第17話 不倶戴天の敵

 安次嶺あじみねを俺の部屋まで連れてきた時、安次嶺はあたりを見渡して目を丸くした。


「まーくんの部屋、汚っ」

「ここにあるの、別に俺の私物じゃないからな」

「あと、田舎のおばあちゃん家のにおいがする」

「家具も含めて古いものがたくさんあるからだろ。俺のにおいじゃないぞ」

「知ってる。まーくんはもっといい匂いだもん」


 すんすんと鼻を鳴らしながら俺に寄ってくる安次嶺。


「ここのダンボールは、まーくんの?」

「俺の荷物だけど……まだ荷解きが終わってないんだ」

「まーくん、荷解きしなきゃってこの前焦ってなかった?」

「いざ目の前にすると、あとでもいいやって気になって」

「わかった。パパとかママにうるさく言われないから後回しにしちゃうんだ」


 半分正解。俺の場合、実家にいる時は親父や母さんではなく優花から言われることの方が多かったから。


「その言い草だと、安次嶺はよく親に言われるのか?」

「……フ、ヒュー、ヒュー」

「吹けない口笛で誤魔化そうとするな」

「だ、だって、メイドさんがいるのに私が片付けたらメイドさんのお仕事がなくなっちゃうでしょ」

「変な意味で西洋かぶれしてんな」


 やっぱりメイドを雇うほど財力があるのか。

 一般家庭育ちで、実家もさほど大きくないマンション住まいな俺との差を痛感するよ。


「ていうか、まーくんはこれで勉強してるの?」


 勉強道具が広がっている備え付けのローテーブルが気になっているようだ。


「昔の文豪みたいでいいね。原稿用紙がいっぱい積んでありそう」

「そういうイメージだと勉強も捗るな」


 俺は座って勉強を再開しようとするのだが、座布団が一つしかないことに気づいた。


「お嬢様には畳敷きの部屋は不慣れだろ? この座布団使えよ」

「まーくんの分は?」

「俺はこのまま座っても問題ないから平気だ。それにほら、一応、今の安次嶺は俺の教師なわけだし」

「ふーん、まーくんは私を立ててくれるんだ?」

「なんだよ、嬉しそうだな」

「だって~。まーくんはいつも照れ隠しで私を邪険にするんだもん。だから、こうして私を大事にしてくれると、これまで以上に好きになっちゃうの」


 大げさな解釈で勝手に上がっていく俺の好感度。

 これがギャルゲー世界だったら安次嶺に一度遭遇しただけで個別ルートが確定するという他のヒロインを攻略したいヤツにとっては最凶の障害物になってしまいそうだ。

 安次嶺は俺の隣に座布団を置くと、そこに正座をした。

 やっぱり座布団を渡して正解だな。このお嬢様には、間違ってもあぐらをかくようなことはできないだろう。正座している時も背筋がピンと伸びて綺麗だし、お嬢様なだけに親のしつけが厳しかったのだろうな。


 そうして、安次嶺を教師とした小さな勉強会が始まる。

 恋愛に関しては思い込みが強くて暴走機関車になる安次嶺だが、教え方は実に上手かった。

 安次嶺は、俺が問題集を持っていることに目をつけると、初めにその問題を解かせた。得意な部分と苦手な部分を把握するつもりらしい。

 問題を解き終えると、安次嶺は正誤表を確認することなく、俺の答案から正解と不正解を言い当てる。

 その上で、解説を始めた。


「この設問は、こっちの公式をしっかり覚えてないと解けないようになってるの。でもパターンがあるから、一度解けるようになればそこから先は簡単だよ」


 間違った設問に対しては、当然ちゃんとした解き方を指導し。


「こっちは正解だったけど、問題文の横の書き込み見るとちょっと迷ってた感じだよね。自信持って解けるようにちゃんと解説しておこうか。あのね――」


 正解した問題だろうと、まぐれで解けたとわかれば次からは確実に解けるような解説をしてくれる。

 地頭がいいのだろう。理路整然とした無駄のない解説は、これまで目にしたどんな解説文よりわかりやすかった。

 それならどうして俺の前にいる時は恋愛脳のバカになってしまうのか不思議で仕方がないのだが、きっと恋愛脳だからだろうな。

 そんな頭の悪い結論をしてしまう俺。


「――てことなんだけど、わかったかな?」


 ちょっと自信なさげで、俺の反応を探るように見上げてくる安次嶺。

 解説を聞き漏らすまいと集中していて気づかなかったけれど、安次嶺は俺の腕にぴったりくっつくくらい身を寄せていた。


「あ、ああ、わかりやすいくらいわかった」


 正直に答えたのだが、つい動揺してしまう。


「まーくん、もしかしてわかりにくかった?」


 俺の意図は別の意味で伝わってしまったらしい。安次嶺が不安そうにした。


「そんなことはないけど?」

「だってー、なんかそわそわしてるんだもん。それって、実はわかりにくくて私に気を遣ってるからじゃない?」

「いや、これは……」

「正直に言ってくれていいんだよ? 私、まーくんの言うことならなんだって受け入れるから」


 ここで、安次嶺に異性を感じてしまった、なんて白状しようものならこの場で婚姻届にサインをさせられる可能性すらある。いや安次嶺といえど持ち歩いているはずがないし、そもそも結婚できる年齢ではないんだけどさ。やりかねない怖さはあるよ。


