第11話 傍迷惑な仲間

 縁寮よすがりょうに帰ってきた時には、夕焼けだった空が暗くなり始めていた。

 この縁寮は、貴峰学園に通う生徒のために建てられたらしいのだが、着工したのは70年以上も前のこと。

 温泉宿みたいな雰囲気は趣があるのだが、木造建築なので、歩くだけで床がミシミシ軋んでちょっと不安になる。年季の入った木材のにおいも、気にする人は気にするだろう。

 共同の風呂とトイレも含めて、一応水回りはリフォームで整えられているから不衛生に悩むことはないのだが、それでも20年ほど前のことなので、やはり古さを感じることはある。

 その辺に目をつぶると、趣ある建物である縁寮のことは気に入っていた。

 校舎と違い西洋のテイストが入ることのない純和風の屋敷は、武道の道場めいた見た目をしていて、部屋は畳敷きときている。

 フローリングに慣れた俺にとって、旅館に宿泊しているような感覚を味わえた。

 磨りガラスが特徴的ないかにも昭和建築な扉を開けて、広い玄関を抜け、スリッパに履き替える。

 屋敷の中央は中庭になっていて、ちょっとした池がある。鯉を飼っているらしい。早朝に寮母さんが餌をやっているのを見かけたことがある。


 二階に上がった奥の部屋が俺の部屋だ。

 畳敷きの部屋には、座布団と小さな机があり、部屋の両端には本棚が置いてある。本棚は俺の私物ではなく備え付けで、大量の文庫本や専門書が置いてあるのだが、これは代々この部屋を使ってきた先輩たちが置いていったものらしい。本はどれも日に焼けていて、古紙のにおいがする。

 下宿屋のような雰囲気があるが、食事は各自で調達しないといけない。台所は一階の食堂にあって、他の住人の迷惑にならないよう配慮すれば24時間いつでも使用は自由。だが、共同というのが気になって俺は遠慮していた。元々自炊をする習慣はないし、極力他の住人とは関わりたくないからだ。


「向こうの新しい寮なら、キッチンは部屋に備え付けだったんだろうけど」


 窓の向こうには、モダンなデザインのマンションが建っている。

 同じ学生寮でも、向こうは縁寮よりずっと家賃が高い。そもそも中等部時代から在籍している内部生で部屋がほぼ埋まっているので、転校生で外部生の俺には元から借りる選択肢がない。


「夕食はコンビニで買ってきたけど、食事にするにはまだ早いな。それまで何して過ごすか。まあ荷解きでもいいんだがどうにも手を出しにくい……ん? なんだ?」


 机の上に、部屋を出た時にはなかったものが置いてあるのを見つけた。


「手紙……か?」


 書き置きのような便箋が乗っていた。

 残念ながら、古いこの寮は部屋を施錠することができない。

 なんとも無用心だが、そのリスク込みでの破格の家賃設定なので、ある程度の不便はし仕方ないところがある。

 別に盗まれて困るものなんてないので、侵入者の存在を気にすることはなかったのだが。


「知らない間にこんな手紙を置かれるのは、さすがに不気味だな」


 手に取って読んでみる。


「『塚本君へ。今日は君のためのささやかな歓迎会を用意した。以下の時刻に食堂へ来られたし』か。なんだ、これ? 歓迎会? そんな習慣あったのか?」


 入寮時の説明では聞かされていないから、寮生の間で決めたサプライズパーティーなのだろうか?

 マズいな。都合が悪い。

 こんな古い寮に住むのは、周囲に無頓着な変わり者だと決めつけていたから、誤算ではある。


「挨拶回りをした時は、みんなあっさり素っ気ない感じだったから、余計な干渉をしなさそうだったんだが……」


 かといって、せっかく企画してくれたイベントを無視するのも良くない気がする。

 こういうところで真面目な性根が顔を出してしまう。


「……まあいいや。ちょっと顔を出して、さっさと部屋に引っ込んでしまおう」


 ひんしゅくを買って憎まれても面倒だ。

 重い足を引きずって一階に降りた俺は、屋敷の北側にある食堂に入ろうとする。

 左右にスライドさせるタイプの木製の扉を開けた時、一瞬、剣呑な空気が肌に突き刺さるのを感じた。

 それは、咄嗟の判断だった。

 一瞬の判断の連続で相手の攻撃を凌がないといけない世界で生きてきたおかげで、自分の身に迫る危険を肌感覚で察することができる。


 パシンッ!


 食堂に響く、弾けるような音。

 俺の右掌は、顔面を狙って飛び込んできた拳を受け止めていた。


「――ッ!?」


 いきなり俺に向かって殴りかかってきたそいつの目が、驚きによって見開かれる。


「……へえ、やるじゃん」

「これがサプライズのつもりなら、俺はもう帰らせてもらうけど?」

「違うよ、勘違いすんな」


 そいつは拳を納めると、寮生襲撃犯とは思えないくらい偉そうに胸を張った。

 見かけない女子だ。以前挨拶をした時も、会った覚えがない。

 俺がそう思うのも、一度会えば忘れないくらい目立つ容姿をしているからだ。


 初対面でパンチしてくるくらい気性が荒いから気の弱い人なら視界に入れることすら躊躇うだろうが、恐れを乗り越えてじっくり観察すれば目鼻立ちの整った綺麗な顔をしていることがわかる。その顔には、勝ち気とわかる気の強そうな表情がいつでも浮かんでいる。

