第17話 ブカブカコート
「どういうことよ、それ!」
ピュラの横でデュークが全ての事情を説明すると、受付にいたその銀髪の女性はバンッと机を叩いた。
「あなたって人は! あなたって人は、本当にもう!」
「ケラミー、落ち着いて」
「これが落ち着いていられるもんですか!」
わなわなと肩を震わせていた女性はついには受付のカウンターから飛び出してくると、デュークの胸倉を掴んで力一杯引き寄せる。
「私に報告を押し付けて急にいなくなってから三日間も支部に顔を出さないと思ったら突然現れて『二億で奴隷の少女を一人買った』ってどういうことかしらそのうえその子を開拓者として登録して欲しいなんてあなたどこまでマイペースなことを言ってるか――」
朝日差し込む【局】支部のロビーに、機関銃よろしく女性の小言が響き渡った。
ピュラがデュークの下で開拓者として生活することを決めてから、三日。
ミグロッサに一通りの診察をして貰い、一昨日、昨日とピュラは療養に勤めていた。
この二日間はデュークも開拓者の仕事には行かず、自室で本を読んだり鉱石を観察したりしていた。
きっと、心細い思いをさせないようにという彼なりの気遣いだったのだろう。
まだ万全とはいかないが、お陰で今朝の時点でピュラの体調はかなり回復していた。
そして、幾分か血色の良くなったピュラに「開拓者登録の手続きに行こう」とデュークが言い、二人で【局】のノア支部を訪れたのがつい先ほどのことである。
「なるほど……それでその、赤毛の子の開拓者登録をしたいってことね」
溜息交じりにそう言うと、ケラミーと呼ばれた受付の女性は頷いた。
その銀髪の女性局員には見覚えがある気がして、ピュラは思考を巡らせる。
(……そうだ。下層の広間でデュークさんと一緒にいた人だ。やっぱり、お知り合いなのかな?)
ケラミーは、デュークが諸々の説明をした途端にすごい剣幕で詰め寄ってきたが。
それでも彼が根気よく説得を続けると、渋々といった風ながら、一応の納得はしてくれたようだった。
「まったく、そういう事情があるならあるって早く言いなさいよ。てっきりあなたがまた何か、厄介事を持ち込んで来たのかって思っちゃったじゃない」
「…………」
また話が進まなくなると思ったのか、デュークはその言葉には何も反論しなかった。
長い前髪をかき上げて、ケラミーがピュラに視線を移す。
「初めまして……でもないけど、一応初めまして、ピュラちゃん。ケラミー・オトリュシアよ。このノア支部の二等局員で、デュークの……そうね、お目付け役ってところかしら?」
脅迫めいたケラミーの視線に、デュークが渋々といった顔で頷く。
「は、はい。初めまして、オトリュシアさん」
「ケラミーでいいわよ。これでもあなたとは三つしか違わないんだから」
緊張するピュラに、ケラミーは固い表情を崩して微笑みかけた。
「うん。前に見た時よりもだいぶ顔色が良くなったみたい。ミグロッサ先生に診てもらったんですって? 彼女に診察して貰えるなら、まず安心ね」
「はい。デュークさんが、色々と気を回してくれたお陰です」
「そう、良かったわね。……ねぇ、ピュラちゃん」
と、そこでケラミーが声のトーンをわずかに落とす。
「あの時は、本当にごめんなさい。私には……あなたを助けてあげることができなかった」
「いえ、そんな。あの時は私もただ必死で。今は、仕方なかったとわかっていますから」
「そう言って貰えると助かるわ。でもね、これだけは誤解して欲しくないんだけど。あの時、私が逃げようとしたピュラちゃんを止めたのは、けしてピュラちゃんを苦しめようと思ったからじゃないのよ? ただ、移動都市の配属とはいえ、一応私も政府の人間だから」
「……はい」
表向きはよろしくないとされている一方で、今の帝国ではまだまだ人身売買に対する法的拘束力は弱い。
下手に奴隷の解放などに手を貸せば痛い目を見るのは、半ば常識と化している。
その事実は、ピュラにしても身を以て知っているところだった。
「こほんっ! さて、ピュラちゃんの開拓者登録の件だったわね」
重くなり始めた空気を払拭しようと、ケラミーが話を本筋に戻す。
「やっぱり……奴隷が開拓者になるのは難しいんでしょうか?」
「そんなことないわ。よほどの極悪人でもない限り、【局】はいつでも誰でも志望者を募集中です。……まぁ、これには開拓者の慢性的な人手不足、って裏事情があったりもするんだけどね。ほら、なにしろ荒野での活動は危険だらけだし、命を落とす人も少なくはないから」
ケラミーの答えに、ピュラは安心すると同時に今度は別の不安に襲われる。
