第18話 激突
俺と安次嶺と、そして野々部は、食堂に移動してきていた。
寮内で一番のスペースを持つこの場所にやってきた直後、豊澤も顔を見せた。
移動中に野々部がある程度冷静になってくれたと思ったら、今度は豊澤が安次嶺に飛びかかろうとする。
「てめえ、なにしに来やがった!」
「落ち着け、豊澤」
「これが落ち着いていられるか!」
豊澤が今にも掴みかからんばかりにいきり立ち始めたので、俺が安次嶺との間に入らないといけなかった。
「まーくん、この女は誰? また私が知らないところで女の子に言い寄られてるの?」
俺の腕にしがみつくような安次嶺は、こちらを見上げて頬をふくらませる。
安次嶺は豊澤に凄まれても動揺を見せなかったけれど、こいつはこいつでまた面倒くさい勘違いを始める。
「ていうかてめえ、さっきから塚本にベタベタしやがって! どういうつもりだ!」
「婚約者だからだよ。だからこれくらいくっつくのは普通なの」
「はぁ?」
「そんなガサツな脅し方してきたって、私とまーくんの愛は引き裂けないんだから」
「てめえ、なにが婚約者だ。大ボラ吹きやがって。ふん、てめえは知らねーだろうけどな、あたしは塚本とはちょっとした関係なんだぜ?」
「どどど、どういうこと!? まーくん、まさかこの野良犬みたいな女と一夜の契りを!?」
「……二人とも。今はちょっと黙っててくれ」
俺は、安次嶺を豊澤から遠い位置まで離す。
「塚本君。痴情のもつれはあとにしてくれ。それより先に、どういうつもりか説明願おうか?」
テーブルを挟んで向かいの席に据わった野々部が言う。
「そうだそうだ。どういうつもりだよ、塚本ぉ。そいつは敵の親玉なんだぞ?」
「敵の親玉ってどういうことよー」
抗議する安次嶺は、俺を離すまいとするかのように抱きついてくる。
「ああっ! てめー、また塚本にくっつきやがって。離れろ! 人を見下す性悪ウイルスが伝染るだろうが!」
「人を伝染病みたいに言わないでくれる? あなたの方が、汚い言葉遣いに乱暴な態度で、まーくんの知り合いとはとても思えないんだけど?」
「ふん。塚本は、うちら側の人間なんだよ。何故か隠してやがるけど、超強いしな」
「それはそうね。まーくんは私が泣いてたら悪い奴らを泣かし返すくらい強いもん」
「お? なんだよ、やっぱ塚本は強いんじゃねえか」
「そうよ。だからあなたみたいにギャンギャン吠える野良犬が私に噛みつこうとしたら助けてくれるの」
「バカ。塚本みたいなヤツは女には手ぇ上げねえんだよ。それが真の強者ってやつだ」
「本題に入っていいか? 野々部を放ったらかしにしたくない」
二人を放って話を進めてもよかったのだが、腕っぷしが強いと思われてしまうのは俺にとって不都合だ。
「野々部。説明する前に、ちょっとお前の考えを聞かせてくれ。俺は普段冷静なお前が、どうして安次嶺をそこまで敵視するのかわからない。生徒会長って言ったって、単なる役職でしかないだろ? 野々部が戦うべきなのは、もっと大きなところなんじゃないのか?」
生徒会長に多大な権限があるのはフィクションの中でだけ。
たいていの学校では、精々学校の細かい校則を変えたり、イベントごとに参加したりする程度の存在だ。
ましてや、内部生による外部生蔑視の空気を容認したり、縁寮の取り壊しを決められるような権限なんて持っているはずがない。
野々部は、肩書だけの生徒会長が諸悪の根源と勘違いしているように思えてならなかった。
「塚本君。悪いが君の認識の方こそ誤りだ。貴峰学園は、生徒の自主性を重んじている。故に生徒会の権限が他校に比べてずっと強いのだ。学園の在り方を決めているのは生徒会。ゆえにオレたちは……生徒会長の考えを改めさせ、外部生の真の自由と縁寮取り壊しの撤回を承認させなければいけない」
メガネの向こうにある目つきがやたらと鋭くなっている野々部。
「どんな手を使ってでも、な」
「穏やかじゃないな。野々部は、暴力で自分の要求を飲ませたくないから、デモで平和的に解決しようとしてるんじゃなかったのか?」
「んだよ塚本。まさかお前、その色ボケ会長の味方するって言うんじゃねえだろうな?」
「味方してくれるに決まってるよ。まーくんは私の婚約者だもん。私のこと大好きなんだよ」
「まだ言うか、この勘違いお姫様は。婚約者なんて大事な約束、そんな軽々しく口に出せるもんじゃねえんだ。お前の言ってることは、全部ウソに決まってら」
「本当に大事なことだから口に出せるんだよ。表に出した言葉の責任は自分が背負うことになるんだもん。言葉なんて体に溜め込んでるうちは存在しないも同じなんだから。何をしたかだけじゃなくて、何を言ったかでも私が決まるの。だから私は自分にとって大事なことはちゃんと言葉にするんだよ」
「あ、あたしだって言葉にしないわけじゃねえからな! てめえみたいに乱発しないだけで。お前は、だから軽いんだ」
「その辺の討論はあとでやってくれ」
俺は言った。
豊澤と安次嶺の場外乱闘を気にしていると、野々部の説得がますます遠のきそうだ。
いや、どうして俺は必死になって野々部を説得しようとしているんだろうな?
