第33話 助太刀
安次嶺の帰還が遅れている理由はすぐにわかった。
更衣室に至るまでには通路があり、手前が男子の更衣室で、奥が女子の更衣室になっているのだが。
男子更衣室の入り口近くに、三人の男がいた。
そいつらが、安次嶺を囲んでいる。
揉めている様子だが、漏れ聞こえてくる会話の内容からして悪質なナンパに遭遇してしまったらしい。
荒っぽくていかつい男がいる環境に慣れていて、見かけだけで悪党と判断することのない俺だが、その男どもはロクでもない連中だと俺のカンが告げている。
どいつもこいつも、ザ・ヤカラって感じだ。
鍛え方が足りないのか、そもそも鍛えていないのか、がっしりとした体つきのわりに腹が出ていた。
年齢は間違いなく俺より上。顔つきにフレッシュさがないから、大学生ではなさそうだ。社会人の可能性が高いが、会社役員を自称するタイプなら厄介かも。
安次嶺は迷惑そうにしているけれど、怯える様子を一切見せていない。
「もういいですか? 私、人を待たせているんです。さっきから何回も言ってますよね?」
俺の前にいる時の恋愛脳なふにゃふにゃした感じの雰囲気と違って、凛とした生徒会長の時の姿だ。
だが、男たちは聞く耳を持たず、なおもしつこく誘うとしている。
この手の連中は無視するべきだし、安次嶺もそうしようとしたのだろうが、体格で勝る男たちに囲まれては逃げようがない。
周囲の人たちは、女の子が成人男性に囲まれて困っているというのに、トラブルを避けようとするためか視線を合わせることなく通り過ぎていく。
焦れったくなったのか、男の一人が安次嶺の肩に手をかけようとした時。
「――そいつ、俺の連れなんですけど、何か用ですか?」
たまらず俺は、男の集団に割って入って、安次嶺を背にして守れる位置に立った。
男が三人同時に睨みを効かせてくる。
どいつもみんな、不機嫌そうに顔を歪めていた。
識別記号として、クッキー、チョコ、いちごみるく、とそれぞれ呼ぶこととする。
さきほどから誰よりもしつこく言い寄っている姿からして、クッキーがリーダー格らしい。
「まーくん!」
パッと表情を輝かせる安次嶺。
まるでヒーローの到着を待ちわびていたみたいだ。
安次嶺を助けには来た。
けれど、たぶん俺は、安次嶺が想像しているようなヒーローにはなれない。
「なんだ、お前は?」
露骨に不快そうな顔をするクッキー。
正直、怖くもなんともなかった。
試合中に感じた殺気に比べれば、そいつらの威嚇はずっとぬるいのだから。
この手のタイプは、動物と同じで力の差を見せつければすぐ大人しくなる。
素人には目で追えないくらい速い俺の拳で威嚇すればすぐ解決。
けれど、今の俺はその手段を取れない。取ってはいけない。
俺の拳は、大事な後輩の矢嶋を壊した拳。
今はただ生活するためだけに使うものでしかなく、それ以上の意味を持たせてはいけない。
矢嶋への贖罪のためにボクシングを封印したことにならなくなってしまう。
たとえそれが、悪質なナンパをする最低野郎が相手であっても、自らに課したルールは守らないといけない。
「すみません。ここは引き下がってくれませんか?」
俺にできることといえば、頭を下げることだ。
このまま穏便に引き下がってくれれば万々歳なのだが……ちょっと厳しいか。
「まーくん……? どうして?」
俺の後ろで、不服そうな驚きの声が漏れる。
安次嶺の気持ちはどうあれ、安次嶺を無傷で救い出すことさえできれば、それでいい。
だが、俺は楽観的に考えすぎていたようだ。
バカは俺が想像するよりずっとバカだった。
相手が下手に出てきたものだから、自分より弱くて立場が低いと勘違いしたバカ三人衆は、途端に調子づいて下卑た笑いを轟かせる。
まあ、そこまではいい。初めからわかっていたことだ。バカにされることは想定済みだから。
「おいおい、かっこよく登場したと思ったら、ずいぶん弱虫だなァ!」
調子に乗ったクッキーは、持っていたプラコップの中身を俺の頭上からぶっかけやがったのだ。
匂いからして、ビールだ。ああ、こいつら寄った勢いでナンパしてたところもあるのか。そりゃそうだよな。正常な判断力が残っていれば、公共の場でしつこく食い下がればトラブルになって女と遊ぶどころじゃなくなるってわかるもんな。
それにしてもビール臭え。飲んでないのに飲酒で補導されたら溜まったもんじゃない。
「頭の下げ方がなってないんじゃないのかァ?」
頭の下げ方ってなんだよ。そんなバリエーションねえだろ。
俺の頭を無理矢理下げさせようとグイグイ押してくる。
「見逃してほしかったら、みっともなく地べたに額付けて――痛っ!」
「くだらねえことしてんじゃねえよ、クソがよ」
突然クッキーがその場に脚から崩れ落ちたと思ったら、右足をぷらぷらさせている豊澤がいた。
クッキーの脚にカーフキックを炸裂させたのだ。
よほど当たりどころがよかったのか、立ち上がれずにいる。
ていうか、なんで豊澤がここに?
