第14話 揚げパン
数分後。
団地への坂に続く商店街の端。あまり人通りのない一角にあった一軒の露店で何かを購入したデュークが、道端の木箱の上に座るピュラに小さな紙包みを差し出した。
「はい。熱いから、気を付けて」
「これって……揚げパン、ですか?」
〈トミーのパン屋〉と印字された紙包みから顔を覗かせているのは、鼻腔をくすぐる香辛料の甘い香りを漂わせ、見た目にも香ばしいきつね色の、美味しそうな揚げパンだった。
ピュラが疑わしさに眉を顰めたままそれを受け取らないでいると、デュークは数秒の逡巡のあと、ハタと何かに気付いた様子で差し出した揚げパンを引っ込める。
「えっ?」
たじろぐピュラをよそに、次にはおもむろにそれを一口齧って再びこちらに突き付けると、それで一仕事終えたとでも言いたげな顔で緑髪の少年は頷いた。
毒など入っていないから安心して食べていい、ということを言いたいようだった。
ペースに流されて包みを受け取ってしまったピュラは、揚げパンの欠けた部分を見つめてほんのり頬を紅潮させ、しかしすぐにまた我に返るとデュークをうろんな目で見やる。
「バカにしないでください。こんなことで、私があなたを信用するとでも?」
「そういうつもりはないけど」
「なら、どういうつもりなんですか?」
ピュラが詰め寄ると、デュークは自分の分の揚げパンも一口齧って飲み込んでから、いつものぼんやりとした相貌を崩さぬまま、少し退屈そうに鼻を鳴らす。
「質問、好きだね」
「なっ!?」
言葉を詰まらせてしまうピュラに、デュークが手元の紙包みを指差した。
「冷めないうちに」
アホらしい、とピュラは肩を竦める。
怒りに任せて罵っても問い詰めても、こっちがいくら真剣に反抗的な態度をとったところで、この少年にはてんでこたえてないらしい。
腹を立てるどころか、きちんと話を聞いているかすら怪しいものだ。まともに話を聞く気など、ハナから無いのかも知れない。
(バカにして!)
口論するだけ時間と労力の無駄だと悟ったピュラは、とりあえずは腹を満たすことにした。デュークからの施しを受け入れるようで業腹ではあるが、揚げパンには何の罪もない。
せめてもの反発として、ありがた迷惑も良い所だという意味合いを多分に含んだ「いただきます」を告げてから、熱々の揚げパンに口を付ける。
(……! おい、しい! それに……)
口の中一杯にジュワッと広がる香ばしい揚げパンのその美味しさに、甘美な満足感に、ピュラは感嘆の息を漏らすと同時に、気が付けば二口目、三口目と食べ進めていた。
「──あったかい」
何より、今の今まで久しくありつけることのなかったその温かさが、まるで乾ききった氷河の如き自分の心を甘やかに溶かしていくようで、ピュラは思わず目頭が熱くなるのを感じずにはいられなかった。
「あっ」
口を突いて出た心の声にハッとして、ピュラは慌てて口元を手で覆う。
そうして、おそるおそるデュークの横顔を盗み見たところで。
「さっきの質問について、だけど」
既に空になった紙包みを小さく丸めながら、デュークが呟く。それからピュラの座っている木箱の前で片膝をつき、右手の指をピンと三つ立ててみせた。
「順番に答える」
「質問って、どれのことを言ってるんですか? いっぱいありますけど」
「一つ目」
デュークが、立てた三本指の内の一本を握り込む。
「この店の揚げパンは、多分、ノアで一番だと思うから」
「……はぁ、そうですか」
何の話やら、と小首を傾げたピュラは、やがて「この揚げパンをくれた理由かな?」と思い至り、しかしやはり何の話やらと曖昧な返事をするしかなかった。
「二つ目」
デュークがまた指を握り込み、人差し指だけが天を指し示す。
「あの二億は、とても大事な二億だった」
眉をひそめていたピュラは、にわかに顔を引き締めた。
「それは、どういう意味ですか?」
「あの資金は、あるものを見つけたときの為に、貯めていた」
「あるもの?」
坂の頂上の向こうに見える、ノアの外周を囲む鈍色の壁。
不意にその外壁に視線を向けて、デュークがどこか遠い目をして言う。
「うん。それを見つけるのは、俺の……いや、俺たち〈考古学者〉の、悲願なんだ」
違う、と。
遠い何かに思いをはせるようなデュークの横顔に、ピュラは奇妙な違和感を覚える。
あの日、故郷の街を焼き尽くしたあのテロリストたちと同じように「考古学者の願い」を語るデュークの深緑の瞳は。
しかし、テロリストたちの言っていた「地位」だの「革命」だのといったひどく世俗的なものとは、まるで違うモノを見ているように思えた。
「……その悲願とやらのために、また大勢の人を傷付けるんですか?」
試すような口調でピュラが言うと、デュークは意識を壁の向こうからこちらに戻して。
「そう、だね……傷付けてしまうことも、あるかもしれない。でも、これだけは信じて欲しいんだけど」
それから、今までにはあまり見せたことのないような真剣な表情で、じっとピュラの目を真正面から見据えて言った。
「少なくとも俺は、〈考古学者〉を言い訳に誰かを傷付けたことはないよ」
その言葉にいつになく強い感情が垣間見えたのに、ピュラはゴクリと唾を飲みこんで口を噤んでしまった。
黙りこくるピュラの前で、デュークの人差し指が折りたたまれる。
「三つ目」
スッと張り詰めた雰囲気を取り払い、またぞろいつもの大人しい顔つきに戻ったデュークは、しゃがみ込んだ状態のままくるりとピュラに背を向ける。
「君を助けようと決めたのは、『助ける』って約束をしたから」
「約束って……そんなの、いったい誰と?」
「昨日、それを言おうとしたんだけど」
ピュラが背中に乗ったのを確認してから立ち上がり、デュークがぽりぽりと頬を掻く。
「ピュラ、昨日は疲れてたみたいで、すぐ寝ちゃったから」
「そ、それは……」
あなたと話をしたくなかっただけです、とは言わず、ピュラはプイと顔を背けた。
「だから今日、報告しに行く。君をちゃんと助けたことを」
「どこかに出かけるんですか? これから」
ピュラが尋ねると、デュークはこくりと首肯して。
「………………もう後悔したくなかっただけ、かもな」
それから、消え入りそうなほど小さな声でそうひとりごちる。
ピュラは少年の背中にあずける体重をわずかに増やしつつ、それを黙って聞いていた。
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