祭りの隙間のかき氷

 僅かな夏休み、帰省はおろか旅行の予定もない。それどころか外出だってしたくない。連日のうだるような暑さには、部屋から出たくもなくなる。

 とはいえ、買いだめしていた食糧にも飽きて日が沈むのを待ちきれず塗った日焼け止め。せめてもの抵抗で日傘をさして、商店街に向かった。

 接客業の理不尽さに嫌気がさしてカレンダー通りの仕事に転職したものの、することがないお盆休みというものにいまだに戸惑う。誘えば誰かしらと遊べるのだろうけど、アラサーの身にはそんな体力もない。シミだのシワだの以上に、熱中症が怖くなる。

 仕事帰りによく通る商店街には、あちこちに飾り付けがされていた。貼られているポスターには、夏祭りの文字がでかでかと。

「へえ、花火大会もあるんだ……」

 転職ついでに引っ越してきたから、知らなかった。駅の反対側からバスで向かうと、河川敷で花火大会をしているらしい。それに合わせて、商店街でもお祭りが。そういえば、奥の方に小さな神社があると不動産屋で聞いてたっけ。

 賑わう商店街の雰囲気に充てられていたら、なんだかお腹も空いてきた。夏バテで食欲もなくて、今日はゼリーを食べただけ。すっかりお昼も過ぎたけど、香りにつられてふらふら町中華へ。

「ビールが飲めたら最高だろうなぁ」

 商店街の人だろうか、揃いの法被にジョッキ。美味しそうに喉へ流し込んでいる光景だけで食欲が掻き立てられる。

 キンキンに冷えたビールを横目に、あつあつのレバニラとほかほかご飯を一口。お酒が苦手な私には、あの涼し気な光景が羨ましくて仕方がない。

 でも、汗を垂らしながら湯気の立つご飯を頬張る。これはこれで最高に美味しい。翌日の臭いを気にしない連休も悪くないものだ。

「うーん、さっぱりしたい……」

 体の表面はひんやりしたのに、今度は内側からじわじわ熱い。氷の溶けたお冷やでは物足りない。はふ、とついた息は満腹で幸せなのに。

 お釣りをしまって扉から一歩出た途端、むわっとした熱風に包まれた。


 一瞬、ひんやり心地よい風に吹かれた気がして立ち止まる。

 普段は通り過ぎる横道は、アパートへ帰る二本ほど手前。そのまままっすぐ商店街で買い物をするつもりだったのに、爽快感に惹かれて足が勝手に曲がってしまう。

 少し進んだ先に、上品でこぢんまりとした居酒屋さんのような小料理屋さんのような建物が現れた。生成りの暖簾がひらひら、書かれている茶釜というのは店名だろうか。まだ明るい時間なのに開いているということは、定食屋かもしれない。

 素敵な雰囲気だけどもうお腹は満たされているし、と思いながらくもりガラスの引き戸に貼られたメニューらしき紙を見る。

 【本日かき氷のみ お祭りの間に一息どうぞ】

 日傘があれど、蒸し焼きにされたような暑さの中で、かき氷の文字は心が躍る。よく見ると、暖簾の隅っこに波の模様と氷の文字が書かれた馴染みの小旗も揺らめいていた。

 古民家カフェとか、和カフェなのかも。勇気と期待を胸に引き戸に手をかける。優しく流れてくる冷えた空気。

「いらっしゃいませ。空いてるお席……奥の方にどうぞ」

 店内は、想像とはまったく違う造りになっていた。


 カウンター席のみのカフェもあるにはあるだろうけれど、多分ここは違う。第一印象通りの店かも。案内されてやっぱりやめます、なんて言えずに席につく。

 L字のカウンターの一番奥から一つ手前。そこ以外はお客さんがそれぞれ座っていて、各々自分のペースでかき氷を堪能していた。若い女性もいれば、私くらいの年齢の男性もいるし、お祭りの法被を着たおじさんまで。

 かき氷のみ、というメニューも王道のものがほとんどない。

「はちみつ梅、エスプレッソ、コーンクリーム、ブルーベリー、オレンジカルダモン、ミルクティー……リモーネグラニータ?」

「正確にはかき氷じゃないんですけど、さっぱりして美味しいですよ」

 カウンター越しにお茶を運んで来たのは、案内してくれたシェフ姿の同年代くらいの女性。どうやらオーナーシェフというか、ここの店主兼料理人みたい。

 普通サイズ一つか、ミニサイズ二つのどちらか。ミニサイズを一つだけというのも出来るとか。周りを見ると、一つはそこまで大きくなさそう。

 カウンターの中にはレトロなかき氷機がドンと鎮座している。上品な和風の造りの店内に馴染んでいて、ずっとかき氷を作っている店にも見えてきた。

 注文に迷っているうちに、シェフは少し離れた席の人に呼ばれてしまった。お会計をしているやりとりを聞くに、どうやら知り合い。

「かき氷機、茶釜さんに任せて良かったよ。うちじゃ持て余しちまうからさ」

「いえいえ。お酒のかき氷もいいと思いますよ。サングリアをかけたりとか、凍らせたシャンパンや白ワインを削ったりとか。梅酒や杏酒をかけて果肉を乗せるのもウケそうじゃないですか」

「そりゃ美味そうだけど、食べすぎて腹壊すか酔っちまうよ。じゃあ、祭りの片付けが終わったら倅を寄越しますんで」

 けらけら明るく笑うおじさんは、椅子にかけていた法被をぴしっと羽織って蝉の声の中へ出ていった。

 お酒のかき氷は食べられそうもないけど、想像の中では美味しそう。メニューの中で目移りばかり、一つに絞れない。ミニを二つにしても、組み合わせが重要そう。

 またふわりと引き戸が開いて、新しいお客さんが入ってくる。隣の人も落ち着いたのか、お茶を一気に飲んでカウンターの中の様子を窺っている。

 さっぱりしたフルーツ系か、甘さ控えめの飲み物系か。見たことないものも捨てがたい。

「ええい、ままよ」

 ピンときたものを勢いで口にするために、カウンターに向かって軽く手を上げた。


 爽やかな梅の香りに、ほどよい甘さのはちみつ。濃厚なお茶がとろける練乳と混じり合って溶けていく。

 スライスしたように削られた氷は、頬張っても頭にキンとこない。さくさくほろほろ、口の中で消えてしまう。お茶碗にふんわり、二つ並んでいたはずのかき氷は、すっかり半分ずつ減っている。

 はちみつ梅とミルクティー、ミニサイズのセットで頼んで交互に食べる。すっきりした梅の香るはちみつのシロップと、華やかなお茶の香りにこっくりしたミルクのソース。バランスが良くて我ながらいいセレクトかも。

 反対側の奥の席に運ばれていった大きなかき氷、飾りの薄い輪切りオレンジが眩しかった。多分、オレンジカルダモン。スパイス系なのは分かるけど、どんな味か想像しきれなくて断念。

 溶ける前にと食べ進めていたら、突然隣の席の塊がもふんと動いた。ぬいぐるみかと思ったら生きてるし、犬かと思ったらなんだか違う。丸くなって寝ていたのは、ぐったりしたたぬきだった。

 カウンターの中からひょいと伸びた腕。ころころした塊の乗った小皿をことんと置いた。

「夏バテたぬ、これでもお食べ」

 ぐう、と返事のような鳴き声を出したもふもふは、椅子の上できゅっと伸びをする。ぽてぽて座り直して、はふんとため息。出された小皿を気怠げに見つめて、もう一つため息をついた。

 思っているよりさっぱりしたシルエットではあるけど、真夏にこの毛皮では暑いだろう。とはいえ、なんでこんなお店にたぬきがいるのやら。

 おじさんみたいにうーんと低く唸って、たぬきは小皿の上の塊をひょいと掴んで口に放り込んだ。器用なことが出来るもんだなぁ、と釘付けになってしまう。

 その塊は、サイコロみたいな形をした白っぽいもの。よくある製氷機で何かを固めたように見える。

 それをしゃくしゃく噛み砕く姿に、店中の視線が集まっていた。誰一人、衛生面がどうこう言わない。むしろ食べている姿を見たくて仕方なくなってしまう。

 鮮やかな紫をした大きいかき氷を仕上げたシェフは、すいすい配膳しながらその様子を見ている。運ばれていくお盆の上には、かなり小さな器。それに盛られたものは、たぬきの食べた塊によく似た色をしていた。

「お待たせしました、ブルーベリーとひとくちサイズのリモーネグラニータです」

 手書きのメニューをよく見直すと、あった。ひとくちサイズ。リモーネグラニータだけ。

 隣のたぬきに視線を戻すと、とろんとした瞳がきらきら、盛られていた小皿の中身はあとわずか。はわぁ、と息を漏らしてうっとり舌をぺろり。

 ひとくちと銘打ってあっても、三倍はありそう。お腹に余裕は充分、価格はとってもリーズナブル。思わずごくりと喉が鳴る。

 悩むより早く、私の手はシェフを呼び止めていた。


 すうっとすっぱくて、爽やかに冷たく、ほんのりした甘さがサッと後から。レモンの香りがまだ口の中に広がっている。リモーネグラニータが、蒸し暑さを少しマシにしているかも。

 お祭りの日だけ限定だなんてもったいない。でも、来年もこれが食べられるかも、という期待がある。そうしたら次はどんなものを食べようか。ちらっと見えたコーンクリーム、こっくりした黄色のソースが美味しそうだった。