安次嶺は、他人と関わりたくない俺にとって天敵のようなヤツで、別にどうなろうが知ったことではない相手のはずなのに。
……まあ、即席の家庭教師として助けてくれた恩はあるか。
俺はクズでどうしようもない自覚はあるのだが、他人から受けた親切を平気で無下にできるほど堕ちてはいないらしい。
今日の授業料程度の擁護はさせてもらおう。
「野々部。俺と安次嶺は幼馴染だ。一応。それなりにこいつのことはわかってるつもりだ。はた迷惑な恋愛脳だけど、理由もなく外部生に嫌がらせをしたり、縁寮を取り壊そうと動くようなヤツとは思えない」
現に安次嶺は、俺が外部生なことに引っかかっている素振りは一切見せなかったし、縁寮に足を踏み入れた時も、潰してやろうと考えるほどの関心は持っていないように思えた。
「ま、まーくん! 私のこと守ってくれた……! 私の将来の旦那様はまーくん以外考えられないよ」
「……感動してるところ悪いが、安次嶺が直接自分で無関係なことを証明してくれた方が早いんだけど」
「……生徒会長。どうなんだ?」
野々部が静かに問う。
ある程度は俺の言い分も受け入れてくれているようで、わずかな刺激で爆発しそうな危うさは消えていた。
「生徒会長はすっごく権力あるよ」
「おい」
せっかく擁護してやったのに何故自ら台無しにするようなことを。
「でもね、生徒会長が学園に関するルールを提案したとして、実際に施行するには、他の生徒会役員の承認が必要なの。もっと大きなルールを変えるとなると、生徒の承認も必要になるよね。だから私の独断では何も決められないよ」
その辺りは、普通の学校の生徒会と変わらないシステムらしい。
つまり、安次嶺一人で横暴な取り決めを押し通すことはできず、野々部が諸悪の根源として生徒会長を恨むのは筋違いということ。
まあ、初めから少し考えればわかることではある。
野々部も頭に血が上りすぎていたのだろう。
「そういうことだ。野々部、納得してくれたか?」
「……オレが聞きたいのは、そんな表面的な御為ごかしではない。はぐらかさず詳らかにするのが最高権力者の責務では?」
野々部は譲らない。
「生徒会長。君は全校生徒、とくに内部生から厚く敬われている特別な存在だ。役員や生徒の承認が必要だと言うのなら、君が強く働きかければ、外部生と内部生間の待遇是正や縁寮の取り壊し撤回に民意を傾けることができるはず。何故、そうしない? それは君が、暗にそれらの横暴に同意しているからでは?」
確かに、安次嶺に対する支持を考えれば、よほど強いこだわりでもない限り生徒たちは安次嶺に意見を寄せそうな気もするが。
「それはね」
安次嶺が口を開いた時、明らかに空気感が変わった。
姿勢良くピンと背筋を伸ばし、野々部と向き合った時の安次嶺は有無を言わさない雰囲気をまとっている。
安次嶺の、人の上に立つ才能は、天性のものなのかもしれない。
野々部も豊澤も、緊張の面持ちで安次嶺に視線を送ることしかできていない。
「私が、みんなから選ばれた生徒会長だから」
「安次嶺……」
「みんなの意見を聞いて、決断するのが仕事なの」
思い込みが激しい恋愛体質の安次嶺と中身が入れ替わったかのように、隙がない態度で野々部と向かい合う安次嶺。
正直、足が震えそうになったよ。こいつがこんな顔するなんて思わなかったから。
野々部には明らかに動揺が見えるし、納得行かなければ即食ってかかりそうな豊澤ですら絶句している。
「だ、だが、それだと、君は決断力の欠如を棚に上げて、生徒に責任をなすりつけているも同然だ! 横暴を先導したり容認したりするより、余程醜悪だぞ!」
野々部もどうにか言い返そうとする。
「そうじゃなくてね。ええと、野々部……下の名前は哲也くんだっけ?」
「何故オレの名を……」
