第30話 今も昔もお嬢様

 広い施設なので、色んなコンセプトのプールがあったのだが。

 俺は今、流されていた。

 恥ずかしい生理現象を誤魔化すべく向かった先は、すぐ近くにあった流れるプールだった。

 それを見た安次嶺が、バナナの形状をしたゴムボートを借りてきて、俺はそいつにしがみついてコースをぐるぐる流され、全自動流しそうめん機の気分を味わっている。

 バナナにまたがる安次嶺は満足らしく、流されるさまを楽しんでいた。


「まーくんも一緒に乗ろ?」

「俺はここでいいよ。二人で乗ったらコントロールを失って周りにぶつかりそうだし」

「ま、まーくん、私が落ちたり怪我したりしないように守ってくれるんだ……!」


 感動しているらしいところ悪いのだが、どちらかというと安次嶺が好き勝手暴走して周りに迷惑をかけることを心配しているのだ。


「やっぱり私、まーくんに守られるために生まれてきたんだよ」


 うっとり微笑むガチお嬢様。


「きっとまーくんがうちの学校に転校してきたのも、今後私に迫る危機から守るため。運命が引き寄せた二人なんだよ」


 安次嶺の妄想は止まらない。

 命がけの危機に遭遇したら、流石に俺だってどうしようもないぞ。安次嶺の実家の資金力を駆使して凄腕のボディガードを雇う方が確実だ。


「まーくん、やっぱり一緒に乗って! まーくんがそばにいる時が一番安心できちゃうから。そうしたらまーくんだって嬉しいでしょ?」


 ボートの上から俺の腕を掴み、ぐいぐい引っ張ってくる。

 安次嶺が俺を引っ張り上げようと力を入れているせいで、ここで下手に抵抗するとボートから転げ落ちてしまいそうだ。

 周囲にはカップルの利用客も多く、男女一組でいれば俺たちまでそんな関係性だと思われかねない。「カノジョ」を水没させる意地悪なカレシと思われたら、プール内は一気に居心地が悪くなることだろう。

 そんな気持ちから、俺は安次嶺とぴったりくっつくように、ボートに乗ることにしてしまった。

 ほぼ裸状態での密着、再び。


「やっぱり、まーくんの体温を感じてると落ち着くよ」


 人の視線がある中でも一切気にしないのが安次嶺クオリティ。

 思い通りになったことで、嬉しそうだ。

 きっと、金持ちの家に生まれて使用人に囲まれ、何不自由ない生活をしているからこそ生まれたお姫様思考なのだろうな。平民の俺には理解できないのだが。

 待てよ。なんだか……思い出してきた。

 安次嶺と疎遠になっていたことや、殴られるスポーツをしてきたこともあって、記憶が消えかけていたけれど、安次嶺と毎日のように顔を合わせるようになったことで、少しずつ眠っていた記憶が蘇ってきた。

 俺は、ミミズク公園に集まるやんちゃなガキどもに紛れ込んだ安次嶺のことを、深窓の令嬢風で毛色の違う存在だと思っていた。

 だが、どうも今思うと、その認識は正しくない気がする。

 確かに安次嶺は、元気いっぱいに走り回る俺たちとは違い、少し離れたところで大人しく見守っていることが多かった。

 だから、昔の安次嶺には引っ込み思案なイメージがあったのだが、俺たちが何をして遊ぶのか提案し、そして決めていたのは、いつも安次嶺だった気がする。

 ミミズク公園の真のボスとして君臨していたのは、当時の俺の仲間内で一番活発だったA君(仮称)ではなく、涼しげな木陰から俺たちが遊ぶ様を、箱庭を覗き込むがごとく観察していた安次嶺だったんじゃないか?

 そうだ。実際、A君と安次嶺の間で小競り合いが起きた時があった。

 いつものように、その場で思いついた遊びを提案する安次嶺に、「女子が決めたことなんか守れっかよー」とAくんが反発した。

 すると安次嶺は、途端に涙を滲ませて、「みんなのために考えたのに……」と言い出すのだ。

 で、仲間内の連中も人がいいものだから、結局安次嶺の意図通りになってしまうわけだ。

 安次嶺は先天的なのか後天的なのか、とにかく、そこがどんな場であっても「人の上に立つ」ことができてしまえるスキル持ちで、自分の言う事を聞かせることができる能力があったようだ。

 それは昔も、そして生徒会長になって全校生徒の頂点に立ちつつ絶大な支持を受けている今も変わらないらしい。

 こいつ……か弱い深窓の令嬢どころか、どちらかというと土管がある空き地を仕切ってるガキ大将だったんじゃねえか。

 すっかり記憶違いをしていたよ。

 記憶なんて当てにならないな。

 まああの時は俺も小学生だったし。記憶が曖昧でもしょうがない。


「どうしたの、まーくん?」

「いや、昔のことを思い出しただけだ」

「そうなんだ。今も昔も、こうして仲良しでいられてよかったね」


 安次嶺からすれば、そうなんだろうな。

 別に揉めてるつもりはなかったけどさ、つまり俺は昔から、安次嶺のお守りをしていたということだ。

 友達とか、安次嶺が言うような恋人とか、そういうのとは違って、俺の存在はどちらかというと従者なんじゃないかと思ってしまう。

 そう、俺は所詮、安次嶺からすれば従者も同然。

 恋愛感情をダシにして忠誠を誓わせようとしているだけで、野々部が期待するような展開になるはずがない。

 だいたい、なんだかんだで安次嶺は会長としての責務をこなそうとしているのだ。

 生徒会の仲間や、全校生徒の意向を学校全体に反映させるべく動き、民主的な生徒会運営を是としている安次嶺からすれば、わざわざ俺のために独断専行で内部生の意識改革に乗り出したり、縁寮の取り壊し計画を白紙に戻すようなことをするとは思えない。


