第40話 賑わいの朝

「まーくん!」


 その日、安次嶺は教室に現れるやいなや、俺を抱きしめる勢いで飛びついてきた。


「な、なんだよ?」


 安次嶺を崇めるクラスメイトの視線が痛い。素直に抱きしめられるわけにはいかないので、安次嶺に捕まらないようにスウェーで回避する。


「あっ、どうして抱きしめられてくれないの?」

「要件は?」

「もう、まーくんってばせっかちなんだから。いつもそう。このあいだだって、私がそんなに急がなくていいんだよって言ってるのにまーくんはー、まーくんはねー、この間レジャープールでデートした時に~」


 ちらちらと鬱陶しい視線を周囲に振りまく安次嶺。どうやらクラスメイトの様子を伺っているらしい。


「あいつ、会長とデートを!?」「会長のあの口ぶり、一体なにを!?」「しかもプールだと!? 転校生め! けしからん!」


 男子のクラスメイトが俺に穿った視線を向けてくる。安次嶺め、まさかクラスでの居心地を悪くするためにやってきたのか?


「安次嶺、俺の平穏を邪魔するつもりなら出て行けよ」

「いつもそうやって冷たいフリするんだから~」


 冷たくされても微笑みを絶やさない安次嶺。無敵か。


「でも私は、まーくんが私のこと大事にしてるって知ってるよ?」


 熱っぽく瞳を潤ませて俺を見上げてくる。

 まあ、この前のプールでは、一応俺は安次嶺を悪質なナンパから助けたということにはなるからな。そんな勘違いをしたって不自然じゃない。


「だから、また私が危ない目に遭っても、助けに来てね!」

「次からは自分でどうにかしてくれ」

「だだだ、ダメだよそれじゃ!?」

「ど、どうしたんだよ!?」


 鬼気迫る表情で俺の腕を掴んでくる安次嶺。


「とにかく、まーくんは私がピンチになったら助けにきてくれないとダメ! わかった!?」


 半泣きで俺の体をグラグラ揺する安次嶺。今日はいつになく精神が不安定だな。


「……そりゃ、いくらお前でも明らかにヤバそうだったら俺だって見捨てないけどさ、俺をお守りに使おうとしないでくれ。使用人じゃないんだから」

「知ってるよ。婚約者……だもんね」

「何も知らねえじゃねーか」


 あと、急に古の少女漫画みたいに周囲にキラキラと花を咲かせるのやめろ。どういうテクノロジーなの、それ?

 すると予鈴が鳴った。


「じゃあ、私はもう行くね。ああ、授業のたびに何度もまーくんと引き離されて、そのたびに私の心まで張り裂けそうになっちゃう……。でも、裂けて繋がってを繰り返す筋繊維は再生するたびに前より強くなるみたいだから、私たちもラブマッスルを鍛えて肩にでっかい愛を乗せようね!」

「いいから早く戻れよ」

「きゃっ、まーくんの方から強引に触れてくるなんて、やっぱり少しずつラブマッスルが鍛えられてるんだね」

「急かしてるだけだ」


 授業が始まる前から精神に疲れを感じた俺は、どうにか恋愛脳を教室から追い出す。


「……あいつ、いったい何しに来たんだ?」


 今回ばかりは本当に意味がわからないぞ。


「塚本くん」


 にゅるん、という擬音がしそうな動きで、和泉が寄ってくる。


「もしかして放課後、会長と遊ぶ約束した?」

「いいや、してない」


 たぶん、そういう意味合いじゃないと思う……自信ないが。


「そっか! じゃあ代わりにわたしとどこか行っちゃお」

「なんだ、またカラオケか?」

「二人きりになれるなら、どこでもいいよ?」


 どうやら和泉は、まだ俺に気遣いを見せてくれるらしい。


「この前のカラオケは別に悪くはなかったけど、今回は遠慮しとく」

「あっ、まーた前の塚本くんに戻っちゃった?」

「違う。今日は勉強に時間を費やしたいんだ」

「そっか。塚本くんは転校生だから、早く授業に追いつかないといけないもんね」

「そういうこと。だから今回は安次嶺ともお前とも出掛ける気はないよ。ああ、でも」

「どうしたの?」

「この前のアレ、ほら、カラオケ帰りの言葉には励まされたっていうか……まあ、とにかくありがとうな」

「…………」

「ど、どうした……?」

「だって! 塚本くんからお礼言われるなんて思ってなかったんだもん!」

「俺だって、それくらいの礼儀は……」

「成長したねえ……おかあさんは嬉しいよ」

「母ちゃん気取りは止せ」

「てことはさぁ」


 ニヤニヤしながら和泉がこちらに顔を寄せる。安次嶺以上に身長差があるのだが、今回は何かを言おうとしていることを察して俺は膝を曲げたよ。


「わたしの方が、会長よりリードしてるってこと?」


 明るく親しみやすいイメージが強い和泉とは違う、なんとも蠱惑的な顔つきをしてくる。

 和泉は、そのキャラクターと、童顔で身長が低いことからマスコット的な可愛らしさがあるのだが、胸の大きさに加えて意味ありげな表情ができるとなると話は変わってくる。


「……いや、それは知らねえけどさ」

「んふふ、そうだったら嬉しいな。わたしはもっともっと塚本くんと仲良くなりたいからね。あ、でも一コ聞き捨てならないことがあった」

「え? なんだよ?」

「塚本くん、会長と一緒にプール行ったんだ?」

「……一緒っていうか、一応、他にもいたけどな。他クラスのヤツと、同じ寮にいるヤツで」


 安次嶺と二人で行った、ということにしてしまうと、色々誤解を生みそうだったので、豊澤と野々部にも登場してもらった。まあ、嘘はいっていないはず。


「む。なにそれ。塚本くん、うちらとはつるまないのに、他のクラスの子ならいいんだ?」

「なにムッとしてるんだよ。俺にも最低限の付き合いはあるから」

「わたしとも最低限のお付き合いしてよ。今度の休日泊まりで出かけない?」

「そのラインを最低限とするなら、俺はお前を軽い女とみなして今後の付き合いを考え直さないといけないが、いいのか?」

「冗談だよ。塚本くんったら堅いんだから。まあわたしもお泊りするために出かけたことなんてないけどね。男の子と二人でお出かけしたこともないよ」

「それくらいのウソ、俺にだって見破れるぞ」

「ほら、うちって小さなきょうだいがいるから。休日はだいたいお世話に追われることが多いんだよね」

「ああ、そういえば……」

「まあいいや。わたしとはカラオケ止まりなんだってとこは気になっちゃうけど、塚本くんに感謝されちゃったから。今はそれで満足することにするね」


 和泉は身を翻し、自分の席へと向かおうとする。


「あ、でも」


 そう呟いて、こちらに戻ってくる。

 俺を見上げる熱っぽい視線。

 位置的に、他のクラスメイトからは和泉の背中しか見えていないだろうから、この表情を目にしているのは俺だけ。


「塚本くんをいっちばん甘やかすことができるのはわたしだから、疲れたらいつでも頼ってね? 同い年じゃなくて、ちっちゃい子にしてあげるみたいに甘やかしてあげる」


 それだけー、と言って、手を振って今度こそ自分の席へと戻っていった。

 俺は、和泉からどう見られてるんだ?

 そんな幼児退行したがるほど甘えたがりに見えるっていうのか?

 和泉朋海はオープンな性格で付き合いやすいヤツと思っていたけれど、最近はそんな第一印象が揺らいでしまっているのだった。

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