第3話 開示



 三話



 ピピピ、ピピピ。


 朝を告げる無機質な音が部屋の中に鳴り響いた。

 美幸は手探りで携帯電話を見つけるとアラームを止めた。

 眠い目を擦りながら携帯電話の画面を見ると、時刻は朝の六時。

 カーテンの隙間から見える空はまだ暗かったが、やがて訪れる日の出に向けて明るみが徐々に現れ始めていた。


「夢?」


 身体を起こし、息を吸いながら伸びをした美幸は、昨夜の悍ましい光景を思い出し口に手を当てた。

 真冬だというのに寝汗で全身がビッショリと濡れており、額には玉のような汗、からっぽの胃にも関わらず込み上げてくる吐き気、意識し始めた途端に気になりだす頭痛、ボーッと換気扇が回っているような音のする耳鳴り。


 体調は絶不調としか言いようがなかった。


 ヨロヨロとベッドから這い出た美幸は姿見の前に立った。そこには汗で髪が頬に貼り付いた顔色の悪い自分が映っていた。


「んんん」


 喉の痛みや鼻水は無く、手で触った限りでは熱も無さそうだったので、美幸はとりあえず朝食を食べるために部屋を出た。




 美幸が姿を現すと、母は炊飯器の蓋を開けて茶碗にご飯をよそい始めた。


「おはよう」


「うん、おはよう」


「なんか顔色悪くない? まさか風邪とか引いてないわよね」


 母はご飯をよそうのを止めて、娘の元に歩み寄ると額に手を当てた。


 その瞬間、美幸の腹の奥底から熱を持ったエネルギーのようなナニかが胸元まで上り、さらに上へ上へと移動し、顔から額へと移り、母の手に吸いこまれるような感覚に襲われた。


「熱は無さそうだけど、スゴい汗。大丈夫?」


「うぅん」 


「合格した気の緩みで疲れが出たんでしょ。今日は一日休んでなさい。早く治さないと受験に響くから」


「うん」




 朝食を摂った後、念の為ビタミン剤を飲み、再び自室で寝ていると自室の扉がノックされた。


「それじゃあ仕事行ってくるから。お昼は冷凍庫に入ってるのを適当に温めて食べてね」


「うん」


 しばらくすると、玄関の扉の開閉音が聞こえ、ガチャリと施錠する音もした。


 父は美幸が起きるのよりも早く家を出ていたため、母が仕事に出かけた今は家に一人だ。

 一人になるとどうしても昨夜の記憶が蘇る。


 あれは夢だったのだろうか。

 最後背の高い女がいたような。

 あの女、何処かで見たことあるような。


 美幸はベッドの中で真剣に考えてはみたものの、違和感が拭えないまま徒に時が過ぎていった。


 考えても思い付かないなら時間の無駄だと思った美幸は考えることをやめ、ゆっくりと瞼を閉じた。




 温かい。

 全身が温かい何かに包まれている。


 目を開くと目の前には雲一つ無い青空が広がっていた。

 美幸は産まれたままの姿で、波の無い大海原に顔だけ水面から出して、仰向けになって大の字に浮かんでいた。

 しばらくの間、温かさと浮遊感に身を任せていると、何処かから自分の名を呼ぶ声がする。

 顔だけ動かして辺りを見回したが、動くものは何一つ見当たらない。


 気のせいか。


 美幸は再び瞼を閉じ、幼き頃の母の腕の中のような温もりに包まれながら、お腹が少し膨らむぐらいの大きな深呼吸をした。


 美幸の意識は幸福の中で薄らいでいった。




 何か音が聞こえる。何の音だろう。


 この音は、そうだ。


 電話の着信音だ。


 美幸は寝ぼけ眼のまま手探りで携帯電話を探した。枕元に置いておいた携帯電話はいつの間にか床に落ちていたようで、ノソノソと身体を起こして携帯電話を拾う頃には着信は切れていた。


