第45話 危険度200%

◇裕一郎視点


 僕の人生で一番後悔した瞬間を挙げろと言われたら、それは間違いなく今だ。


 そう痛感するくらい、裕一郎の足はかつてないほどすくんでいた。

 窓から差し込んでいた夕日が月明かりに変わってしまった頃。

 不良たちは、廃工場内のど真ん中を陣取って焚き火を行い、酒盛りを始めていた。

 当然というべきか、千歳を放置したままにしてくれることはなく……。


「おい、お嬢様、一緒に飲もうぜ」


 リーダー格の男が、酒が入った缶を掲げる。

 不良たちのそばには、すでにたくさんの空き缶が散らばっていた。


「誰がお前らなんかの誘いに乗るものか! だいたい、未成年の飲酒は法律違反だ!」

「お前には聞いてねーんだよ」


 空き缶を頭に投げつけられ、バランスを崩した裕一郎は地面に転がってしまう。


「グヒヒ、楽しみだぜぇ、酔いが回って気分よくなってきたら、お嬢様の相手をしてやるからなぁ」


 リーダーらしき男の傍らにいる、太った男が言った。

 やはり無事には返してくれないらしい。リーダーの周りにいる男たちは、先程から何度も千歳を舐め回すような視線を向けてくる。

 逃げようにも逃げられない状況だ。

 千歳は両脚と両腕をロープで縛られているし、その隣にいる裕一郎だって同じ。体をロープでぐるぐる巻きにされている。

 どうにかして千歳だけでも逃してやりたい気持ちが強いものの、体の自由を奪われた状態ではどうにもできない。

 助けが期待できない状況なだけに、蜘蛛の巣に絡め取られた獲物も同然だ。

 この最悪な状況を前にして、千歳だって気が気ではないはずなのだが。


「ねえ、ゆーくん! すっごく本格的だね! あれくらい悪そうな方が、まーくんだって助け甲斐があるよ!」


 千歳は未だに、彼らが裕一郎が手配した悪役だと思っているらしい。


「…………」


 裕一郎は絶句してしまう。

 不良たちの、何をしでかすかわからない雰囲気を感じ取れば、これが決して芝居ではないことがわかるはずなのに、千歳は気づく様子がない。

 それどころか、先程から不良たちが何かをするたびに、いかに彼らが自分の望んだ悪党のイメージにぴったり合っているか賞賛する。

 まるで、檻の中に入った肉食獣を眺めるかのような調子だ。


「あんな人たち、どこで見つけてきたの? すごいよね。同じ人間なのに、言葉が通じそうにないくらい乱暴そうだもん」

「ち、千歳……! 今は余計なこと言わないで!」

「どうして? まだまーくんは来てないんだから、これがお芝居ってわかっちゃうようなこと言っても大丈夫でしょ? それにしては、さっきからゆーくんを殴ったり叩いたり、やりすぎかなとは思うけど」

「そうなんだよ。それは、僕が雇った悪役じゃないからなんだよ。偽物だからじゃなくて、本物だからなんだ」

「そんなこと言って。わかった、うん、そうだね、私の態度にも問題あったかも。お芝居って意識したままでいると、せっかくまーくんが助けに来てくれても、ウソくさく思われちゃうかもだもんね。ゆーくんはそこまで考えてたんだ。やっぱりゆーくんに頼んでよかった」

