痛みを知れば優しくなれる

こへへい

痛みを知れば優しくなれる

「皆さん初めまして! 白樺高校から転校してきました、宮本沙也加みやもとさやかです! 仲良くしてくださいね!」

 彼女は教室という空間を一瞬のうちに支配した。綺麗に切りそろえられたボブショート、真っ白な肌が織りなす笑顔は、蛍光灯という科学の発明並に輝いて見えるようだった。上がる口角から覗かれる真っ白な歯はモデルかのような手入れ具合。もし彼女が新入生として私と学び舎を共にしていたとしても、今となんら変わりなくその持ち前の明るい性格と容姿によって、注目を集めたに違いない。私達のブレザーとは違い、まだ制服が間に合っていないのか着用しているセーラー服も彼女を魅力的にする一因なのかもしれないが、恐らくおまけ程度だろう。

 だから、私は危機を抱いていた。彼女は確実に私の目標を危ぶむ存在であることが、一目見ただけで分かってしまったからだ。

 私は、河野美和子こうのみわこはこの学校で一番綺麗であるという自負がある。私は高校に入学してから美しさにおいて自己研鑽を怠ったことがない。健康的な食事に適度な運動、保湿に紫外線管理を念頭に置くことで、体の内側から美しさを作っているのだ。

 しかし、そんな私でさえ、今は口の中が渇く思いだった。彼女、宮本はまずい。この適度に世間ずれしたような雰囲気、そして邪が全く感じない明るい性格、更に可愛いとは。しかも黒髪ボブショートって、金髪ロングの私と対局に位置しているじゃないか。それが余計に対抗意識を助長させているのかもしれない。

「そんじゃ宮本は山崎の隣な」

 先生から促され、空いていた窓際の席に、ステップを踏むように歩を進める宮本。踏み鳴らされる木製の床が、木琴のようにポクポクと小気味良く鳴らされる。

「よろしくねー!」

「やっほー!」

「あっははは!」

 更にその道中、周囲の人に明るく声をかけているのだ。歌舞伎の花道のようだった。そうして歩く空気清浄機がやっと鎮座する頃には、ほんわかとした空気が周囲を包み込んで、リラックス状態が出来上がっていた。それが私にとっては恐ろしい。そのスター性が、もし、彼に向かうのだと思うと、恐ろしくてこんな空気を吸い込むことができない。甘ったるくて胃もたれしているうちに、彼が取られてしまうかもしれない。教室の後ろ出口角に位置する彼の席を一瞥すると、相変わらず眠そうに頬杖をついているものの、視線だけは彼女を追ってしまっているのが窺えた。

 彼こそが、中学の頃に噂されていた隣町に住む空手の神童、土門一馬君どもんかずまである。

 幼い頃から空手を習っており、公式大会ではいつも優勝の記録ばかり取っている。しかし彼の評判の最たる要素は、モデルのような顔立ちやスタイル、そして優しさにあるだろう。周囲の人を邪険にせず、手を振れば振り返してくれる。サインもくれるのだとか。今で言うところの神対応。そりゃファンが増えて好評が広まるはずである。

 だから彼に振り向いてもらうために、私は自分磨きを怠らなかった。カロリー計算や栄養素の勉強、睡眠管理や肌へのダメージについて、学びに学んで実践し、今の自分を作りだした。それも彼に私を見てもらうため。けど、いざ思いのたけをぶつけることは躊躇われた。積み上げたものが全て無駄になるんじゃないかって思うと、足が、心がすくんで動けずにいた。

 だがもう悠長なことは言っていられない。というよりも、この危機感を抱くことができたことで、漸く覚悟が決まった。このピンチをチャンスに変えられなくて、どうして一馬君の心を射止めることができようか。私がすべきことは決まっていた。二の足を踏むのはもうおしまい。早めに決着をつける必要がある。

 放課後、彼に告白をする。


 とは言ったものの、彼は今日も今日とて部活動だ。木製の壁に囲まれた道場に、真っ白な道着を着用した男たちが踏み心地の良さそうな青い床を力強く踏みしめて、ペアで組手を行っている。その様子を多数の女子が観察していた。しかも全員の視線は、同じ人へ向けられている。目障りな。毎回そう考えると、必ず内なる自分が呟くのだ。「いやあんたも混ざってるじゃないか」と。違うのだ。私は彼が休憩を挟む時に、クーラーボックスに入れておいたスポーツドリンクを差し入れるためにスタンバっているに過ぎない。カッコいい一馬君を一目見るというのは、飽くまでもその過程でしかないのだ。なんならこの集団を私が抑制していると言っても過言ではないだろう。簀子すのこに足を踏み入れて食い入るように道場を覗こうとする者がいるならば、いつも私がそいつを睨んで入らないようにしているのだから。感謝されこそすれ、邪険に扱われる覚えはない。言い訳完了。

