エピローグ
エピローグ
〜とある少女の告白〜
キッカケは中学三年生の忘れもしないあの日。
私の親友が私の大好きな人に告白されているのを目の当たりにしたあの日。
親友をビックリさせようとコッソリ後ろを着いていった私は、親友が想い人に告白するところを目の当たりにした。
私なんかじゃ親友には勝てない。
頭も運動もスタイルも。その全てが劣っているこの私なんかじゃ勝てやしない。
そんな当たり前の現実を。
目を背け続けた現実を、私は突然突き付けられた。
私は急いで教室に戻り、平静を装った。
親友ならきっと告白された話を私にしてくるだろう。
私は素直に祝福することが出来るのだろうか。
分からない。
でも、親友の幸せを願うことが私の役割なのではないか?
だから、とってもツライけど、私は親友を祝福しよう。
だけど、私の親友は告白されたことを私に教えてくれなかった。
裏切りだ。
私が彼のことを好きな事を知っているのに言わない。
私を嘲笑っているんだ。
私が欲しいモノを手に入れた自分に酔いしれているんだ。
許せない。許せない許せない。許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない。
家に帰り、自分の部屋で恋に敗れた愚痴をSNSに書き込んでいたら通知が来た。
『きさらぎ』という名前の知らないアカウントからのメッセージだった。
『それはとても悲しい話ですね。アナタの恋が叶うおまじないを特別に無料で教えてあげましょう』
何を馬鹿馬鹿しいことを。
普段ならそう思うハズだったのに、失恋のショックを少しでも早く癒したかった私は軽い気持ちでメッセージに返信をした。
「そんなおまじないがあるのですか?」
『はい。あります。時間はかかりますが、必ず意中の相手を振り向かせる事が出来ます。お金も取りません。名前や住所を教えていただく必要もありません。アナタが知りたいと仰っしゃれば教えますし、知りたくないと仰っしゃればこれ以上私は何も言いません。アカウントをブロックしていただいても構いません。私はアナタの味方です』
怪しいけど、聞くだけ聞いてみようかな。
そう思った私は「教えてください」と返信をした。
『分かりました。お送りする画像に必要な物や手順が記されています。それでは、アナタの恋が成就することを願います』
メッセージに続いて、文章がビッシリと書かれた画像が送られてきた。
そこには、塩だとか水だとか蝋燭だとか色々準備しなくてはいけないものと、何かの呪文なのか長く読み辛い文章が書かれていた。
なんかちょっと面白そう。
駄目で元々。
気持ちを切り替えるためにやろう。
私は自分が何をしているのか理解しないまま、画像の通りに儀式のようなモノを行った。
色々準備させられた割には、やってみると案外あっさりと終わってしまい拍子抜けしてしまった。
でも、何かスッキリしたような気がした。
親友のお母さんが怪我をしたと聞かされた。
その時はそんなこともあるんだなというぐらいにしか思わなかった。
親友は依然として告白されたことを私には教えてくれなかった。自分から問いただそうか、と思った日もあったが、私は親友の口から教えてもらえるのを待った。
やがて、親友の周りで変なことが増え始めた。
体調を崩したり、怪我をしたり。程度は様々だったが、一度気になると偶然とは思えない程に親友の周りで不幸が起こり始めていた。
心配だった気持ちもあるが、罰が当たったんだと思う私も確かに胸の中にいた。
月日は流れ卒業旅行二日目の朝。
一緒に旅行に来ていた友人が倒れた時の親友の驚き方が尋常では無かったため、肩を抱きながら「どうかしたの?」と聞いてみた。
「私に触れると呪われるよ」
親友はポツリと言った。
