第9話 幼馴染の思い出 その2

 だが、まだわからないことがある。

 仲良くしていたグループの中に、安次嶺あじみねがいたことは思い出した。

 それでも……結婚の約束をするに至った理由はまだわからない。

 男女の隔てなく無邪気に遊んでいた俺たちに、結婚なんてワードが出てくるようなイベントがあったとは到底思えないのだが。


「でもね、みんな仲良くしてくれたけど、私にとってはまーくんだけが特別だったんだ」

「わからないな。俺は特別あの中で目立つわけでもなかっただろ」

「ほら、一度すごい雨が降ってた時があったでしょ?」

「……あった」


 安次嶺の言葉に脳を刺激されて、次第に思い出してくる。


「私ね、あの日パパと大ゲンカして、家にいたくなかったの。それで家を飛び出しちゃったんだけど、行く場所なんてないから結局ミミズク公園に行っちゃったんだよね。すごい雨の日だったから、結局誰もいなくて、余計寂しくなったんだけど、他にどこにも行けないから公園にある丸いかたちしたトンネルみたいなところに入って震えてたの」


 俺の前に立っていた安次嶺が、瞳を潤ませて俺の手を取る。


「そこに来てくれたのが、まーくんだったんだよ!」

「……俺?」

「そう! 私が寂しくて怖い思いをしているのに気づいて、私を助けに来てくれたの!」


 安次嶺は勘違いをしていた。

 それじゃまるで、安次嶺の不安を察して颯爽と駆けつけた正義の味方みたいだ。

 あの日、雨のせいでいつもの友達は誰もいないとわかっていても、いつものクセで公園に足を運んでしまっただけなのだから。

 安次嶺のことなんて、考えてもいなかった。


「それで、私のために、雨が止むまで一緒にいてくれたんだよね」

「……そりゃ、いつも遊んでる仲間が一人でめそめそしてたら、そのまま放っておくわけにもいかないだろ」

「あの時にね、まーくんからどれだけ愛されてるか気づくことができたの。それまでは私にとってのまーくんって、みんなと元気に楽しそうにしてる遠い世界の人って印象だったんだけど、おかげで一気に身近に感じられるようになったんだ」


 きっかけそのものは、安次嶺とは無関係なことだったとしても、結果的には安次嶺のためになることをしていたようだ。


「それで私も勇気が出るようになって、まーくんと仲良くできるようになったんだ。真斗くんじゃなくて、まーくんって呼ぶようにした。そこまで想われてるのに、他の友達と同じような感じだったら、まーくんから冷たい人って思われちゃいそうだから」


 段々思い出してきた。

 突然愛称呼びになったことで、周りの仲間からよくからかわれるようになったのだ。

 小学生の頃のことだから、そういうノリがなんだか恥ずかしくて、俺としては安次嶺と距離を置くようなことばかりしてしまっていた。

 それでも安次嶺は、やたらとついてまわってきたのだ。

  

 ――まーくんはスナオじゃないから、キラいはスキってイミなんだよね! わたし知ってるもん!

  

 などと言って、それはもう自分の解釈を一切疑っていない嬉しそうな顔で。

 やばいな。安次嶺め、今と昔で性格が全然変わってない……。


「だから勇気を出して、まーくんを夏のお祭りに誘っちゃったりして」


 安次嶺がうつむいてもじもじする。


「……ああ、覚えてるよ」


 当然他の仲間のことも誘っているものと思って迎えた当日。

 待ち合わせ場所には安次嶺しかいなかった。

 ハレの日の安次嶺は、浴衣で着飾るわ、普段は下ろしている髪を編んで髪飾りをしているわで普段と違う魅力を醸し出していたので、第二次性徴期を迎えるよりずっと前だったくせにドキドキしっぱなしだった記憶がある。


「でも俺にとって、あの夏祭りは楽しいだけの思い出じゃないぞ」

「まーくんには悪いけど、私にとっては大事な思い出だよ」

「……そうかよ」

「小さな町のお祭りなのに、たくさんの人がいたよね。中学生もいて」

「そしてお前が絡まれたんだよ。お前が不注意だから、持ってたバナナチョコでガラの悪そうなガキの服を汚したんだ」

「私、謝ったのに」

「そいつの股間を蹴り上げたら謝罪も台無しなんだよ……」

「だって。男子から困ったことをされそうだったらそこを蹴ってやりなさい、ってパパが教えてくれたから」

「そんなところで聞き分け良くならなくていいんだよ。おかげで大変な目に遭った。リーダー格をやられて怒る中学生とガチバトルをするハメになったんだ」

「でも、まーくんがみんなやっつけてくれたから」

「尻拭いの代償はデカすぎたなぁ……」

「危ないところを助けてくれたまーくんを見て思ったの。私が将来結婚するとしたら、この人しかいないって。私が困ってたら、すぐ駆けつけて助けてくれる人」


 ずいぶん都合のいい男を求めるんだな……と俺は呆れてしまう。

 これが何不自由なく育ったガチお嬢様の本領ってやつか……。

 安次嶺が腰を屈める。

 ベンチに座っている俺とばっちり視線が重なってしまった。


「だから私、あの時結婚の約束したんだよ?」

  

 ――まーくん、あのね、わたし、しょうらいはまーくんとケッコンしてあげる!

