第29話 水着回

 俺がレンタルした水着は、夏場ならこのまま外に出ても大丈夫そうなハーフパンツ型の水着だった。

 別にガチで泳ぐ気はないし、そもそもこのレジャープールは水に浸かりながらゆったりする人が大半なので、悪目立ちすることのないこのタイプがベストだ。

 先に着替えた俺は、更衣室の前にあるベンチに座って、安次嶺を待っていた。


「……思ったよりちゃんとしてるな」


 ショッピングモールのような外観をした建物の中には、ハワイだかグアムだか、とにかく南国のビーチをそのまま移植したような光景が広がっている。

 室温も程よく調整されているから、なんなら冬場でも楽しめそうだ。

 休日だからか、客入りがよく賑わっている。

 カップルもチラホラと見かける。


「あの中に混じったら、俺と安次嶺もカップル扱いされちまうんじゃ……」


 そんなことになったら、あいつはますます調子に乗って求愛行動が強くなりそうだ。


「まーくん、だーれだ」


 突然、背後から暖かく柔らかい感触がやってきて、視界を塞がれてしまう。


「うちの学校の生徒会長」

「それだと半分しか正解じゃないよ。まーくんにとって一番大事な人でしょ」

「俺の一番を勝手に決めないでくれ」

「プールに来てもそういうこと言うんだから。好きなら好きで、素直に言ってくれた方が私は喜ぶんだよ?」

「はいはい、悪かった――」


 安次嶺が回り込んでくる。

 ふーん、わざわざポニーテールにしたのか、なんてのんきな感想で終えられたのは顔を見た時だけ。

 腰をかがめながら俺に視線を向けてきた時、不覚にも胸が高鳴ってしまった。


 安次嶺が選んだ水着は、上下黒のビキニタイプ。

 普段のお嬢様な見た目的に、白のカラーリングに、下半身を見せたくないからという理由でパレオでも巻くタイプの水着で来るのかと思ったのだが……予想外に攻撃的な色合いで、攻めたデザインの水着だった。

 どうしても視線が向かってしまうのは、その大きな胸元だ。腰をかがめると白い胸がトップからこぼれおちそうになってしまう。

 ここまで露出の高い姿は、俺には刺激が強すぎる。目の当たりにすると、どう対処して良いのかわからなくなってしまう。

 情けないことに、何の対策も打てない俺は、慌てて視線をそらすしかない。

 胸もそうなのだが、お尻もほどよく膨らんだかたちの良さがあり、前から見ても後ろから見ても邪な妄想をしてしまいそうだった。


「あっ、まーくん」


 目ざとく見つける安次嶺が、良いこと考えちゃいました、とでも言いたげな碌でも無い笑みを見せてくる。


「そんなに私の水着よかった?」

「……別に、そんなもの見ちゃいないけど?」

「うそだ。私のこと見た瞬間に、なんか慌て始めたもん」


 よく見てんな、こいつ……。


「ふふふ、やっぱりまーくんも男の子だね」

「ああ、そうだよ。見てドキッとしたわ」


 安次嶺の場合、隠せば隠すほど詰将棋が始まりそうなので、ここはいっそ認めてしまった方がいい。


「普段のお前は服着て歩いてるから、布面積が少なくなったら見慣れない存在に遭遇したみたいでドキッとしちゃうのは仕方ないだろ。つまりあれだ、事故現場に遭遇してひしゃげた人間を見てしまった時みたいな衝撃を味わっちゃったんだよな」

「そんな例え方、する?」


 不服そうな安次嶺は、ぷくっと頬をふくらませる。


「素直に好きって言ってくれていいのに」


 本当に恋人同士なら、そう言っているかもしれないけど。

 付き合っていない以上、俺の性格的にホイホイ女子を褒めるようなことはできないんだよ。


「まーくんが好きそうな色で、まーくんが好きそうな水着を選んで、それをまーくんが大好きな私が着てるんだから、もっと飛び上がるくらい喜んでくれるかと思ってた」


 しゅんとする安次嶺。

 その努力は買うけど、俺は一度も安次嶺のことを好きだとか愛してるだとか言ったことはない。

 どうして安次嶺はそこまで自分に都合良く考えられるのだろう。

 俺とは対極だ。自分に都合よく解釈することなんてできないのだから。

 優花の話では、矢嶋やじまは俺を許すつもりがあるとのことだけど、それは優花の解釈だ。俺だったら、ボクシングを出来なくさせた相手をそうそう簡単に許すことはできない。だから、優花の話を鵜呑みにはできなかった。

 いや、人のいい矢嶋の性格上、気にしないでほしい、と声を掛けてくる姿を想像するのは難しくないのだが……。

 待て。これだと俺は、優花を信用していないということにならないか?