「私に触らない方が良いよ。呪われるから」
何を言っているのか分からなかった。
分からなかったが、親友が本気で言っていることは分かった。
その時、私はしばらく前にSNSで教えてもらったおまじないのことを思い出した。
まさか。いや、でも。
私は家に帰ってから急いでおまじないを教えてくれた『きさらぎ』という人物にメッセージを飛ばそうとした。
だが、既にそのアカウントは消されていたのか、履歴は残っておらず、検索してもヒットしなかった。
高校に入学してからのこと。
クラスにオカルト好きを公言する人がいたので、それとなく私がやったおまじないについて聞いてみた。
彼はこう言った。
「へぇ、面白いね。降霊術だとか呪いの儀式に似ている」
呪いの儀式。
その言葉が私の胸を貫いた。
「解除する方法はあるの?」
彼は「知らない」と言った。
この役立たず。
伏見君が交通事故で入院したと聞かされた。
呪いは本物だったんだ。
親友が伏見君に抱擁されたあの時。
あの時、伏見君が呪われたんだ。
私は一体何をしているのだろう。
親友を呪い、その呪いは私の想い人をも呪ってしまった。
私はおまじないを教えてくれた人の言っていた「時間はかかるが意中の相手が振り向く」というその言葉を信じるしか無かった。
その言葉を信じなくては、自責の念に堪えなかった。
意中の相手が振り向くのは何時になるのだろう。
そんなことを思いながら、やけに来るのが遅い親友のことを教室で待っていた私は何やらゾッとするような寒気を感じた。
何となく。それは終わりが近付いているような気がした。
廊下から這いずるように現れたのは
手手手手手
指指指指指
ごめんね、美幸。
でも、悪いのは美幸だからね?
私におまじないを教えてくれた人を見つけ出したんでしょ?
それで私に復讐したんでしょ?
だったらお互い様じゃない?
あぁ、赤子の手が私の身体を上ってくる。
助けて。
〜とある公務員の報告〜
野呂美幸の呪いを巡る騒動が呪詛返しにより区切りを迎えてから約四時間が経過した夜の八時過ぎ。
肌寒くもなければ暑くもない心地良い風が吹く夜の始まりが訪れる頃。
草薙神社を後にした麻美子と柿崎は近くにあった公園を見つけると中に入った。
その公園は塗装の剥げた滑り台とブランコ、たまに消えかかる外灯、決して座りやすいとは言い難い少し低めのベンチがあるだけの小さいものだった。
麻美子はベンチの座面の埃を手で軽く払ってから座り、柿崎はベンチに座らずに側に立ったまま、買ってから何時間も経ってすっかりぬるくなった缶コーヒーを開け、一口飲んで眉を寄せた。
麻美子はこれからある人物に電話をしなくてはいけないのだが、内容が内容なので中々踏ん切りがつかず、草薙神社を出てから何度も出ている溜め息を再び溢した。
「そんなに嫌なら俺が連絡しようか?」
娘と同年代の同僚が気後れしている姿に心を締め付けられた柿崎が助け舟を出したが、麻美子は首をプルプルと左右に振った。
「うん、ありがと。でもウチから話すよ」
「そうか」
麻美子は暗くなった空をボンヤリと眺めて大きな溜め息をつくと、決心がついたのか連絡先の草薙刀也を選択して通話開始ボタンを押した。
トゥルルル。
通話が始まるまでの間が麻美子は好きじゃなかった。直接会って話すよりも電話の方が緊張するのは自分だけなのだろうか。
そんなことを考えていると通話が始まる音が聞こえた。
『はい、こちら草薙刀也』
麻美子は通話をマイクからスピーカーに変えて柿崎にも聞こえるようにした。
「あ、刀也君。麻美子だけど。今電話大丈夫?」
麻美子の心の中で、後でかけ直して欲しいと言って欲しい気持ちとこのまま用件を伝えたい気持ちが葛藤していた。
『あぁ、大丈夫ですよ。状況はどんな感じ?』
「えっと、その、最初に謝る。ごめん」
