第46話 インファイト その1
推測が外れることを期待して縁寮を飛び出した俺だが、廃工場にたどり着く前に悪い想像が当たってしまったことを確信した。
道中の路地で、強面の男数人が地面に倒れていたのだ。
怪我の具合から見て放っておくわけにもいかず、救急車を呼ぶついでに事情を聞いた。
彼らの話によると、とある人物から雇われて一芝居打つために現場に向かっている最中、たちの悪そうな不良の集団に絡まれて、あっという間にやられてしまったそうな。
「お前ら、わりと強そうな見た目なのに、そんなにボコボコにされたのか?」
「……すみません。僕らは強面なだけで、演劇サークルに所属してるだけの普通の大学生なんです……ケンカはちょっと……」
そういう事情らしい。
強面大学生は、自分たちをボコボコにした不良グループが廃工場へ向かったことを教えてくれた。
まもなくやってきた救急車の姿を認めると、俺は再び廃工場へ向かって走り出す。
元々、ここまで来る気なんかなかった。
部屋に戻ったあと、完全に勉強に集中するつもりでいたのだから。
それなのにこうして廃工場へ向かってしまったのは、豊澤の発言が気になったから。
あいつは、初めて出会った時、文字通り挨拶代わりのパンチを俺に防がれたことを根拠に、俺のことを強いヤツだとずっと言い続けている。不意打ちパンチを一回防いだだけだっていうのにな。
実際、ボクシング部に所属していた俺は、全国的にもそれなりに強さが認められている位置にいた。豊澤の見立ては当たっているのだ。
それくらい、強さに対しての嗅覚が鋭い豊澤が、廃工場へ向かった一団を警戒していたわけだ。
そんな連中が向かった先に、もしも本来の予定通り安次嶺たちがいたら?
勉強はいつだってできる。
だが、安次嶺に何か危険が及べば、もう取り返すことができない。
安次嶺には関わりたくないけれど、俺はこれ以上、押しつぶされそうな後悔を抱えたくなかったのだ。
夜に差し掛かり、不気味な様相を呈している朽ちかけた工場までやってくる。
扉に手をかけ、一気に開いた。
「――安次嶺! 無事か!?」
薄暗い廃工場の中では、思った通りたちの悪そうな不良がたむろしていた。
それよりも気になったのは、部屋の奥にいる安次嶺のこと。
図体のデカい不良の一人が、安次嶺の肩に手をかけていた。
乱暴に引っ張り上げられる安次嶺の顔は、苦痛に歪んで見えた。
俺はそのことが、異様に許せない。
なんでだろうな。
きっと、何時如何なるどんな時だって、周りを振り回すくせに平気な顔をしている安次嶺千歳でいてほしかったのかもしれない。
なんだそりゃ。それじゃ、安次嶺を存分に甘やかす、うちの学校に数多存在するあいつの信者となんら変わりないじゃないか。
けれど、そう思うと何の違和感もなくすっと胸の内に入り込んできた。
「安次嶺を離せ!」
「おっと、お前なんか招待した覚えはねえぜ?」
安次嶺のもとへ駆け寄ろうとした俺の前に、輪になっていた不良の一人が立ちはだかった。
マンバンアレンジのコーンロウが目立つ男で、他の連中に比べて引き締まった体つきをしている。それなりに整った顔立ちではあるものの、どうも品がなかった。首には死神みたいなデザインのタトゥーがガッツリ入っている。
俺の感覚的な判断だが、どうもこいつがリーダー格らしい。
他の連中より立ち姿が堂々としていて、両手はポケットに突っ込んでいるのに一切の隙を感じさせなかった。
「だが、これもなにかの縁だ。オレはいつも退屈なんだ。今日も道端で会った腕に覚えがありそうなヤツとケンカしたら、とんだ見掛け倒しでな。欲求不満がたまるばかりさ。タイマンでオレに勝ったら、そのお嬢様を離してやっていいぜ」
みんなでやっちまおうぜ! と不良グループから不満の声が上がったのだが、リーダーは、うるせえ、と静かに一喝するだけでそれを押し込めてしまった。
「どうだよ? やるか? お前はオレを前にしても、怯えやしねえ。おもしれえよ。そこそこ腕に自信がありそうだ。楽しませてくれる予感がする」
「……いいよ、やってやる」
そう言うしかない。
安次嶺の安全が掛かっているのだ。
この場に限っては、誰とも関わりたくないからパス、だなんて言えない。
矢嶋から逃げ回っている俺にだって、それくらいの良心はあるんだよ。
「そうこなくっちゃな。オレはアラマキ。この名前をよく覚えとけよ。お前はこのオレに完膚なきまでに負け、今後一生、アラマキの名前はお前にまとわりつく恐怖の象徴になるんだからな」
「いい性格してんな。あと自分の名字好きすぎだろ。家族大好きなのか? その格好見たらご両親は泣くぞ?」
「気に入った。この状況でもその減らず口を叩けるってことは、肝も据わってそうだ」
アラマキの方へ歩いていく。
すると、それまで焚き火を中心に輪を作っていた不良グループの連中が、俺とアラマキの一騎打ちのリングでもつくるみたいに、輪になって囲んできた。
「安心しな。そいつらに手出しはさせねえ」
「まーくん!」
腕と脚を体をロープで縛られたまま、えびのようにぴょんぴょん跳ねて叫ぶ安次嶺。
「なんだからわからないけど、勝ってね! 私のために! 大丈夫、私への愛を思い出して! 愛の力は何物にも負けない大きな嵐になってどんな相手にだって打ち勝てるんだから!」
「……武市、安次嶺のこと黙らせられない?」
「……善処するよ」
安次嶺はこんな危機的な状況でも通常営業なの? 正直、頭に性の付く暴力まで発展しかねないような雰囲気あったよ? この場で一番怖いの、ひょっとして安次嶺なんじゃね?
まあ、これも含めて自分が計画した芝居と考えている可能性もあるか。
「ククク……女のことを気にする余裕あるのか?」
「いや、そいつはちょっとでも目を離すととんでもないことするから」
安次嶺の様子がどうしても気になりながら、不良がつくった輪の中央に入り、アラマキと向かい合う俺。
これまで俺は、矢嶋に対する後悔から、ボクシングのために鍛え続けた拳を振るうことを封印してきた。
だから、プールで安次嶺がナンパ男に絡まれても、頭を下げて対処したのだ。
けれど今は、そんなことを言っていられない。
戦わなければ、安次嶺に凄惨な事態が訪れてしまう。
俺が拳を……矢嶋からボクシングを奪った拳の封印を解いても……矢嶋は、許してくれるだろうか?
いや、矢嶋は正義感にあふれるヤツだった。この特殊な状況なら、許してくれるはず。
「ようし、死合を始めようや。ルールは簡単、どっちかが立ち上がれなくなるまでボコるだけ。パンチもキックも投げ技も自由。急所攻撃も好きにしろ。オレは使わねえけどな」
「それなら俺も使わないよ」
「ますますお前のこと気に入ったよ。このリングに立った途端に、顔つきが変わったぜ?」
アラマキがファイティングポーズを取る。
構えからして、空手をかじっているのかもしれない。有段者だったら厄介だな。手技はともかく、足技にはどう対処するか。
「おい、ガキ。名前は?」
「塚本」
「下の名前は?」
「名乗るか。お前だって名字しか名乗ってないだろ」
「クク……その減らず口もだんだんクセになってきた。おい、誰か試合開始の合図をしろ!」
アラマキがそう言うと、リングの輪になっていた一人が、その場に落ちていた空き缶を宙に放り投げた。
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