第19話 先遣調査

 ミグロッサがピュラに言い渡した、一週間の療養期間が明けた。


「デュークさん、朝ですよ。ほら、起きて下さい」


 ソファで横になっていたデュークを揺り動かし、毛布を引き剥がす。


 軽く呻いてデュークがそろそろと起き上がるのを横目に、ピュラはてきぱきとテーブルの上を整えた。


「ん……おはよう」


 まだ半分夢の中にいるような顔で、デュークが寝グセ頭を掻く。


「おはようございます。もうすぐ朝ご飯の用意ができますから、デュークさんも早くお顔を洗ってきてくださいね」

「うん」

「それと、卵の焼き方はどうします? 私は目玉焼きにしますけど、同じにしますか?」

「うん……そうだね」

「はい。わかりました」


 洗面所に向かうデュークを見送り、ピュラはフライパンを振るった。


 デュークが戻るのを待ち、二人でテーブルにつく。


 今朝のメニューは〈トミーのパン屋〉のホワイトブレッドにチーズ、ハム、目玉焼きを挟んだサンドイッチとホットココアだ。


「朝早くからありがとう、ピュラ」

「そんな。これくらいはさせて下さい。デュークさんから受けた恩に比べれば微々たるものですが、私、何でもお手伝いさせていただきますから。これでも家事は得意なんです」


 任せて下さい、とピュラは胸に手を当てて見せる。


 ほんの少しだけ頬を緩ませて、デュークはココアをズズッと一口啜った。


「今日はまた、張り切ってるね」

「もちろんです! だって今日はいよいよ、私の開拓者デビューの日ですから」


 ピュラは朝日差し込む窓に目を向け、その向こう、広大な赤土の大地を見下ろした。


「緊張する?」


 デュークの問いに、ピュラはしばしの間逡巡する。


 一週間、療養に努める傍らで、初めての未開拓地に備えてピュラはしっかりと準備をしてきた。


 デュークやケラミーから開拓者の仕事について教えて貰い、ダルダノの下で銃や探索用具の扱いを訓練した。


 未開拓地で生きるための、最低限のことは学んできたつもりだ。


「でも……そうですね。正直な話、緊張しています。不安なことだって、まだ沢山あります」


 僅かに目を伏せ、それからピュラは真っ直ぐにデュークを見つめて微笑む。


「それでも、自分の『願い』の為ですから。私はもう、逃げたりしません。それに、たしかに緊張や不安はありますが、それ以上に、不思議と大丈夫な気がするんです」


 だって、と言って、ピュラは照れ臭さに頬を熱くしながらはにかんだ。


「デュークさんが、一緒ですから」

「……なるほど」


デュークは一言そう呟いて、できたてのサンドイッチを頬張った。


 ※ ※ ※


 朝食を終えたピュラたちは、あらかじめ用意していた探索用の装備を万端整えてから、【局】のノア支部へと向かう。


 始業時間の直後だからか職員たちが慌ただしく動き回っている開拓者用ロビーで、デュークが仕事の受注と外出申請を済ませるのを待ち、いよいよ荒野への出入口がある中層南門へとやってきた。


「うわぁ……大きな扉ですね」

「この大きさじゃないと、届かないからね」

「届かない?」


 ピュラが小首を傾げるのも束の間、南門を閉ざしていた高さ三十メートルほどの大扉がゆっくりと奥に倒れ始める。


 さながら跳ね橋が下りる様な動きで倒れていく大扉は、やがて眼前に広がる荒野にかかる大きな下り坂へと早変わりした。


「ピュラ、つかまって」


 デュークの掛け声に、大扉に気を取られていたピュラはハッとする。


 デュークの跨る二輪車の後部座席でしっかりと彼の体にしがみつくと、やがて二輪車は勢いよく走り出した。


(す、すごい……!)