柿崎が横から「いきなり謝ったら只事じゃないと不安にさせないか?」と小さな声で呟いたが、麻美子は無視した。
『いや、元はと言えば、俺が行くべきだったのに麻美子さんに無理やりお願いする形になったんで、そんな謝らなくて良いですよ』
あぁ、こういう奴だった。
誰よりも優しいが故に、自分の感情を押し殺す奴だった。
「そうは言っても、ねぇ」
『時系列順で教えてもらえます? イメージしやすいし、麻美子さんも思い出しやすいでしょ』
刀也の口調には焦りも怒りも感じられなかった。
麻美子は基本的に年下の刀也のことを可愛がっていたが、こういう大人ぶったというか、機械じみたところがあまり好きではなかった。
「うん、分かった。ありがと。じゃあ話すけど、えっと、ウチらが学校に着いた時、救急隊員の人達が心肺停止の女の子を救急車に運んでる所だったの。それは幽子ちゃんじゃなくて知らない子。その時は分からなかったけど、もしかしたらその子は関係者かもしれない。それで、救急車が来て昇降口付近がバタバタ騒ぎになってたから、ウチと柿崎はとりあえず二年生の教室に向かった。でも、いなかった。教室に残ってた子に訊いたら『いつも持ち歩いてる刀みたいなの持って何処かに行った』って言われたの」
『十中八九、蛇絶の小太刀だろうなぁ』という刀也の呟きが聞こえたので、それに乗っかることにした。
「私もそうだろうなぁと思ったから、蛇絶の小太刀の気配を追ったのだけど、何か変だったの。近くにあるのに遠くにあるような、何処にもないような感覚。とりあえず別の階に移動したら校舎の端にあった教室に幽子ちゃんとマコト君が倒れてたの」
『真? 久々に聞いたなぁその名前。それで、二人は?』
「マコト君は何度か呼びかけたら起きたけど、幽子ちゃんは呪いによる穢れがかなり酷くて、呼びかけてもピクリとも反応しなかったの。だから急いで草薙神社に運んで『浄化の儀』をすることにしたの。マコト君も念の為にね。『浄化の儀』はついさっき終わって、今は幽子ちゃんも会話が出来るぐらいには回復してるよ」
電話の向こうで大きな溜め息が聞こえたが、麻美子は何も指摘しなかった。
『まぁ、とりあえずは良かったけど。一体何が二人をそこまで追い詰めたかまでは聞いてる?』
「詳しい話は明日もう一回聞こうと思ってる。マコト君も幽子ちゃんもスゴい疲れてたみたいだし、時間も時間だったから。草薙神社まで向かう間の車の中でマコト君からザックリとは聞いてるけど」
『とりあえず、言われたことを聞きたいかな』
「うん。分かった。えっと、マコト君が言うには、クラスメイトに伝染型の呪いを掛けられた子がいたんだって。その呪いを祓おうとして、返り討ちにあったんだとか」
『んん、ちょっと待って。気になる点が二つ。一つは伝染型の呪いを掛けられたって何? 真が言ってたの? アイツにそういうのを教えた覚えはないんだけどな』
何だ。あそこまでペラペラと喋るモノだからてっきり教えていたのかと思っていた。
「あぁそうだったの? 普通に話してたからてっきり教えてたのかと。刀也君が教えてないなら、教えたのは幽子ちゃんじゃないかな。まぁ、そうなると気になる点が出てくるけど」
そう。
この話にはおかしな点がある。
『麻美子さんの気になる点と俺の気になってる点は同じだと思いますよ。呪いを祓おうとしたってところじゃないですか?』
「うん。幽子ちゃんにそれが出来るとは思えないんだよね。専門じゃないし」
『専門でも無いし知識も霊力も無い。唯一考えられるのは蛇絶の小太刀で呪いを斬ろうとしてたって可能性。ただ、幽子に刀を握らせたら勝てる奴がいるはずないんだよな。そう考えると当初の目的は蛇絶の小太刀を使わない方法な気がする』
刀を握らせたら勝てる奴がいるはずない?
