第38話 気分転換
「ちょっと休憩~」
額に軽く汗を浮かべた和泉は、手のひらで顔を仰ぎながらソファに深く腰掛け直し、ジュースに口をつける。優雅に脚なんぞ組んでいた。
「塚本くんももっと歌えばいいのに。結構いい声じゃん」
「お前の声にかき消されてた気がするけどな」
「まあわたしの方が声は大きかったかもだけど。でもわたしにはちゃんと聞こえたよ。塚本くんって声質はいいし、歌うとよく伸びるんだよね。腹筋がバキバキに発達してるから?」
「俺の腹筋見たことないだろ」
「うん。イメージでね、つい」
腹筋が発達してるイメージって、どんなだ? 喜んでいいのか?
「さて」
「なんだ?」
おもむろにスマホを取り出して、インカメを向けてくる和泉が不穏だった。
「いえーい、今日は超意外なお友達と一緒にいま~す!」
和泉がスマホに向けて手を振った瞬間、俺は光の速さでインカメの視界から逃れる。
「勝手に撮るな」
「どうして? 仲良しの記録を残しちゃおうよ」
「なんとなく、それを証拠に迫られそうな気がするからだ」
「いくらわたしだって、そんなこと考えてなかったよ~。でもそれ、いい考えだね、採用」
「おい……」
「いくら誘ってもなびいてくれない塚本くんは、これくらい強引な方法でお友達になっちゃった方がいいのかもね。ほーら塚本くん、お友達になるのは怖いことじゃないよ? だから一緒にわたしの仲間になろうよ」
スマホを掲げ、ゾンビのようにじりじり迫ってくる和泉。
「わたしと一緒に、万バズも珍しくないこのアカウントに映って、全世界に仲良しを広めちゃおうぜ!」
陽キャモンスターに染められそうになったその時だ。
利用時間の終了を告げる音が鳴った。
「……ほら、和泉、出ろよ。楽しい時間はおしまいだ」
「まだだ! まだ延長できる! 今日はこのまま最後まで……行ってみせるんだから!」
「最後までってなんだよ。夜中までってことか? そこまで付き合う気はないぞ」
「そのへん相変わらず付き合い悪いんだね。まーしょうがないか。一緒に歌ったってだけでも、今日は塚本くんと仲良くなれちゃった感じするしね」
狂気のお友達パワーが抜けていく和泉は、冷静になってくれたようで、このまま終わりまーす、と店員に連絡をした。
カラオケ店から出ると、あたりはすっかり真っ暗だ。
夕食を買って帰らねえとなぁ、と考えていると、和泉がつんつんつついてくる。今日はよくつついてくるな。
「今日さぁ、どうだった?」
「……まあ、思ったより悪くはなかったかな」
ストレス解消の助けになったのは、本当のことだし。
こうして和泉に連れ出されることがなかったら、俺はこの前の休日に、安次嶺を落ち込ませてしまったことも、豊澤に情けなくもビンタされてしまったことも、今のこの時間まで引っ張り続けていただろうから。
「よかった。じゃあ明日から一緒にお昼食べるところから始めようね」
「それは無理だ」
「仲良くなったのに!?」
「てか、今日はお前としか付き合ってないだろ。他の連中のことは、正直知らんから」
「へえ。それって、わたしとならいいってこと? そこまで気を許してくれるなんて、もしかしてわたしと恋が芽生えちゃった?」
そういえばこいつも安次嶺と同じく恋愛脳なところがあるのだった。安次嶺ほど酷くはないけどさ。
「よくそんな強引な解釈ができるな」
「そう思っちゃうくらい、いつもの塚本くんは塩対応ってことだよ」
なるほどな。今度からはある程度相手にしている風の態度で接すれば、しつこくされることもないってことか。
「でも、よかったよ」
「何がどうよかったんだ?」
「今日はカラオケで二人きりだったからか、塚本くんと密な距離でお話できたし、これで正式にわたしは塚本君のお友達ってことでいいよね?」
「……和泉はよくめげずに俺を誘おうとしてくれるよな。同じ外部生として面倒見ようって気持ちからか?」
和泉は今でこそ友達盛りだくさんな陽キャだけれど、外部生として貴峰学園に入学したばかりの頃は色々と気苦労があったのかもしれない。
その時の気持ちを思い出して、転校生の俺を他人とは思えなかったから面倒を見ようとしてくれている……というのが俺の見立てだったのだが。
「うーん、それもあるかも。外部生の子には、同じ地元出身みたいなシンパシーはあるよね。でもそれだけじゃないんだ」
そっぽを向いて、和泉が言う。
「やっぱ見た目かなぁ」
「見た目……?」
「同じクラスに好みの男の子が来ちゃったから。早いうちに仲良くなっておこうと思って」
え? そんな理由で?
