優奈:第二章



 私は公園のベンチに座りながら、先ほどの光景を思い出していた。

 最後、雄樹が私を見たときの顔が忘れられない。

 私の時、彼はどうしただろうか。まぁ、以降見ることはなくなったから既にいないのだろう。

 だとしたら、私はどうしてここに……。


 ふと視線を上げると、公園の隅に石碑を見つけた。そしてそこには、髪で顔がよく見えない女がたたずんでいた。

 それを見た瞬間私は、私をこの場に縛り続けていた、全ての元凶がその女であると理解した。

 そしてその場からすぐに逃げ出したいのだが、体はおろか、視線すら動かせない。

 女の口元がゆっくりと開き、何かを口にしたと思ったら、私は意識を失った。







――ミーンミーン


 どこからか蝉の羽音がする。

 うっすら目を開けあたりを見回した。私は何をしていたんだっけ。


 あぁそうだ、私が小さい時を思い出していた。

  

 そう……あの日も溶けるように暑かった。

 私はそんな中でも、暑さも忘れて、だらだらと汗をかきながら

 夢中で本を読んでいた。


 何をすることもなく、暇だったから

 畳に寝転がりながら本を読んでいたのだけれど、

 読むのに飽きて本を閉じ、横になって目も閉じた。


 そして暗い……くらい……何も見えない世界で声が聞こえた。



――もう少し大きくなったらいらっしゃい、優奈。あなたにはまだ早いわ。



 なぜ突然こんなことを思い出したのか。

 理由はわからないが、ふと当時を思い出したのだ。

 あの時と同じ暑い部屋で、同じように本を読み、疲れ、横になりながら。

 少し大きくなった私が、あの時のことを。


 あの女の人は誰だったのだろう。顔ははっきりとは覚えていないから、

 知らない人だったのかもしれない。それならそれでよいのだが、

 あの言葉の意味は……何を表して……――



――……あなたも今年で15ね。今年はあなたに。

――……。

――あぁ……そうね。起きてから。



 ……。……だれ?



――それじゃあ目が覚めるまで。そうね。そうしましょうか。少しだけ……。



 誰? 誰かそこにいるの?



「……ん。……?」



 目が覚めた。誰かが近くで話をしていたように思ったけど、気のせいみたいだ。周りを見渡しても誰もいない。ただの夢だったらしい。いつの間にかまた眠っていたようだ。



「お母さん? ……おばあちゃん?」



 家の中を見回したけど、やはり誰もいない。



―ボーン……ボーン……



 時計は午後6時を知らせた。そろそろ晩御飯の時間なのに、お母さんもおばあちゃんも見当たらない。もしかしたら、お墓参りに行っているのかもしれない。

 起こしてくれたら一緒に行くのに、と愚痴を言いながら、私は外に出た。







 線香のにおいが、そこかしこにする8月中旬。中学生である私は、親に連れられて田舎のおばあちゃんの家に遊びに来ている。遊び……とは言うが、もちろんお墓参りするために。

 お墓までは一本道で、周りは田んぼ。一面を見渡すことができ、田舎という言葉がすごく似合っている。私はこの村が好きだ。

 小さい頃は、私もこの村にいたのだけれど、少子化の影響で隣町の小学校と、統合されることになった。さらに、中学校も高校もこの村の近くにはないため、私を含め子供はこの村にはいない。

