよ。このプロジェクトを解体すると同時に、別のプロジェクトが開始される。そのプロジェクトが誰かを救うかもしれない。そんなものだ」

「別の……プロジェクト……?」

「あぁ、それと、この研究所も私たちに明け渡してもらう。当然だ。私たちのお金で開発してきたんだからな」

「!?」

「素晴らしい施設だ。この施設なら、もう一つのプロジェクトをスムーズに進められる」

 電話で『素晴らしい施設だ』と言っていたのはそういうことだったのか! トロフィーだとか、哀島研究所のことじゃない、あくまで研究施設のことを指していただなんて……。

「退去日時は追って連絡するよ。とりあえず今日は、もうしばらくここの施設を視察させてもらってから、お暇することにするよ。では……」

 恨藤さんがこの部屋を出て行くような気がしたので、僕は急いで廊下の影に身を潜めた。

 恨藤さんは部屋を出て、廊下を歩いて行った。その背中を見送ってから、僕はおそるおそる事務所のドアを開けた。

 部屋の中は静まりかえっていた。僕の方を向いたのは久喜田さんだけだった。

「わりぃ、ヤニ吸ってくる」

「ちょっと、喉渇いたので」

 鬼怒川さんと神楽坂さんは僕の脇をすり抜けるように部屋から出て行った。

 部屋には僕と哀島所長、久喜田さんだけが残った。

 重たい空気の中、哀島所長が口を開いた。

「今までありがとう。久喜田君」

「やめてください、そんな、もう、終わりみたいじゃないですか」

「板出君もありがとう。私はね、感謝しているんだ。トロフィーをここまで成長させてくれた、みんなに」

 哀島所長の顔は、何かをやりきったような、すがすがしい顔をしていた。

「阪神・淡路大震災の時、私は大災害の渦中にいた、わけじゃないが、友人が巻き込まれてね。家財も何もかもが焼けてしまい、途方に暮れて、明日が見えなくて、今この時をどう生きられるのかという絶望の中、それでもなんとか生き残ってやろうと、そんな嘘みたいな空元気を持った友人がいたんだ。私だったらそんな強い言葉、嘘でも言えない。私なんか、ただのじじいだからね。でも、友人が言ったんだ」

『大災害の中でさえ、破滅的な状況下でさえ、諦めまいとする人間が一番強い』

「ってね。息の詰まる絶望の中、道の途絶えた瓦礫の中、それでも、みんなで生き残ってやろうじゃないかって、大災害なんて跳ね飛ばしてやろうじゃないかって、言ってたんだよ。私はね、そんな人間の『諦めまい』とする意志に、心を打たれたんだ。そういう人たちの力になりたいって思ったんだよ。

 大災害カタストロフィーの中でさえ希望を持つ人に勲章トロフィーをあげたい。支えたい。捧げたい。讃えたい。だから、『トロフィー』という名前にしたんだ」

 ただのダジャレだけどね。そう哀島所長は苦笑した。

「私は知っている。人間の底力を。『トロフィー』がいなくったって、人間は強い。でも、そういう強い人たちの心の支えになってあげたかった。強い人たちは、強くあろうと、頑張っている人たちだから。だから……!!」

 哀島所長の目から涙があふれ出ていた。思わず僕ももらい泣きしそうだ。

「哀島さん。私からも、ありがとう。哀島さんとトロフィーのおかげで、私、毎日、楽しかったんだから。ほら、見て?」

 久喜田さんが取り出したのは分厚いアルバムだった。『トロフィー1』と書いてある。

『トロフィーが初めて動いた日』『トロフィー最初の一歩』『尻尾つけてみた』『4本目の腕』『初めて話した言葉』……。トロフィー成長の記録だった。隣には何十冊もアルバムがあった。

 一体何年、何十年と研究に捧げてきたのだろうか。僕は途方も無い、途轍もない年月に思いを馳せた。僕にとってはたったの一ヶ月。哀島所長と久喜田さん、鬼怒川さん、神楽坂さんにとってはものすごい年月の思いがこの研究所に詰まっているのだろう。

