第10話 俺と義妹

 寮に引っ越し終えて、転校後初登校を控えた前日のことだ。

 俺は、実家に残してきた義妹と通話をしていた。


『――兄さん、寮の生活はどう?』

「ああ、とりあえずはなんとかな。あとは明日、遅刻しないで登校するだけだ」


 寮内の薄い壁を気にしながら、俺は答えた。

 電話越しだと、面と向かって話すよりずっと素っ気なく聞こえる義妹の声。

 けれど、冷たそうなのは見た目の印象だけで、実は思っているよりずっと寂しがり屋なことを、今の俺は知っている。

 そんな義妹を、実家に置いてきてしまったのは心苦しいのだが、今は俺がそばにいた方がかえって義妹に苦労を掛けてしまうのだから仕方がない。


「そっちはどう? 俺が出て行って親父と母さんは寂しがってないか?」

『平気みたい。むしろいちゃつくせいで私の方が居心地悪いよ』

「そう言うなよ。やっと結婚の幸せを掴んだんだから」

『……兄さんがうちにいたら良かったのにな』

「その場にいたとしても、別に俺は止める気はないぞ? 注意はするかもだが」

『違うよ。お母さんとお父さんに対抗して、私たちもいちゃつくの』

「兄妹でいちゃついてどうするんだよ……」

『血が繋がってないから問題なし、だよ』

「問題しかないだろ」


 つい笑ってしまう。

 ブラコンな発言をする義妹――優花ゆうかの態度が、今では微笑ましい。

 親父が再婚し、母さんの連れ子としてやってきた直後の優花は、俺のことを警戒して目も合わせてくれなかったから。


「俺のことはいいんだ。そっちは……大丈夫か? 学校とか、優花の周りのこととか」

『兄さんが心配するようなことはなにもないよ。元々なかったんだよ。……だから、兄さんが転校する必要だってなかったの』


 優花は強がっている、と思った。

 俺のせいで、優花にも迷惑を掛けたことは間違いないから。

 その後、俺は優花と他愛無い兄妹の会話をするのだが。


『あ、そうだ。兄さん』

「どうした? 妙に真剣な声音だな」

『大事なことだよ。兄さんが一人暮らしをしたせいで、私は学校での兄さんのことは何もわからないから』


 俺の学校生活を心配してくれているのだろうか?


『兄さんに女ができたら、私のところに連れてきてね。査定するから。……厳しく』

「女って。カノジョのことか? じゃあ安心してくれ。俺にカノジョなんてできるはずないから」

『とにかく。絶対だからね』

「お、おう。ずいぶん迫力あるな」


 うーん、将来的には自分の義姉になるかもしれないから、警戒しているのだろうか?

 優花は人見知りが激しいし、そう考えるのが自然か。


「わかったよ。万が一、うっかりカノジョでもできようものなら、真っ先に優花に紹介するから」

『うん。私も、指で窓のサンをなぞってホコリが溜まってた時に怒る練習しておくから』


 何その昭和の姑みたいなムーブ……。

 実家にいた頃は見せなかった姿だけれど、それだけ俺に素を見せてくれるようになったというわけで、好ましい変化に違いない。


『それと兄さん』

「まだなにかあるのか?」

『……矢嶋さんは、兄さんが思っているよりはずっと兄さんのことを許してるよ』


 矢嶋。

 ……矢嶋樹やじまいつき

 その名前を耳にした時、強い憂鬱と罪悪感に襲われる。

 俺は、優花のことを大事にしているつもりだが、矢嶋の名前を出した時、どうして今その名前を出すのかと苛立ってしまった。


『この前会った時も……』

「優花」


 自分でも驚くくらい冷たい声になっていて、俺は慌てて咳払いで仕切り直す。


「……優花。悪いけど、今は矢嶋の話をするのはやめてくれ」

『……うん、ごめんね』

「いや、いいんだ。悪いな、俺のことを心配して言ってくれたのに……」

『私は、兄さんの味方だから』

「ああ、ありがとう」


 一日に一度の、大事な義妹との会話をこんなかたちで台無しにしたくないものだ。

 とはいえ、元はといえば、こんな気まずいことになっているのも全て俺が原因。

 後輩である矢嶋に対する責任を負うことなく、逃げるように転校したせいだ。

 それからは、一瞬重くなった空気を誤魔化すみたいに、他愛のない会話になり、その日のやりとりを終えた。


 俺は、罰せられなければならない。

 それなのに、誰も俺のことを知らず、誰も俺を罰することができない環境にやってきてしまった。

 自分のことながら、この矛盾した行動に出てしまった意味がわからない。


「……安次嶺じゃないけど、これも『運命』なのかもしれない」


 逃げた先で、俺のことを昔から知っている安次嶺に再会してしまった。

 安次嶺が知っているのは、小学校時代からの付き合いである後輩に対して取り返しのつかないことをするよりずっと前の俺だ。

 けれど、その延長線上に今の俺がいるのだ。

 やたらと強い好意を示す安次嶺なだけに、今の俺のことを知ったらその気持ちが反転して憎しみすら向けてくるかもしれない。

 たぶん、そうなるのが怖いのだろう。

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