第7話 帝国の闇
「あの騒ぎ、何かあったのかしら? 気になるわね」
デュークが人だかりに目を凝らす横で、ケラミーもそちらに視線を向けていた。
デバイスから投影させた時刻表示と人だかりとを交互に見やって、ケラミーはしばし逡巡すると。
「……仕方ない。【局】の職員として、やっぱりこのまま放置って訳にもいかないものね。デューク、私は少し様子を見てくるから、あなたは先に支部に行っててちょうだい。私もすぐに追いかけるわ。……あぁもう、こっちは急いでるって言うのに!」
言うが早いか、人だかりの方へ駆け出していくケラミー。
デュークは前方にある中層行きのエレベーターを見上げて、しかしくるりと回れ右をすると、ケラミーの後に続くように人だかりへと歩いていった。
「このガキ! いい加減大人しくしやがれってんだ!」
「いやっ! 離して! 離して下さい!」
騒ぎの中心に近づけば、数人の男のものと思しき乱暴な声に混じって、こちらもまた聞き覚えのある少女の悲鳴が聞こえてくる。
デュークの足は無意識の内に速くなり、立ち塞がる人の山を掻き分け、気付けばとうとう人だかりの最前列まで辿り着いていた。
「なっ、デューク!? 『先に行って』って言ったじゃない!」
いきなり隣に現れたデュークにケラミーが詰め寄るが、デュークはそちらには一瞥もくれずに、じっと騒ぎの下に視線を走らせた。
ケラミーもそこで一旦怒りの矛を収めて、眉をひそめつつも状況を簡単に説明する。
「何が気になるのかは知らないけど……あの男たちの会話から察するに、どうやら奴隷の内の一人が逃げ出していたみたいね。その脱走者をようやく捕まえて、檻に入れようとしているときにまたひと悶着あった。そんなところかしら」
ケラミーが指を指す先には、大きな鉄製の檻が荷台に備え付けられた大型トラック。
ボロ布同然の服を着せられ鎖につながれた二、三人の人間が、織の中で無気力に横たわったり座り込んだりしている姿が見て取れた。
「イヤッ、いや! 助けて! お願いっ、誰か助けて下さい! 誰かっ!」
その檻の後方に設けられた出入口付近で、奴隷商の男たちに罵声を浴びせられ、服や髪を千切れんばかりに引っ張られている赤髪の少女──ピュラが泣き叫ぶ。
「めんどくせぇなぁ! おい、もうこのガキ少し眠らせるぞ」
ピュラの腕を掴んでいた男が、握り拳をちらつかせる。
「ひっ!? や、止めて! もう、もう痛いのは…………あ」
反射的に腕で顔を隠して横を向いたピュラは、そこで不意に、人ごみの中にいたデュークの姿を見て大きく目を見開いた。
まっ暗闇の中に一筋の光を見つけたような顔でデュークを見つめるピュラ。そんな彼女の瞳から、デュークは顔を背けることができずにいた。
「あん? おいてめぇ、一体どこを見て……」
刹那、訝しんだ男が余所見をして、ピュラの腕を掴む力をほんの少し緩める。
その隙を逃さず少女は渾身の力で男の拘束から逃れると、地面に散らばる鉄くずやガラス片で足を切られるのも構わず、デュークの下へと走ってきた。
「お兄、さんっ……!」
藁にも縋る、とはこのことだろう。
群衆がどよめく中、息も絶え絶えに走ってきたピュラは、一度自ら突き放したはずのデュークに向かって手を伸ばしてくる。
「止まりなさい」
少女が必死に伸ばした手は、しかしデュークに届くことはなかった。
デュークを庇うようにして、ケラミーがピュラの前に立ち塞がったからだ。
「申し訳ないけど、あなたをここから通す訳にはいかないのよ」
「そ、そんな!? わ、私、私はっ……」
行く手を阻まれて狼狽する赤紙の少女が、助けを求めるようにデュークを見上げる。
「……知り合いなの?」
振り返ったケラミーがわずかに眉を寄せ、問い詰めるような視線をデュークに向ける。
固唾を呑んで返答を待つ二人の少女を前に、デュークはおずおずと口を開いた。
「……さっき、すれ違ったんだ。路地裏で」
「それだけ?」
デュークが頷くのを見て、ケラミーは心なしか安堵したように息を吐き、逆にピュラは可哀想なくらいに顔を青ざめた。
にわかに屠所の羊のようにガタガタと震え出したピュラの頭が、やがて追いついてきた奴隷商の男の毛深い手で乱暴に掴まれ、そのまま地面に押さえつけられる。
「やってくれるじゃねぇかクソアマァ! 散々、手間、掛けさせ、やがって! オラ!」
「あうっ! グッ、ケハッ、ガッ……!」
抜け出そうとするも身動きのとれないピュラの背中を、男は強かに殴りつける。