  

 そう言われただけで、どんな状況で言われたのか不明瞭だった記憶が蘇ってくる。

 俺は、本来ならやらなくてもいいケンカの代償で体がボロボロで動けなくなっているのに、安次嶺だけは、「わたしのウンメイのひと!」だの「ぴんちにたすけてくれる王子さま!」だの大はしゃぎだったのだ。

 だが、思い出せないこともあった。

 俺を放って、自分の世界に浸っている女の子からの求婚を喜んで受け入れるほど、当時の俺は大人ではなかったと思うのだが。


「……悪いが、その時の俺はなんて返事をしたんだ?」

「…………」

「なんて?」

「結婚しよう、君以外考えられないよ、って」

「今、考えただろ?」

「アナタガソウイッタンダヨ?」


 真顔でウソをつくな。

 当時の俺が、そんな気の利いたセリフを吐けるはずがない。

 今だって無理なのだから。


「でも、結婚には同意してくれたもん!」

「思うんだが、殴られた痛みでそれどころじゃないのに、安次嶺が結婚する約束をしろしろうるさいから、黙ってほしくてハイハイって適当に答えただけじゃないのか?」

「……どんなニュアンスであれ、うんって言ったことに変わりはないよね! 肯定の価値は等しく全部同じだよ!」


 無茶をゴリ押そうとしてくる。

 どうやら、安次嶺が結婚の約束を提案してきたことはあっても、俺が同意した事実はなさそうだ。

 よかった。

 これで安次嶺に追い回される理由はなくなる。

 あとは、もうこれっきりで俺に関わらないでくれ、と突き放せばいいだけ。

 かつての遊び仲間には違いないが、かえって今の俺にとって危険な存在だ。

 俺の過去を知っているヤツとなんて、絶対に馴れ合いたくない。


「運命の人だ云々はお前が勝手に言ってるだけのことだったな。悪いが、転校してきたのはお前のためじゃないんだ。100%自分のため。もうこれ以上は俺に――」

「待って!」


 安次嶺が、突然俺の肩を押さえつけてくる。

 なんだ、俺の方がずっとガタイがいいし鍛えてるはずなのにこんな時だけやたらと力が強いぞ。立ち上がれねえ……。

 それ以上に恐ろしいのは、瞳を閉じたまま俺に顔を寄せてきていることだ。


「何をするつもりだ?」

「誓いのキスだよ……!」

「俺は何も誓う気はない……!」

「結婚、して!」


 まるで結婚に焦る切羽詰まった妙齢の女性みたいな勢いを感じる。

 俺にこだわらんでも選び放題だろうに、なんだこの執着は。

 まさか本当に、祭りでバカな中学生から助け出しただけで運命の人だと信じているのか?


「だって、もう二度と会えないと思ってたのに……」

「は?」

「あのあと私はすぐ引っ越しちゃって、何も言えないままお別れしちゃったから……」


 そして、安次嶺の目の端から光るものが流れ出す。


「一度は忘れようとしたんだよ? だから君と再会してすぐ思い出せなかったの。叶わない初恋をずっと抱えてたって、苦しいだけだから。でも、違った」

「…………」

「もう二度と会えないと思ってたのに再会できちゃったんだもん。もう本当の本当に運命だよ。まーくんと何もないままお別れなんてできるはずない」


 安次嶺千歳は、思い込みが強いし、すぐ自分の世界に入り込むし、人の話を聞かないということは今日一日だけでも嫌というほどわかった。

 厄介な女。

 でも……そんなヤツでも、目の前でポロポロ泣かれたら、突き放す気持ちは失せてしまう。

 俺が甘すぎるせいか。

 いや、違う。

 ただでさえクソ野郎な俺は、どんな理由であれ、もう二度と誰かを悲しませるようなことをしてはいけないのである。


「わかった」

「えっ?」

「……安次嶺の気持ちはわかったって言ってるんだ」

「そっか。ねえ、新居はどこがいいかな?」

「色々すっ飛ばしすぎなんだよ……結婚するとは言ってないからな」

「やっぱりクラスメイトを自称していたあの女をどうにかしなきゃ……」

「なんか怖いことを言うな。和泉は本当にただのクラスメイトだから」


 再び、ぐぐぐ、と顔を近づけてくる安次嶺。既成事実をつくろうとするな。


「落ち着け。俺も転校してきたばかりで、色々気を遣うことが多いんだ。今の俺には、そんな色んなタスクは処理できない。だから、キスの件とか結婚の約束とか、とりえあず今は保留にしてくれ」

「…………」

「今は、再会できただけでも良しとしてくれないか?」

「……わかった。私はちゃんと待てる女だから。こういう時に正妻の余裕が試されるんだよね」


 正妻というめんどくさワードが出てきた……。

 自ら口にした「正妻」という言葉で悦に浸ってご機嫌らしいので、余計なことを言って蒸し返すのは止そう。


「わかってくれて嬉しいよ。俺はこれから荷解きがあるから、もう帰るよ」

「荷解き?」

「ああ、引っ越して間もないから。やらないといけないことがたくさんある」

「そうなんだ。まーくんはどこに住んでるの?」

「……普通の安アパートだよ。一人暮らししてる」


 縁寮で暮らしていることは伏せた。

 住んでる場所を知られたら、追いかけてきそうな勢いがあったからな。


「そうなんだ! でも一人暮らしは大変でしょ? 私のツテでいい物件紹介してあげようか? 私の隣の部屋空いてるよ?」

「さりげなく自分の家に住まわせようとするな」

「私の部屋も、空いてるよ?」

「家主として自分の部屋は大事にしてくれ」

「でも私の中には、まーくんがいつもいるからね」

「…………」

「私のことを好きなまーくんのことは、私が責任を持って大事にしてあげなきゃ」


 ふふふ、と夢見がちな顔をしてトリップモードに入る安次嶺。


「まーくんは同棲って言葉に憧れはないの?」

「……その辺も、おいおいな」


 俺はベンチから立ち上がり、無事綺麗な体のまま寮へ帰れることになった。

 激動の初日。

 でもこれから、荷解きやらなんやらでまた疲れることになるんだよな。

 これも俺に課せられた罰として、頑張るしかないだろう。

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