「そりゃうちの学校の生徒だもん。……あのね、野々部哲也くん。あなたは生徒会の仕組みをそもそも理解してないし、蔑ろにして唾棄して当然と考えてる。だから私個人にどうこうさせようとしてるんだよね。民主的に選ばれた生徒会長に対して、私一人だけの考えで生徒みんなの意思を操作することを望んでる。それって独裁だし、そもそも民主主義のルールの中で当選した私が、当選した途端に独裁に走るなんて、それこそ歴史的に見てもとても醜悪なことじゃない? 外部生と内部生の平等を望んで平和のために毎朝頑張ってデモをしているあなたが、独裁的な生徒会長であることを望むの? あなたにとって都合がいいことなら平気で民主的なルールやシステムを否定したり蔑ろにしたりするなんて、あなたの言う『貴峰学園の生徒である限り平等』は表面的な御為ごかしだったんだね」
「それは……」
「あなたが嫌っている一部の内部生も、『貴峰学園らしさを守るため』って正義が前提にあってあなたたちと接してると思うの。自分が正義の側でさえあるなら例外も許されると考えているのだったら、結局、立場が違うだけであなたはあなたが嫌っている一部の内部生と同じ考えをしていることになっちゃうんじゃない? 野々部くんはそれで自分を許せるの? いかにも論理的に物事を考えてそうだけど、案外矛盾でいっぱいでも平気でいられる人なんだね」
もはや安次嶺に口を挟めるヤツはこの場に誰もいなかった。
野々部はすっかりトーンダウンして、椅子に座り込んでうなだれているし、豊澤もさっきまで安次嶺に向かっていた勢いを完全に失っている。
安次嶺千歳は、俺が想像するより手強い女だと痛感させられた。
俺はもっと、アホなヤツだと思っていたんだ。
なんなら、あの幼馴染だという武市副会長のサポートが必須なお飾りの生徒会長だとすら思っていた。
「私個人としては、外部生も内部生もケンカしないで仲良くしてほしいし、縁寮は残してほしいよ。まーくんが暮らしてるところだし、こういう旅館みたいなところで同棲するのも悪くないから」
「おい、いきなりめちゃくちゃ私情を挟み込むな」
「だって~、なんか難しいこと言ったら疲れるから、まーくんのこといっぱい考えて癒やされたくなっちゃったんだもん」
それまで棒でも貼り付けているみたいにピンと背筋を伸ばしていたのに、液状化したみたいにふにゃふにゃになった安次嶺が俺に抱きついてくる。
「……野々部、もういいか?」
「ああ……」
勝敗は決したというか、この場でもう安次嶺を追求する気力は残っていないだろう。
「安次嶺。もう外も暗いし帰れよ」
「ま、まーくん、冷たいよ! 私頑張ったんだよ? ご褒美のキスくらいしてくれてもよくない?」
「よくない」
「あっ、キスだけじゃ満足できないってこと……?」
「迎えが来てくれるところまで送ってやるから、それで満足しろ」
「じゃあ腕組んで歩いてもいい?」
「……勝手にしろ」
「やった。また明日まで会えなくなっちゃうし、今のうちのまーくんの腕をいっぱい堪能しちゃうね!」
早速俺の腕に抱きついてきて、頬をこすりつけてくる安次嶺。なんだよそれ、マーキングかよ。
ついさっきまでの異様な怖さが、胸の柔らかさで中和されてしまう。俺ってばクソ単純なヤツ……。
とにかく、この場に安次嶺が居続けると、野々部も豊澤もダメージを受け続けて場の空気が悪くなってしまう。
安次嶺は帰ればいいだけだけど、俺はこのあともこの寮に居続けないといけないんだぞ。
いくら誰とも関わる気がないからといって、暗く沈んだ寮内で生活するのは御免だ。
その後、安次嶺を学校の前まで連れていくと、本当に黒塗りの高価そうな車がやってきた。
「またね、まーくん!」
後部座席に乗り込む安次嶺。
その扉を閉めた、すらっとした体型のスーツ姿の女性は俺に一礼をして運転席に乗り込むと、車は颯爽と去っていくのだった。
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