 金の明るい髪色は、染めているのだろうけれど髪のツヤに影響を与えておらず、ポニーテールにしているせいで少し体を揺らすだけでサラサラと淀みなくなびいた。

 身長は高く、170センチ程度はありそうだ。細身で手足は長いのだが、その分、胸の盛り上がりもあまりなさそうに見える。

 両耳にはピアスがあって、人差し指には指輪が嵌っていた。貴峰学園の校則ではアクセサリの着用は禁止されているから、遵法意識の低い生徒なのだろう。制服も着崩していて、ブラウスは腕まくりしているし、胸元のボタンは結構開いているし、ブレザーは腰に巻かれていた。


「ん? なにジロジロ見てんだ?」


 ヤンキーっぽいノリで、そいつが俺を見上げてくる。


「警戒してるんだよ。出会い頭にパンチする女なんて初めて会ったから」

「安心しな。テストはもう終わりさ」

「テスト?」

「あたしらの仲間になるのがどんなヤツか気になって試させてもらったんだ。お前は合格だ。気に入ったよ」


 勝手に気に入られてしまったようだ。……面倒だな。


「お前、なんか格闘技やってるだろ」

「……いや、何も。ただの帰宅部だ」

「ウソつけ。あたしのパンチは不意打ちだったし、死角から打ったんだ。それを完璧に防いだ。あんな芸当、素人には無理だよ」

「偶然だ。びっくりして手を広げたところにお前のパンチが飛び込んできただけだ」

「怪しいなぁ。強さを隠す必要なんてあるか?」


 好戦的なヤンキー女が距離を詰めてくる。

 どうも俺は選択を誤ったらしい。

 素直にぶん殴られておくのが正解だったようだ。


「まあいいや。今はお前の歓迎会が先だしな。あたしは豊澤朱音とよさわあかね。二年だから、お前とタメだよ。よろしくな」


 ついさっきまで俺に向かっていた手が、今では握手のかたちになっている。

 白い歯を遠慮なく見せる満面の笑み。

 メンチ切ったり笑ったり、こいつの情緒がちっともわからん……。


「悪いけど、いきなりぶん殴ろうとした相手と握手なんかできないな」

「いいじゃねえか。お前の実力なら、あたしのパンチはどっちにしろ当たらなかったんだから」


 豊澤は、一切自分が悪いと思っていないようで、笑みを崩そうとしない。

 そんな中、すらりと細い長身の男子生徒が割って入ってくる。


「すまない。これも豊澤を止められなかったオレの責任。どうか怒りの矛を収めてはくれないか?」

「……お前は?」


 豊澤の仲間らしいということで警戒を強めてしまう。


「オレは野々部ののべという者だ。フルネームは野々部哲也てつや貴峰たかみね学園の二年生。ここで寮長をやらせてもらっているゆえ、責任のすべてはオレにある」

「寮長? 今日初めて見る顔だな。入居した時に、住人には一通り挨拶をしたはずなんだが」

「成る程。タイミングが悪かったのかもしれぬな。オレは普段、寮にいることは少なく外出していることが多いゆえ。寮長の責務として、極力寮内にいるべきとわかってはいるのだが、どうしても成さねばならん大義があってな」


 妙な話し方をする男だ。

 かといって、見た目まで独特かというと、そうでもない。

 豊澤とは対照的な、校則を完璧に遵守して着こなした制服。

 メガネをかけていて、真っ黒な前髪は真ん中で分けられていて、野暮ったくない程度にきっちり刈り込まれている。

 身長は俺より高いのだが、細身なせいで、高いというより「長い」という印象を持つひょろっとした感じだった。

 話し方のせいでクセのある人物像を思わせるのだが、よく見れば整った顔立ちをしている。おかげで、独特な雰囲気が中和されていた。


 いや、待てよ。

 こいつに見覚えがあるぞ。

 ……そうだ。俺は今朝、正門の近くでデモをやっている連中を見かけた。

 こいつは、その先頭に立ってアジっていた男と同一人物じゃないか?


「如何した? 悪いがオレは腕力による争いを好まぬ。豊澤のようにケンカを仕掛ける目論見は皆無だ。それでも君が腕力で押し通す腹積もりなら、こちらに非がなかろうが頭を垂れて見せるが?」

「いや、いい。もうわかった。俺だって揉めるつもりはない」


 歓迎会とやらに参加する前から疲労感でいっぱいだ。

 野々部は武闘派ではないと自称するのだが、今朝の光景を見る限り、ひょっとしたら豊澤より好戦的な感じすらする。

 一応今は、アジっていた姿からは程遠い冷静な立ち振舞いをしているのだが、こういうヤツに限って一度スイッチが入ったら手が付けられなくなるからな。警戒するに越したことはない。

 食堂には、豊澤と野々部以外に寮生の面々もいる。総勢で7名ほど。

 とはいえ、彼らの場合、挨拶をした時の反応は自然なものだったから、豊澤と野々部ほどクセのある人達ではなさそうだ。数で押し切られる心配をしなくて良くなった分、気がラクになった。

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