第14話 ツケ払いと騒々しい乱入者
この日も朝から正門の近くでアジっていた野々部を横目に正面玄関を抜け、教室に入る。
縁寮から歩いて10分ほどで学校に到着するので、のんびり登校した俺が教室にたどり着いた時にはすでに粗方クラスメイトが揃った状態だった。
「あっ、塚本くん!」
栗色の髪が猫耳みたいに、ぴょんと反応したように見える和泉が、俺のところへ駆け寄ってくる。和泉は朝からフルパワーだ。
「おはよう!」
「ああ、おはよう……」
挨拶は返すのだが、俺としては和泉がどんな意図で声をかけてきたのか不安だった。
なにしろ、昨日は安次嶺と抱き合っているようにしか見えないシーンを目撃されて、誤解が解けていないままなのだ。
「ごめんね、わたし知らなくて」
和泉はこそこそしながら、秘密の話があるから、とばかりに俺の耳元に唇を寄せてくる。
「塚本くんは、会長と付き合ってたんだね?」
やっぱり、そう誤解してくるか……。
「断じて違う」
「じゃあ、昨日抱き合ってたのはどういう理由なの?」
昨日のツケを払う時が来たようだ。
これは下手に逃げない方がいいな。
今回は
「……実は、安次嶺とは幼馴染で、ガキの頃よく遊んだ仲なんだ」
「あ、遊んだ……?」
「変な想像するな。ガキの頃って言ってるだろ」
「わ、わかってるよ! えっちな想像なんてしてないもん!」
和泉は赤くなった頬を冷ますためか顔に向けて手のひらで扇ぐ。
思ったより耐性がないヤツなのか?
「だから安次嶺は、俺との距離感がおかしくて。昨日、和泉が見たのもそういうことだよ。あいつなりの親愛の情ってヤツで、友情以上の意味はないんだ。お前が誤解してるように、理解してもらえるかどうかわからなかったから、昨日はつい逃げちまったけど。ちゃんと話しておくべきだったよな」
「そうだったんだ……。ごめんね、わたしには男の子の幼馴染っていたことないから、変な勘違いしちゃった。幼馴染って、そういう感じなんだね」
「わかってくれたか」
よかった。納得してくれた。
もっとも、俺の説明は必ずしも真実ではなく、立場を危うくしないための誤魔化しを含んでいるのだけれど。
少なくともこれで昨日から引きずっていた問題が一つ解決した。
そう安堵したのも束の間。
廊下が急にざわつき、騒がしくなる。
「ここがまーくんのクラスね! たしかにそうだ、まーくんのにおいがするもん!」
変態的なことを口にしながら教室に現れたのは、黒髪清楚系美人の厄介女、安次嶺千歳。
「まーくん、あなたの婚約者が遊びに来たよ!」
ニコニコしながら手を振って、堂々と他クラスに踏み込んでくる。
こいつは本当に、トラブルしか持ち込まないな……。
婚約者、というワードが、学園内で大人気の安次嶺から飛び出したことで、クラスメイトのざわめきが虫の羽音のように強くなった。
「婚約者!? つ、塚本くん、話が違くない!?」
「いや、俺の言ってることが正しくて、あいつが間違ってるんだ」
俺の肩を掴んで、がくがく揺らしながら問い詰めてくる和泉。
「あっ、まーくん!」
「げっ、見つかっちまった」
俺と目が合った安次嶺の表情がパッと明るくなるのだが、一瞬で怪訝そうな顔に曇る。
「……まーくん、どうしてその女と仲良さそうにしてるの? ただのクラスメイトじゃなかったの?」
「クラスメイトだよ」
「それならどうして、その女と仲睦まじそうにしてるの」
「……和泉、ややこしいことになりそうだから手を離してくれ」
和泉が素直に俺の肩から手を離してくれたおかげで、自由になれた俺は安次嶺と向かい合うことになる。和泉も安次嶺の厄介さを悟ってくれていると話が早いのだが。
とはいえ、すっかりクラスメイトの関心はこちらに向かってしまっていて、本当に俺が安次嶺千歳のカレシなのかどうか議論するほど、かれらにとって今一番熱い話題になっているらしかった。
「見ての通り、クラスメイトとじゃれてただけだ。わかったらこんなところにいないで自分の教室に――」
「まーくん!」
安次嶺は、切羽詰まった表情で、俺の両手を握りしめてくる。
「なんでまーくんはわたしのクラスに転校してきてくれなかったの? 二人を結びつけようとしない過酷な運命に弄ばれている気がするのよね」
「いや、たんに学校側が勝手に決めただけで。ちょうどこのクラスが他のクラスより人数少なかったからじゃねえかな」
「運命に引き裂かれる二人!」
安次嶺は、やたらと芝居がかった仕草で床に崩れ落ちる。
こいつは。昨日は二人をくっつけた運命に感謝したと思ったら、今日は呪ってやがる。掌返しに忙しいヤツである。
「そうだよね、きっと私たち、試されてるの。二人が遠い距離に引き裂かれたとしても、互いを想い続けられるかどうか……」
安次嶺の教室は連絡通路を渡った先にある別の校舎にあるから、俺たちの教室とは確かに離れているのだが、まるで遠距離恋愛みたいな感覚でモノを言うのでついていけなかった。