「まーくんは、どこまですれば私を好きって言ってくれたり褒めてくれたりするの?」


 プールデートが始まる前に、しんみりした雰囲気にさせてしまった。


「……悪かったよ。俺は水着の女の子とこういう場でデートするのは初めてなんだ。だから、何を言っていいかわからなくなるんだよ。お前にはデートの青写真があるんだろうけど、不慣れな俺の力じゃ女の子を完璧に満足させるのは無理なんだ」

「初めて……なの?」

「あっ、ああ、まあ、恥ずかしながら……」


 化け物を前にしたような驚愕の表情をして来られたのは初めてなので、俺の方が気圧されてしまう。

 まあ、色々問題はあるが、安次嶺は美少女にしてお嬢様な人気者には違いない。俺と違ってデートの経験はあるだろうし、口にしないだけで過去にカレシがいたことだってあるかもしれない。

 そんな安次嶺からすれば、高校二年生だというのに女子と満足にデートもしたことがない俺なんぞ、地球外生命体に遭遇するくらいの驚きの存在なんだろうさ。


「やった! 嬉しい!」


 泣いて喜びながら飛びついてくるというまさかの反応。


「それって、私がまーくんの初めての人っていうことだよね?」

「ま、まあそうなるが……」

「よかった! それって、私のことをずーっと好きで、他の女の子からのお誘いも全部断ってたってことでしょ?」


 ん? なんか勘違いしてね?

 そんなモテた経験なんて、ないぞ……。


「私、知らなかった。まーくんからそんなにも想われてたなんて……まーくんって素っ気ない対応してばっかりだったから、私と結婚する約束も忘れちゃったんだとばかり思ってた」

「あのさ……」

「まーくん、二人で絶対幸せになろうね?」


 ぎゅーっと抱きついてきて、俺の胸板に顔をこすりつけてくる。


「初恋の人が初めての人で、結婚までできるなんてすごくロマンチックだよ」


 いったい安次嶺の妄想の中では、俺はどんなことになっているのだろう。

 怖いから聞かないけどさ。

 でもまあ、いいか。

 自分の世界に入った安次嶺に何を言っても無駄だし、デートに誘っておいてもらってしょぼんとさせてしまうよりは、こっちの方がなんだか楽しそうにしているし……。


「まーくん、行こ」


 俺の手を引っ張り、ベンチから起こそうとする安次嶺。


「あっ、おい」


 ベンチから立ち上がった俺に、なんら遠慮なく体を寄せてくる。

 抱きついてくるのはいつものことだが、今はほぼ服を着ていない状態。

 肌同士の密着には想像以上の衝撃があった。

 おまけに引っ張り上げた勢いで、安次嶺の大きな山が揺れた。

 リアルに胸が揺れるさまを目にしたことがない俺は、空を見上げて太陽を目にしてしまった時のように脳裏に映像が強く焼き付いてしまった。

 そのせいで、直立できなくなる。

 ……この程度のことで体に変化が出てしまうのは、俺自身が情けないからなのか、それとも男という生物そのものが情けないからなのか。いや、俺が情けないからか……。


「まーくん、大丈夫?」


 俺の調子が悪いものと勘違いしたのか、安次嶺が心配そうにする。


「いや平気平気。ほら、せっかく来たんだしさっさとプールに入っちまおう」


 まさか理由を正直に話すわけにもいかず、目についたプールを目指して一人で先へ急ぐ。


「あっ、待ってよ」


 てこてこ歩いて追ってくる安次嶺。

 運動神経はあまり良くなさそうだ。

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