第7話 再会と危機
放課後になる。
長かった転校初日の学校生活もこれで一段落だ。
帰り支度を終えて、教室をあとにしようとした時だ。
「塚本くん、今日はこのまま帰るの?」
跳ねるような勢いで、
同時に香ってくる、シャンプーなのか香水なのかわからないがとにかく爽やかで甘い匂い。
「ああ。他にすることもないしな」
しまった、と言ってしまってから気づく。
「用事ないの? じゃあ、わたしたちと一緒に遊ばない? 今日はこれからカラオケでも行こうってことになってて~」
和泉が指し示す先には、陽キャグループのみんながいた。
でも和泉の友達はみんな内部生だろ。和泉はいいけど俺みたいな普通の外部生は歓迎されないから遠慮するよ。
そういう論法で断ろうとしたのだが、どういうわけか陽キャグループのみんなは、俺のような異物が混ざるかもしれないというのに嫌そうな顔をしていない。
こっちこいよ、とばかりに微笑んだり手招きしたりしている。
どういうことだ?
まあ、武市が言っていたように、学園の歴史を引きずるあまり強烈に外部生を嫌う内部生は一部に過ぎないそうだから、たまたまうちのクラスにはそういうヤツがいなかったってことか?
もしかしたら、和泉の人徳のおかげもあるのかもしれないけど。
その明るい性格で、邪気を払う力があるというか。
「ね、ね。塚本くんも行こ?」
俺の手を取って、ぶんぶん振ってくる和泉。
小動物的な人懐っこい可愛さにほだされそうになるのだが、ここで屈してはいけない。
「悪いが、俺は寮生活を始めたばかりなんだ」
「寮って、もしかして縁寮?」
「ああ。引っ越したばっかで、部屋がダンボールだらけ。早いところまともに暮らせる環境にしておきたいんだよ」
「うーん、そっか。寮生活なんだね。じゃあしょうがないかなぁ」
「悪いな」
「いいよ。だって、塚本くんを誘う機会はこれからいっぱいあるんだもん!」
「……あ、ああ。じゃあな」
陽キャと一緒にいるのもそれはそれで疲れるな、と思いながら俺は教室をあとにする。
寮生活を始めたばかりで忙しいのは事実だ。
学園は全寮制というわけではなく、自宅通学の生徒も大勢いる。学園に在籍する資産家の子女たちは、大半がそうだ。
俺が寮生活を選んだのは、地元を離れて暮らすためだ。
実家を離れるにあたって、大反対したのは妹だった。
俺の妹は頭に義理のつく妹で、ようやく家族らしい付き合いができるようになってきたところだったから、離れるのは心苦しかったけれど、定期的に連絡をする、ということでどうにかなだめることができたのだった。
荷物に荷解きをする面倒を感じながら、学校を出ようとした時だ。
「――待って!」
誰かに呼び止められた。
振り向いた先にいたのは、午後の橙色の明かりで艷やかな黒髪に天使の輪が浮かんだ美少女。
正直、またか……という気持ちだったよ。
「よかった。そのまま行っちゃわなくて」
「……なにか、用か?」
荷物運びの件を思い出した俺は、すでに疲労感を覚えていた。
「あのね! 思い出したの!」
ぐいっ、と背伸びをして顔を寄せる安次嶺。
どうもこのお嬢様は諦めが悪いらしい。
「塚本真斗! 塚本真斗でしょ? あなただったんだ!」
「……確かに、さっきそう名乗ったけど」
「違うよ、あなたは」
「本名を否定するなよ」
「まーくんだよ、まーくんだったの!」
「えっ……?」
「私の運命の人!」
およそ日常会話で耳にすることがなさそうな芝居がかったセリフとともに。
「あっ、おい!」
放課後の学園で、安次嶺が抱きついてくる。
何故?
変わっているとはいえ、こんな美少女から熱烈な抱擁を受ける心当たりはない。
どこかの誰かと勘違いしているんじゃないだろうな?
だいたい、まーくんと呼ばれたことなんて、一度も……。
――まーくん、ねえ、まーくん!
ん? なんか、デジャブが……。
――まーくん、あのね、わたし、しょうらいはまーくんとケッコンしてあげる!
