第8話 幼馴染の思い出 その1
今日ほど、ハードなトレーニングを続けてきて良かったと思った日はない。
爆弾発言を連発するボムお嬢様を抱えたまま走り続け、無事に学園の生徒がいなさそうな寂れた公園までたどり着くことができた。
ベンチに深く腰掛けた俺の隣で、安次嶺は相変わらず、ぽ~っとしたような表情をしている。
「つ、疲れた……」
転校するまでの一ヶ月間はほとんど体を動かさなかったせいで、流石に無茶が祟った。
そもそも、女子一人分を抱えて走るトレーニングなんて今まで一度もしたことがなかったからな。
今度練習に取り入れ……って、俺はもうボクシングを封印したのだった。
「まーくん、力持ちなんだね!」
きゃっきゃと無邪気に喜ぶ安次嶺。
その手には、すぐ近くの自販機で購入した缶ジュースがある。口止め料というわけではなく、俺が飲むついでに買っただけだ。疲れているのは俺だけだけど、俺だけ飲むのもなんだか気が引けた。
「……ああ、重かったよ。結構体重あるんだな」
「そうなの。最近ちょっと胸が苦しいなと思って測ったら、大きくなってたんだ」
「……ああ、そうかい」
意地悪ついでで言ってやったのだが、安次嶺は意に介すことなく俺の方が返り討ちを食らったみたいになる。
「でも今もね、苦しいんだよ、胸」
「…………」
「まーくんと再会しちゃったから!」
真っ赤になった顔を手で覆い、両脚をバタバタさせて一人で盛り上がる安次嶺。
「悪いが、この場ではっきりさせよう」
「挙式の日取り?」
「なんでだよ。俺は結婚に同意なんかしてない」
「まーくんって昔からそういう素直じゃないところあるよね。まーくんの『ない』は『ある』って意味なんだよ。私、知ってる」
「もうなんでもありじゃないか。無敵だな、お前は」
頭を抱える俺。
まさかここまで話の通じないヤツだったとは……。
「とりえず、今はちょっと聞きたいことがあるから、その辺のことは置いておいていいか?」
「ここでキスしてくれたらいいよ? 黙っててあげる」
「なっ!?」
キス発言程度で動揺するのは我ながら恥ずかしいのだが、あいにく異性関係に不慣れなのは事実だ。隠したってしょうがない。どうだ、男らしかろうが。
「……今は無理だ。ほら、人通りがあるかもしれないし」
「私は気にしないんだけどなぁ。じゃあ、まーくんが飲んでるそれと私の交換して」
キスをせがまれるよりは、と俺は飲みかけの缶ジュースを交換し合う。
安次嶺は、俺から受け取った青いカラーリングのスポーツドリンクをじっと見つめると。
「い、いただきます!」
黙って飲んだっていいのに、その辺はお嬢様なりの行儀の良さってことか、なんて思っていたのだが。
安次嶺は、俺の飲みかけジュースの飲み口に、ちゅっ、と口づけをした。
「ふふ、まーくんの味。もらっちゃった」
うっとりした顔で、やたらと感慨深そうにする安次嶺。
「おい」
「なに?」
「……飲みたくて交換したんじゃなかったのか?」
「違うよ。直接キスがダメなら、間接キスならいいかと思って」
じっ、と俺の手元を見つめてくる安次嶺。
「まーくんの番だよ?」
「なにが?」
「私の缶とキスしないの?」
「間接キス目的で飲みかけジュースを飲むような変態的な趣味はない」
「それじゃあ私が変態みたいじゃん」
「変態以外の何者でもないだろ」
「そうだ、まーくん。これ、空き缶になったら記念にもらっていい?」
「何の記念だよ」
「再会の記念。帰ってお部屋に飾るの」
「……勝手にしろ」
「やった。まーくんも私のそれ、飾っていいよ?」
「こんなものをコレクションする趣味はない」
「……や、やっぱり、ホンモノの方がいいから? そうだよね、やっぱりまーくんだって、直接キスしたかったよね」
おもむろに目を閉じてこちらに向き合う安次嶺。
「私はいつでもいいよ?」