「……なあ、安次嶺」

「なあに?」


 俺の腕を抱きしめながら、うっとりした様子の安次嶺が顔を上げる。


「もし、野々部や豊澤じゃなくて、俺がお前に、内部生や縁寮よすがりょうのことをどうにかしてほしいって頼んだら、お前は無条件で受け入れてくれるか?」

「ええ~、せっかくの休日なのに。仕事のこと考えないといけないの?」

「オンオフの意識あったのか、お前」

「まーくんのことは愛してるし、まーくんから愛されてることも知ってるけど、それは安次嶺千歳っていう一人の恋する女の子の中での話だよ。生徒会長としての私は、たとえまーくんでも言う事全部聞く訳にはいかないかな」

「なるほどな……」


 安次嶺千歳は、根っからのお嬢様なのだ。

 良くも悪くも。

 資産家の家に生まれた者として、人の上に立つ責務を負っている自分と、いち個人としての自分を分けて考えている。

 いち個人としての自分でいる時は、わがまま放題に思えるような振る舞いはするけれど、周囲の人々からの信任を得て就いたポジションである生徒会長としては、その信頼を裏切ることのないように誠実に振る舞う。

 野々部、お前の青写真通りにはいかないみたいだぞ。

 仮に俺が安次嶺からこれ以上ないくらい好かれようとも、独断ゴリ押しで俺の言うことを学園に反映させるようなことはしないのだから。

 帰ったらさっさと野々部に報告しよう。

 対安次嶺において何の役にも立たないとわかれば、俺のことを反体制活動に誘い込む気も失くすだろう。

 平穏な生活が戻ってくるわけだ。


「も、もしかして、まーくん……」

「なんだ?」

「言う事聞いてくれない女は嫌いだったりする?」

「俺はそんな支配欲まみれじゃねえよ」

「わ、私、まーくんがお願いしてくれることなら、なんでも聞いちゃうかも……!」

「即効で前言撤回するなよな……」

「だって、まーくんから私になんかしてほしいことって、言われたことないから」


 俺の腕を抱き直すのだが、これまでみたいに喜びのあまりというよりも、不安が勝っての行動に思えた。


「なにもしてこないのも、不安になっちゃうんだよね」

「安次嶺……」

「学園のことは無理かもしれなくても、他のことなら。な、なんならえっちなことでも全然いいから!」

「いや、そっち方面のことは遠慮するわ」

「どうして? そんなに魅力ない?」

「違う。そもそも俺は、人から好かれるような人間じゃないし、誰かに尽くしてもらえるようなこともしてないからだ」

「私は、まーくんのことをこんなに好きだよ?」


 それは、俺と別れてからの俺のことを知らないからだ。


「俺は――」


 いっそ、話してしまおうかと思う。

 俺がどうして、地元の町から逃げ出して、転校してきたのか。

 安次嶺なら聞いてくれそうだし、同情だってしてくれそうな気さえした。

 俺のことを、何も悪くないのだと、甘やかしてくれるかもしれない。

 けれど、なんでも受け入れてくれそうな安次嶺に対してそれを言うのは卑怯であり、逃げに思えた。

 お前は悪くない。

 そう言ってくれる免罪符を欲しているだけ。

 そのために安次嶺を利用するようなことはしたくない。


「どうしたの?」

「いいや。ただ、わざわざ俺とデートしてくれてありがたいと思って」

「変なまーくん。私はまーくんと一緒にいたいからデートしたいって言ったのに、それだとまーくんと一緒にいるのに労力を使ってるみたい」


 そう言って、安次嶺は俺の手をぎゅっと握る。


「私と一緒になれない間になにがあったのか知らないけど、まーくんはもっと自分らしくしてていいんだよ?」

「……今の俺は、俺らしくないっていいたいのか?」

「うん。なんか全然」


 やたらとはっきり言う安次嶺。

 そのくせ、一切の悪意を感じさせない笑みを見せていた。


「俺は昔から、こういうヤツだよ」

「そんなことないよ。変なまーくん。自分のことも忘れちゃったの?」


 いくら悪意がないのだとしても、長く離れていたはずの他人から今の俺についてあれこれ言われるのは納得がいかなかったし、苛ついてしまっていた。

 お前の一方的な決めつけで、俺のことを判断するな。


「俺は――」


 言い返そうとすると。

 浮き輪ではしゃいでいた子どもの集団が、プールの流れに飲まれた影響でこちらにぶつかって、油断していた俺はバランスを崩してプールに水しぶきを上げてしまった。


「まーくん、大丈夫?」

「ああ」


 予期せぬ転落のせいで鼻から水を吸い込んでしまい、鼻の奥が痛い……。

 みっともないところを見せてしまった。

 なんだか周りの人たちから笑われてしまった気がするし。

 安次嶺がこうして転落しないように、ボートを守っていたはずなのに、情けないにもほどがある。

 それなのに安次嶺だけは、俺を笑うことはなかった。


「ついてなかったね。でも転げ落ちちゃっても、何度でも私が引っ張り上げてあげるから」


 安次嶺が手を差し出してくる。

 拒否する力がなくなっている俺は、素直にその手を取ってしまうのだった。

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