第20話 鎧の獣

 やがて丘陵の斜面が終わり、頂上までやってくる。


 周囲より高い位置に立ったお陰で、さながら複雑な巨大迷路を上から見下ろしたような、圧巻の景色が一望できた。


 これがただの物見遊山だったならば、こうしてこの絶景に胸を打たれているばかりでいいのだろう。


 しかし今はそうもいかない。ピュラたちはこれから、この巨大迷路を隅々まで歩き回ってデータを収集しなければいけないのだ。


「何かいる」


 さっそく、デュークが何かを見つけたらしい。手元のモニターをじっと見つめている。


 円形のマップの端に、複数の赤いドットが表示されていた。生体反応を示すものだ。


 現在地から見た赤いドットがある位置に、ピュラは視線を走らせる。


「デュークさん、あれじゃないですか?」


 登って来た方とは反対側の丘陵のふもと。ごつごつした岩場の所々で、丸っこい胴体に細長い二本足の生き物が、岩のすき間にくちばしのような物を突き入れていた。


「原生生物だ。あれは、ツチクイドリの群れかな」


 デバイスにデータを書き込みながら、デュークが呟く。


「本当に、こんな所にも生き物がいるんですね。私、原生生物って初めて見ました」

「数が多いな……近くに良質な鉱脈があるのかも」

「え? どうしてですか?」

「ツチクイドリは、消化を助ける為に鉱石を食べるから」

「なるほど……つまり彼らが群れを作る場所の近くには、たくさんの鉱石が埋もれていることが多い、ということですね?」


 目から鱗な思いで、ピュラは岩場を見下ろした。


「この距離から見てあの大きさなら、かなり大型の生き物みたいですね」

「大きい個体だと、全長二メートル以上はある。荒野を代表する巨大鳥だ」

「ふふっ、でもこうして遠目から見ていると、何だか可愛らしいですね。ほら、見て下さいデュークさん。あの子なんか、あんなに重そうな体で一生懸命に岩場を歩いてますよ」


 過酷な荒野の中で懸命に生きる命に、ピュラが感動と共に微笑ましさを感じている横で。


「うん、たしかに大きい。捌けば胃から大量に鉱石が採れるかもね」


 デュークがさらりと物騒なことを口走る。


「さ、捌くんですか!? あの子たちを!?」

「え?」


 ピュラが驚いたことに驚いたといった顔で、デュークは続ける。


「いや、あの鳥の胃には貯め込んだ鉱石がいっぱいあるから。それを狙う開拓者も、結構いる」

「そ、そんな! べつに襲い掛かってきたわけでもないのに、鉱石欲しさに殺すなんて! そんなノ可哀想です! それに、あんなに可愛いのに!」

「え……可愛いかな?」

「可愛いです!」


 ピュラに迫られ、デュークは困惑した様子だった。


「えっと……弱肉強食は、未開拓地も同じだし」

「そ、それはそうかも知れませんけど……はっ! まさか、デュークさんもあの子たちを?」


 思わずデュークの前に回り込み、ピュラは通せんぼの体勢をとる。


「だ、ダメ! ダメですからね! 私、デュークさんを、命の恩人をみすみす人殺しに――いえ、ツチクイドリさん殺しにはさせませんから!」


 ピュラが言うと、デュークはそこで何事かに気付いた様子でひらひらと手を振った。


「俺は狩猟派じゃなくて採掘派だから。大丈夫」

「ほ、本当ですか? なんだ……なら、良かったです」


 ほっと胸を撫で下ろし、ピュラは岩場に視線を戻す。


「……あれ? あそこにも何かいるみたいですよ、デュークさん」


 ピュラたちの左方、ツチクイドリがいる岩場から少し離れた場所の岩穴から、出し抜けに何かがぬっと顔を出した。


 何やら全身が黒光りする、大型の狼のような生き物だ。


 しかし、獣にしてはやけに体の表面がごつごつとしたものに覆われている風に見える。


 そう、まるで。


「まるで鎧みたいな――んむっ?」

「ピュラ、静かに」


 ピュラの口を手で塞ぎ、デュークが無言で地面に伏せるようにと指示をする。


 突然のことでピュラは目を白黒させるが、岩穴から現れた獣たちを見るデュークの表情がいつになく険しいのを認めて、ゴクリと唾を飲む。


 三体の黒い獣は岩穴の前で周囲の様子を窺っていたが、やがて岩場にいたツチクイドリの群れに気付いたらしい。


 やたらと赤く血走った瞳を真っ直ぐに岩場に向けると、次の瞬間には脱兎の如く駆け出した。


(危ない!)


