エピローグ
俺は、
『に、兄さん、今なんて……?』
「いや、だからさ……」
『だって、兄さんの方から矢嶋先輩に会いたいって言い出すなんて!』
スマホの画面に映る優花は涙ぐんでいた。
『そ、それって、またこっちに戻ってきて一緒に暮らすってこと?』
「悪いけど、俺は卒業までこっちにいるよ。あくまで矢嶋と、俺なりのけじめをつけたいだけなんだ」
『そ、そう……』
見るからにがっかりした様子の優花を前にすると、ちょっと罪悪感が湧いてしまう。
『でも、兄さんが矢嶋さんと会うって決めただけでも、よかったのかも』
「……優花」
『落ち込み続ける兄さんを見てるのは、つらかったから』
俺だけが勝手に落ち込んで、暗い気分になってしまうのなら別にいい。
だが、俺が暗い気分でいることで、優花にまで心配を掛けていたとなると、これまでの自分の振る舞いには猛省が必要みたいだ。
『兄さんは、どうして矢嶋さんと向き合おうって、立ち直ることができたの? やっぱり兄さんの心が強かったから? 兄さんは凄いね』
瞳を輝かせる優花。
優花は、俺のことを実態以上に良く見てしまっているから、何かにつけて憧れの視線を向けてくる。妹にいいところを見せるのは兄としての義務だと思っているので、別に苦だと感じることはないんだけどな。
「俺だけの力じゃない。周りの仲間に助けられたんだ。俺だけだったら、潰れてたよ」
『仲間?』
「ああ、ちょっと困ったところもあるんだけどな」
『それって、女じゃないよね?』
「えっ?」
『女は一人もいないよね?』
「あのさ……」
『落ち込む兄さんを慰めるって名目で、女性の体を教え込まれたから、細かいことにこだわらなくなって、矢嶋さんにも会うことだってたいしたことじゃないんだって思うようになった……とかじゃないよね?』
「違う違う、落ち着け! 妄想でキレるなよ」
スマホの画面に映りきらないレベルで顔を近づけて問い詰めてくる優花を、どうにかなだめようとする。
確かに、安次嶺も豊澤の和泉も女子だけどさ、そんな色っぽい目には遭っていない……はず。
「仲間っていっても、俺がいるのは男子寮だから、そこの連中だ。全然女っ気がない場所だ。そこに野々部ってメガネがいて……まあ俺が付き合いあるのなんてそういうタイプのヤツだよ」
悪いな、野々部。こんな時だけお前を便利に使っちまった。
でもお前の仲間にはならないからな。物騒なことに巻き込まれるのは御免だから。
「優花はやたらと心配するけど、俺にとって優花は特別だからな?」
『そ、そう……うん、兄さんを信じる』
元の天使な優花が戻ってきて、照れくさそうに身を捩る。
『……私ね、兄さんのために生きてるようなものだから。兄さんとまた暮らすようになった時のために、頑張って学校行ったり、料理の勉強したり、だ、旦那様を満足させられる勉強もしてるの!』
「お、おう、頑張ってるな……」
最後の勉強は聞かなかったことにしよう。学習内容を知るのが怖いから。
俺にとって優花は特別だけど、あくまで大事な家族としてだ。
でも優花の解釈は違うみたい。
優花のことも、追々どうにかしないとな。
「じゃあ、これから学校だから。もう切るぞ。優花も遅刻しないようにな」
『うん。兄さんも。矢嶋さんに会ったら、兄さんが会いたがってるって伝えておくね』
「いや、俺の方から連絡するよ。でも鉢合わせた時には言っておいてくれ」
『に、兄さん……たくましくなって……』
「お前は親かよ」
『私が、兄さんを産んだ存在に……?』
「よし、じゃあ今日も頑張れよな!」
これ以上優花が妙なことを口走ってしまう前に、俺は通話を打ち切った。
朝の支度を終えて、縁寮を出る。
転校以降、何度も通っている道のりが、今日は違って見える。
矢嶋に向き合うのは、まだこれからの話。
俺の方で会う覚悟ができただけで、許してくれると決まったわけじゃない。
楽観的に考えすぎていただけで、実際に顔を合わせてみたら、激怒されてしまう可能性だってある。
それでも俺は、逃げも隠れもせずに矢嶋と真剣に向き合うことこそ、本当の意味で矢嶋への贖罪になると悟ったのだ。
本当、こんな当たり前のことにたどり着くまでにどれだけ掛かってるんだよ。
不器用な俺なりに、粘り強く頑張ってみるつもりだ。
俺は決して、ボクシングの才能やセンスに恵まれていたわけじゃなかったけれど、熱心に地道に取り組むことで結果を出すことができた。
歯を食いしばって積み上げた先の、成功体験を知っている。
だから、きっと、今度の大試合だって、上手くやれるはずだ。
転校先でぼっちな俺。昔結婚の約束をした清楚系お嬢様にグイグイ迫られる 佐波彗 @sanamisui
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