ていうか、好みって?
女子だけじゃなくて男子の友達もいっぱいで審美眼をしっかり持っているはずの和泉がわざわざ俺をそんな高評価するとは思えないのだが……。
「こういうのなんて言うんだろうなぁ」
うーん、と考え込む仕草をする。
「あ、性欲だ」
「もっとマイルドな言い方あるだろ」
「でも、似たようなものかなって。塚本くんのこと考えるときゅんきゅんしちゃうんだよね」
「……今日はずいぶんとぶっちゃけるな。俺はそういう女子会ノリにどう対応していいかわからねえからあんまり変ないじり方するなよ」
「だって、塚本くんはこういう感じの方が好きでしょ? よく思われるための小細工とか駆け引きしてきそうな女の子苦手そうだし」
「いや、まあ……」
とはいえ、これまで親しみやすい陽キャとして接してきていた和泉のキャラでその発言をされると、かえって和泉が狡猾で計算高く思えてしまう。
「今日はすごく楽しかったけど、塚本くんとは今日限りの付き合いで終わらせたくないから。また遊ぼうね」
「だから、俺は――」
「塚本くんは、それでいいの?」
「えっ?」
和泉の声音が急に真剣な色が帯びてきて、俺は思わず聞き返してしまう。
「転校してきたばかりの頃から、何か悩んでんなぁってことはわかったよ。何に悩んでるのかってことまではわからないけどね。だから、やっぱり元気にしてあげたいって気持ちはあったよね。わたしとしては。まあそれも、塚本くんを気にするようになっちゃった理由の一つなんだけどさ」
「痛っ」
和泉に背中を叩かれる。
突然の暴力……というわけではなく、曲がった背筋を伸ばそうとするかのような、そんな応援の意味合いに近かった。
「後ろ向きになってると、昔のことしかずーっと考えなくなっちゃうし、見なくなっちゃうから。答えは後ろにはないんだよ。スッキリして前向いて考えた方が絶対いい結果になるって」
どうして俺が悩んでいることを知っているのだろう、と思ったのだが、相手はコミュニケーション強者の和泉だ。それくらい見抜けないようでは、内部生の懐に入って仲良くなってしまうという芸当はできないのだろう。
「じゃ、そういうわけで! 今日は楽しかったよ! また遊ぼうね!」
手を振りながら、和泉は駅の方向へ向かっていく。
俺は反射的に、控えめながら手を振り返す。
「……前向いて考える、か」
昨日までの俺なら、脊髄反射で突っぱねていた考えかもしれない。
けれど今は、おかげさまでスッキリしてしまっている。
俺の頭や心から不純物が取り除かれた今だからこそ、和泉の意見を素直に受け止めようとしているのだろう。
自分の頭の中で言葉や理屈や言い訳をこねくり回すより、他者から向けられた言葉の方がガツンと響いた。
「でも、どうするのがベストなんだろうな?」
別にあいつは死んだわけじゃないっていうのに、空に向かって呟いてしまう俺。
俺の中にしか存在しない矢嶋というイメージの集合体ではなく、矢嶋樹という存在そのものを、この時になって改めて考え、向き合えるようになった気がするのだった。
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