「今何時?」


 やけに部屋が暗いことに気が付いた美幸は拾い上げた携帯電話の画面を見ると、そこには夕方の六時と表示されていた。


「え!?」


 朝食を食べてからすぐにベッドに入ったことを考えると、半日以上寝ていたことになる。

 着信音に気を取られていたためにここで初めて気が付いたのだが、朝起きた時にあった頭痛や耳鳴りといった体調不良が全て治っていた。


「半日寝てたから治ったのかな」


 美幸は時間を確認したついでに着信履歴を確認した。そこには一時間程前から十分置きに父から電話が掛かっていたことを示す記録が残されていた。


「え、何だろう」


 父からの電話も気になったが、喉の渇きが気になったので先に何か飲むことにした。


 自室を出ると廊下は真っ暗だった。

 夕方の六時なら母が帰ってきてもおかしくはなかったのだが、廊下だけでなくリビングも真っ暗で人の気配は無かった。

 廊下の明かりのスイッチは反対方向にあるため、美幸は携帯電話の明かりを頼りに台所へと歩を進めた。


 台所に着き、冷蔵庫を開けるとブゥゥンと音が鳴り、真っ白な光が瞳孔の開いた美幸の目に襲いかかった。

 思わず目を細めながら麦茶の入った容器を取り出すと、コップに麦茶を注いで飲み干した。一杯だけでは足りず、さらにもう一杯飲み干した。

 一息ついた美幸は部屋の電気を付けてからソファに座ると折り返しの電話をかけた。


「もしもし?」


『おぉ美幸、もしかして寝てたか?』


 通話の相手は父だった。父の声は何処となくソワソワと落ち着きが無かった。


「何度も電話鳴ってたけど何かあったの?」


『あぁ、実は母さんが怪我して今病院にいるんだ』


「け、怪我ッッッ!?」


 寝ぼけていた美幸の頭は父の言葉により一瞬で覚めた。

 父の声がいつもと違う理由はそういうことだったのかとすぐに理解した。


『父さんもまだちゃんと話し合ったわけじゃないんだが、どうやら階段から落ちて頭をぶつけたみたいで』


「え、え!? 大丈夫なの?」


『詳しい話はこれから聞くことになってる。詳しい話は後でって言われたということは緊急性は低いと思うから大丈夫だ。父さんがついてるしな』


 その言葉は自分を鼓舞するためのものだったのだろうか、声は僅かに震えていた。


『とにかく帰りは遅くなると思う。先にご飯食べて風呂に入ってるんだぞ。あ、そうだ。コレを最初に聞くべきだった。体調は大丈夫なのか?』


 母から父に連絡があったのだろうか。

 何故自分の体調不良について知っているのかと一瞬疑問に浮かんだが、今この状況でその点について言及する意味は無いなと思い、父を安心させるためにも少しばかり声を明るくしながら言った。