 自分の練習もさることながら、一馬君はよく空手部員の後輩と手合わせをすることで後進の育成に精を出している。本人の言によると「色んな体格の人と手合わせする機会になって良い」とのこと。理由の一端を担っていることは確かなのだろうが、自分のことよりも、他者を優先して育成している節が見える。今も一年生の杉野君と組手で手合わせをしてあげていた。

「やぁ! はっ! せい!」

「遅い、早い、ズレてる」

 一手一手に事細かな指導が入る。噂によると、お陰でリアルタイムに自分の粗を見つけることができた人が多く、見違えるほど上達しているのだとか。舌噛みそうだとは思うけれど、喋れるくらいの余裕があるということなのだろう。

「――!」

 刹那、およそ響いたことがない音が道場内に響いた。視線が倒れ伏す杉野君に集まる。そんな彼を見て、一馬君は急いで腰を下ろした。

「大丈夫? 多分足捻ったよね、保健室行ける?」

 慌てて一馬君はかがんで杉野君の足を見る。伸ばしたり左右に曲げたりするが、それを杉野君が制した。

「いえ、大丈夫です。足滑らせただけなんで」

 と杉野君はそそくさと立ち上がる。ただ足を滑らせただけのようだ。杉野君は一馬君の手を掴んで立ち上がる。が、一馬君は胸をなでおろしたりはしなかった。

「ほら、大丈夫ですって」

「いや、一応保健室に行った方がいい。一瞬痛そうだったよね、空手ってどうしても怪我と隣り合わせだから、痛そうだったら無理せず休むんだ、良いね」

 一馬君の、一見過剰なまでの心配に、「あー、ばれちゃいましたか、すみません」苦笑いを浮かべて、おずおずと道場を後にした。空手と幼い時から向き合って来たからこそ、一馬君は小さな怪我一つ見落しなく慮れるのだろう。そのあとパンパンと手を叩き、「各自休憩。マットも劣化してきてるし、先生に交換の申請に行く間に水分摂っといて」と皆に優しく語り掛けた。

 そんな号令に、女子陣が騒めきだした。一馬君が外に出ようとしていたのだ。汗で煌めく額が、こめかみが、頬が、顎が、首筋が、鎖骨が、周囲の女子をキュンキュンさせていた。キャー! と皆で手を振ると、一馬君はそれに反応して手を振り返してくれた。それでも私は彼の優しさに甘んじず、女子陣をギロっとにらみつけた。女子陣はそんな私に気を遣ってくれたのか、そそくさと退散していった。とても心優しい人達である。私はこの瞬間を待っていた。肩に下げたクーラーボックスを携えて、一馬君が向かったトイレへと足を運んだ。


 宮本は今この学校の案内を受けている。あの人当たりの良さを利用してクラスメートをたぶらかし、有志で学校案内をしてもらっているのだとか。この隙に、一馬君に告白してやるのだ。そのあとに奴が一馬君に興味を抱こうものならば「ごめん、もう俺には将来を誓った人がいるから」となり、泥棒猫される心配もない。完璧な作戦だ。

 職員室帰りに寄った男子トイレから出てきた、道着姿の一馬君を視認する。洗った手の雫を無造作に道着の尻部分で拭っていた。まだまだ日は明るく、廊下は電気を点けるほど暗くない。しかし廊下突き当りのこの場所はその光があまり行き届かないためか薄暗かった。もし電気が点いていたならば、私の美貌が照らされてもっと魅力的に見えていただろうに。しかし宮本が一馬君と関わり合う前に私のことを好きになってもらわなければ。クーラーボックスの紐を握る手に力が籠った。


 あの時から、一馬君のことがずっと好きだったよ。私は高校受験日当日に、足を滑らせてしまって、会場までたどり着けないと思っていた。道行く人は自分の受験で手一杯で素通りしていく。そんな中、一馬君は私をおんぶして会場まで連れてってくれたよね。あの時の背中はとてもたくましくて、暖かくて、優しくて、安心した。

