第4話 安次嶺会長はみんなの憧れ
首を傾げながらも、学食までやってきた。
開けた空間の学食にやってくる。
中等部も利用するらしく、フードコート並の広さだ。
流石は元々富豪の子女が通うために設立された金持ち学校である。
この学園は学食派が多いらしく、結構な数の生徒が詰めかけていた。
券売機へ向かうことすら躊躇しそうになるくらい人で溢れている。
それでもどうにか人混みの間を抜けていき、券売機の前にたどり着いた。
思ったより良心的な値段のメニューばかりで迷ってしまうのだが。
「……貴峰オムライス? 名前からして学園名物っぽいし、これにするか」
オムライスなら食べ慣れてるし、味で失敗することもないだろう。
「ソースはデミグラスか……洋食寄りだな。量もなかなか」
顔ほど大きそうなオムライスが乗ったトレーを持って、席を探す。
「さっきは妙な目に遭ったけど、食事でちょっとは挽回できそうだな」
早速座って食べたいのだが、規則正しく長テーブルが並び、簡素な背もたれ付きの白い椅子がある座席はどこも満員御礼。
「この辺でいいか」
ちょうど空席になっていたので、俺は遠慮なくそこへと腰掛ける。
すぐ隣は全面ガラス張りになっていて、その先には中庭が見える。
暖かそうな日差しが差し込んでいて、転校初日の慌ただしさを忘れる癒やしをくれそうだ。せめて食事の時間だけは穏やかでいたいからな。
などと考えていると、まさかの邪魔が入った。
「ちょっと、君」
男子生徒が声を掛けてくる。顔に見覚えはない。
またか。
けれど今度は、明確な敵意を感じた。
敵意を向けられることには慣れているけれど、話したこともない相手となれば話は別。
「なんですか?」
座ったまま顔だけ向ける。
「なんですか、じゃないよ。君、見慣れない顔だよね? 外部生だろ?」
「そうですけど。外部生だったら、なにか都合でも悪いんですか? まさかまた、個室に行けとでも?」
「個室? トイレのことを言ってるんじゃないんだよ。ふん、トイレのことは知ってるのに、そっちは知らないのか」
こいつわかってねえな、という顔をするその男。
転校早々、嫌な気分になってばかりだ。
妙なことを口にする男子生徒と問答していると、周囲の視線がこちらへ集まってきているのがわかった。
空気がピリついている。
しかも、視線は男子生徒ではなく俺へ向かっているらしい。
「そこは外部生禁止の席なんだ」
「は?」
「だから、外部生の使用は許されていないんだよ」
「いや、どこに座ったって良くないですか?」
「それだけじゃない。君は、貴峰オムライスを注文しただろう? わが校への冒涜だ。恥を知れ」
「……は?」
今度こそ、本格的に意味がわからない。
外部生というだけで妙な目に遭ってばかりだが、まさかオムライスを注文して怒られる日が来るとは思わなかった。
「そのオムライスは学園設立当初からメニューに存在する歴史ある料理。当時から継ぎ足され続けているデミグラスソースは、連綿と続く高貴な学園の精神そのもの。君たち外部生が口にしていいものじゃないんだよ」
この男は頭がおかしいのだろうか?
外部生ってだけで、ここまで言われる?
座席どころか、食い物にも自由が許されないっていうのか?
