第6話 エリートと問題児
黒とオレンジのツートンカラーの制服をきっちりと着こなしたその女性は、見るからに文武両道なエリートタイプといった雰囲気を醸し出していた。
きりりと引き締められた顔立ちは端整で、前下がりに切り揃えられた、少しウェーブがかった肩までの銀髪が目を引いた。
「仮にも一店舗の経営者がしていい接客態度じゃないわね。まぁ、こんな辺鄙な場所までわざわざ足を運ぶ客もほぼ皆無だろうし、マナーがなってないのも無理ないのかしら」
気位の高い猫を彷彿とさせる切れ長な瞳でデュークたちをひと睨みした女性は、スリットの入ったショートスカートからのぞくスラリとした足で二人の下まで歩み寄る。
「おっと、そいつは失敬。それで、本日はその辺鄙な場所までわざわざどういった御用向きで? 【帝立未開拓地探査研究局ノア支部】、二等局員のケラミー嬢どの?」
ダルダノが皮肉っぽくそう言うが、ケラミーと呼ばれた女性はそれを歯牙にもかけずに言い放った。
「聞こえたわよ。あなたたち、またここで訳のわからないガラクタ兵器の実験でもする気なんでしょう? いくら下層の隅とはいえ、そんなテロ紛いの行為は私が見過ごしません」
「おいおい、人聞きの悪いことを言いなさんなって。テロだなんてそんな大げさな」
「──なにか?」
「いっ!? い、いや、なんでも……ふぅ、相変わらずおっかないねぇ」
ケラミーの氷柱のような眼光に怯み、ダルダノが彼女の倍ほどはある逞しい図体を縮こまらせる。
無礼な店主が減らず口を閉じるのを見て、銀髪の淑女は「ふん」とひとつ鼻を鳴らした。
ケラミー・オトリュシア。
ノアにおける最大の公的機関であり、開拓者への情報提供や仕事の斡旋をはじめ、都市内での治安維持や奉仕活動なども担う【帝立未開拓地探査研究局】──通称【局】という組織に所属する少女である。
正規の開拓者として一応は【局】所属という扱いのもと荒野での探索に勤しんでいるデュークとは、数年来の知り合いだ。
荒野への外出申請や仕事の依頼、報酬の受け渡しなど、デュークの開拓者活動のサポートは、大抵が彼女の手によって行われている。
要するに、デュークにとっては顔なじみのビジネスパートナー、ということになるのだが。
「まったく、ついこの間だってそのテストとやらの失敗で何軒の廃屋が全壊したと思ってるの? だというのにまるで反省してないみたいだし。本当、あなたたち二人が集まるとロクなことにならないんだから。それに……デューク!」
「え?」
「『え?』じゃないでしょ、『え?』じゃ! そもそもあなたはこんな所で遊ぶ前に、他にやらなくちゃいけないことがあるでしょう? 先遣調査の報告、本日分はどうしたの?」
デュークが「あっ」と声を漏らすと同時、ケラミーが深いため息を吐く。
「……忘れてた、って顔ね。どうせまた、テミルさんの酒場やこのボロ工房に寄ってから、なんて考えていたんでしょう? それじゃダメなの! 依頼任務や調査から帰って来たらまず【局】の支部に報告に行くこと。私、いつも口を酸っぱくしてそう言ってるわよね?」
「ごめん。すぐに行こうとは思ってて……」
「言い訳は聞きません! これで何度目だと思ってるの? 毎度毎度こうしてあなたを探して支部まで連れて行かなくちゃならない
こんな調子で、彼女の方からはどうも素行の悪い問題児扱いされている節があった。
「大体あなたはいつもいつも……!」
報告を忘れていた件から始まり、「服がボロボロ」だの「髪がボサボサ」だの「ハンカチくらい持ちなさい」だのと、果てはデュークの身だしなみにまで口を出すケラミー。
デュークとは同齢なのだが、その様子は仕事仲間というより、むしろ世話焼きな母親といった方が正鵠を射ているようにも見えた。
