酒嚢飯袋

三鹿ショート

酒嚢飯袋

 彼女は、私の母親がこの世を去ってから、我が家に転がり込んできた。

 数日ほどの滞在かと思っていたが、私が学生という身分を失ったとしても、彼女は変わらずに我が家で過ごしていた。

 その間、彼女が何かをすることはなかった。

 働きもせず、起きている間は酒を飲みながら食事をするだけで、家事の一つもすることがなかったのである。

 彼女の存在で我が家の雰囲気が明るくなるわけでもなく、彼女は黙々と酒や食べ物を口に運んでは眠るばかりで、つまるところ、穀潰しだった。

 そのような人間を、何故私の父親は受け入れたのだろうか。

 私がその疑問を口にすると、父親は神妙な面持ちで、

「何時かは分かることだ」

 同じ答えを述べるばかりだった。

 もしかすると、彼女は父親の愛人であり、母親が消えた今、密かに関係を持つ必要がなくなったために、我が家へと連れてきたのだろうか。

 そのように考えたために、彼女に対する嫌悪感がますます強くなった。

 だが、しばらく観察を続けたところ、どうやら私の父親と彼女の間には、特別な関係が無いようである。

 彼女が無防備な姿で眠っていたとしても、父親は手を出すことなく、呆れた様子で布団をかけるばかりで、それ以上の行為に及ぶことはなかった。

 私がその場に存在していたことが理由なのだろうかと思い、自宅に監視するための機械を仕掛けたものの、私が不在だったとしても、二人が身体を重ねることはなく、その事実によって、私は彼女という存在の意味が、さらに分からなくなってしまった。

 その後、私は家を出たために、それからの二人の様子を知ることはなかった。

 しかし、彼女という人間に対する疑問が消えることはなかった。


***


 数年ほどが経過した頃、彼女が私の前に姿を現した。

 何の用事かと問うと、私の父親がこの世を去ったということを告げてきた。

 青天の霹靂とは、このような状況のことなのだろう。

 しばらくの間、私は彼女の言葉を理解することができなかったが、数秒後にようやく吐くことができたのは、何故私に連絡が無かったのかという疑問だった。

 その言葉に対して、彼女は表情を変えることなく、

「あなたの父親に、黙っているようにと伝えられていたためです。ですが、この世を去った以上、私があなたに伝えたところで、反故にされたと騒ぐことも出来ないでしょう。子どもには伝えるべきだと判断したために、こうして私が顔を出したのです」

 立ち尽くしている私にそれ以上の言葉を吐くこともなく、彼女は私の部屋の中へと入っていった。

 そして、当然のように酒を飲み始めたために、何の真似かと問うた。

 彼女は酒瓶の中身を呷り、頬を少しばかり赤らめながら、

「聞いていなかったのですか。あなたの父親がこの世を去った今、私の面倒を見るのは、あなたの役目なのです」

「そのような話など、聞いたことがない」

「私は、あなたの父親から聞いていました」

 その言葉を最後に、彼女は黙々と酒を飲み、私が自分の夕飯に用意していた食事を、勝手に口に運んでいった。

 私は、やはり彼女のことを理解することができなかった。

 何年も共に生活していたにも関わらず、その素性を知らない人間の世話をすることなど、出来るわけがない。

 ゆえに、私は彼女を追いだした。

 しばらくは扉を叩く音が聞こえてきたが、やがてそれも聞こえることがなくなった。

 これで良かったのだと自分に言い聞かせていたところで、私の眼前で窓硝子が割られた。

 其処には、角材を手にした彼女が立っていた。

 唖然としている私に声をかけることもなく、彼女は家の中に入ってくると、食事を再開した。

 その様子を見て、彼女に逆らってはならないのだと、私は恐怖を覚えた。


***


 互いに老い、病魔に苦しめられることになってしまった彼女は、其処でようやく私の父親との関係について話した。

 いわく、彼女は、私にとって腹違いの姉らしい。

 その事実を聞いた際に、私の父親は動揺を隠すことができなかったようだ。

 何故なら、彼女は愛し合った結果に誕生したわけではなく、私の父親が一時の欲望で暴走してしまった結果によって、誕生したからだ。

 彼女の母親は、その罪を責めることはなかったようだが、自身が病気によって余命いくばくもないということが分かると、彼女に対して、私の父親の存在を伝えたらしい。

 彼女に己の罪を明らかにされては困ると考えたために、私の父親は、彼女に尽くしていたということだった。

 その事実に、私は困惑した。

 正直に姉だと話してくれていれば、私は彼女のことを疎ましく思うことはなかったはずである。

 私がそのように告げると、彼女は小さく息を吐いた。

「同情したとしても、それが何時までも続くことはないでしょう。あなたを縛り付けておくためには、何も語らないことが一番だったのです」

 その言葉を最後に、彼女は何も語ることがなくなった。

 翌日、彼女はこの世を去ったが、私には腹違いの姉を失った悲しみというものがまるで無かった。

 突然に明かされたために、即座に受け入れることができないということを思えば仕方の無いことだろう。

 だが、彼女との関係を他者に明かそうと考えることはなかった。

 幾ら姉とはいえ、その誕生の経緯を思えば、身内の罪を明らかにするということになってしまうからである。

 そのように考えてしまうあたり、やはり私は、身勝手な父親の子どもなのだということなのだろう。

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酒嚢飯袋 三鹿ショート @mijikashort

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