「あ、あの、大丈夫でしょうか? ここまで来ておいて今さらですけど、私なんかが本当に、開拓者としてやっていけるんでしょうか?」
「そうねぇ。かなり特殊な例ではあるわね。でも、前例がないわけじゃないわ。どこかの誰かさんなんかは、ピュラちゃんよりも一つ下の時から荒野を駆け回っていたりするし」
含みのある物言いで、ケラミーがデュークの方を見やる。
銀髪の少女に半眼で見つめられ、デュークは相変わらずの無表情で、けれど若干こそばゆそうに頬を掻いていた。
「それに、そこまで身構える必要はないわよ。幸か不幸か、ピュラちゃんの場合は奴隷……ううん、この言い方は止めましょう。そう、ピュラちゃんはデュークの『従者』という扱いで開拓者登録される形になるだろうから、原則として主人であるデュークの許可がないと、依頼を受けてノアの外に出掛けることができないようになっているの。だから」
ケラミーがデュークの額を軽く小突いた。
「荒野に出るときは、常にこの不愛想男とツーマンセルってわけね」
「……痛い」
「うるさい。いいこと? ピュラちゃんを開拓者にする云々の前に、そもそもこのあいだ報告を丸投げした件、私はまだ許したわけじゃないんだからね!」
ガミガミと説教の続きを始めるケラミー。
口を挟む暇もなくそれに気圧され、ついには助けを求めるような目でこちらを見てくるデュークの姿に、ピュラの心中でくすぶっていた不安は自然とかき消えていった。
(本当に、不思議な人だなぁ)
たしかに得体の知れない影のような、掴みどころのない雰囲気はある。
だがこの深緑の少年の、その口調やちょっとした仕草には、不思議と見る者を安心させるものがあった。
(こんな人が……一体どうして〈考古学者〉なんかになったんだろう?)
そこまで考えたところで意識を引き戻し、ピュラは改めてケラミーに申し入れた。
「ケラミーさん。私、やります。開拓者として、ここで一生懸命頑張ります。ですから、その、どうかよろしくお願いします」
「もちろんよ、歓迎するわ。ようこそ未開拓地の最前線へ。こちらこそ、これから担当局員としてよろしくお願いするわね、ピュラちゃん」
にこやかに差し出されたケラミーの腕を、ピュラも一拍おくれて握り返した。
「それにしても」
と、ケラミーが不意に悩ましげにピュラの全身をゆっくりと眺め回す。
「え? あ、あの?」
「いえ、ちょっと気になったんだけどね。そのコートって、デュークのじゃない?」
言われて、ピュラは着ていたブカブカの外套を見下ろした。
「? はい。デュークさんに、貸していただきました、けど」
「そう。でも、どうせならそんなボロ雑巾じゃなくて、もっとおしゃれなのを着ればいいじゃない。ピュラちゃんせっかく可愛い顔してるんだから、きっと何でも似合うわよ?」
「ボロ雑巾」の部分でちょっとだけ悲しそうな顔をしたデュークを横目に、ピュラは気恥ずかしさに俯いた。
「そ、そんな! 可愛い、だなんて……それに、デュークさんがせっかく貸してくれた物ですし、私はこれで充分です。第一、おしゃれができるほどのお金は私にはないですし……そんな身分でも、ありませんから」
「━━デュークゥゥウ?」
途端に、眼前のケラミーが殺気にも似たオーラを放ち始めたことに気付き、ピュラは思わず「ぴッ⁉」と小さく悲鳴を上げてしまった。
「まさかとは思うけど……ピュラちゃんの服、用意してないの?」
満面の笑みで、しかし目だけは笑っていないケラミーに、デュークが冷や汗をかく。
「主人でありながら自分の従者に、しかも年頃の女の子だというのに、あなたピュラちゃんに可愛いお洋服の一着も買ってあげてないの? え、ないの?」
ケラミーがにじり寄る。
デュークの冷や汗は止まらない。
「本当に、ただの一着も?」
ヘビに睨まれたカエルのような顔をして、デュークは黙りこんでしまう。
埒があかないとばかりに、ケラミーはピュラの着ていたコートに手を伸ばした。
「ピュラちゃん! ちょっとごめん!」
「え? え? ひゃあッ⁉」
ブカブカの外套がめくりあげられる。
ピュラが着ていたのは、奴隷服の代わりにとこれまたデュークから渡された、大きめのサイズの地味なシャツ。
小柄な体にはいかんせん合っていないそのシャツ一枚を、ピュラはワンピース型の服を着る要領で身に着けていた。
「……何を選べばいいか、わからなくて」
デュークが辛うじてそうこぼした刹那、ケラミーの猫のような目がつり上がり。
「デューク! ちょっとそこになおりなさい!」
あわれデュークの脳天に、銀髪の少女の鋭い手刀が落とされた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます