お届けついでの毒見役

 どうせ暇なんだから手伝いなさい。やることなんてないんでしょ。

 それはそうなんだけど、そう言われるとやりたくなくなるわけで。

 こんなことになるなら免許取るんじゃなかった。長期休みの間に気の合う仲間とドライブ、なんて考えてたけど誘う相手がまずいない。

 だいたいのやつは帰省してるし、そうじゃなくても彼女だなんだでこっちは二の次だ。

 それに、実家住まいの大学生に車を買う金はない。レンタカーもカーシェアも、いざ乗るとなると取りたての免許となると腰が引ける。親の車なら最悪ちょっと事故っても、とは思うけど、なんせ見た目がよろしくない。

 屋号と電話番号が車体にガッツリ書いてある。

「馬鹿言え、お前なんかに運転させられるか。そもそも保険の名義の手続きしてないから駄目だろ」

「そこのカブで行きなさいよ」

 押し付けられたのは姉貴のお古。結構ぼろぼろなのにまだ走りはするらしい。

 店主のじいちゃんはレジで電話中だし、母さんは夜まで町内会。親父はミニバンに荷物を積み込んで配達の準備中。言い出しっぺの姉貴は、久々の休みだからとスマホをいじりながらごろごろしている。

 だったら姉貴が行けよと言いたくなったけど、配達先を見たらちょっとやる気が出てきた。


 お届け先は、商店街をちょっと入ったところ。住宅街の少し手前。今日の親父の配達コースとは正反対だから、一件だけだと面倒らしい。

 だから俺がカブでひとっ走り。何度か行ってる場所なので、迷わずすぐに辿り着ける。

 はずだったのに。

「すいませーん、酒屋でーす」

 裏口の手前で引越会社のトラックが作業中。しばらく待ったけどもちろん動かない。日が落ちてきたのもあって、仕方なく正面に回ってみた。強くなってきた風で体が冷えたからか、なんかトイレも行きたいし。

 お届け先は、おしゃれな和風の建物。茶釜という店名だ。

 優しいお姉さんと美味そうな匂いのおかげで、配達を頼まれると俄然やる気が出る。多分高級な飲み屋だろうから、俺には無縁の店だけど。

 家は代々酒屋で家族全員酒豪なのに、俺だけアルコールアレルギーがある。注射の前に拭くのはセーフ。でも、料理に入ってるのはアウト。知らずに食べたお菓子で悶絶して以来、憧れもないし飲む気になれない。

 そのうち、姉貴の代行させられるんじゃないか。財布の中の免許証を見るとちょっと笑えないのだ。

 そんな妄想はさておき。声をかけたのは店の入口、くもりガラスの引き戸。のれんがかかってないから、まだ開店前だろう。

 ノックしてみようと更に近付いたら、中から陽気な音楽とはしゃぐ声が聞こえてきた。

「ビールだビール、冷やして飲むぞっ」

「ビールっ、ビール!」

 カブの荷台には、ケースに入った瓶ビール。なるほど、これのことか。木の枠を何度かノックしても全然気が付かれないあたり、すごく楽しみにしている様子。

 思い切って、引き戸に手をかけた。

「すいません、酒屋でーす。ビールお届けに参りました」

 引き戸の向こうには、ノリノリで踊りまくる店長のお姉さんと、ぴょんぴょんジャンプしているたぬきがいた。

 声の感じでは二人いたはずなのに、なぜか一人と一匹しかいない。

 うきゅーっ、とたぬきは叫ぶように鳴いて、ぽてんとその場に倒れ込んだ。


 たぬき寝入りを生で初めて見た。びっくりしすぎてリアクションも取れないし、結構気まずいものがある。

 突然入ってきた人間、つまり俺に驚いて、たぬきは死んだふりをした。店長さんは恥ずかしかったらしく、顔が真っ赤。大慌てで音楽を止めて、たぬきを抱っこをしたままお金のやり取りをする。

 うう、それにしても限界。

「すみません、トイレ、借りたいんですけど」

「どうぞどうぞ。一番奥の更に奥です」

 細長いカウンターの奥に、細長い廊下とレトロな木の扉。右側の扉は厨房に繋がってるみたい。店内同様きれいに掃除のされているトイレで用を足したら、妙にスッキリした。

 間に合った、という開放感もあるんだけど。

 戻る途中に通りがかる厨房の前。ふわふわ香ってくるにんにくとトマトの匂い。和風の店構えとはイメージが違うけど、胃が刺激されてくる。

 食べてはみたいが、金がない。そもそも暇な大学生が食えるもんでもなさそうだし。

 とりあえず、トイレのお礼を行って帰るとするか。夕飯まで我慢出来るか、途中で寄り道して小腹を満たすか。考えていたら、店長さんが椅子に寝かせたたぬきを撫で回して遊んでいた。

「あー、旨そうな匂いですね」

「ありがとうございます、スペアリブを煮込んでるんですよ」

「へっ……?」

 トイレありがとうございました、を言ったつもりが、わけの分からないことを言っていたらしい。本音がつい口から漏れていた。

 でろんと寝ているたぬきのしっぽが、ぱたぱた揺れる。気だるそうにむくっと起き上がって、おっさんみたいな深いため息が一つ。

 今度こそお礼を、と言葉を出そうとした瞬間、派手に俺の腹が鳴った。


 今日は定休日だと聞いたのは、パンに手を付けた時だった。

 たまの休みなのに煮込み料理をする理由は、俺の届けたビールを万全の態勢で楽しむためだそうで。

「昨日、おまけで買ったスペアリブをビールに合わせようと思ったんです。キャベツとトマトがたっぷりあるからカッスーラにでもするか、と」

「かっ、す?」

「イタリアのもつ煮みたいな……ああ、今度もつ煮を出そうかな」

 うんうん、と頷きながら店長はカウンターの中でごそごそ。焼いたフランスパンに何かをごしごし擦り付けている。

 こっちは口の中いっぱいに、柔らかく煮込まれた豚肉の旨味が広がって、もうなにがなんだか。旨い、以外の言葉が出てこない。トマトで煮込まれてるからあっさりかと思っていたら、しっかり濃いめ。

 キャベツに絡むトマトソースにも、とろけた野菜が混じっている。パンチがあるのは時々出てくるソーセージのせいなのかも。

 やっぱりプロってすげえな、と味見にしては多すぎる量を夢中で頬張った。

「久しぶりに作ったから味見してくれる人がいると助かるんですけど……自分じゃ分からないしなぁ」

「うゅぅん……」

「ここにはたぬちゃんしか……腹ぺこの人がいたらいいんですが」

 そんな事を言われたから、逃げ帰ろうとした足が止まった。

 はふ、とたぬきからはわざとらしいため息が。店長も下手なのかわざとなのか、にやにやしながら俺を見ては待ちの姿勢を取っていた。

 言い出さないと帰れない気がして、仕方なく。その間にも食欲はどんどん湧き出てくるし、匂いで我慢出来なくなるし。

「俺で良ければ味見します!」

 だからこうして、出されたものを食べることにしたのだ。

 白々しく味見と言って持って来られたのは、ごろんとでっかい肉の塊。真っ赤なトマトで煮込まれて、ほかほか湯気ににんにくの香りが熱い。添えてあるフランスパンは、カリッとトースターで焼かれていた。

 食べたことない料理なのに、なぜかちょっと懐かしい味。かぶりつくとほろほろ骨から剥がれる肉に、次の一口が止まらなくなる。

 口の周りも手も指も、脂とトマトでべちょべちょだけど気にしてなんていられない。熱くて鼻水が出るのも、構う手間が惜しいくらいだ。

「その食べっぷりで飲めそう」

「んっ、すんません、行儀良く食べれなくて」

「いえいえ、すごくいいです。食べてもらって良かった」

 とろんとした目で満足そうに店長は笑う。隣でじっとこちらを見ているたぬきも、にんまりしてしっぽをゆらゆらさせていた。

 皿に残ったソースをパンで掬って、紙ナプキンとおしぼりで口を拭いたらフィニッシュ。カリカリのパンの皮と、ソースが染みた身に、バターの香りと甘みがたまらない。

 冷えたお水を一気に飲んで、口の中までさっぱり。グラスを置いた瞬間、満腹以上に満たされた気持ちでいっぱいになった。

「ごちそうさ」

「ちょうど出来たんですけど、こちらもよければ」

「いただきますっ」

 出されたのは、フランスパンの上にトマトソースの乗ったトースト。後で聞いたら、パンコントマテという料理らしい。

 うっかり駐禁ギリギリ、自動車学校で学んだことを早速忘れかけていて、ひやひやしながらなんとか無事に帰れたのはその少し後の事だった。



 がつがつ美味しそうに食べる人を見ていると、こちらの食欲も刺激される。我慢した分、冷えたビールがより美味しく感じた。

「うめえっ!」

「はー、我ながら上手く出来たわ」

 スペアリブをかじかじ、パンコントマテをばりばり。この後、念入りにお風呂でソースを流して、しっかり歯を磨いておかないと。多分明日はお互いにんにく臭いはず。

 ワインの方が合うのかもしれないけど、ビールとだって相性抜群。ぐびぐび止まらなくて、もう二本瓶が空いている。

「味としてはともかく、ご飯に合わないのよ。骨があるから」

「箸と茶碗持って骨付き肉ってのは厳しいなぁ」

「手もベタつくから更にね」

「へへ、それならこりゃ俺たちの取り分だ」

 ビールとお肉を発注して、メニューを考えて、調理をしたのは全部私だ。取り分なんて言われても。たぬちゃんは寝て待つ係なのに。

 でも、酒屋の息子さんが来たのには驚いた。いつもは裏口からだけど、トラックが止まっていて通れなかったとか。

 それよりなにより、タイミングが悪かった。

「喋ってるのがバレたら大問題になってたな」

「はしゃいで踊ってたのも恥ずかしかったけどさ……気をつけなきゃ」

 二人して待ちきれず、サルサを爆音で流しながらビールの舞を踊っていたのだ。風情も何もあったものではない。

 店の内装は和風だし、作ってるのはイタリアン、ビールのルーツはドイツで、音楽は南米。そして踊りというより、リズムに乗ってくねくねしたりぴょんぴょんしたり。

 大の大人がたぬきと二人で何をしているのやら。

「それにしても、一応鍵はかけてたんだけど……」

「ああ、そりゃあ……酒屋の坊主なのに、酒が飲めねえからだろ」

「結局、お酒の飲めない人しか入れないってことね」

「その分俺たちが飲めるって寸法よ」

 ひひひ、とやらしい笑い方をして、たぬちゃんはまたグラスを空にした。

 キャベツの塩こんぶ和えをしゃくしゃく、にんまり嬉しそうだからなんだか憎めない。

 謎のたぬちゃんパワーで、私のお店はお酒が飲めない人しか来られない仕様になってしまった。本当は少人数で静かに飲めるバルにでもしたかったんだけど、みんなそれぞれほっこり楽しんでくれる食堂もいいものだ。

 それにしても、酒屋の息子さん、すごいにんにく臭くて帰ったら怒られてはいないだろうか。あのくらいの子なら夕飯前に寄り道してもお腹の具合は大丈夫だろうけど。

「金曜日の夜、思いっきりにんにく臭いものを出す日とかやったらウケるかな?」

「俺ァ嬉しいが、そりゃ白飯が進むモンか?」

「……餃子とか?」

「おっ?」

 小さなお耳がぴこぴこ揺れる。彼は前のめりになって、私の顔を覗き込みながらふんっと鼻を鳴らした。

 これはもしや、大繁盛確定コース?

 たぬちゃんの力だけでお客さんが来るわけじゃないけど、たぬちゃんが気に入ると閉店までびっしり満席が続く。時間より先に完売御礼、だってあるくらいで。

「餃子ならビールとザーサイ、味玉もつけてくれよ」

「うち、ラーメン屋じゃないんだけど……でも、ご飯も進みそうだわ」

「シメは中華そばで頼むぜ」

 ご機嫌のたぬちゃんは、しれっと最後のスペアリブにかぶりついた。鍋の一番底にあった、とっておきのしみしみ柔らかスペアリブに。

 知ってか知らずか、もっちりしたほっぺでむしゃむしゃ。今はその口元がやたらと腹立たしい。

「あっ、このたぬ! 私が作ったんだぞぉ」

「俺ァこの店の守り神だぞ。こいつぁお供えモンだ」

「偉そうなこと言っちゃって」

 人間とたぬきの醜い争いは、獣臭の混じったお口のニオイで一時休戦。

 取っ組み合う前にノックダウンされて悶えていたら、それにショックを受けたたぬちゃんは悲しみでひっくり返ってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る