 しかし村の小学校の図書室には、読みきれないほど多くの本が蔵書されているため、私だけは時々この村にやって来ていたりする。


 いつもならこんなこと考えず、ずっと本を見ているのだけど、夢見が悪かったせいか、早く人と会いたい。会って安心して本が読みたい。

 しばらく田んぼを見ながら、細い農道を歩いて行って、ようやくお墓に到着した。



「お墓に来たけど……誰もないないなぁ」



 私は来たついでに、お墓に水をかけて拝んだ。



「はぁ、どこに行ったんだろ。買い物かなぁ?」



 ここまで歩いてくるのも結構疲れる。もっと近場にあればいいのだけれど。まぁ、そもそも車で移動するのが当たり前の村だから、歩いてくることなんか普通はしないんだけど。

 ただ今は違う。しかもこの暑さ。汗はだらだらで、のども渇いてきた。

 どこかに水が飲める場所がないか考えると、帰り道に廃校となった小学校の前を通る。そして小学校には水のみ場がある。

 私が以前来た時は、統廃合された小学校が、地元の人達の寄り合い所のような役割を果たしていた。だから、多分水も出るし電気も通っているはずだ。

 家に帰る前に、私は小学校に寄ってみることにした。



 小学校に着くと急いで水が出るか確認する。と、水が出た。少しぬるいけど、それをごくりごくりと勢い良く飲み込んだ。

 のどが潤ったことに満足しながら周りを見ると、まだまだ日が落ちる気配はない。

 私は少しだけ図書室で時間をつぶすことにした。水も出ていたし、電気も多分通っているだろう。図書室にはエアコンもあるから、涼むのにも最良の場所だ。

 何の本を読もうか考えながら図書室の扉を開けると、中は蒸し暑く、想像していた状況とはかけ離れていた。電気とエアコンをつけたら廊下に出、しばらく窓から夕暮れを眺めていた。

 この夕暮れ時の景色を見ると心が和らぐ。理由はなぜかわからないけど、以前もこうしていたような、そんな気さえする。

 しばらく経って、図書館の中へ入ってみる。そして本を物色していると、誰かが入ってきた。隠れるつもりはないけれど、ここで人と顔を合わせるのも少し気まずい気がしたので、物音を立てないよう本を選ぶ。



「おお。ここの蔵書はすごそうだ。これを売れば少しは予算の足しになるな」



 背後から男の声が聞こえた。しかも本を売ると聞こえた。泥棒かもしれない。私は少し狼狽した。ここの本を読めなくなるのも嫌だ。かといって、出て行ったら泥棒に何をされるかわからない。声を出すべきかそれとも……。

 少し考えたあと、自分よりも本がなくなるほうが耐えられなかった私は、声を出すことにした。



「……あの」

「えっ!? こ……こども!? って、そ、そうか。今は夏休みか」

「……泥棒ですか?」

「え? 違うよ。俺は役所で働いてるシジマって言うんだ。今度この校舎を改修して、もっと人が集まるようにしよう、ってことになってな。俺はその下見に来たんだよ」

「図書室……なくすんですか?」

「あぁ……まだここをどうするかは決めてない。ただもしかしたら、そうなるかもしれない」

「ここの本……売るんですか?」

「もしかしたらね。他の図書館なら無料で誰かに渡したりするらしいけど、予算が今回あまりおりなくて。ってそれは言わなくていいか。と、とにかく残念だろうけど、君も本を借りる時は今後、隣町の図書館を使いな?」

「……」



 ショックだ。この人はここの蔵書がどれほどすごいものなのか、わかっていない。隣町の図書館なんか、ここまでたくさんの本はない。どころか、そもそも施設自体小さい。むしろ、ここを図書館として使えるようにすればいいのに。



「ぁー……。と、とりあえず、その手にあるもの……借りるつもりだったのかな? じゃあそれを最後にしてくれ」

「……」



 納得いかない。私は無言で貸し出しの帳簿に記入して家に戻ることにした。



「はぁ。……まぁしょうがないだろ」







 納得いかない。納得いかない。納得いかない。

 このままでは図書室がなくなってしまう。何とかできないものか。



「あははは!」

「そっち行ったぞー!」

「わーってる!」



 考え事をしている最中にうるさい……と、思って顔を上げると、そこには小学生くらいの子供達が、校庭でサッカーをして遊んでいた。

 そう……遊んでいた。遊ぶのは一向に構わないが、普段この校庭は誰も使っていない。なぜなら小学校が統廃合された時から、小学生を持つ親は隣町に引っ越したからだ。こんなに遠くまで来て、サッカーをする理由がない。私と同じように夏休みだから、おばあちゃんの家に来た……というのなら……いや、それでもやっぱりおかしい。