「うん、朝からずっと寝てたら治ったと思う」


『そうか。それなら良かった。まぁ寝過ぎたせいで眠れないかもしれないけど、今日は早めに寝るんだぞ。それじゃあ一度切るぞ。後のことはLINKで伝えるから』


「うん、分かった」


 通話終了の音が鳴った。


 無音の部屋で美幸は大きく溜め息をついた。


「とりあえずご飯食べよ」


 母が怪我をしたと電話で聞いた時は多少取り乱したものの、どういうわけか電話を切った途端に美幸の頭の中は実に冷静になっていた。

 自分は何て親不孝な子供なのだ、などと思うことはなく、美幸は冷凍庫を開けて上の方にあった冷凍パスタを手に取った。




 月日は流れ。


 三月十五日。

 公立高校合格発表の日。




 温かい。

 全身が温かい何かに包まれている。


「またこの夢か」


 美幸が溜め息をつきながら目を開くと、目の前には所々に黒い雲が浮かぶ青空が広がっていた。

 美幸は産まれたままの姿で、波の無い大海原に顔だけ水面から出して、仰向けになって大の字に浮かんでいた。

 しばらくの間、温かさと浮遊感に身を任せていると、何処かから自分の名を呼ぶ女のような声がする。


「だから、誰なの?」


 声の主を探すために身体を起こすと、肩より下の部分はあっという間に水に浸かり、立ち泳ぎを止めればたちまち沈んでしまうだろう。


 辺りを見回しても、上を見ても声の主と思われるモノはいない。


「まさか、ね」


 半ば冗談交じりに下を見ると、自分の遥か下方から赤く光るナニかが近付いてきた。


 ヤバい。


 赤く光るナニかの正体は分からないが、アレに近付いてはいけないと本能が理解した。

 美幸は少しでも距離を取ろうと慌てて泳ぎ始めた。


 美幸の意識は必死に水を掻いている内に混濁し、気が付くと自室のベッドの上にいた。


「なんなの。ここ最近」


 最初の三回目ぐらいまでは「同じような夢を見るなぁ」ぐらいにしか思っていなかったが、ここ最近は毎日のように同じ夢を見ていた。

 数日前に同じ夢ばかり見る原因をネットで検索してみたものの、特にコレと言って解決に至るような事は書かれておらず、美幸のストレスは貯まる一方だった。


 美幸が携帯電話で時刻を確認すると目覚ましアラームが鳴る五分前だった。

 今から二度寝するには時間が足りず、かといって布団から出るような気も起きず、美幸は布団の中に包まってアラームが鳴り出すのを待った。




 午前九時。

 公立高校合格発表解禁時刻。


 美幸は高野台高校を受験した学生向けのサイトを開いた。昨夜見た時と同じで「合格者検索」というボタンは押せないようになっていたが、サイトの表示更新を実施した結果、合格者検索が開けるようになった。


「!?」


 美幸は合格者検索のページを開き、深呼吸をしてから自らの受験番号を入力した。

 入力完了後に検索ボタンを押すと表示されるらしい。らしいというのは、当然見たことが無いからだ。

 美幸が恐る恐る検索ボタンを押してみると、アクセス者が多いせいなのかやけに長いロードを挟んだ後に『受験番号 068 。あなたは 合格 です。おめでとうございます』と表示された。


「や、やった」


 美幸は合格通知の画面を開きながらリビングへと向かった。




 リビングにはニット帽を被った母がソワソワしながら美幸の報告を待ちかねていた。


 母が部屋の中でニット帽を被っているのは一ヶ月程前、美幸が伏見に告白をされ、深夜に奇妙な経験をした翌日のこと。仕事先で階段から落ちた時の傷痕を隠すためだった。


 母は後頭部を五針縫う裂傷を負った。

 母の話では「階段を上っていた際に突然誰かに引っ張られたせいでひっくり返るように落ちた」ということだったが、周りに誰もおらず、念の為ということで近くにあった防犯カメラの映像を確認したが不審な人物は映っていなかった。