「安次嶺が不安に思うようなことはなにもない。俺はお前を誤解していたことに気づいたんだよ。まさかここまで優秀な教師とは思わなかった」

「えっ、本当!?」

「ああ。この調子なら、みんなにすぐ追いつけそうだ」

「そっかぁ。そんなに役に立てたんだ」


 微笑む安次嶺。本当に、厄介な思い込み体質でさえなければ、なんと魅力的な女の子だろう。


「わかった! じゃあこれからも、まーくんのために毎日勉強を教えちゃうね!」

「いや、そこまで世話になるのは悪いわ。今日だけでいいよ」

「なんで!? さっきまでべた褒めだったのに!?」


 飛び上がりそうなくらい驚く安次嶺が、捨てないでとばかりに俺にすがりついてくる。


「大丈夫だよ、今度はまーくんが私を意識してドキドキしすぎないように距離感に気をつけるから!」

「なっ!?」

「私、さっきからまーくんがなんかそわそわしながらこっちをチラ見してくるのに気づいてたの」

「バ、バカ! 大事な勉強を放り出して、わざわざそんなところ見るわけないだろ。俺の頭は問題文と数式でいっぱいなんだから!」

「本当に?」


 妙に艶っぽく響く声音。


「私の方は、まーくんと部屋に二人きりでドキドキしてるんだよ?」

「は?」

「それならまーくんだって、同じようにドキドキしてたっておかしくないよ」


 他人に対してドライでいたい俺だが、あいにく経験不足なところもある。


「大好きな男の子と女の子が二人きりでいるんだから、いろいろ考えちゃうのはぜんぜん変なことじゃないもの」


 安次嶺が厄介な女だろうと、見た目は正統派な清楚系美少女だ。

 一定上接近されてしまうと、俺の思考力がパンクして、内面はかなりやべー女だということを忘れそうになってしまう。


「そうだ。今のうちに好きなだけ触れば、まーくんも満足してくれて、これから勉強に集中できるんじゃない?」


 ずいっと身を乗り出し、俺の腕を掴んでくる安次嶺が力を込める。

 胸に引き寄せられていく俺の腕。


「大丈夫だよ? まーくんに触られた時のイメージトレーニングはばっちりだから……」


 息が荒く、瞳がとろんとしていて、どう見ても大丈夫じゃない安次嶺。


「どんなことがあっても、ちゃんと私が責任取ってあげるね? 新居も仕事も子供の名前も、全部私が考えてあげる」


 いったい如何なる責任を取ることになるのか。

 そして、安次嶺にあるのは包容力なのか支配欲なのかわからなくなって怖くなってくる。

 そんな疑問で渦巻いたまま、安次嶺のされるがままになりかけた時だ。

 背後の扉から、トントンとノックをする音が聞こえた。


「誰だ?」

「悪いな、オレだ。野々部だ。塚本君、今時間あるかい?」

「ああ、別にいいが――」


 咄嗟に返事をしてしまってから気づいた。

 今、この部屋にいるのは俺だけではないことを。


「まーくん、誰が来たの? まーくんの友達?」


 安次嶺が首を傾げる。

 豊澤の例があるように、この寮は女子が入寮することはできないが、出入りは自由だ。

 別にやましいことをしているわけではない。

 ギリギリのタイミングで野々部が来てくれたから。

 安次嶺が俺の部屋にいたところで、何ら慌てることはないはずなのだが、俺は落ち着かない気分になってしまっている。

 生徒会長である安次嶺がこの場にいることに、無意識に引っかかりを感じていたのだ。


「済まない。塚本君、折り入って相談があるのだが――」


 野々部が部屋に入った途端、安次嶺を見つけて顔色を変えた。


「安次嶺……会長……!」


 殺気立つ野々部。

 普段は冷静なはずの野々部が、今まで見たことがないほど、穏やかではない空気を醸し出し始める。


「どういうことだ。直接乗り込んで……まさかオレたちを潰しに来たのではあるまいな?」


 臨戦態勢に入る野々部。

 今にも安次嶺に飛び掛からん勢いだ。

 戸惑っているヒマはない。


「野々部、落ち着け。とりあえず俺の話を聞いてくれよ」


 殺意の波動に目覚めたような野々部を、とりあえず落ち着かせることが先みたいだ。

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