 だから、君に振り向いてもらうためだったら、私はどんな努力もしたよ。綺麗になるために様々な努力をしてきた。全ては君のために。

 だから。私の思いを、どうか受け取って。

 体中が沸騰しそうだった。クーラーボックスに入れていたとはいえ、結構な時間が経過して冷気が失われつつあるはずのスポーツドリンクは、まるで氷のように冷たかった。そのドリンクを大事に両手に持ち、私は両腕を伸ばす。


「あ、あの!」

「待って、何か聞こえる」

 何か、聞こえる? 下げた顔のまま聞こえる音に注意を向けると、何やらお小言を起こしているように聞こえた。誰かが、言い争っている? 場所的に階段上。ここは一階だから、二階だろう。誰かが誰かに説教を垂れているようにも聞こえる。

 彼が招くがまま、何がなんだかわからず、二人で音を殺しその場所に向かってみると、踊り場の上で、女子が女子に何かを言っていた。それも、今日つい数時間前に聞き及んだ声だった。サーっと血の気が引いていく。

「貴女、叱るにしてもちょっと表現がきついと思うの。そんな言い方だと、たとえ正しいことだとしても、素直に言うことが聞けなくなってしまうわ。それだとこの後輩ちゃんも育たないと思うの。最初は難しいかもしれないけれど、言われると嫌だなーって思える言葉を使わずに会話ができると、もっとお互い楽しく過ごせると思うな」

 宮本がいた。学校案内の最中だったのだろう、複数の生徒を背にして、箒を持つ後輩を叱っていたであろう先輩をたしなめていた。先輩と言っても相手も彼女と同じ二年ではあるのだが。転校初日に、学校案内をしてもらっている真っ最中に、何をやっているんだ。

「いや、でも、だってですね」

「後輩ちゃん、嫌なら嫌って言えば良いの。とっても苦しい顔をしていたよ。私見てて胸がとても締め付けられそうだった」

「あの、だからですね」

「先輩ちゃんも、ダカラもポカリもないの。ポカリとぶってたら彼女の心はもっと傷ついたかもしれないんだよ?」

 ダジャレによって深刻さを軽減しようとしているのだろうが、指をピンと立てて「め!」の姿勢がぶりっ子していてウザさマックスだった。何がポカリだよ、私が渡そうとしていたスポーツドリンクが、そういう有名ブランドじゃないことへの当てつけか? 仕方がないだろう自販機にはこれしかなかったんだから。

 顔を歪ましていると、プンプンとしている宮本に対し、言われっぱなしの二人は意を決し、同時に叫んだ。

「「これ、演劇の練習なんです!!」」

 「え?」と、ポカーンとした表情になる宮本。そして後ろからドカーン! という笑い声が上がった。

「ちょ、沙也加ちゃんバカ!」

「天然かよ! ははは!」

「面白いなぁ!」

 宮本は顔を真っ赤にして、急いでヘドバンの如く頭を下げていた。「演技のクオリティが良かった証拠なんで、むしろ良かったですよ」というフォローも頂き、学校案内の集団は階段を上に昇っていった。

「……くくく、あの子面白いな、それにちゃんと分かってるし」

 毒気が抜ける現場を見て呆気に取られていたが、状況が最悪であることに、今更ながら自覚した。明らかに好印象だ。やられた。周囲から宮本が来ないように気を配っていたつもりだったが、まさか私達から彼女の方に向かってしまうなんて。しかも、それによって今の彼の興味は、完全に宮本に向いてしまった。お腹を抱えて破顔している。こんな状況で告白なんてしようものならば「あ、ごめん、俺興味ある人がいるから」となる。

 きっとそうなる。頭が真っ白になりそうだった。

「あ、そういえば。何か用があったんだっけ?」

 と、今更気づいた風に私に向き直る一馬君。しかし、今はすぐにでもこの場を離れたくて仕方がなかった。

「……あ、そうそう、これ。冷えてるから飲んで。この後の部活も頑張ってね!」

「ありがと――ってちょっと!?」

 スポーツドリンクが手渡されたのを確認し、急いで踵を返した。


 道中シンナーの匂いがツンとしたのは、この四階というのが芸術系の部室が集まっているからである。彼らは滅多に外に出ることはなく、他の生徒は用事がないので廊下辺りは人通りが少ない。そんな健康に悪そうな空気が漂う廊下を走り抜け、私はトイレの個室に駆け込んだ。出来るだけ人に、自分の涙を見られないために。