存在しない記憶。
……と断定するには、やたらと鮮明なフラッシュバックだった。
「まーくんは、私と結婚する約束を守るために転校してきてくれたんだよね?」
どこか曖昧な感覚が残る記憶と違い、はっきりした声が響く。
「は? お前、何言って……」
「よかったぁ。ずっと会えないでいるうちに、私のことなんて忘れちゃったと思ってたから!」
すぐ近くにある安次嶺の瞳には光るものが浮かんでいて、長いまつげと一緒に瞬きをすると目の端からキラキラとした雫がポロリと落ちた。
「でもしょうがないよね。私だって、すぐにはまーくんのこと思い出せなかったんだもん。これでおあいこ。だから私、まーくんのこと全然怒ってないよ? ていうか、転校してまで戻ってきてくれてすっごく嬉しい!」
「一人で話を進めるな……俺は」
お前のことなんて知らない!
そう突き放したかったのだが、まーくん、と呼ばれた途端に芋づる式に記憶が掘り起こされていく。
確かに俺は昔、「まーくん」と呼んでくる女の子と出会っているのだ。
だけど俺、結婚の約束なんてしたか?
思い出せない……。
今も昔も俺は俺だ。女の子に面と向かって「結婚しよう」なんて言えるような性格じゃないと思うのだが。
かといって、安次嶺が俺に対してウソをつくメリットなんてないわけだし……意図がちっともわからん。
「あれ……塚本くん?」
戸惑うような声。
陽キャ仲間数人を引き連れた和泉が立っていた。
やばい。
厄介な女子、もう一人追加だ。
おまけに、安次嶺会長に抱きつかれているという危険な状況でもある。
「つ、塚本くんが、安次嶺会長を泣かせてる!?」
和泉を中心に驚きを見せる一同。
「どどど、どういうこと!? 痴情のもつれ? えっ、転校初日なのにもう会長に手を出したの!?」
「いや、これはだな」
「まーくん、その女は誰?」
「クラスメイトだ」
「クラスメイト……まーくんといつも一緒にいられる権利を持っている女ということね」
安次嶺は、渡すまいとするかのように、和泉から見えにくい位置に俺を体で隠そうとする。
「あのー、会長。わたしは塚本くんと友達になりたいだけで」
「友達から交際を始めようというの? や、やっぱりまーくんを狙ってたんだね……!」
「狙ってるといえば狙ってるのかなぁ」
「和泉、お前も話をややこしくするようなことを言わないでくれ」
「それより、塚本くん! ちゃんと説明してよ。塚本くんと、会長はどういう関係なの?」
和泉の陽キャ仲間も、学園一の人気者である安次嶺に関わることとなれば興味津々らしく、俺の動向を注意深く見守っている。
安次嶺会長とは、今日会ったばかりで友達かどうかも怪しいと思っていたんだが、どうも以前会ったことがあるらしい。
そう伝えたところで、和泉の誤解が解けるとは思わなかったし、友達ですらない、と言おうものなら安次嶺がまた騒ぎそうな気がした。
沈黙の時間が長ければ長いほど、疑惑が増してしまう。
「ああ、もう!」
俺は戦略的撤退を決め込むことにした。
まずは、安次嶺がこれ以上暴走しないように食い止める方が先だ。
和泉は安次嶺に比べればずっと常識人だろうから、あとで説明すればどうにかなる! ……はず!
「安次嶺! 悪いが体に触るぞ!」
「ええっ!? こ、こんなところで!? でも、みんなに見られながらというのも燃え上がるものがあるよね! 私、婚約者相手だったらなんでも許しちゃうから!」
一体何を言ってるんだ、こいつは……。
学園一のお嬢様に雑な感情を抱きながらも、お姫様抱っこ状態で抱え上げ、ダッシュで正門を抜ける。
俺は、誰とも関わらないことを決め込んで、この学園に転校してきたのだ。
それがどうして、こうなった?
心の中で首を傾げながらも走り続ける。
俺に抱えられたままの安次嶺は、うっとり夢見がちな表情をこちらに向けてくる。
「まさに愛の逃避行だね、まーくん?」
頼むから、もう黙っててくれねえかな……。
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