 遊んでいる子供達の数は、私がこの小学校にいた頃よりも多い。こんなに小学生がいるのなら、まだここが廃校になることもなかっただろう。どういうことだろうか――



「そっち行けー!」

「わかった!」



 私は図書室のことは忘れて、その光景を眺めていた。

 ふと誰かの影が目の端に映り、気になってそちらを見た。すると校門のところに着物を着た女性が一人、私のほうを向いている。



「なんだ。目が覚めたのね。だったらあなたにもそろそろ言わないとね」

「え?」



 距離は離れているはずなのに、すぐ隣から言われたように聞こえる。



「あなたも晴れてこの村の住人ね。それなら自己紹介しとないとね。私は――」



 見知らぬ着物女が自己紹介しようとした瞬間、私の目の前にサッカーボールが転がって来た。



「そっち行ったぞー!」

「おっけー! って、邪魔!」

「ぇ……」



 着物女に気を取られて子供達のことを忘れていた。私はサッカーボールを取りにこちらに向かってくるその少年と目が合……目が……ない。



「……」

「……っ!?」



 目も口も耳も……ない。いわゆる顔なしだ。そして服には番号が書かれている。そして特に目を引いたのは……首。縄か何かで引きずられ、えぐれているように見えるそれは、私に恐怖を与えるには十分すぎるほどだった。

 この場にはいられない。



「あらあら。まだ自己紹介もしていないのに、どこに行くの?」



 校門へ駆け出した私は、着物女と距離が近くなっていく。そして遠くであまり見えなかったその顔は、他の子供達のように、耳も目も口もない。首には紐でつるした四角い布に番号が書かれている。

 着物女の首に傷はないが、横を通り過ぎる際、後頭部が見えた。後頭部は崩れ、頭蓋の中が見えている。


 私は息を切らしながら、一目散に家を目指した。

 そういえば学校に来るまで人に会うこともなかった。誰もいなかった。もしかしたらここは私の夢の中なのかもしれない。

 それとも、どこかの小説のように、何かのハザマか異世界にでも落ちてしまったか。

 でも今はそんなこと、どうでもいい。私は後ろを振り向き、後方を確認する。着物女と、顔なしの子供達が私の後を追ってきている。

 私は休憩する間もなく走り続けた。



「あらあら。どうして逃げるの?」

「やだ……やだ!? 来ないで!」



 もう少しで追いつかれそうなとき、家に戻ってきた。



「お母さん!! おばあちゃん!!」



 家の中にいないか、声をかけてみるが誰もいない。



「お父さん!! お母さん!! おばあちゃん!!」



 声は家の中を通り過ぎるだけで反応は何もない。



「いや……いや……!?」



 私は布団を取り出してその中にもぐった。

 これなら着物女を見ることもない。隠れているように……は、見えないかもしれないけれど、私は隠れているのだ。

 それにこのまま眠れば、これは夢なんだと、もう一度寝れば覚めるのだと思いながら布団に包まった。



「あらあら。まだ寝たりないの?」

「こいつ、俺たちと遊ばないのか?」

「さぁ?」



 子供の声と女の声がする。すぐそこに……いる。

 いや……やめて……っ。お父さん……お母さん……っ!



「困った子。もう、あなたも15なのよ? いつまでも一人でいてはだめよ。ほら、布団から出て!」



―バッ!!



 布団をはがされた、私は意図せず相手の顔を見――



「オジョウちゃん、いるのなら返事をしましょうね!!」

「きゃあああああああっ!!!???」







「あらやだ。もう……写真立て倒れちゃった」

「はっ!? はっ!? ぇ……? ぉ、お母……?」



―ぼぉーん……ぼぉーん……



「あぁ、そろそろ夕飯の準備しないとね。少し待っててね。食べ終わったら墓参りに行くからね」

「お母さん……」



 あぁ、よかった。夢だったのか。もう全身汗だく。怖い夢だった。



「……本の読みすぎかな」



 涼しい思いを少しでもと、怖い小説を読んでいたのが悪かったのかもしれない。今度は寝る前は読まないようにしないと。……というか本当にあれは夢……だったのだろうか。前にもあの声を聞いたことがある気がするのだけれど……。



「……。……やめよ! これ以上考えると怖くなる! お母さーん!」







「あらあら。甘えんぼさんねぇ。まだ早かったかしら? それじゃあ、もう少しだけ……」

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