 とはいえ、濃厚ミルクソースに甘すぎない紅茶シロップ、一口で気に入ってしまった。とろっとしたはちみつ梅もリピートしたい。

「普段は……和カフェとか、ですか?」

「いいえ、定食屋なんです。夜だけ開けてますので、よろしければ是非お越しください」

 お会計の時、勇気を出してシェフに声をかけて良かった。かき氷がなくても、店自体に興味が湧いている。日傘をくるくる、なんだか上機嫌だ。店を出て三歩もたたずに浮いてきた汗も今は無視。

 夜はどんなものが出てくるんだろう。かき氷だけじゃ想像もつかないけど、美味しさは保証されている。癖になる可愛さのたぬきも、また見られるだろうか。夜はどうなんだろう。

「もうちょっと、寄り道しよっかな」

 賑やかな商店街に戻ってお祭りを堪能したいし、初めて行く神社にお礼を言いたい。花火大会までは体力保たないだろうけど。いつも気になっていたけど通り過ぎてたお店たちが、今日はやけに眩しい。

 遠いながらもベランダからちらりと花火が見えることに驚いたのは、くたくたになってシャワーを浴びた後だった。




「ありゃあすっぱくて冷てえから、どんどん食えまうな」

「食べすぎるとお腹壊すよ」

「もろこしの炊き込みもいいもんだ」

 いつもと違うペースの開店は、思っていたより好評でなにより。おにぎりにした炊き込みご飯をむしゃむしゃ、たぬちゃんは扇風機をひとり占めしている。

 クーラーだけでは足りないと、お風呂上がりは必ず扇風機もセット。そよそよ吹かれて上機嫌の彼は、どうやら夏バテ気味らしい。甘めのアイスクリームより、爽やかなかき氷の方が好み。

 何を間違えたか箱単位で仕入れてしまったレモンを使ってみたら、とっても気に入ってもりもり食べてくれた。製氷機で固めたリモーネグラニータをつまんでいたのが、完売にも繋がったのは嬉しい誤算だった。

 試作のバター醤油コーンの炊き込みご飯も、この反応ならお店に出せそう。たぬきの食べっぷりでメニューが決まるのもどうかと思うけれど。

 窓の外からは地響きするほど大きな音。びっくりしてひっくり返るかと思いきや、彼はそこまで動揺もしていない。

「前もって分かってるぶん、雷よかマシだろ」

「それもそうね」

「家の中なら安全だしな」

 ここに住みつくまでは野生だったから、家の中だと安心するらしい。最近買った接触冷感のもちもちクッションに埋もれてのんべんだらり。

 商店街の酒屋さんが改装の時に発掘したレトロなかき氷機は、雰囲気に合いそうだからとなんとなく借りてしまった。夏の間のオブジェにでも、なんて。現役で使えるのが発覚してからは、興味が湧いて、つい。

 商店街のお祭り期間中はお店を閉めてわずかな夏休みにするつもりだったのに、すっかりその気になって、気が付いたら期間限定のかき氷屋になっていた。

「もう来年はやらないかも……腕がダルいし朝型はつらいし」

「たまにゃお天道様が出てる時間に店を開けてもいいじゃねえか」

「普段来れない人も来てくれたのは嬉しかったけどね」

「かき氷くれぇは、まあいいかなぁ、なんてな」

 謎のたぬきパワーとやらで酒飲みほど辿り着けない【茶釜】なのに、かき氷屋の場合は例外らしい。どちらにしても、新規のお客様が増えるのは嬉しいけれど。

 気まぐれとはいえちょっと珍しい行動をした彼は、おにぎりに添えたきゅうりの浅漬けをぽりぽり。私の知らないうちに、商店街の会長さんから御神酒を振る舞ってもらったとかでご機嫌なのだ。

「祀ってもらえてありがてぇやねぇ」

「んもう、わけわかんないこと言って。この酔っぱらい」

「へへ、花火もあがっていい気分だ」

 たぬちゃんはでろんとクッションに仰向けになると、ヘソ天のままふがふが寝息を立て始める。ぽっこりお腹と空っぽのお皿。あまりにも気持ちよさそうで、思わず笑いが飛び出てしまう。

 夜空の端っこにちらっと咲く花火は、そろそろ佳境らしい。地平近くがぱあっと明るくなる。

「今日は良しとしましょ」

 初めての昼営業でくたびれているのはお互い様。早いところ片付けて、寝てしまうのもアリかもしれない。

 それにしても、会長さんなんていつの間に来ていたんだろう。顔はお互い知っているから、気付かないはずはないのに。

「俺ァ、あすこの神社に住んでたんだ」

 たぬちゃんが、いつかだったかそんなことを言っていたのをふと思い出す。商店街の奥の、小さな神社。そこまで古くないけれど、それなりに年月が経っていた。

 会長さんが言うには、商店街の人たちが持ち回りで管理しているとか。商売繁盛の神様がいるとかなんとか。

「ふぁ……眠っ」

 とりあえず、今はそんなことより睡眠が最優先。眠気で思考も働かない。

 ぽよぽよお腹にタオルケットをそっと掛けて、テーブルに並んだ空のお皿を重ねた。

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