 母は到底納得出来ないと主張していたが「仕事の疲れや娘の受験に関する気苦労によりちょっとした立ち眩みが起きて階段から落ちたのだろう」と結論付けられた。

 何度かの通院を経て、抜糸も済み、化膿や傷口が開くようなこともなく順調に快復していた。

 だが、傷口周辺はどうしても毛髪が薄くなっており、母はそれを見られるのが例え家族であっても嫌だったようで、家の中でも頑なにニット帽を被り続けている。


 娘と目が合った母はアレコレ言おうと口を開いたが、声に発することはなく、少し間を開けてから言った。


「どうだったの?」


「合格だった」


「おめでとう」


 その時、リビングに流行りの音楽が流れ始めた。それは美幸の携帯電話の着信音だった。


「あ、サヤからだ」


 美幸は電話に出ていいか母の顔色を窺うと、母は「出たら良いでしょ」と手をヒラヒラとさせた。

 美幸は応答ボタンを押すと母から数歩離れた。


「もしもし」


『美幸、今大丈夫?』


「うん、大丈夫。えっと」


 どっちの電話なのだろうか。

 合格したという報告なのか、不合格だったという報告なのか。

 自分から連絡してきたということは前者だと信じたかったが、それを口に出す勇気はなかった。


『美幸、もう結果は見た?』


 サヤの言葉に美幸は息を呑んだ。そして、ゆっくりと呟いた。


「うん」


『そっか。私ね』


 勿体振っているのかなかなか本題を言わないサヤに、例え親友であっても多少の苛立ちを感じ始めていた美幸の耳に入った言葉は『受かってたよ。高野台』だった。


「そ、そうなんだ。や、やったねサヤ!」


 数秒遅れての返事。サヤの言葉を脳が理解するのに数秒のラグが生じたからだった。


『美幸はどうだった?』


「私も受かってたよ」


 一瞬の沈黙。


 普通なら気にならない、対面ではなく通話をしている時にありがちな相手の話が途切れているのかを確認するための間。

 だが、美幸にはその一瞬の沈黙に何か別の意図を感じさせるナニカがあった。


『ホントに!? おめでとう!』


「う、うん。ありがと。サヤが受かっててホントに良かった」


『じゃあ美幸は星ノ浜と高野台のどっちに行くの?』


「それは」


 言葉に詰まる。

 そこから先の話はまだ両親とちゃんと話し合っていないからだ。


「それを、今からお母さんと相談するんだ」


『そっか。そうだよね。じゃあ言いたいことは言ったからコレで一旦通話切るね。卒業旅行の事も考えないとね。レイ達にも色々聞いておかなくちゃ』


「うん。そうだね」


『じゃあまたね。ばいばーい』


「うん、ばいばい」


 テロン、と通話が終了する音が鳴る。

 美幸は携帯電話を耳元から離すと母の元へと歩み寄った。


「電話の相手は誰? サヤちゃん?」


「うん。サヤも受かったんだって。高野台」


「そう、それは良かったわね」


「うん」


「で、美幸はどっちに行くの? 星ノ浜と高野台」


「それは」


 親友のサヤと同じ高校に行けて、家計への負担が少ない高校に行く。この二つの目的を達するための答えは一つしか無かった。


「私、高野台に行きたい」




 三月二十六日。

 卒業旅行一日目。


 