「……はあ、ありがと」

「だったら私も、もっと怖がった方がいいかな? その方がまーくんが来た時も助け甲斐があるよね?」

「……ああ、好きにするといいよ……」


 残念ながら、真斗が助けに来ることはないし、来てくれたところで、あの人数相手では返り討ちに遭うだけだ。

 千歳のペースに乗せられてはいけない。

 僕なりのやり方で、この危機を乗り越える方法を考えなければ。

 せめて、どうにかして千歳だけは逃がすことができないかと、悪党の動向を警戒しながら考えを巡らせる裕一郎。


「うーん、どういう顔をしてると、まーくんが大事な私に惚れ直して助けたい気持ちが湧いてくるのかな?」


 千歳も千歳なりに考えを巡らせているのだが、裕一郎の深刻さとはベクトルが違った。

 まあ仕方がない。千歳は未だにこれを、お芝居だと思っているのだから。

 でも、千歳の場合、本当の不良が僕達を監禁してるって知ってもあまり慌てなさそうなのが怖いところなんだよな……。

 千歳の反応はどうあれ、今はお芝居の最中と信じさせておいた方がスマートだ。裕一郎は、とりあえず千歳を気にしないことにした。今、考えるべきなのは千歳の身の安全だ。


「こんな感じ?」


 それまで余裕の表情を見せていた千歳が、一気に不安そうになり、弱々しい表情を見せ始めた。


「怖い……怖いよぉ……私たち、どうなっちゃうの……?」


 震える声を出す千歳。

 声は震えているものの、顔は特に怖がってはいないので違和感が満載。


「おっ、見ろよあのお嬢様。震えてやがる」


 酔っ払いの不良が、千歳を指して笑った。

 早速引っかかっている人がいる……。

 張り詰めた緊張感が一気に霧散してしまいそうになるのだが、相手が嗜虐心が強いタイプの場合、弱いところをアピールすればかえって危険度が増してしまう。


「いいよなぁ、こういう清楚なお嬢様が嫌がってるところを無理矢理やって屈服させるシチュエーション、好きだぜ」


 悪党が好色の笑みを浮かべながら酒を煽る。

 ほら、千歳が余計なことするから!


「おい、もう待てねえよ。触るくらいのことはしていいだろ?」


 不良の一人が立ち上がる。

 その他の不良たちに異論はないようだったが、リーダー格の男だけはつまらなさそうに酒をあおる。


「堪え性のないヤツだ。触るだけで満足しとけよ」

「ちっ、わかってるよ」


 リーダー格の男の言うことに、渋々同意したようだ。

 いったいこれから何を始めようというのか。

 裕一郎は、両手を縛られている状況で頭を抱えそうになった。

 このピンチを招いたのは、他ならぬ千歳なのだから。


「ねえ、今のは結構まーくんをきゅんきゅんさせられそうだったと思わない? もうちょっと弱った感じの方が、まーくんの庇護欲そそっちゃうかな?」


 相変わらずのんきな千歳。

 自分で判断したこととはいえ、耐えられなくなった裕一郎は。


「千歳! もうふざけてる場合じゃないんだ! 僕らは本物の不良に監禁されたんだよ! これからどうなるかわからないんだから、今は何もしないで!」


 悔しかった。

 元はと言えば、自分の判断ミスで千歳を巻き込んだのに、まるで千歳が悪いかのような言い方をしてしまったのが。


「ゆ、ゆーくん、いつのまにそんなに演技が上手になったの? なんか、本当に命のピンチってくらい迫真の演技だったよ?」


 無邪気に感心する千歳は、両腕を封じられていることに気づいて、ぱちぱちと口で言って拍手の代わりにした。

 千歳に褒められた。

 それだけで、追い詰められた状況だろうとほんのり胸の内が暖かくなってしまうのが、このとんでもお嬢様に惚れてしまった者の悲しみである。

 でも、どうせ褒められるのなら、こんな絶体絶命のピンチじゃない時にしてほしかった。


「おい、なに楽しくおしゃべりしてんだ? そんなヤツよりおれに構ってもらわねえと困るんだがなあ」


 ノシノシと無遠慮に寄ってきた不良の一人が、千歳の肩を無理矢理掴んで起こそうとする。

 触れられる雰囲気から、流石の千歳も異変を感じた表情をした、その時だ。

 廃工場の出入り口にある、錆びついた扉が、重く響く音がした。


「――安次嶺! 無事か!?」


 開いた扉の向こうに立っていたのは、ここに来るはずのない塚本真斗だった。

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