第43話 致命的な誤算

◇裕一郎視点


 そこは、町外れの廃工場。

 経営破綻した企業が所有していた物件で、新たな買い手が現れないまま放置されている、地元では有名な心霊スポットだ。

 夜中になると、肝試し目的の若者がちらほら現れ、一部のオカルトファンからは「本当に出る」と評判のいわくつきの場所だが、今は放課後間もない夕方。誰かがやってくることはない。

 サビ臭いその場所の、一階広間の中央には、かつて使われていたのであろうデスクが積まれている。

 裕一郎の隣で、千歳がデスクに腰掛けている。

 千歳は、昼間でも宵闇に包まれたように暗い不気味な室内であっても、のんきな笑みを絶やさなかった。


「ねえ、ゆーくん。ここにいれば、悪そうな顔した人たちがいっぱい来て、そこにまーくんが来て私を助けてくれるんだよね?」

「ああ、そろそろ来るはずだよ」


 裕一郎が言った。

 千歳の無茶振り同然で始まったこの計画だが、裕一郎はどうにか計画を実行できる状態までこぎ着けることができた。

 だが、裕一郎は着々と準備を進めながらも、中止できるものなら中止したいとずっと思っていた。

 心配する気持ちを利用されて茶番に巻き込まれた側からすれば、わがままなりに愛されてしまう不思議な能力を持っている千歳といえど、冗談では済まされないのだから。

 だが結局、裕一郎は計画を中止することなく、こうして千歳の望む舞台を整えてしまった。

 気が変わったのは、昼休み中に、この計画の主役である真斗に偶然出会ってしまったから。

 昼休みが終わりかける頃、裕一郎の一番の用事は教室へ向かうことだった。真斗を探すことじゃない。

 だが、屋上から出てきた真斗の姿を目にした時、裕一郎に魔が差してしまう。

  

 ――塚本君、探したよ。

  

 思ってもいない言葉で、真斗に声を掛けた。

 裕一郎にとって千歳は大事な幼馴染。いや、それ以上だ。最近になって千歳の頭と心を独占している真斗に対して、複雑な気持ちを抱いていた。

 常識と良識を兼ね備えるように育てられた裕一郎のこと。私情を挟んで人を憎んだり嫉妬してはいけない! という思いは強かったのだが、恋敵同然の相手と対面したことで、自らを律する気持ちを妬みの心が燃やし尽くしてしまった。

 真斗には、計画は中止する、というウソをつき、結局こうして事前に準備していた通り事を運ぼうとしている。

 もうじきこの廃工場には、裕一郎が声を掛けた数名の悪役が登場する。

 千歳は彼らに囲まれ、ちょっとだけ不快な目に遭ってもらう。

 しかし、真斗は最後の最後まで来ることはない。

 当然だ。真斗には、この計画は中止すると伝えている。

 悪党に連れ去られた自分を、真斗が助けに来ないと知ったら、千歳はどう思うだろう?

 真斗に失望するに決まっている。

 自分が望んでいるようなヒーローや運命の人ではなかったことを悟り、これを最後に興味を失うことだろう。

 生徒会室でも、教室でも、両家の家族が揃った食事中だろうと、どこでも真斗の話をするくらい熱を上げていた千歳は、今日を最後に存在しなくなるわけだ。

 そうすれば、以前のようにまた僕が千歳の一番だ。

 裕一郎は自身の嫉妬心を自覚しつつも、でもやっぱり千歳のことが好きなんだからしょうがないじゃないか! と恋心を言い訳にして自らを正当化した。

 今回の件で、千歳は傷ついてしまうかもしれない。

 その後のケアが大事なのだ。

 真斗に失望し、傷ついた千歳を自分が癒やす。

 そうすることで、塚本君に取って代わられたポジションを取り戻し、それどころか以前より千歳との結びつきを強くできるんだ!


「ゆーくん、どうしたの? なんか嬉しそうだけど?」

「ああ、我ながら素晴らしい計画だと思って」

「そう? でも、ゆーくんじゃなくて企画立案は私だからね? ゆーくんが凄いんじゃなくて、私が凄いの。そこは忘れないでね」

「ああ、忘れないよ。千歳には感謝したいくらいだから」

「今日のゆーくんは変だね。前から時々変になるけど、今日は特に変」

「ふふふ、なんとでも言ってくれ! 今の僕は、無敵だ!」


 身を捩る千歳の横で、裕一郎は過去最大級に悦に入っていた。

 恋する心が、一人の優等生を狂わせたのだ。

 スマホで時計を確認する裕一郎。

 それにしても、ちょっと来るのが遅いな。みんなどうしたんだろう? 廃工場の場所はマップにピン留めして送ったから、迷うことはないはずなんだけど。


「あ、ホントだ。来た」


 廃工場の重たい扉が、ガラリと開く。

 ようやく来たか。あとで遅刻した理由を確認して、向こうにミスがあるようだったらギャラから差し引いておかないと。

 やってくるのは、悪党の見た目をした善良な一般人のはず。

 けれど、実際に現れた彼らを目にした時、裕一郎は心臓が止まりそうな違和感を覚えた。


「うわー、ゆーくん凄いよ! 見事に見た目も頭も悪そうな人ばかり! よくこんな絶妙な人見つけてきたね! やっぱりゆーくんに頼んで正解だった!」

「えっ、ああ、うん……」


 千歳は無邪気にはしゃぐその横で、裕一郎の背中を嫌な汗が流れる。

 どういうことだ?

 裕一郎の混乱は収まらない。

 こいつらは違う……僕が頼んだ奴らじゃない!

 裕一郎と一切面識のない悪党の集団は揃ってガラが悪そうで、およそ知性というものを感じさせなかった。

 人というよりは獰猛な獣に近い雰囲気で、獲物を前に涎を垂らして吠え掛かる狂犬を思わせる人間ばかり。その数は全員で二桁に登るだろうか?


「おー、いるいる! やっべ、マジですっげー美人なお嬢様じゃん!」

「んだよ、マジネタだったか。安次嶺っていえば、おれでも知ってる金持ちの名前だから、ウソかと思って一発余計にぶん殴っちまったわ」

「ていうかよ、あいつら大丈夫か? 見た目と違ってクソ弱くてボコボコにしちまったけど、死んでね?」

「その時はその時だろ。気晴らしにボコったらこんないい情報をくれたんだ。死んだら拝んでやろうぜ」


 悪党の集団が、下卑た笑みを浮かべながら迫ってくる。

 裕一郎には目もくれず、千歳のことしか見ていない。

 性格も素行も生育環境もまったく違う自分でも容易に思考を想像できてしまえるくらい、千歳に視線を向ける悪党たちの顔つきは恐ろしいにも程があった。

 頼んだ悪役とは違い、本物の悪党が来てしまった。

 裕一郎は、自分が人生で最大のミスを犯したことを悟る。

 その後の判断は迅速だ。


「千歳! 逃げて!」

「おっと、そうは行かねえ」


 千歳を引っ張って出口へ走ろうとした時、廃工場唯一の扉は閉ざされてしまう。


「ありがとうよ。こんな楽しそうなパーティを開いてくれて。おまけに最高のごちそうまで用意してくれるなんてな。骨まで残らないくらい堪能させてもらうぜ」


 あとからやってきた悪党――誰よりも堂々としていて、おそらくリーダー格であろうその男の手により密室状態になった廃工場内は、立っているだけで押し潰されそうな重苦しい空気が充満する。

 獲物を前に下卑た笑みを浮かべる不良の集団を前に、優等生がたった二人、取り残されてしまうのだった。

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