 ツチクイドリの群れに忍び寄る黒い影を前に、ピュラは声こそ出さなかったものの、思わず前かがみになってしまった。


 そのせいで、体重がかかった手元の地面の砂利が音を立てて崩れる。


(しまった……!)


 そう思った時には、既に黒い獣たちはこちらを目ざとく見つけていた。


 僅かの静止の後、標的を巨大鳥からピュラたちに変え、猛然と丘陵を駆け上ってくる。


「気付かれたか」

「あ、あのっ、あのっ、私、どうしたらっ?」


 近付くにつれてその見た目の異様さを一層露わにする獣たちに、ピュラは動揺と恐怖に声を引きつらせる。


 その傍らでは、デュークが腰のブレードを素早く引き抜いていた。


「ここで仕留める。危ないから、ピュラは二輪車の所まで避難してて」

「えぇ⁉ 『仕留める』って……逃げないんですかっ?」

「あいつらは逃げてもずっと追いかけて来るよ」

「そんな! あの黒い獣たちは、い、一体?」

「ピュラ――あれが、〈鎧獣〉だ」


 デュークの答えに、ピュラは戦慄した。


 ※ ※ ※


 走って、とデュークに背中を押され、ピュラは夢中で二輪車目指して丘陵を滑り降りた。


(あれが、〈鎧獣〉。あんな魔物みたいな生き物が、本当にいるなんて)


 荒野に蔓延する風土病の一つに、荒毒こうどくというものがある。


 汚染鉱物や感染した生物の粘膜などを介して広まるとされるこの風土病は、感染者の肉体を徐々に黒い鉱石のように硬化させ蝕んでいくという、恐ろしい病である。


 程度によっては心臓や脳にまで症状を広げ、感染した生物を死に至らしめる例も少なくないらしい。


 その上、その存在が広く認知され始めたのは、人々が荒野へ進出を始めた頃。つまり僅か四年前であることも災いし、いまだ確実な治療法も特効薬もないという、まさに「死の病」だ。


(それに、デュークさんたちの言う通り本当に……!)


 走り際に目をやったデュークのマップモニターを思い返し、ピュラは背筋を凍らせた。


 それもそのはず。なにしろマップ上には、丘陵の頂上に向かって移動する生体反応の赤いドットなど、ただの一つも見当たらなかったのだから。


 開拓者をはじめ移動都市で生活する人々の、荒毒をすこぶる忌み嫌う理由がここにある。


 体を硬化させるという症状もそうだが、この奇病の一番恐ろしい点は別にある。


 感染した母体が死亡したあと、その母体を操って更に別の、より強い生命力を有する個体に乗り移ろうとする点だ。


 硬化した黒い外皮を鎧のように全身に纏い、新たな母体を求めて荒野を彷徨う怪物たち。


〈鎧獣〉とは、そんな荒毒に全てを侵された生物の、身の毛もよだつ成れの果てなのだ。


「ハァ、ハァ、ハァ……デュークさんは?」


 無我夢中で二輪車の近くまで避難してきたピュラは、荒い息で丘陵を見上げる。


 丘陵の頂上では今まさに戦闘が始まったらしく、飛び掛かって来る三体の〈鎧獣〉を相手に、デュークがブレードを片手に奮戦していた。


(す、凄い……)


 暴れ狂う三体の化け物を相手にしているとは思えない、冷静な体さばき。


 不規則に動く〈鎧獣〉たちに囲まれない様に常に絶妙な位置取りをして、緑髪の少年は迫りくる鋭い牙や爪もブレードでもって軽くいなしている。


 怪物たちの猛攻にも関わらず、デュークは全くの無傷だった。


「デュークさん、凄い……!」


 ピュラが呟くと同時、デュークが攻撃に転じた。


 デュークの持つブレードから勢いよく蒸気が噴き出し、刀身が橙色の光を帯びる。


 次の瞬間、ちょうどデュークに飛び掛かっていた一体の全身が、両の目元から左右に割れた。


 デュークのV字型の一閃は、あっという間に化け物をただの岩片に変えてしまった。


(ずっと一人で荒野を探索していたって言ってたし、相当な実力者なんだろうとは思ってたけど……でもまさか、あんなに強かったなんて)