「おい、時間も無いんだ。それに、あんまり傷を付けると価値が下がっちまうよ」
「わぁってるよ! ……おいガキ、これでもお前は大事な『商品』だからな。この辺で勘弁してやるよ。ありがたく思うんだな。オラ、わかったらいつまでも寝てんじゃねぇ!」
痛みで声も出せないのか、ピュラは地面にうずくまったまま動かない。
そんな彼女に一片の情け容赦もなく、男はピュラの首根っこを掴んで冷たい鉄の檻へ引きずっていった。
「…………っ」
「デューク、駄目よ。我慢して」
見るに見かねて思わず一歩前に出てしまったデュークを、傍らのケラミーが制止する。
「さっきあのチンピラが言っていたように、奴隷というのは『商品』なの。彼らは人間である前に、きちんと持ち主が存在する『所有物』なのよ。同情や正義感から彼らを助けても、それは所詮、商人が所有する商品を勝手に持ち出す行為――万引きや窃盗にしかならない。裁かれるのは、こちらの方よ」
「……うん」
「気持ちは分かるわ。でもね、こんなことで悪目立ちはしたくないはずよ。デューク、あなたは特にね。だからこの件には、これ以上関わらない方がいいわ」
敢えて淡々とした口調を繕ってはいるが、ケラミー自身、あまりその事実を認めたくないといった様子で歯痒そうに唇を噛んでいた。
「うん、大丈夫。わかってる」
無用なトラブルに巻きこませたくない、というケラミーなりの心遣いを察して、デュークもそれ以上深く考えるのは止めた。
彼方では、もはや暴れる力もなく奴隷商に引きずられるがままのピュラが、それでもまだ、必死に助けを乞う姿があった。
(──ごめん)
ガシャン。
立ち尽くすデュークの前で、ピュラが放り入れられた鉄檻の扉が無慈悲に閉ざされる。
耳障りなエンジン音が鳴り響き、ピュラを乗せたトラックは身震いするように車体をゆらすと、そのまま中央エレベーターホールへと消えていった。
「あれは……上層行きの貨物用エレベーターね。おそらく、この後に上層にいる貴族や富裕層相手のヒューマンオークションがあるんでしょう。わかってはいたことだけれど、こうして改めて向き合わされると、色々と考えさせられるわね」
ケラミーの、拳を握る手に力が入る。
「今の帝国では、人身売買はけして完全な違法行為というわけじゃないわ。探そうと思えば法の抜け穴はいくらでもあるし、そもそもあんな風に、貴族や一部の権力者がバックについていることもあるくらいだしね。そうなるともう、誰にも、何も言えない」
その目には幾らかの悔しさと、それを覆い隠すほどの、固い意志の炎が揺らめいていた。
「でも……やっぱりあれは、いつかは是正されなければならない帝国の闇だと思うの。あの子みたいな目にあう人が、これから少しでも減るような社会にするために。そのためにまず、私はこの移動都市からそれを実現したい。いえ、きっと実現させてみせる。だから私は、ここにいるんだ」
自分自身に言い聞かせるように心中の決意を吐露すると、ケラミーは少しだけ肩の力を抜いてデュークの方に向き直った。
「まぁもっとも、その目標を達成できるのはまだまだ先になりそうだけど。主に『誰かさん』が私の評価まで落としかねないほど野放図なせいで、ね」
昼寝を邪魔された猫みたいな半眼を向けられ、デュークは頬を掻く。
小さくなる少年開拓者の姿がなかなか愉快に思えたのか、ケラミーは悪戯っぽい微笑を浮かべた。
「さ、立ち話はこれくらいでおしまい。少し時間をロスしてしまったけれど、急げばまだ窓口の締め切りには充分間に合うわ」
言うが早いか、さっさと中層行きのエレベーターホールへ歩を進めるケラミー。
慌てて彼女を追い掛けつつ、最後にもう一度貨物用エレベーターに視線を向けたデュークは、けれどそこで何か、小さな違和感を覚えて立ち止まった。
その違和感の正体に気付くと同時に、デュークの脳裏に一抹の不安がよぎる。
「ちょっと、なに立ち止まってるの? 早く来なさい。間に合わなくなっちゃうでしょ」
振り返ったケラミーがせっつくのも構わず、次には羽織り直した外套を翻し、デュークはエレベーターホールとは逆方向、下層のスラム街へと踵を返した。
「すぐ戻る」
「えっ? ちょ、ちょっと、待ちなさいよデューク! どこに行くつもり? 報告はどうするのよ!?」
背後から投げかけられるケラミーの静止の声にも振り向かず、デュークは足早に中央広場を後にした。
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