そこまで言い切って良いのだろうか?
「え、幽子ちゃんって刀振れるの?」
麻美子の呟きに刀也は少し得意気に言った。
『刀振れるの? なんてもんじゃない。俺でも勝てないぐらい強い』
それは初耳だった。
そして信じられなかった。
刀也の剣術は霊障対策室でもトップクラスであるのに、その刀也よりも強い?
「本当に? いくら何でもそれは」
『嘘でも誇張でも無い。幽子の剣術はホンモノ。霊力はあまり無いけど、剣術に限っては超が付くほどの一流。刀を握った幽子に隙なんて無い。だから、幽子は真を人質に取られたか、何らかの理由で刀を握ってなかった可能性が高い』
「刀を握ってなかった?」
その言葉を聞いて麻美子は言ってなかった事を思い出した。
「あぁ、それで思い出した。幽子ちゃんの蛇絶の小太刀が何処かにいっちゃったの」
『はぁ?』という呟きの後に数秒の沈黙。
あまりにも信じられない出来事に刀也の思考回路がフリーズした。
『何処かにいった? 有り得ない。気を失ってた幽子の手元に無かったとしても、麻美子さんなら見つけられるでしょ』
「いや、さっきも言ったけど、気配が近くにあるのに遠くにあるような変な感じだったの。勉強道具は教室に忘れて行っても良いけど、刀を忘れる訳にはいかないでしょ? だからザッと辺りを見回したんだけど、何処にも見当たらなかったの」
『んん、真と幽子を返り討ちにした奴が小太刀を持ち去ったかもしれない。いや、それは無いか』
てっきり持ち去られたとばかり思っていた麻美子は思わず疑問を口にした。
「なんで持ち去られた可能性は無いと思うの?」
『呪いが蛇絶の小太刀に触れたら霊力によって火傷する。鞘や柄だろうと火傷する。それだけ神聖なモノだから。クラスメイトが呪いに蝕まれていたのなら、恐らく触れることは出来ないはずだ』
「そうとも限らないと思うけど」
『どういう意味?』
「持って行く動機は分からないけど、火傷するだけなら持ち運べない事も無いでしょ? それに、第三者がいたかもしれない」
『んん、言われてみると確かに』
久々に論破出来た。いつも論破される側だったので年上として気持ちが良い。
「まぁ、その辺も含めて明日幽子ちゃんに聞いておくね」
『俺からもメッセージを送っておくけど、年の近い同性の方が話しやすいこともあるだろうし、引き続きお願いしようかな』
「了解」
『そういえば救急車で運ばれた子が関係者ってのは何で?』
麻美子はすっかり忘れていたと言わんばかりに「あっ」と口にした。黙って話を聞いていた柿崎は「しっかりしてくれよ」と呟いた。
「草薙神社で浄化の儀をやろうとした時、応援が欲しかったから霊障対策室に連絡したら『丁度同じ街で心肺停止して救急搬送された少女がいてそっちに一人回した』って言われたの。名前や搬送先の病院まではまだ把握してなかったみたいだけどね。同じ街、心肺停止、救急搬送。偶然の可能性もあるけど、ウチらが学校に着いた時に搬送されようとしていた少女と条件が重なりすぎてる。つまり、その少女は対策室が動くような症状があったということかなぁと思ったわけ」
『まぁ、そういうことになりそうだね』
刀也は驚きも落胆も見せずに淡々と返事をした。
「その子と話が出来るかは分かんないけど、明日通報者だとか目撃者だとかを探してその人達にも色々聞こうと思ってる」
『お願いします。すぐには帰れそうにないんで』
その言い方には含みがあった。訊いても教えてはくれないだろうが、状況はあまり良くないのだろう。
「気を付けてよ。歳が近くてちゃんと話が出来るの刀也君ぐらいだから。刀也君に何かあったら心配」
『歳は離れてるかもしれないけど、麻美子さんには柿崎さんがいるじゃないですか』
いきなり何を言うんだ。
「柿崎さんは、ただのおじさんだよ」
「おじさんで悪かったな!」と柿崎が言うと、その声が刀也にも聞こえていたのか『あ、柿崎さんも聞いてたんですね。お久しぶりです』と刀也は返した。