 視線を遠ざかっていくノアから前方に移し、ピュラは感嘆の息を漏らす。


 見渡す限りの、赤茶色の大地。


 青々と晴れ渡る空の下、そこかしこに形成されている土柱や入り組んだ渓谷が、照り付ける日差しで影をつくる。


 その無秩序な陰影が、けれど殺風景な荒野の景色に立体的な美しさを与えていた。


「これが、未開拓地なんですね」

「ここだけじゃない」


 障害物や地面の裂け目を上手く避けて二輪車を駆るデュークが、振り返らずに言う。


「この荒野には、まだまだ驚くような景色がたくさんある」


 デュークの声は楽しげだった。


 途轍もなく巨大な剣で突き刺されたかのような、深く長い渓谷。


 大山の先端だけを綺麗に切り取ったような形でそびえ立つ、荘厳な卓状地。


 デュークの言葉通り、初めて足を踏み入れた赤土の荒野には、ピュラが見た事も無いような雄大な自然の景色が広がっていた。


 そうして一時間ほども先へ先へと二輪車を走らせた頃。とある小高い丘陵のふもとに差し掛かったところで、デュークは二輪車のエンジンを止めて荒野に降り立った。


「この辺りか」


 デュークに続き、ピュラもいそいそと二輪車から降りる。


 開拓者見習いとしてデュークに同行するにあたり、ピュラも彼の普段の仕事がどういうものであるかは、一通りの説明を受けていた。


 そも、移動都市の開拓者の一番の目的は何かというと、それはフェネル結晶をはじめとした貴重な荒野資源の採掘に他ならない。


 帝国が整備し、【局】が支援し、開拓者が資源を集め、そして集められた資源が【局】と【ポータル】を通して本国へと渡る。


 四年前から始まった移動都市を派遣しての大規模な資源供給の、これが大まかなシステムだ。


 けれど、未開の地での資源採掘はけして容易なものではない。


 開拓者たちが舞台とし、そして相手にするのは、常に前人未到の大自然だ。


 時として牙を剥く自然の驚異には、人がどれだけ優れた技術を振りかざそうとおよそ太刀打ちできるものではない。


 そうして今までにも、多くの開拓者がこの赤土に骨を埋めていったという。


「とりあえず、この丘陵周辺から見ていこう」


 デバイスから、まだ何も記されていないマップモニターを展開させ、デュークが丘陵の緩やかな斜面を登っていく。


 もはや風格すら漂わせるその落ち着き払った背中を追い掛けつつ、ピュラは思考を再開する。


 命を落とすことだって珍しくない、そんな過酷な荒野にあえて先陣を切って身を投じ。


 後続の開拓者たちが少しでも安全に探索ができるように、その活動範囲に形成された地形の調査から、様々に潜む危険の排除までもを請け負う。


 デュークが普段やっているという「先遣調査」の仕事とは、つまりはそういうものだった。


「それは何をやっているところなんですか?」


 デュークに追いついたピュラは、少年の左腕から投影されているモニターを覗き込む。


 モニターにはちょうど中心辺りに青色の点と、その横にもう一つ赤い点があるだけだ。


「地図を書く。この青い点が現在地で、赤い点は生体反応。この場合は、ピュラのこと」


 見てて、とデュークがピュラの見やすい位置までモニターを動かした。


「あ、地図が」


 驚くピュラの前では、モニター上のただの黒い背景の上に、自動的に緑色の曲線が描かれていく。


 一見して不規則に引かれていくように思えるその緑線は、しかしよく見れば徐々に複雑な模様を形作っていった。


 ピュラは辺りを見回す。丘陵のふもと、ちょうどデュークの二輪車が停めてある場所の近くに、特徴的な楕円形をした小さな台地を見つけた。


 案の定、先ほどマップモニターに浮かび上がった不思議な模様の形と、それは非常によく似通っていた。


「便利ですね、それ」


 ピュラが言うと、デュークがグッと親指を立てる。


 そのお茶目な仕草をいつもの無表情のままするものだから、それが可笑しくてピュラはクスクスと笑った。

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