 それが、もう終わり。

 そんなの、そんなのって無いよ。

 やはり、僕に言える言葉は何も思い浮かばなかった。

 午後からの仕事も無意味になってしまった。

 僕は哀島所長と久喜田さんを残して、事務所を後にした。第二会議室に戻って、トロフィーの実験データを入力することにした。トロフィーが行動した意味を残したかった。


 ◆◆◆

 午後4時。

「板出くん、ここにいたんだね」

 哀島所長が第二会議室に来た。無心でデータ入力をしていたら、既にあれから3時間近く経っていた。

「実は、恨藤さんがまだ研究所内にいるらしいんだよ。探してきてくれないかな。研究所の中で迷子になっているのかもしれない」

 研究所のメンバーは正直、恨藤さんと目を合わせたくないのかもしれないな、と僕は思った。

「ゲストIDのログイン履歴は1時間半前で、最後が実験室みたいなんだ。そこにいると思うんだけどね。トロフィーからも応答が無いから、どこかで電源が切れているのかも? ついでに探してもらえないかな?」

「わかりました」

 恨藤さんがこの研究所に長居する理由も無いはずだ。何ならさっさと帰って欲しいと思い、僕は実験室に急いだ。

 カードリーダーにIDカードをかざして、ロックを解除する。

 するとそこには……、恨藤さんとトロフィーがいた。

 瓦礫の山が整理された部屋に二人だけいた。

 僕は目を疑った。

 トロフィーの頭部がある場所。胴部の上には恨藤さんの首が置かれていたからだ。

 隣には恨藤さんの身体が壁にもたれるように座っていて、両手足が切断されて、両脇にはトロフィーのアームが置かれていた。

 恨藤さんの身体の隣に、光を失ったトロフィーの頭が置かれている。に見える!!

 恨藤さんの切断された左手首が入り口の近くに投げ出されて、こちらを手招きしているように見えた。

 辺りは血まみれだった。鉄くさい臭いがした。実験室特有の機械油の臭いでは無い。人間特有の油が酸化した血の臭い。嫌な臭いだ。

 照明は消えていたが、部屋の唯一の光源である窓からの夕日に照らされ、部屋全体が赤く見えた。恨藤さんの表情は影になっていて見えなかった。

 全てが夢のようだ。現実のように思えない。

「トロフィー? 返事は!?」

 トロフィーは応答しない。節電モードになっているのか? 微動だにしない。何も反応がない。

 何分ほど経っただろうか。まずは所長、それから警察に連絡しないと。

 僕はすぐに走って事務所に急いだ。

 事務所には哀島所長と久喜田さんがいた。

「そんなに慌ててどうした? 恨藤さんは見つかったのかい?」

「あ、あ、あ、あの、恨藤さんが、死んでいます」

 哀島所長は、僕の突拍子も無い言葉にすぐに反応できなかったが、僕の焦りようから異常事態であることを悟ったようだった。

「久喜田君はここで待機して、鬼怒川君と神楽坂君に連絡を取ってくれ。板出君は私と一緒にもう一度確認してもらえるかな?」

「は、はい!」

 僕はもう一度あの現場を見に行きたくなかった。けれど、哀島所長にも確認してもらいたかった。あの光景が嘘だと思いたかった。

 しかし、

 何度見ても、現実だった。

 開きっぱなしのドアから廊下まで血の臭いが漂っていた。

 先ほどと同じ光景がその場に留まり続けていた。

「救急は必要なさそうだな。警察に連絡をしよう。どうしてこうなってしまったのか。とりあえず現場保存だ。警察に委ねよう」

「はい……」

 そう言って、僕は自分の身にこれから降りかかるであろう災難カタストロフィーを察知した。

 現場のロックを解除したのはこの僕だ。僕は犯人では無いが、疑われるのは必至だろう。

 僕は探偵ガチャに助けを求めることにした。警察とは異なる第三者捜査機関【真実直通】。そこに登録されている探偵がランダムで助けにきてくれる冤罪回避システム。僕はそれを密かに探偵ガチャと呼んでいる。

 ランクの高い探偵が来て欲しい。

 僕を災難から救って欲しい。

 助けてくれ、トロフィー!! 誰がこんなことを!?

 そんな僕の思いに答えるように、血まみれのトロフィーは緑色に明滅した。

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