 温かい。

 全身が温かい何かに包まれている。


「ウッ」


 美幸が強烈な異臭に思わず目を開くと、目の前には真っ赤な空が広がっていた。

 美幸は産まれたままの姿で、波の無い赤黒く濁った大海原に顔だけ水面から出して、仰向けになって大の字に浮かんでいた。


 いつもの夢と何か違う。


 美幸が身体を起こし立ち泳ぎの姿勢になると、周囲の赤黒い海水が掻き混ぜられたせいなのか悪臭が一段と強まった。


「臭ッ」


 海水からは生ゴミのような臭いが発せられており、海水が口に入ることを想像しただけで吐き気を催した。


 とにかく陸地に上がりたいと思い周囲を見回したが、島も船も何一つ水から出るための手段は無かった。


『ミユキ』


 またあの声がする。私の名を呼ぶ、女のような何者かの声。

 自分の遥か下から響く声。


 美幸は陸地を探してアテもなく泳ぎ始めた。


「ッッッ!?」


 突然のことだった。

 足首を掴まれた美幸は水中へと引きずり込まれたのだ。


「ッッッ」


 数メートルも沈められた頃には肺の中の空気を吐き出してしまい、美幸の身体が下へ下へと沈む一方、大量の気泡が水面へと向かって上っていった。


『お前は呪われている。呪いを誰かに移さない限りお前は呪いに蝕まれる一方だ。呪いがお前の許容値を超えた時、お前の意識は崩壊する』


「!?」


 身体が海底へと引きずり込まれている最中、聞こえてきた声が自分の声に非常にそっくりなことに美幸は驚いた。


『呪いの移し方は分かるだろう? お前は一度他人に呪いを移したのだから』


『呪いの許容値も分かるだろう? この夢を見続けていることが全てを物語っているのだから』


 何者かの声が一方的にそう告げたが、呼吸が出来なくなっている美幸の意識は切れる寸前だった。


 足首を掴まれたまま、美幸の身体は生温かく赤黒く濁った暗い海の底に沈んでいった。




「ちょっと美幸、大丈夫?」


「え?」


 美幸が目を覚ますと、正面にいたサヤと目が合った。サヤは胸をなでおろすように息を吐いてから言った。


「今新幹線に乗ってるのは分かる? 卒業旅行に行く途中なんだけど。美幸ったら席に着くなり気絶するように寝ちゃってビックリしたんだよ。そっとしておこうかって話になったんだけど、五分ぐらい前から呻いていたから心配で心配で」


 サヤの言葉をゆっくりと噛み締め、美幸は現状の理解のために脳をフル回転させた。


「海の夢、新幹線、呪い、卒業旅行」


「夢? 呪い? 何のこと?」


 サヤは心配そうに美幸の顔を覗き込みながら訊いた。


 サヤの言葉に返事をせず、辺りを見回すと、自分はどうやら新幹線の窓際の席に座っており、正面にはサヤ、隣と斜め向かいには同じクラスの友人達が座っていた。向かい合っているということは座席を回転させたのだろう。