「…………デバイスの番号知ってんだから、毎度毎度わざわざ直接会いに来ることもねぇだろうに。やれやれ、素直じゃないねぇ」
くどくどと小言を続ける銀髪の少女。その頭に装着されているヘッドセット型のホロデバイスに目を向けて、ダルダノが小声でニヤリとするや否や。
「――違法建築、無許可の兵器実験、荒野資源の闇取引。私がその気になりさえすれば、こんな風に難癖つけて今すぐあなたをしょっ引くことだってできるのだけれど?」
それを耳ざとく聞きつけたケラミーが鷹のように鋭く冷たい目で、しかしその頬には若干の熱を帯びさせながら、腰に携えていた細剣をダルダノの喉仏にあてがった。
「は、はは……二等局員って、そんな権利あったっけ?」
「お生憎さま。私、今度の人事異動で一等局員への昇進が決まったの。幹部クラスには一歩及ばないとはいえ、一等局員ともなれば多少の融通は利かせられるようになるわ」
「そ、そいつはめでたい話だぁな」
「ありがとう。祝って貰えて、私とっても嬉しいわ」
心にも無さげにそう言ってニコリと微笑み、ケラミーは細剣を鞘に納める。
「さぁ行くわよデューク! あなたたちみたいな自由人と違って、【局】の窓口には時間というルールがあるの。『業務時間内に間に合わなかった』なんて間抜けな理由で報告を怠ったと知れたら、担当局員である私まで白い目で見られちゃう」
けれどすぐにまた険しい表情に戻ると、今度は背後のデュークに向き直った。
「万が一にも私の昇進がフイにでもなったら、そのときはデューク、あなたにも相応の責任をとってもらうから覚悟しなさい!」
銀髪の少女は矢継ぎ早にまくしたてると、その剣幕に気圧されて立ち尽くしていたデュークを問答無用で引っ張り、そのままズルズルと引きずるようにして連行する。
「あらら……まぁ、しょうがねぇや。テストはまたの機会に持ち越しだ、デューク。取り敢えずはお勤めを果たしてきな」
残念そうに苦笑するダルダノを尻目に小さく頷いて、デュークは工房を後にした。
※ ※ ※
ノアの内部は大まかに言えば、四つの
第一区から第三区を内包するのが「上層」、第四区から第六区は「中層」で、残りの三区が「下層」にあたる。そして下層の更に下には、移動都市の心臓部とも言うべき機関部階層が広がっている、という具合だ。
「デューク、報告するデータはもうまとめ終わったの?」
「あと、5分あれば」
「2分でやりなさい。もうすぐ支部行きの中央エレベーターよ」
現在、ケラミーとデュークが足早に向かっている【局】のノア支部は中層の第五区にある。四層九区の構造をとるノアの全体像から見ると、ちょうど都市の中心の辺りに位置していた。
【局】の職員は、都市内の各所で多種多様な業務や問題に対応しなければならない。どの階層や区にもすぐにアクセスできる場所に本拠地ができたのは必然と言えるだろう。
「や、やっと抜けたわ……」
とはいえ。
ただでさえ上層や中層ほど交通の便が良くない下層、加えてその中でも郊外に位置するダルダノの工房などは、【局】の人間といえどやはり行き来するのも一苦労らしい。
そしてそれがまた、いま現在ケラミーの機嫌を損ねている要因の一つでもあるようだった。
「あ~もうっ! 本当にイライラするわね、下層の街は!」
やっとの思いで猥雑な通りから中央広場へと抜けた途端、ケラミーが不満を爆発させる。
「道はロクに舗装されてなくて歩きにくいし、積もったガラクタの所為で真っ直ぐ目的地まで行けないし、おまけにスリや客引きはしつこいし! あちこち引っ張られて制服がしわくちゃだわ!」
人ごみに揉まれて着崩れた制服を整え、乱れた銀髪をとかしつつ、エリート局員の少女は恨み節を口にする。
「それもこれもどこかの不良な開拓者の所為だわ、まったく…………うん、これでよし!」
納得いくまで身繕いが済んだのか、やがてケラミーは手に持っていた手鏡に向けて満足気にはにかんだ。
