第15話 再会

 中層郊外の閑静な住宅街。


 一体どこに連れて行く気なのか、と訝しがるピュラを背負ってその住宅街にやってきたデュークは、昨日も立ち寄ったミグロッサの診療所を訪れた。


「ああ、いらっしゃい。そろそろ来る頃じゃないかと思っていたよ」


 後頭部でまとめ上げられた艶のある藤紫色の髪と、透き通るような白磁の肌とのコントラストが目を引く妙齢の女医。


 扉の向こうからどんな怪物が飛び出してくるのかと言わんばかりに身構えていたピュラも、そんなミグロッサの風貌に多少は警戒のレベルを下げたらしい。


 デュークの背中越しに、ピュラが診療所から出てきたミグロッサを覗き見る。


「やぁ、こんにちは」

「……こんにちは」


 警戒心からかぶっきらぼうなピュラの挨拶に気を悪くする様子もなく、ミグロッサは薄くクマのできた目元に穏やかな笑みを浮かべた。


「デュークから話は聞いているよ。君が、そう、ピュラちゃんだね?」

「そうですけど……あなたは?」

「おっと、失礼。私はミグロッサ。一応ここで小さな診療所を開いている、まぁ、ただのしがない町医者さ。デュークとは、まだ本国にいた頃からの古い付き合いなんだ」

「はぁ」

「ははは、そんなに緊張しなくてもいい。べつに君を取って食おうという訳じゃないんだ……って、そんな言い方だとますます警戒させちゃうかな?」


「とりあえず上がりなよ」と言って診療所の奥に戻っていくミグロッサの背中を追い、デュークも扉の中へと進み入る。


「あの、デュークさん。どうして突然、診療所なんかに?」


 ピュラに問われて、デュークは彼女の切り傷だらけの足や痩せぎすな頬を手で示した。


「健康体には見えない」

「なっ……余計なお世話です。これくらいの疲労や怪我、半年前にスラムに放り出されてから慣れっこですから。あなたみたいな野蛮人に心配されることなんて何もありません」

「ここの医者の腕は信頼していい」

「そういう問題じゃありません。そもそも私、診察してもらえるほどのお金どころか、一オボロイだって持っていませんし」

「ははは、随分とデュークのことを邪険にしているみたいだね」


 入り口でもめるデュークたちの掛け合いに、ミグロッサが今度こそ声を出して笑う。


 「でも、二人とも息ピッタリじゃないか。これは存外、いいコンビなのかも知れないよ」


 ミグロッサの冗談交じりの言葉に、ピュラが何か反論したそうに眉をひそめた。


「なに、金のことなら気にしなくていい」


 あっさり言って、ミグロッサは白衣のポケットから何本かの棒付きキャンディーを取り出し、その内の一本を口にくわえる。


 それから残りのキャンディーを見つめて何事かを葛藤するような渋面を浮かべると、やがてどこか口惜しそうにそれをピュラに差し出した。


「……どうしてでしょうか?」


 差し出されたキャンディーを丁重に押し返して、ピュラが訊く。


 ミグロッサはホッと胸を撫で下ろすような顔をしてから、傍らのデュークを指差した。


「君と、あと君のの二人分の診察代は、ちゃんとデュークにつけとくからね。といってもまぁ、彼も彼でつい最近に予定外の出費があったみたいだし?」


 含みのあるミグロッサの口調に、デュークはまだ少し寝グセのはねた頭を掻く。


「支払いはゆっくりで構わないさ。なにより、デュークと私の仲だしね」

「助かるよ、メグ姉」

「ちょ、ちょっと待って下さい!」


 デュークとミグロッサの間に、ピュラが割って入ってくる。


「私、まだ診察して欲しいなんて言ってません。それに、二人分? 私の相方? 一体、何の話をしているんですか?」


 困惑するピュラの姿に、一瞬きょとんとした表情を見せたミグロッサが、次には肩を竦めて揶揄うような声音でデュークの脇腹を突いてきた。


「デューク。君もなんというか、あれだ、なかなかに人が悪いじゃないか。もしかして、『彼』のことをまだピュラちゃんに伝えてなかったのかな?」


 わざとじゃない、ということを伝えようと、デュークはフルフルと首を振った。


 それをひとしきり囃してから、ミグロッサが立ち尽くすピュラを手招きする。


「なら、話は決まりだ。診察云々の前に、まずはピュラちゃんに見て欲しいものがある」

「見て欲しいもの?」

「うん。多分、君にとっては大事なものだ。ここで治療を受けるかどうかは、とりあえずそいつを見てから決めても遅くはないと思うよ?」


 そう言って、ミグロッサが意味ありげに微笑んだときだった。


「――――ヴォフ」


 診療所の奥の方から聞こえてきた声に、ピュラが瞠目する。


「う、ウソ? この、声って……」


 ミグロッサがゆっくりと道を開けるのを合図に、ピュラが駆け出した。


 デュークもその後に続くと、ピュラが向かった先は診察室だった。しかし、昨日とは違って部屋の中央には二台の診察台が置かれ、その片方の台に、ピュラの目が釘付けになっている。