「ん、あぁ。久しぶり。麻美子から話すって言うから黙って聞いてただけさ」
『そうなんですね。麻美子さんは相変わずですか?』
「ん、ハハハ。相変わらずだよ」
「ちょ、ちょっと何を言ってるんですか!?」
何だよ。相変わらずって。
『まぁ、冗談はさておき。麻美子さんと柿崎さん、もうしばらく妹の件よろしくお願いします。なるべく早く片付けて俺もそっちに行くんで』
「無理すんなよ。お前今相棒いないだろ」
一瞬の間。意識しなくては感じ取れない程一瞬だったが、刀也の声も息も止まった瞬間があった。
『あぁ、柿崎さんは聞いてました? まぁ、大丈夫ですよ。はい、気を付けてやるんで』
「気を付けてよ本当に。それじゃあね」
『はい、おやすみなさい』
プツッ。
電話が切れた音がした。
「はぁあああ。疲れた」
麻美子はグデッと座り方を崩した。
「それなりに楽しそうに喋ってたじゃねぇか」
「幽子ちゃんのことを任されておいて、駆け付けた時には意識不明でした。だなんて報告をしなくちゃいけなかったんだよ!? すっごく神経使ったよ。ウチの言う疲れってのは精神的な疲れ」
「だから代わってやると言ったのに」という言葉を柿崎は呑み込んで、代わりに「お疲れ」と返した。
数十秒程お互いに無言の時間が続いた。
公園の前の道を自転車が通り過ぎて行くのを何となく目で追いながら麻美子は口を開いた。
「柿崎さんはこのあとどうするの?」
「それは名古屋帰るのかって話か? どうせ明日も此処に用事があるなら今日は鳴間に泊まるよ。麻美子はどうするつもりだ? 帰るなら送っていくけど」
「うぅん、今から帰ってもなぁ。ウチも泊まろうかなぁ」
「それならまずは今日のホテルを探さないとな」
麻美子は汚物を見るような目で柿崎を睨んだ。
「なんか、その言い方パパ活みたいでキモいよ」
柿崎はブフゥと吹き出して「何で俺が娘と同年代の奴とそんなことするんだ」と怒鳴った。
「いやいや、おじさんが若い女の子に手を出すのがパパ活でしょ? 大体合ってるじゃん」
柿崎は「まぁ、そう言われるとそうかもしれんが」と呟いてから「俺とお前は仕事の同僚であってそれ以上でもそれ以下でもない。くだらない事言ってると車に乗せないぞ」と返した。
「あぁん、もう、冗談ですよ」
二人は公園を出ると、車を停めた駐車場へと歩いて行った。
〜とある少女の交信〜
泣き叫び続けたせいで目は充血し大きく腫れ、喉は声も出せない程ズキズキと痛み、食欲もお風呂に入る気力も何一つ湧かないぐらいには疲弊していた。
私は両親に引きずられるように車へと押し込められ、今は電気の点いていない自室の床にうつ伏せに倒れ込んでいる。
私の覚悟は偽物だった。
サヤが酷い目に遭うなら自分が、などという崇高な自己犠牲の精神など私の中には存在しなかった。
私はサヤを守るために見抜君を呪い、見抜君を救うために知らない誰かが倒れ、最後は伏見君が事を進める事に同意をし、私は救われた。
そしてサヤは心肺停止で救急搬送されることになった。
今この瞬間に「救急搬送されることになった」などと他人事のように言っている時点で私は屑な人間である。
その時、握りしめていた携帯電話がブルブルと震えた。誰かから電話が掛かってきたようだ。
私は誰からの着信か確認せずに通話開始ボタンを押した。
「ぁぁ」
喉が痛くて言葉が出てこない。
『もしもし。突然なのですが、一月頃に蛇ノ目神社で祈祷を受けましたか?』
電話の相手は知らない声だった。男とも女とも思える中性的な声だったこともあり、相手の性別もおおよその年齢も分からない。
何故電話番号を知っているのか不審に思ったが、反射的に「ぁぃ」と答えてしまった。
『やはりそうですか。いやぁ、良かった良かった』
電話の相手は満足そうな声で言った。
『あぁ、申し遅れました。私は”きさらぎ”と申します。私は大学院で民俗学を専攻していてですね、とても気になることがあって祈祷を受けた方を探していたんですよ』
探していた? 何を?