髪型や身なりを気にしたりと、年頃の娘らしい姿を見せて微笑えんでいたケラミーは、けれどまたすぐに、その相貌を【局】きっての麒麟児のそれへと変える。
「さて、どうにか間に合いそうね。デューク、データは……うん、できてるみたいね。よろしい。それと、支部に入る前にあなたも少しは身なりを正しなさい。下層ならともかく、そんな薄汚れた格好した人と支部内を歩くなんて嫌よ」
指摘され、デュークはそこで改めて自分の格好を眺め回した。
「変?」
「かなりね。ほら、そんな暑苦しいコートは脱ぐ! というか、もうボロボロじゃない。そろそろ買い替えるべきね。グローブも外して、バッグに入れるかポーチにしまいなさい。これも結構使い古してるわね、ここなんか擦り切れて今にも穴が空きそう」
呆れ顔で溜息を吐きながらも、ケラミーがてきぱきと自分の見てくれを整えていく。
されるがままにその様子を見下ろすデュークは、若干の鬱陶しさを感じつつ、けれどそんな何気ないやりとりに、いつもどこか心地よいものを感じていた。
(…………っ)
同時に、その心地よさは決まって――痛む。
普段は心の奥底に押し込められていて、その顔を出すことすらないすき間。
ともすれば存在していることさえ忘れてしまいそうな、だがけして忘れることなどできない、暗い穴。
デュークの中にある、そのがらんどうの
「……か……さん」
「ん? なに? 何か言った、デューク?」
「えっ」
いきなり話し掛けられたことにギョッとして、デュークは思わず二、三歩あとずさる。
デュークの襟もとに手を当ててキョトンとするケラミーを見やり、そこでようやく、デュークは無意識に自分の口から言葉が漏れていたことに気が付いた。
「突然どうしたっていうのよ。もしかして、そんなに触られるのが嫌だった? それ」
ケラミーの視線の先には、六角レンズのゴーグル。
申し訳なさそうに目を伏せるケラミーに、デュークは慌てて両手をひらひらと振り、そうではないのだということを示す。
「そう? ……うん。それなら、いいけど」
ケラミーはどこかバツが悪そうに、自らの顔半分ほどを覆う前髪を弄ると。
やがて気まずい空気に耐えられなくなったのか、気を取り直すように「コホンッ」と一つ咳払いをした。
「は、はいっ、身だしなみチェックはこれで終わり! いつまでもここでグズグズしている訳にもいかないわ。さぁ、早くエレベーターホールに行きましょう」
「うん……あ、ケラミー」
「なにかしら?」
「服、ありがとう」
「なによ、改まって。べつにお礼なんていらないわ。私の名誉の為にやってることでもあるんだし。それに担当開拓者のケアも、私の仕事の内と言えば仕事の内だしね」
「それでも、ありがとう」
「はいはい。わかったわよ。本当、私がいないとまるでダメなんだから」
呆れながらもどこか満更でもなさそうに呟くケラミーから視線を外し、デュークは眼前の広い中央広場を俯瞰する。
広場の奥には、ノア下層の天井部分まで伸びている大きな鉄製の円筒があった。
鉄製の外郭の中に通るガラス張りのパイプを幾つもの影が通り過ぎる様子が、円筒の随所にある窓からうかがえる。
各階層の中央広場と【局】のノア支部とを繋ぐ、長距離エレベーターだ。
下層と中層の間を移動する際は階層各所に配置された螺旋階段を使うことの方が多いために、デュークがここに足を運ぶのも、思えば久しぶりのことだった。
と、そこで広場の一角がにわかに騒がしくなり、デュークは喧騒の中心に目を向ける。
その先で。
「――――離しテ下さい!」
でき始めた人だかりの隙間から、見覚えのあるスカーレットの髪が揺れているのが見えた。
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