第28話 デートの始まり

 その座席の初めての感触に、俺はまったくもって落ち着かなかった。


「まーくん、そっちの冷蔵庫にジュース入ってるから、のど乾いてるなら好きなの飲んでいいからね」

「遠慮しとく」


 後部座席の俺の隣にいる安次嶺あじみねは、まるで実家にいるようなリラックスモードなのだが、俺は指一本動かす気になれない。

 寮の前で待っていると、安次嶺が乗っている車がやってきた。

 黒塗りで縦長の、いかにもお金持ちか反社会的な組織が乗りそうな車が到着した時は驚いたよ。そのインパクトを目の当たりにして逃げようかとすら思った。

 後部座席から姿を表した安次嶺に誘われて、ようやく乗り込んだものの、親父のファミリー向けボックスカーにしか乗ったことのない俺にはハードルが高すぎた。


 運転席にいるのは、以前安次嶺を迎えに来た時に見かけたスーツ姿の長身の女性だ。

 雑談ついでに軽く紹介してくれたのだが、西條さいじょうさんというらしい。

 安次嶺のお付きの人らしく、学校への送迎の他に、家にいる時は身の回りのお世話をしてくれるらしい。本当に現代の貴族みたいな生活を送っている安次嶺である。


「お嬢様、空調はいかがですか?」


 そんな西條さんが声を掛けてくる。


「ばっちりだよ。あっ、でもそこのブラインド下ろしてくれる?」

「かしこまりました。良きひとときをお楽しみくださいませ」


 西條さんが何やら操作すると、シャッターが降りてきて、運転席と後部座席が完全に分断された。


「おい、どうして密室状態をつくった……?」

「だって、移動中でも二人きりの空間があった方がいいでしょ?」


 休日の朝から安次嶺は元気いっぱいだった。

 安次嶺から邪気のようなものは感じることなく、無駄に俺の手を握ってぶんぶん振り回してくる。いや、邪気がないからこいつは怖いんだ。

 そういえば大事なことをまだ聞いていなかった。


「安次嶺、これからどこへ連れて行くつもりなんだ?」


 普段の安次嶺の様子から、昔、何かの洋画で見たドライブインできる教会で結婚式を挙げるカップルのことを思い出してしまい、このまま挙式に連れて行かれるのではと不安になる。


「ふふ、ヒントはね、私の服の下にあります」


 大きな胸を張って得意げな安次嶺。

 デートを意識しているからか、今日の安次嶺の格好は心なしか気合が入っているように見える。

 ほどよく体のラインを出している白のワンピースの上に、イエローのカーディガンを引っ掛けた格好をしていた。

 予想を裏切らないお嬢様な着こなし。ただ、いかにもガードが固そうな清楚スタイルなのは確実に初見殺しの罠。中身はいつものあの、安次嶺千歳なのだから。

 じっと見ても、答えが出ることはなく。


「ま、まーくん、あんまり見つめないで……」

「お前が見ろと言ったんだろうが」


 頬を染めて身を捩る安次嶺。俺は未だにこいつの羞恥心がどこでスイッチが入るのか把握しきれていない。


「焦らなくても、目的地に着いたら好きなだけ見せてあげるから安心してね」

「目的地を伏せてる時点で一ミリも安心できねえんだが」

「大丈夫。きっとまーくんも気に入るよ」


 そう言って、尻をスライドさせるようにして俺の近くににじり寄り、腕を抱きしめてくる。ブラインドが降りているせいで密室状態なだけに、ここから何をしでかすのか気が気じゃない。