「俺はいつでも嫌だ」
「あっ、そんなこと言って!」
「安次嶺、真面目な話をしていいか?」
安次嶺のペースに乗せられたら、俺は安次嶺の言いなりになってしまう恐れがある。
相手の得意分野に引きずり込まれて試合に負けた悔しさを思い出せ。俺は俺の戦いを続けるべきなんだ。
「これ以上好き勝手色々言うつもりなら、もう関わらないぞ」
「……わかった」
俺の本気が通じたらしく、安次嶺は退いてくれた。
「ごめんね。再会できて嬉しかったの。これまで会えなかった分も、まーくんといっぱいお話したいって思っちゃったんだ」
しゅんとする安次嶺を前にすると罪悪感が湧くな……。おかしいな。人の話を聞かない安次嶺にチクリと刺した俺が悪いわけではないと思うのだが。
「……その再会とやらにも関わってくることだから。ともかく、安次嶺は昔、俺と会ってるんだよな?」
「そうだよ。小さい頃よく遊んだの。本当に覚えてないの?」
「小さい頃……安次嶺って、実家は随分な資産家らしいな? でも俺は一般家庭の普通の子だ。接点があるとは思えない」
「私は別に、まーくんが思ってるほど箱入りじゃないよ。ずっと家の中にいるわけじゃないし、家の決まりが厳しいってわけでもなかったから。小学生の時は、よく外に出て遊んでたの」
ベンチから立ち上がり、俺の向かいに立つ安次嶺。
腕を後ろで組んで姿勢良く立ち、夕焼け空を背負っていると、一枚の絵画のようだ。
本当に綺麗で、清楚可憐な女の子だ。
口さえ開かなければ。
「ちょうどこんな感じの場所だったかなぁ。フクロウのかたちをした時計が目立つ公園で、同い年くらいの子で集まってよく遊んでたんだよ」
「……フクロウの……時計? もしかして、ミミズク公園か?」
「そう! そこ!」
「なるほどな。……確かに、俺と安次嶺は昔会っているみたいだ」
安次嶺が口にした公園のことは、俺もよく覚えていた。
小学校低学年くらいの頃、俺は有り余る体力を外で遊ぶことで費やしていた時期がある。
通っている小学校からさほど離れていない場所に公園があって、そこは小学生のたまり場になっていた。
同じ小学校のやつはもちろん、近くの区域の小学生も集まっていて、かといって陣地争いで揉めるようなこともなく仲良く楽しく遊べていた覚えがある。
家で楽しめることなんていくらでもあるのに、わざわざ外で遊ぼうとする連中が集まっているわけだから、当然活発でやんちゃなヤツが多い。
その中に、毛色の違う大人しそうな女の子がいた。
小学生なんて男女の区別があってないようなものだから、同年代の女子もそのたまり場で仲良くしていたのだが、そいつだけは小学生の時点ではっきりと「女の子」と感じさせるほどの可憐な容姿をしていたのだ。
飛んだり跳ねたり忙しい俺たちと違って、その子は少し離れた場所から見守っていることが多かったけれど、別に仲間外れにされていたわけじゃない。
走り疲れたヤツがいれば、その子のもとへ寄っていって、一緒に話して楽しんでいた記憶があるから、寂しい思いはさせていなかったはず。
「確か、走りにくそうな格好をよくしてたよな? ワンピース着てたりスカート履いてたり」
「女の子っぽい格好しないとダメってパパがうるさかったから。そのくせ、汚したら汚したで怒るし」
「それで遠くから見てるだけだったのか。でもあの公園にいたってことは、あの近くの小学校に通ってたのか? 安次嶺みたいなお嬢様が?」
「通ってる学校は私立の別の学校だったけど、あの時は公園の近くの家に住んでいたから。遊びに行くにはあそこが一番近かったし、行けば誰かしら遊んでくれる人がいたからね」
「なるほど」
道理で、一人だけ毛色が違うわけだ。
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