「今、あたしの仲間が警備員を呼びに行った。これ以上面倒に巻き込まれたくねえんなら、そいつを連れて消えな」
かがみ込んだクッキーを前に動揺するチョコといちごみるくに向かって、ドスの利いた声を向ける。
豊澤の目が据わっている。
こいつ、こんな反社もびっくりなヤバい表情できたのか……。
「それとも、ここで全員あたしにぶっ壊されてえのか?」
「くそっ、こんなやべえ女、相手してられっか!」
「ああ! 公共の施設でいきなり蹴りかかってくる女と関わり合いになっちゃいけねえ!」
青い顔をするチョコといちごみるくは、捨て台詞を吐きながら、クッキーを連れて逃げていった。
なにはともあれ、目的は達した。
誰も傷つけずに切り抜けられてよかったよ。
「豊澤、助かった――」
礼を言い終える前に、バチン! という破裂音が響く。
脳が揺れる感覚。
どうやら、俺は豊澤からビンタを食らったらしい。
「塚本も塚本だ! あんなくだらねえ連中に頭下げることあるか! お前の方が強えんだから、あたしが出るまでもなく追い返せただろうが!」
激昂する豊澤。
確かに格好いい姿ではないが、豊澤の言い分を受け入れるわけにはいかない。
「……冷静に考えて、レジャー施設で暴力振えるわけないだろ。この場ではお前の方が特殊でヤバいことをちゃんと理解しろ」
「ぐぬぬ、そうだけどよ! そうなんだけど! あー、なんか気に入らねえ!」
癇癪を起こす豊澤は、苛立ちながら頭を掻きむしる。
「さっきのは全然お前っぽくねえよ! もっとこう、ガンくれてやるとか、脅して戦意喪失させるとか、お前なら色々やりようあっただろ! 強いんだから!」
「そんなことしたら余計騒ぎになるだけだろ。最悪、他の利用客に警備員を呼ばれて俺の方が連行される可能性だってあるんだから。あと、俺は別に強くもなんともない帰宅部だ」
「まだ言うのか、てめ~」
水着姿の豊澤に迫られる。
制服を着崩していて普段から露出は高めだからか、水着姿なのにかえって健全な印象を持ってしまう。
「できるのにしねえお前には、イライラするよ。しばらくはお前用のエサはナシだ。屋上に来るんじゃねえぞ。じゃあな」
長い金髪を翻し、背中を向けて大股で去っていく豊澤。
ちょうど豊澤が向かう先から、野々部がやってくる。野々部も来ていたのか。途端に嫌な予感しかしなくなる。さてはこいつ、豊澤を連れて俺たちが上手くいくかどうか偵察してたんじゃ。
「豊澤、騒ぎは」
「もう終わったよ。てか帰るぞ。偵察なんざあたし向きじゃねえし、飽きちまった」
「いや、まだだ。これから夜になる。塚本君が会長と夜のネオン街にしけこむのを見届けるまでオレは偵察を止めない」
「いつの時代の表現方法使ってんだよ。いっつもジジくせえな。どうせ放っておいてもなんにも起きねえよ。ほら、行くぞ!」
豊澤は、野々部の腕を乱暴に掴み、無理矢理引きずっていく。
それまで足を止めて遠巻きに見ていた利用客も、止まっていた時間が再び動き出したみたい目的地へ向けて歩を進め始める。
「まーくん」
「安次嶺。平気か?」
「うん。おかげさまで。ありがとう」
「いいよ。俺も長い間目を離して悪かったな」
「ううん、それはいいの。でも……」
安次嶺が俺を見つめる。
ついさっきまでのような、俺を見つめる時の瞳に宿る熱っぽさが消えていた。
「まーくんは、昔のまーくんじゃないの?」
「……ガキの頃のままじゃいられないだろ。それとも、あいつらをぶん殴って追い返してほしかったのか? 俺はもう高校生だぞ? 小競り合いのケンカが許される小学生じゃないんだ。そんな暴力で全部解決するようなこと、無理に決まってるだろ」
豊澤に言えなかった分まで、苛立ちをぶつけてしまった気がした。
「……そういうことじゃなくて」
珍しく言葉を濁す安次嶺。
「いいの。とにかく、ありがとう。私、なんか疲れちゃったから、もう帰ろ?」
「……ああ」
悪質なナンパに囲まれて、長い間しつこく迫られていたのだから精神的に疲弊して当たり前。
安次嶺は疲労の理由を告げることはなかったけれど、俺はそう結論づけた。
俺はまた、楽な方向に流れるために自分に都合のいい理由をつくりあげてしまったのかもしれない。
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