 ピュラが感心している間にも、手近の一体を三枚おろしにしたデュークが、残る二体と対峙する。


 同胞が倒されて動揺したのか、化け物たちの足が一瞬止まった。その一瞬を逃さず、ブレードを振り下ろす。


 しかし。


「う、嘘?」


 伸びきった右腕に噛み付こうとしてきた一体を蹴り上げ、デュークがかえす力でそいつの止めをさしている一方で。


「ギュルルッ、ガァッ!」

「い、いやッ!」


 あろうことか、もう一体の方が標的をデュークからピュラへと変え、猛然と丘陵を駆け下り始めた。


 完全に油断していたピュラ目掛けて、最後の〈鎧獣〉が大口を開けて疾走してくる。


「しまっ……!」


 デュークの顔に、そこで初めて焦りの色が浮かんだ。


 即座に後を追うが、片割れの対処のせいで一足出遅れる。


 デュークが〈鎧獣〉の首を跳ね飛ばすより、ピュラが〈鎧獣〉の牙の餌食になる方が早いのは明らかだった。


「ひっ!? こ、来ないで……!」


 血走った紅い目玉、ギラリと光る牙、不気味に歪んだ顔。


 ピュラは動けない。

 足が竦んでしまっていた。


 怖い、恐ろしい、痛いのは嫌だ、死ぬのは嫌だ、早く逃げなきゃ。


 焦れば焦るほど、ピュラの体は頑として動こうとしない。


「ピュラ、『目』だ!」


 突然の大声に、ピュラは自分の頬を引っ叩かれたような衝撃を覚えて、ハッとする。


 驚きに目を丸くしていたピュラは、その大声の主がデュークだったことに気付いて更に目を丸くした。


 デュークのあんな大きな声は、ピュラは初めて聞いた。


 見れば、デュークが走りながら自分の目を指差しているのが遠目に見える。


 混乱する頭の中で、それでもそれが何を意味しているのかだけは、ピュラにもはっきりと理解できた。


 ――――君が撃つんだ。


 考えている暇は無かった。突き動かされるように、ピュラはレッグホルスターから銃を抜く。


(そうだ……もう、怯えてばかりじゃダメなんだ)


 精巧な氷細工を連想させる白青の銃身が、荒野に照り付ける陽光を受けて煌いた。


(もう散々に、怖がった。なす術もなく泣き喚いた。嫌と言うほど逃げ回った。いつも誰かに怯えて、何かに怯えて…………そうしてずっと、ビクビク震えて生きてきたじゃない!)


 怖がっている場合じゃない。逃げ腰になっている場合でもない。


 リボルバーの照星フロントサイト越しに、ピュラは〈鎧獣〉を真正面に見据えた。


「ガラララァァァッッ!」


〈鎧獣〉は奇声を上げながら、もうすぐそこまで迫っていた。


 緊張に震える指先で、ピュラは引き金を引く力を込める。


(この一発だ。この一発から……私の「願い」に向かって走り始めるんだ!)


 ──ピュラなら大丈夫。


 荒野の風音や〈鎧獣〉の叫声が飛び交う中、デュークのそんな囁きが聞こえた気がした。刹


 那、不思議と辺りが静まり返ったように感じる。

 指先の震えが、嘘みたいに消える。


 ――ダンッ。


 引き金を引く。

 引いた瞬間、「当たる」とわかった。そして実際、その通りになった。


「ギギャガッッッッ⁉」


 銃口から飛び出した青い弾丸が、吸い込まれるようにして〈鎧獣〉の右目に直撃した。次には〈鎧獣〉の右目から、草花のように無数の氷柱がパキン、バキンと生えてくる。


 ものの数秒もしない内に、氷柱は左目もろとも、〈鎧獣〉の顔全体を刺し貫いていた。


「……や、やった、の?」


 誰へともなくピュラが尋ねるや、首から上を氷柱まみれにした〈鎧獣〉はよろめきながら数歩ほど歩き、やがてその黒光りする異形の体躯をドサリと赤土の地面に横たえた。


 丘陵を駆け下りて来たデュークが、警戒しつつ鎧獣に近付き生死を確認する。


「……とりあえず」


 ややあってデュークは大きく頷き、ピュラのリボルバーを指差すと、どこか苦笑気味の呟きを漏らした。


「ダルダノには、感謝しないとね」


途端にピュラは、安心感からゆっくりと尻餅をついてしまった。


「お疲れ様。初勝利、おめでとう」


 半ば放心状態のピュラに、デュークが手を差し伸べた。


 その手をおもむろに握り返しつつ、ピュラは気を落ち着けようと深呼吸する。


 乾いた土の匂い、風に乗って運ばれて来た微かな獣の匂い、まだ辺りを漂う火薬の匂い。色々な匂いが混ざり合い、ピュラの鼻をくすぐる。


 きっとこれが、荒野を生きる人たちが感じている匂いなんだと。


 漠然とそんなことを考えながら、ピュラは立ち上がり微笑んだ。


「は、はい。私、やりました!」

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