「楽しみすぎて寝れなかったんでしょ。このメンバーでランド行くの久しぶりだもんね」


 隣に座るレイがスティック状のチョコ菓子を食べながら言った。


「え、うん」


 レイの言葉に返事をした美幸のこめかみにズキンズキンと鋭い痛みが走り、トンネルの中を走っているせいなのか自分の体調不良のせいなのか分からない耳鳴りに襲われた。


「東京着いたら起こしてあげるから寝てたら?」


 サヤが微笑みながら言った。


「う、うん。ごめん。もうちょっと寝させて」


「えぇえ!? もっとお喋りしようよぉ」


 隣に座るレイが美幸の身体に寄りかかるように倒れ込んだ。


「ちょっと、レイ!」


 サヤが手を伸ばしてレイの身体を止めようとしたが、レイは美幸の身体に密着しながら言った。


「あぁあ、温かくて、柔らかくて、スッゴク良い匂いがする」


 レイは頬を美幸の胸元に擦り付けながら満足そうに目を細めた。


「ちょっと、重いって」


 レイの身体を押し返そうと傾けた身体の奥底から熱いエネルギーのようなモノが湧き上がり、レイの身体に吸い込まれるように消えていった。


 この感覚、前にもあったような。


 美幸の脳内にテレビの砂嵐のような映像が流れた。


 何かとても大切な事を忘れているような感覚。


 だが、その何かを思い出すことはないまま、美幸は隣に座るレイの体重を受け入れ、頭痛と耳鳴りが治まるのを感じながら再び眠りについた。




『まもなく、終点、東京です』


 身体を揺さぶられたことと「終点」という言葉が聞こえたことで美幸の意識は徐々に覚醒し始めた。


「起きた? そろそろ着くよ」


「う、うん。ありがとう」


 正面に座るサヤは軽く身支度をしており、隣に座るレイは美幸が目覚めた今現在も寄り掛かって眠っているようだった。


「ちょっと、レイ。起きて。着くって」


「んんん」


 レイは垂らしかけていた涎を手の甲で拭いながら身体を起こし、大きく一回伸びをした。


「着いたの?」


「東京駅に、ね。ここから電車に乗り換えだから」


「ふぅん」


 レイは数本残ったチョコ菓子をバリバリと食べると空き箱と袋を握り潰してゴミ用のビニール袋に突っ込んだ。


「美幸、大丈夫そう?」


 サヤは顔を覗き込みながら言った。


「え?」


 言われてみると、頭痛も耳鳴りも治まっており健康体そのものだった。


「うん、大丈夫。ありがとう、サヤ」


「フフ、良かった」


 東京駅についた一行は「急げば乗り換え間に合うから」と、一泊分の荷物の入った鞄を持ってバタバタとホームを走り、乗りたかった電車に滑り込むと笑い合った。




 三月二十七日。

 卒業旅行二日目。




 泊まったホテルにて皆で朝食を食べている際に、レイが突然意識を失って電源の切れたロボットのように床へ倒れ込んだ。

 騒然とした食堂で、サヤや周りの人が助けを呼んだり声をかけたりしている中、美幸の脳内には忘れかけていた夢の映像が鮮明に映し出されていた。



『お前は呪われている。呪いを誰かに移さない限りお前は呪いに蝕まれる一方だ。呪いがお前の許容値を超えた時、お前の意識は崩壊する』


『呪いの移し方は分かるだろう? お前は一度他人に呪いを移したのだから』


『呪いの許容値も分かるだろう? この夢を見続けていることが全てを物語っているのだから』



 何故忘れていたのだろうか。

 本当に忘れていたのだろうか。

 気の所為だと自分に言い聞かせていたからではないのか。


 一度目は分からなかったとしても、二度目は防げたのではないか?



 美幸は夢の中の言葉を反芻した。



『お前は呪われている』というのは、そのままの意味だろう。

 だが、呪われたキッカケが分からない。

 祈祷の帰りに見た長身の女が関係しているのか、忘れもしない深夜の無数の手が関係しているのか。

 それらを判断する材料は手元に無い。


『呪いを誰かに移さない限りお前は呪いに蝕まれる』というのは、言い換えれば”誰かに呪いを移せば自分の呪いは祓われる”ということなのだろうか。

 それ以上のことを判断する材料は手元に無い。


『お前の意識は崩壊する』というのは、今の時点では良く分からない。頭痛や耳鳴りがもっと酷くなるというニュアンスではないことだけは、直感ではあるものの確信出来る。


『お前は一度他人に呪いを移した』というのは、熱を測ろうとした母が額に触れた時に、腹の奥底から熱いエネルギーのようなモノが湧き上がり、それが母の手に吸い込まれるように消えていったことではないのか?

 レイが寄りかかってきた時にも似たような感覚があった。


 それらを踏まえると、”私の呪いは私が誰かに触れることで移る”のではないか?


 一度だけでなく二度も起きたのであれば、呪いを移す条件に関してはおおよそ当たっているのではないか?


『呪いの許容値』というのは、頭痛や耳鳴りが発症する直前に見る夢は何処か不穏なナニかがあることと関係があるのだろうか。

 それ以上のことを判断する材料は手元に無い。



 何故急にここまでの気付きを得たのかは分からない。


 まるで自分の思考が誰かと混ざり合っているかのようで、頭の中に仮説が思い付く度に美幸は心臓がギュウウと痛んだ。


 ”私は本当に今も私なのだろうか?”


『お前の意識は崩壊する』というのは、”私”という意識が消えるということではないか?


 呪いなどという非科学的なオカルト話を何の抵抗もなく受け入れられるのは、私の中に違うナニかが混ざっているからではないのか?


「あ、あぁあッッッ!?」


 美幸は血が滲むほどに爪を食い込ませながら、頭や顔の側面をバリバリと掻き毟った。


 駆け付けた救急隊員は、友人の急変により一時的なパニックになったのだと判断し、美幸も一緒に病院へと搬送した。




 当然のことながら、卒業旅行は中止となった。




 退院後、美幸は誰にも相談すること無く高野台高校の入学式を迎えていた。

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