『探していたのはアナタですよ。一月頃に蛇ノ目神社で祈祷を受けたアナタ。いやぁ、私はつくづく運が良い。それに比べてアナタは相当不幸な目に遭ったと思われる』
「ッッッ!?」
『図星のようですね。何があったのか当ててみましょうか? アナタと親交のある”さや”さんの身にナニかが起きた。違いますか?』
何故それを知っている?
今のところ全国ニュースにはなっていないし、SNSや地方ニュースでも名前までは出ていない。
『おやおや、何故私がそれを知っているのか聞きたくなったのではありませんか? 実は今回お電話したのはアナタと直接お会いして話がしたかったからなんですよ。ただ、アナタにも自分の生活があると思いますし、周りの目だってある。それに知らない相手といきなり会うのは怖いでしょう? だからその前段階として一報入れさせて貰ったんですよ。アナタの都合に会わせます。時間も場所も。ファミリーレストランでも公園でも駅でもどこでも構いません。あぁ、そうだ。そんな提案しないとは思いますが個室は駄目ですよ。扉で区切っちゃうと監禁に該当する恐れがあるんでね』
直接会って話がしたい?
私の電話番号を知っていて、蛇ノ目神社で祈祷を受けたことを知っていて、サヤのことも知っている人間が私に直接会いたい?
電話で話すのでは駄目なのか?
怪しいという次元を超えている。
おかしい。
『あらら、警戒されちゃいましたか。まぁ、そんなのは想定内ですけどね。じゃあこうしましょう。今から私が言った番号に公衆電話から電話を掛けてください。携帯電話も家の電話も駄目ですよ。公衆電話から掛けてください。携帯電話でも家の電話でもなく公衆電話から掛けてくださるのであれば何曜日の何時でも構いません。それならどうですか?』
公衆電話、か。
小学生の頃と比べたらずいぶん減ったが、確か駅の近くと交番の横の公園にもあったような。
どちらもそんなに遠くないし、『きさらぎ』という人物が何故サヤのことや私のことを知っているのかだけでも聞いた方が良いかもしれない。
そう思った私は「ぁぃ」と答えた。
『分かりました。ありがとうございます。あぁそうだ。公衆電話はお金が掛かることはご存知ですか? 先払いでも良いのですが、アナタが電話をしてくれる保証が無いままお金だけ渡すのはさすがにどうかと思いますし、アナタが電話を掛けて来た時には必ずお返しする。それでよろしいですか?』
お金が掛かることぐらい知っているが、どんな話をするのか分からないし、何秒でいくらかかるのかまでは正直把握していない。
必ず返すと言っているのならとりあえずそれで良いだろう。
『じゃあ番号を言いますよ。メモの準備は良いですか?』
私は携帯電話の僅かな明かりで部屋の電気のスイッチを探し、部屋の電気を点けてからは急いでメモとボールペンを手に取った。
『じゃあ言いますよ』
相手が言ったのは携帯の番号のようだった。
相手が二回言ったので、私も二回書き取った。どちらも同じ番号だった。間違いはないだろう。
『あぁ、アナタのことは信用しているので大丈夫だとは思いますが、その番号でイタズラしないでくださいよ』
イタズラとは何なのだろうか。
『世の中には電話番号さえあれば色々出来てしまうのですよ。それでは、また。何時でも良いので電話を掛けてくれることを願います。それでは』
ガチャ。
ツー、ツー、ツー。
電話が切れた。
私は通話記録を確認したが、相手の番号は非通知となっており、何処の誰かはさっぱり分からなかった。
