第13話 俺の義妹は心配性

 翌日。

 目を覚ました俺は、一階へ向かう。

 縁寮は、昔ながらの学生寮なので、風呂もトイレも共同だ。顔を洗うにはわざわざ一階へ降りて、学校の水飲み場のような場所で行わないといけない。

 学校へ向かう時間はだいたいみんな同じだから、他の寮生と顔を合わせることになるのだが、昨日野々部の頼みを断った俺に、冷たくするヤツはいなかった。

 なんとなく申し訳ない気分になる。

 いや、何を気にしているんだ。

 俺には関係ないことじゃないか。だから野々部の頼みを断ったのだ。

 部屋に戻り、買っておいた惣菜パンで簡単に朝食を済ませ、学校へ向かう準備をする。


「……ん? 優花ゆうかからLINEが」


 実家を出る前に約束した通り、優花との電話は一日に一回まで。放っておくと一日に何度も電話を掛けてきてしまうからな。その分、LINEは無制限というキャリアプランのトッピングサービスみたいな約束もしたから、メッセージは頻繁に来る。

 優花は大人しく人見知りをするタイプで、その冷静で賢そうな風貌から冷たい性格だと誤解されやすいからか、友達と仲良くしているという話は聞かない。

 だから、友達に送る代わりに、よく俺にメッセージを送ってくる。


『兄さん、起きてる?』

『学校が近いからって、いつまでも寝てたらダメだよ』


 どうやら優花は、一人暮らしになった途端に俺がだらしない生活をし始めたのではないかと心配しているらしい。


「大丈夫。もう起きてるから」


 そう返信する俺。

 過保護な義妹だ。

 実家にいる時は、心配されるほど自堕落な生活をしていた覚えはないんだけど。


「優花も、人の心配ばかりして遅刻するなよ」

『人の、じゃないよ。兄さんの心配だよ』


 家族になったばかりの時は、ひたすら他人行儀だったことを思うと、感動的な変貌っぷりだ。

 優花がこの場にいたら、思わず抱きしめてしまっていただろう。


「ありがとう」

「でも、俺の心配をするくらいなら、優花はもっと自分のことを考えてくれていいから」

『大丈夫。兄さんのためでもあるけど、わたしのためでもあるから』

「優花のため?」


 どういうことだろう?


『うん。兄さんが一人暮らしになって、心配することが増えたの』

『だって私がそばにいないってことは、兄さんの脇が甘くなるってことだから』

『知らない間に悪い女が転がり込んでるかもしれない……』

『……ていうか今、兄さん本当に一人?』

『一人だよね?』

『横に私が知らない女がいたりしない?』

『いないよね。兄さんは裏切ったりしないから』

『もし兄さんを横取りする女がいたら――』

『あれ? 兄さん返信なくない? 今なにしてるの? ……なにしてるの?』

『ねえ』


 猛烈な勢いで送られてくるメッセージ。

 うちの義妹は文字を打つの速い……って、感心している場合じゃない。

 俺は慌てて文字を打つ。


「待て待て待て」

「落ち着け」

「優花が心配するようなことはなにもない!」

「縁寮は男子生徒のための寮だし、俺を含めて異性を連れ込むようなチャラそうなヤツはいないから」


 これは事実だ。

 野々部を含めて、真面目でお硬そうな連中が多い。

 まあ、寮に入り浸りらしい豊澤は別だけど、あいつは夜になればちゃんとアパートに帰ってるみたいだし、少なくとも優花が懸念しているような事態に発展する恐れはない。


「一人暮らしって言っても、女っ気がない寮なんだよ」

『なんだ。よかった。童貞の巣窟なら安心』

「童貞……」


 義妹から聞きたくなかったワードである。

 ドラマや映画のラブシーンですらちょっと顔を赤くするくせに、どうしてこういう時だけ……。


『じゃあ兄さん、今日も頑張ってね。うちに帰ってくるまで貞操を守り抜いてね』


 なぜ俺は義妹に貞操の心配をされなければいけないのか。


「……わかってるよ。どっちにしろ、俺はこの学園の誰とも深く関わる気はないから」

『兄さん。男の子となら全然関わっていいんだよ?』

『兄さんは兄さんなりに、学校生活を楽しんでほしいよ』

「そこに女子が関わるとしたら?」

『その子が学校生活を楽しめないようにしたい』

「……冗談だ。俺の生活に女子が介入する余地はない」


 どうも優花は、俺が女子と関わることをやたらと警戒している様子。

 これは別に、優花が義理の兄とはいえ俺を異性として見ているという嬉し恥ずかしラブコメ的な意味じゃない。

 せっかくできた兄貴分だから、取られたくない気持ちが暴走して不穏なことを口走ってしまうのだろう。


 親父と母さんが再婚するまで、優花はずっと一人っ子だった。

 それまでは母子家庭で寂しい思いをしていたそうだから、二度と以前のような生活に戻りたくないという気持ちの現れに違いない。


「とにかく、優花が心配するようなことはなにもないから」

「お前も安心して学校へ行ってくれよな」


 俺のせいで、優花には迷惑をかけた。

 俺が起こした事件は、事実とは違ったかたちになって、ボクシング部を飛び越えて、優花とその周囲まで届いてしまった。

 ようやく兄貴と思えるようになった男の醜態に巻き込まれて、優花は肩身が狭かったに違いない。

 だから俺は、転校を決めて地元を離れたのだ。

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