「でも大丈夫! 私はどんなことがあってもまーくんを想い続けるから!」
「わー、塚本くんって、わたしが思ってたよりずっと会長と仲良しなんだね」
「この有様を見てそんな感想が湧いて出てくるなら、和泉も会長と同じ人種って認識しちまうけどいいか?」
「わたしは会長ほど大げさな解釈しないけど、ロマンチックな恋愛に憧れる気持ちはわかるよ。だから会長の言い分もちょっと納得できちゃうかも」
「……敵は二人、か」
せめて和泉が同じ外部生としてもっと冷静だったら、安次嶺がいかにおかしな言動をしているか二人で糾弾できたのに。
安次嶺千歳は、内部生の中では神に等しい立場らしく、誰一人として変なヤツという視線を向けようとしないのだから。
「それで、塚本くんは会長の婚約者なの? なんかすごいよね。うちらと仲良くなるより会長と婚約する方が難しいのに、転校初日であっさりいい仲になっちゃうんだもん」
「和泉、安次嶺のこの態度を見て婚約者って言葉に信憑性があると思うか?」
「……むむ、会長ってちょっと大げさなところがあるなぁ、って今見てわかったよ」
「婚約者っていうのも、なにかを大げさに言ってるだけなんだ。そのなにかは俺にはわからないけど、どうせ大したことじゃないんだろうさ」
安次嶺が自分の世界に浸っているのをいいことに、俺は婚約者問題を片付けてしまおうとする。
目論見は上手くいったようで、クラスメイトから向けられていた疑惑と嫉妬の視線が薄まっているのを感じた。
まあ冷静になってみれば、ほぼすべての生徒にとって安次嶺は高嶺の花だから、そんな相手とぽっと出の外部生な俺が婚約者だなんて信じるはずはないんだよな。
よし。あとは面倒なお嬢様を排除すれば、当分の間平穏が訪れるぞ。
「安次嶺。お前もう教室戻れ。そろそろ予鈴鳴るぞ」
「そうね。時間が来たら私たちは離れ離れ。シンデレラみたいに魔法が解けて王子様とお別れしないといけないの」
「ていうか、シンプルに何しに来たの?」
「まーくんに会いたかったからに決まってるでしょ! もう、まーくんってぜんぜん乙女心がわかってないんだから!」
「それって乙女心とは違う特殊な感覚が必要になって来ないか?」
「千歳!」
飛び込んでくる新たな声。
「ゆーくん?」
「生徒会室からいなくなってると思ったらこんなところに……」
副会長
「ほら、まだ朝の仕事が残ってるんだから、今のうちに片付けないとあとで困ることになるよ」
「そうだよね。私は学園の生徒にしてバリキャリ女子だもん。恋愛する間もないくらい忙しいけど、だから恋愛に夢見て期待しちゃうんだよね」
ちらっ、と俺に視線を向けてくる安次嶺。
「私の心の潤滑油……」
「俺をローション扱いするな」
「うう……またね、まーくん。会えない時間が私をもっともっと強くしてくれるの」
「まーくん? 千歳、それって彼のことかい?」
「武市副会長。仕事が残ってるなら早く戻った方がいいのでは?」
怪訝そうにする武市を促す俺。
武市の安次嶺に対する態度から考えて、この副会長に誤解されるのもよろしくなさそうだから。
そして、安次嶺は武市に連れられて教室を出ていった。
生徒会も朝からフル稼働で大変だな。
「あらら、塚本くんも罪作りだねえ」
やたらと楽しそうにする和泉が、すすっ、とスライドしてきて俺の隣に立つ。
「なにがだ」
「副会長は会長のこと好きかもしれないのに。会長をあんなに夢中にさせちゃうんだもん」
「……かもしれない、っていうか、武市は安次嶺を好きなんじゃないのか?」
「ふつーに考えればそうなんだけどねー。わたしもそっち派。でもみんなは違うみたい。二人が幼馴染ってことはうちの生徒ならほとんどの人が知ってるし、その距離感でいつもいると、異性愛なのか兄妹愛なのかわかりにくくなっちゃうんだよね。だから意見が割れてるの」
「なるほどな」
幼馴染同士の安次嶺と武市という前例を知っているから、和泉は俺の弁明に納得してくれたのかもしれない。
「会長ほどじゃないけど、副会長も人気者なんだよねー。可愛い系のイケメンでファンが多いから。副会長が会長のこと好きだとすると、塚本くんにとって手強いライバルになっちゃうかもね」
「だから俺と安次嶺は幼馴染以上の何物でもないぞ」
「ふふん。塚本くんはそう思ってても、会長は塚本くんと同じ気持ちかな?」
得意そうにする和泉が鬱陶しくて、俺は話を打ち切って自分の席へ向かった。
安次嶺にしろ和泉にしろ、ついでに優花にしろ、なんでこうも恋愛脳なんだ?
俺みたいに全てを放り出して無責任に逃げ出すヤツが、誰かに好かれるとは到底思えないんだが。
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