 タイミングが最悪だった。いやそもそも焦り過ぎたのだろうか? そもそもと言うならば、宮本がこの学校にやってくるまでに決着をつけておくべきだったのではないか。後悔が渦巻き、滝のように流れ出る。それが止まらず、個室から出られずにいた。早く収まれ、収まってくれ。

 そんな私のことなんていざ知らず。しばらくして、誰かがトイレい入ってきた。出ようとしていたのにタイミングが悪い。しかしそろそろ学校を出なければ、暗くなって帰りづらくなる。格好悪い姿が赤の他人に見られるというのは不本意ではあったが、自棄な感情から、素知らぬ顔を装い個室のドアを開けた。

 すると眼前には、洗面台で口角を指で押し上げている、宮本の姿があった。綺麗な大きい鏡に向き合い、笑顔を作っては首を傾げ、こーでもないあーでもないととても小さくつぶやいていた。私が個室を開けたせいか、その音に反応して振り向く。目が、合った。

「あ、いたんだ。ごめんごめん、これはその、笑顔の練習をしていまして」

「は?」

 筋違いだ。彼女は悪くない。全てはタイミングの問題。転校生という立場も期間限定で、そして当人が魅力的で、天然で人当たり良いような現場に居合わせてしまったのも、タイミングの問題。分かってはいるものの、それでも、語気が自然と強くなって私は宮本に詰め寄った。

「初対面で、そうやってヘラヘラして。気持ち悪いのよ。ちょっと可愛いからって、人たらしも良い加減にして」

「え、あ、ええと」

 戸惑う宮本。こんなこと私もしたくなかった。だが、こうでもしないと気が収まらない。こんな、タイミングで全てをかっさらおうとするような奴を悪者にしておかないと、私は世界を呪ってしまう。運命が嫌いになってしまう。だが動揺はすかさず整われたようで、宮本は数秒深呼吸した後、えへへとはにかんで見せた。

「そっかぁ、私ってそう映っちゃってたか。これでも敵ってできちゃうんだなぁ」

「え、は? 敵? 何言ってんの?」

「確か、美和子ちゃんだよね。何か気に障っちゃったならごめんね。皆と友達になれたらいいなって思って今日頑張ったんだけど、やっぱり、人間関係って難しいや」

「だ、だから、そうやってヘラヘラしているのが気持ち悪いって言ってるの! 怖いのよ、普通初対面でそんな態度取れないわよ!」

 取り繕うことができず、素直な感想を、できるだけ傷つくようにぶつけた。まだ一度も話したことがない私の名前を知っていることも気に食わない。だが単純に疑問でもあったのだ。初めて出会う人たちと、そこまで胸襟を開けるように笑い合えるものか? それに、彼女の言葉に何やら気になる部分があった。「やっぱり、人間関係って難しいや」と。

「そう、だよね。皆にもいつかは打ち明けられたらいいなって思ってるんだけど、やっぱりこういうのって中々話しづらいね」

「何よ、言ってみなさいよ」

「でも、聞くと引いちゃうかも」

「そんなの聞かなきゃ分かんないわよ」

 怒りのエネルギーは、いつしか彼女の事情への好奇心へ変わっていた。といっても、芸能ゴシップが気になるような感情に似ている。どす黒い、気持ちのいいものではない好奇心。それでもこのまま彼女を新人いびりのごとくなじるよりかはマシだと思い、彼女の返答を待った。

 「こういうタイミングじゃないと話せないか。ま、もう誰もいないしね」そう言って、彼女は自嘲気味に、制服の右袖を捲し上げた。綺麗で真っ白な肌が見えるのかと思っていたけれど、それは半分当たりで、半分外れていた。

 真っ白な上腕の素肌に、何本もの黒い傷跡が刻まれていたのだ。カッターのようなものだろうか、それは痛々しく禍々しい。明るい性格で自己紹介を行っていた彼女を見ていたからこそ、余計にその傷がおどろおどろしく見えた。