放課後か週末に電話を掛けてみよう。
急に強い眠気に襲われた私は、部屋の電気を消さずにベッドに倒れ込んだ。
〜とある呪詛師の独言〜
鳴間市のどこかにあるアパートの一室。
ピッという音と共に通話を終了させた。
「最近の子供はここまで馬鹿なのか。寒気がする。電話番号を知っている相手がどうして顔も名前も住所も知らないと思えるのだろうか。私には分からない。まぁ、分かりたくもないけれど」
私は『ナ五鳴』と書かれたタグのついた携帯電話を、開いたまま置かれているアタッシュケースに投げ入れた。アタッシュケースの中には機種や色の違う携帯電話が大量に入れられている。それらの携帯電話は管理しやすいようにストラップ型のタグを付けている。
「馬鹿ほど扱いやすいモノは無いが、馬鹿ほど管理の難しいモノも無い。だが、あの少女には呪いの素質がある。あの呪いの少女は何としても手元に置いておきたい」
その時、アタッシュケースから着信音が聞こえた。私は全ての携帯電話の着信音を設定してあるので、音だけでどの携帯電話かも分かるし、電話をしてきた相手も分かる。
私は鳴っている携帯電話を手に取った。
「はい、きさらぎです。準備が出来たという連絡ですかね?」
電話の相手は連連と訊いてもいない言い訳を話し始めた。
「あのですね。出来る出来ないはどうでも良いんですよ。私が『やれ』と言ったのですから『やりなさい』。アナタに選択肢があると思っているのですか?」
電話の相手は泣きながら詫びの言葉と共に譲歩を求め始めた。
「なるほど。分かりました。それでは」
電話の相手は続きを聞く前に感謝の言葉を何度も口にした。
「さようなら」
私は電話の相手の断末魔を聞かずに電話を切った。
もしかしたら明日の朝刊もしくは夕刊に電話の相手が載るかもしれない。だが、そんなことはどうでも良い。
電話の相手は日本中に蔓延る有象無象の塵に過ぎない。私の願いを叶えるために必要だから利用していたのであって、そこに何の感情もあるわけではない。不要になったら捨てる。それだけのことである。
「さて、先程から私の部屋を盗み見ているそこのアナタ」
私はアナタを見た。
「おっと、私はアナタの敵ではありません。むしろ味方です。私が誰もいない部屋でこうして一人寂しく喋っているのは、頭のおかしい人間だからでもなければ独り言が多い人間だからでもありません。アナタのためです。私が一方的に貰ってばかりで申し訳ないなと思っているので、お礼のつもりで私の心中を話しているのです」
「え? 何を貰っているのかですって? そうですねぇ。『アナタの目』でしょうか?」
「おや、意味が分からない? そうですか。まぁそれでも構いません。アナタが認識していなくても支障はありませんので」
私はノートパソコンに表示されている時間を見た。
「あらら、もうこんな時間ですか。今日のところは一度お引き取りください。駒も場も完全には揃っていないものでして、私はまだ色々とやることがあるのですよ」
私は立ち上がるとノートパソコンを無理やりアタッシュケースに詰め込んだ。
「次に出会うのは私の準備が揃った時です。またその時にお会いしましょう。楽しみにしてますよ」
私は玄関に向かい靴を履き、覚悟を決めるようにノブをしっかりと握って玄関の扉を開いた。
野呂美幸は呪いの少女 野々倉乃々華 @Nonokura-Nonoka
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