「あ、でも」

「まだなにかあるのか?」

「今日の恋人は私なんだから、私だけを見ててね?」

「……そもそも恋人では」

「他の子に目移りするようなことしたら、視線を向けた分カウントして、その数だけあとでキスしてもらっちゃうから」

「今日は一日うつむいて過ごすよ」

「私だけを見てくれてたら何の問題もないのに~」


 安次嶺はそうして、首をへし折らん勢いで俺の顔を自分の方へと向けた。


「ていうかそんなに私のキスが嫌なの?」

「恋人でもなんでもないからな」

「もう! まーくんがそんなに照れてばっかりいると、大事なチャンスを逃しちゃうんだからね」


 どうしてこいつの中では、俺から好かれていることが確定してるんだろうな。そんな素振り一度だって見せたことないんだけど。


 ★


 目的地である建物の前に到着した時、俺は複雑な気分だった。

 デート先としてはわりとオーソドックスな場所を選んだな、という安堵の気持ちと、季節外れじゃね? という疑問がダブルでやってくる。


「ここは室内プールだから、オールシーズン楽しめちゃうようになってるんだよ」


 安次嶺の話では、空調も水温もシーズンに適した心地よいコンディションが保たれているそうだ。

 俺が連れてこられた場所は、プールだった。

 市民プールみたいな小さな場所じゃない。

 レジャープールというやつ。

 常夏の南国をイメージした室内で、プールを楽しむことができるらしい。


「なるほど。だからヒントは服の下だとか言ったんだな」

「そそ。水着ね。まーくんのために水着買い直しちゃったんだから」

「俺、水着持ってないぞ」

「レンタルがあるから平気だよ。種類が豊富だから、布面積が少ないやつ選んであげるね」

「種類が豊富な上でそんなもん選ぼうとするな」


 男子の俺より先にお前が下心を出してどうする。

 しかし、プールか。

 よく考えれば、水着の安次嶺と一日を過ごすことになるわけだ。

 ただでさえやたらと距離感が近いこのお嬢様に、布面積が圧倒的に少ない格好で迫られた時のことを考えると……俺は、耐えられるだろうか? 理性に下心が負けて、安次嶺に思ってもいないことを告白してしまいやしないだろうか?


「まーくんとプールなんて久しぶりだね! 昔、市民プールしか行ったことなかったもんね」


 覚えがある。

 その時は二人きりではなく、公園の常連メンバーみんなで行ったのだが。


「あの時は、スクール水着でごめんね。代わりに今日はまーくんが好きそうな水着着てきてあげたから」

「すっげー不安」


 一人でトリップして、その場でよくわからないステップを踏み始めた安次嶺を無視していると。


「塚本様」


 すすっ、と音もなく寄ってきたのは、西條さんだ。

 これには驚いた。俺はボクシング経験の影響か、他人の気配には敏感なんだ。それなのに一切察知できなかった。実は武術の達人なのかもしれない。


「今日はお嬢様の要望で、塚本様と二人きりで羽を伸ばすとのことでしたので、あとのことは塚本様にお任せします」

「ああ、はい」

「お嬢様は麗しい見た目ですが、脇の甘いところがありますので、くれぐれも悪しき輩にかどわかされぬよう、警戒を怠らないでください」


 まあ、黙っていれば大人しそうなお嬢様だし、人が多いところではナンパを警戒するのは当然か。もっとも、安次嶺の場合ナンパを口で言い負かして撃退するところも想像できてしまったので、俺の出番はないだろうが。


「……一応、今日はデートって名目ですから。こいつを放ったらかしにはしませんよ」


 放っておくと何をしでかすかわからないしな。

 あと、勉強のことで世話してもらった礼代わりだから、あまりぞんざいにはできないし。


「では、二人水入らずでお楽しみください。水に入るのに……」


 クフフ、と変な漏らし笑いをしながら、車へ戻っていく。

 今、なんか変なこと言わなかった……?


「クールで真面目そうなのに、思ったのと違うな……」

「西條はちょっと変わってるから。頼もしいけどね」


 お前が人のこと変わってるとか言う~? とツッコミたかったのだが、下手に親しげにすると親愛の情をアピールしたと思われてますます俺に愛されていると勘違いしてしまうかもしれないから止めた。


「じゃ、早く行こ!」

「あっ、おい」


 俺は安次嶺に手を引っ張られて、入場口へ向かうことになってしまうのだった。

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