「いつか学校に行くことになった時のために、脇を閉めたら見えないような位置にしてあるんだ。知能犯でしょ? ま、学校再開するつもりだったならこんなことしなきゃ良かったんだけど……。私、昔いじめられてたんだ。だから引きこもって、イライラしてリスカして、で、転校してここに来たってわけ。自傷行為も飽きちゃって、家では勉強しなさいって親が色々と本を買ってくれたから読んでてさ。それで、いつか学校に行くってなった時、前みたいな失敗をしないように、新しい皆と楽しめるように、人間関係についても勉強することにしたんだ。さっきの鏡で笑う奴もその一つね。笑顔って、メイクよりも印象良いらしいよ?」

 そう笑う彼女の笑顔は、仮面のようだった。でもその仮面は私には、やっぱり輝いて見えた。肌が焼けることなくずっと家にいて、それでも友達と楽しくすることを夢見て、人間関係について勉強し、身に着けた彼女の技術。蛍光灯のような人工的な笑顔。でもそれは、彼女が確かに積み上げてきた、努力の結晶が織りなす輝きだった。

「でもそっか、うん、気を付けるよ。もし気に障ることがあったら言ってね」

 そう言って、彼女は俯き背を向ける。不甲斐ない。タイミングのせいにして、情けない。私は彼女の努力を全く理解してやれなかった。先ほど演劇部の人に言っていたのも、本心からだったのだ。いじめによって傷つく気持ちを知っていたがために、あのように飛び出して注意していたのだ。それもできるだけ皆が傷つかないように。彼らの所作を演技と思えないくらい、本気で飛び出したのだ。

「はぁ、もういいわ、さっさと出るわよ」

「うん、ごめんね」

「じゃなくて、一緒に出るわよって言ってるの」

 背を曲げて出ていこうとする宮本が、沙也加が足を止めるように、そして誤解を解くように大きな声で言った。理解が追いついていないのか、沙也加はきょとんと首だけ振り向く。彼女の横まで歩き、手を握った。

「一緒に買い食いもしないで、皆と仲良くなれると思ってるの? 私が練習台になったげる」


 ハンバーガー屋にて、暗くなるまで他愛もない話を繰り広げた。最初こそ何を話せばいいのか手探り状態で、お互いにポテトを一本一本丁寧に食べていたけれど、沙也加の「好きな人いるの?」という問いかけから、残りのポテトに手を付けることなく、冷めきるまで話が弾んだ。恋とは確かに男女を繋ぎ、男女を引き裂き、同性をも引き裂くけれど、こうして同性を繋ぐこともできるのだということを知った。

 店を出た先は闇に溢れていた。それらは屋内から洩れる蛍光灯で照らされることで、なんとか駅までの道のりを把握することができた。私達は、警戒心を抱くことなく、漏れる光を頼りに一歩一歩と歩みを進める。

「土門君ってどんな人が好きなんだろうね。私聞いてみようか?」

「大丈夫大丈夫、私が何とかするから、沙也加はその人当たりの良さを土門君に一切発揮させないで」

「私別に土門君のこと知らないし、ライバルにならなさそうだけどなぁ」

 沙也加がアシストを申し出たけれど、私はそれを丁重にお断りした。彼女には一馬君争奪戦の参加はおろか、観客席でドリンク販売させるのも危険である。どこをきっかけに、一馬君が彼女に好意を抱いてしまうのか分かったものではない。信頼における人物だと理解しているけれど、だからこそ。

「そんなに人気なら私は身を引くしね。だってそうじゃないと、皆と学校楽しめないし」

「確かに、恋愛は敵を作っちゃうわね、私がそうだし」

「まぁ、確かに、外見はプレッシャーが強いしね」

 一馬君にもそう思われていたのかと思い返すとやるせない後悔が再燃する。しかし、そういう素直な感想を頂けるのは、それだけ私に気を許してくれているとも受け取れた。このまま彼女とこうして友達付き合いしたいものだ。そう思いを馳せていると、素っ頓狂といか、ただの呼吸音かのような、それでいて恐怖しているような、そんな声が聞こえた。

「え」

 歩道のど真ん中で、沙也加の足が止まる。ヘッドライトがギラっとした車が視界を遮るも、沙也加は蒼白した顔を動かさなかった。同じ方角へ視線をやると、闇から、肩幅が大きく、ズシンズシンという足音が聞こえるように近づいてくる大男と、隣に並ぶ、黒髪長髪で、冷たい表情をした女が蛍光に照らされた。女の方のセーラー服は、どこかで見たことのある服だった。