「どうかな、昨日よりは広々としているだろ? 私なりに頑張って掃除したんだ」


 遅れてきたミグロッサが得意げに鼻を鳴らすと同時、ピュラはおずおずと診察台の片方、先客がいる方の台へと近付いていた。


「ヘ、レン?」


 掠れた声で、ピュラが呼び掛ける。

 眠っていたヘレンが、おもむろに目を開けた。


「ヘレン」


 もう一度、ピュラが呼び掛ける。今度は少し大きな声で。


「……ワフ」

「ヘレン、ヘレン!」

「ワフ、バフッ」


 まるでお互いの存在を確かめ合うかのように、ピュラは何度もヘレンの名を呼び、それに応えてヘレンもまた声を上げた。


 とうとう、うっすらと開いていたヘレンの目が大きく見開かれ、その金の瞳が真っ直ぐにピュラを見つめる。


 デュークとミグロッサが見守る中、赤髪の少女はもう、こみ上げてくるものを抑えることができないようだった。


「ヘレン、ヘレンだ! 夢じゃない! 本当に、ヘレンだ!」


 堰を切ったように流れ出す涙をしきりに腕で拭い、ピュラはしゃくりあげる。


「よかった! 生きてたンだね、無事だったんだね! よかったっ」


 静かだった診療所に、ヘレンの首元に顔を埋めたピュラのくぐもった泣き声が響き渡る。いよいよ叫び疲れて声が出なくなるまで、ピュラは大声で泣き続けた。


 ※ ※ ※


 そうしてたっぷり十分ほどが経ったころ、ピュラはようやくひとまずの落ち着きを取り戻したらしい。


 ヘレンの首元から顔を上げ、二度三度と深呼吸をする。


「で、でもどうして? あんなに痛めつけられて、とても動けるような状態じゃなかったのに……」

「落ち着いたかな?」


 と、ピュラの肩越しにミグロッサがハンカチを差し出した。


 受け取ったそれでうすく涙の痕が線を引く頬をゴシゴシと拭いて、ピュラはゆっくりと頷く。


「ミグロッサさん……いえ、先生」

「うん? なんだい、ピュラちゃん」


 首を傾げるミグロッサの方に向き直り、ピュラは両手を合わせた。


「ヘレンを助けてくれたのは、先生なんですか?」

「うーん、まぁ、そうだね。彼の治療は私がさせてもらったよ。ひどい怪我だったけど、安心してくれたまえ。今は一通りの処置も済んで、容体も安定している。しばらくは絶対安静だけど、ひとまず命に別状はない」


 そういって優しく微笑むミグロッサの姿が、今のピュラにはさながら女神か聖人のようにすら見えているのかも知れない。


 先ほどまでの彼女に対する不信感や警戒心はすっかり鳴りを潜め、ピュラは改めて居住まいを正す。


「あの、先生。ヘレンを、私の大切な家族を救ってくれて、本当に」

「おっと。それは少し順番が違うな、ピュラちゃん」


 深々と頭を下げようとしたピュラを、けれどミグロッサがやんわりと諫める。


「たしかに、治療を施してヘレンくんを助けたのは私だよ。でも、それだけ。私はここにヘレンくんが連れて来られたから、治しただけだ。だから私に礼を言う前に、君はまず、瀕死のヘレンくんを見つけてここまで連れて来てくれた、その人物にこそ感謝をするべきじゃないかなと、まぁ、私はそう思うわけだけれど」


 いやに回りくどい物言いのミグロッサの微笑みは、いつの間にかタネを明かす寸前の手品師のようなそれに変わっていた。


 困惑気味にミグロッサとヘレンとを交互に見やり、ピュラが難しい顔を浮かべる。


 やがてミグロッサの言わんとしていることを察したようで、ピュラはハッとしてデュークの方を振り返った。


「そう。ボロボロの状態のヘレンくんを見つけ出したのも、下層の裏路地からはるばるこの診療所まで彼を運んできたのも、私に彼を治してやって欲しいと頼んだのも、何を隠そうピュラちゃん言うところの、あの『野蛮人』だったりするんだなぁ」


 ともすれば、最前ヘレンの無事が分かった瞬間以上に「信じられない」といった顔で、ピュラはデュークを眺め回した。


「本当さ。こんな大きな犬を抱きかかえて歩き回れるほどの筋力が、私にあると思うかい?」


 ミグロッサが自分の華奢な二の腕を見せて苦笑する。


「で、でも!」


 いまだ半信半疑な様子で、ピュラがブツブツと独り言のように呟く。


「だって、あの人は、野蛮な〈考古学者〉で……誰かを傷付けることはあっても、誰かを助けたり、救ったりするなんて、そんなことは……」


 ついには頭を抱えて、ピュラはよろよろと診察台に寄りかかってしまう。


 そんな彼女を見かねたのか、次に行動を起こしたのは診察台の上のヘレンだった。

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