 っというか、このセーラー服ってまさか。ふと再び沙也加に向き直る。やはり同じ制服だと確認できた。そのタイミングで、左耳に女王様の嘲りが聞こえた。

「あ~ら、あんた落葉松に逃げてたの、知らなかった~」

 冷たい女は、嫌らしく僅かに口角を上げて腕を組んだ。大男を背にして私達に近づいてくる。その圧力に、沙也加はだんだんと押しつぶされそうになっていた。

「何よ、前見たいにヘラヘラして、男に媚び売りなさいよ。それがあんたの唯一の取り柄なんでしょう?」

「黙って」

 女が怪訝そうに私を睨む。脊髄反射で彼女の視線を体で遮ったのだから。でも、これ以上沙也加と目を合わさせるのは、友達が泣きそうな顔をしているのは、耐えられなかった。

「何? 誰? 言っとくけどこいつとつるまない方が良いわよ?」

「黙れって言ってるの。聞こえなかった?」

「だっさ、そういうのキモイから止めた方がいい――」

 パシン。と一発。もうこのままグーを追加しても良かったけれど、既に私の手が痛くなったのでやめておいた。代わりに言葉の刃をぶつけることにした。たとえ、私の心にも痛みが発生したとしても。

「そうやって表面だけ見て判断してんじゃないわよ! あんたの方がキモイのよ!」

「くっ、やっちゃって大山さん!」

 左頬を両手で抑えながら、血相を変えて大男に命令した。着ぐるみが学ランを着たような全身筋肉だるまの大山という男が「お前から手を出したんだからな」と笑い、私が出すのを躊躇ったグーを握る。ヤバイ。冷静さが欠けていた。振り下ろされるグーが、隕石の様に顔に迫る。急いで後ろの沙也加をぎゅっと抱きしめて、せめて彼女がこれ以上傷つかないようにと願った。

 ……。……しかし、背中に痛みはなかった。代わりに「怪我無い?」という優しい声が返ってきた。この声。間違えるはずがない。

 「土門君?」振り返ると、ジャージでランニング中だった一馬君が、大男の拳を片手で抑えている様子が見えた。

「お前が土門か、女子の前で格好つけやがって!」

「あんたも女子の前で格好つけてるじゃないっすか」

「う、うるせぇ!」

 痛いところを突いた一馬君に逆上したのか、大山が逆の拳を振りかざす。しかし、その一瞬の間に、一馬君もまた逆の拳を彼の鼻先まで伸ばした。寸止め。しかし大山は殴られたようにのけ反って尻もちをついた。

「次はマジで当てますよ?」

 一馬君のドスの効いた威嚇により、二人はそそくさと退散した。闇の中に消えていく。でもそんなの見えなかった。一馬君の姿が焼き付いて、全ての景色がぼやけていくようだった。

「大丈夫?」

「あ、はい」

「そ、なら良かった。駅も近いし早く帰りなよ」

「待って!」

 そりゃ私も引き留めてファミリーレストランで彼と二人で夜を明かしたかったけれど、流石にそこまで非常識なことはできないと思い唇を噛んでいたんだけど、そんな私の意思はいざ知らず。隣の沙也加が、とっても可愛い顔で彼に声をかけていた。その瞳は、星々が煌めいているようだった。

「何?」

「何で、助けてくれたの?」

 そんなの困ったから助けてくれたに決まっているだろうに。男はそういう、格好つけたい生き物なのだ。だから颯爽と立ち去らせてやってほしかったのだが、彼女は引きこもりから世に出てきて浅い。だからそういう腹を割った質問ができるのだろう。今の私なら、そう思えた。

「あー、まぁ、君みたいな人は尊敬できるからさ。まぁ、その、そんだけ」

 と、後から照れ隠しのようにつぶやき「そんじゃ」と去っていった。好きな人が照れる顔程キュンキュンする情景はなく、それで頭がいっぱいになるところだったけれど、それよりも、私が何故彼のことを好きになれたのかが、今分かった。そしてそれは同時に、沙也加を好きになった理由と同じのような気がした。

 だが、ままならないものだ。沙也加の顔を見る。彼女は私の視線に合わせることはなく、じっと、一馬君の背中を見ていた。最悪のライバル誕生だ。でも不思議と悪い気分ではなかった。だから思いっきりの笑顔で宣戦布告した。

「私、絶対負けないから!」

「ふふ、私も!」

 振り返る可愛い笑顔は、私の最高の恋敵だ。

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痛みを知れば優しくなれる こへへい @k_oh_e

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