腹が立つ。
別に、明るく楽しい青春を送るためにこの学園に来たわけじゃない。
逃避のためだ。
新しい生活に対して何も期待なんかしていなかった。
だからといって、理不尽に黙って押しつぶされてやるほど、俺はお人好しじゃない。
「お前、さっきからなんなの?」
堪えきれず、俺は立ち上がった。
「おっ……」
男子生徒は驚いて俺を見上げる。
思ったより背丈があることに驚いているのだろう。
まあ、180じゃ物凄くデカいってわけでもないけどさ。ボクシングに打ち込んでいた時は、もう少し低くてもよかったかなと思った時もある。大柄だと減量が大変だし、なにより適切な練習相手を見つけにくい。
「座席は空席だから座っただけ。食べ物はお前にとやかく言われる筋合いないだろ。横暴な貴族ごっこがやりてえなら、よそでやれよ」
怒りのあまり言葉は乱暴になってしまったが、まっとうな意見のはずだ。
それでも、周囲から聞こえてくるひそひそ声は、あきらかに俺の方こそ間違ったヤツであると糾弾するような言葉ばかり。
どうやら俺は、狂った学園に来てしまったらしいな。
ふと、今朝の正門前でデモをしていた連中のことを思い出した。
あの時は、たんに変わった連中だとしか思わなかったけれど、あれは日常的にこういう目に遭っているからこそ起こした行動なのかもしれない。
この様子だと、俺がいくら真っ当なことを主張しても形成の不利は変わらないだろう。
かといって、ここまで来てこいつの言いなりになるのもな。
そんな時だ。
一触即発な空気感が一気に変わるのを、俺は肌身で感じた。
まるで、コーナーに追い詰められて防戦一方だったところを、体勢を入れ替えて一気に形勢が変わるような、そんな鮮やかな逆転っぷりだった。
一人の女子生徒が、学食に入ってくる。
その場にいた生徒の興味と視線がすべてそちらへ向かった。
俺まで釣られて視線を向けてしまう。
長い黒髪は艷やかで美しく、光の加減で天使の輪が浮かんでいるように見える。
目は大きく、瞳は異様に澄んでいて真っ黒で、肌は白いが不健康に映ることはなく、暗闇でも発光するのではと思えるほど輝いていた。
背丈は女子の平均程度ながら、たとえ高身長の人たちに囲まれていようとも、その存在感で決して埋もれてしまうことはなさそうだ。
一言で言ってしまえば、とんでもない美少女というやつ。
歩くだけで美しい所作や、なんとなく着物が似合いそうな雰囲気や佇まいからして、和風美人とでも言うべきか。
一切穢れを知らなさそうな清楚な雰囲気があるのだが、そのわりにはブレザー越しでもわかる胸が目立った。
「
羨望の眼差しとともに、口々にたいそうな感想を漏らす彼ら彼女ら。
一人の人間に向けるにしては大げさなほどの賞賛には、何なら宗教的な敬意すら感じる。
その異様な姿に、不覚にも怯んでしまう。
「みんな、どうかしたの?」
当のアジミネさんとやらだけが、不思議そうに首をひねる。
その態度からして、空気の変化には鈍感なお嬢様なんだろうなと感じた。マイペースというか。一人だけ空気感が違う。
「い、いや、これはですね……!」
ついさっきまで、俺に揉め事をふっかけていた男子生徒が慌て始める。
おかしいな。自分こそ正義の側であると確信した態度だったのに、急にこれだ。
「ふむふむ」
興味深そうに寄っていこうとしたお嬢様を手で制して、代わりに向かったのは、お嬢様の隣にいた男子生徒だった。
「僕が代わりに聞くよ」
安次嶺さんのインパクトですぐには気づけなかったけれど、付き人みたいに控えていたその男子も整った顔立ちをしていた。ただ、線が細くて中性的な雰囲気があるせいか、お嬢様を守っているにしては頼りなさも感じてしまうのだが。
「
女子ウケは抜群らしい。そして、武市というそいつの名前を別に覚えたくはないが覚えてしまった。
そんな美男美女コンビが、俺の前ですっかり勢いをなくしている男子生徒に事情を聞こうとする。
だが、学園内ではよほど影響力がある二人なのか、男子生徒はあわあわするばかりでちっとも使い物にならない。
「この学園では、外部生が座る場所も自由に選べないんですか?」
だから代わりに俺が言った。
「この席に座っていたら、そこは外部生が座る場所じゃないからって退くように言われたんですよね。俺は転校生で、今日からこの学校に来たんですけど、その辺の妙な作法は知らなくて」
「君、本当かい?」
「……ええ、はい」
武市とやらが男子生徒に確認を取ると、驚くほど素直に認めた。
ちょっと納得行かないものの、武市という男は、俺の言い分を即座に否定しないあたり、他の生徒とは一味違うらしい。
「貴峰学園は、もう昔とは違うんだ。内部進学者も中途入学者も関係なく、どちらも貴峰の生徒。そのことは、毎年生徒会からきちんと通達しているはずじゃないか」
困ったような顔をする武市。
この言い草からして、味方……と考えていいのだろうか?
「……あなた」
「……?」
何やらずっと考え込む素振りをしていたお嬢様が突然口を開いたものだから、俺は驚いてしまう。
「どこかで会ったことある?」
綺麗な顔面が急接近したものだから、思わず俺は後退してしまう。
「いや俺は……覚えがないけど」
「どこだったっけなぁ。昔……こっちに引っ越してくる前……?」
俺の話を聞いていない様子のお嬢様は、ますます俺との距離を詰めてくるものだから後退りを続けるしかない。
するとお嬢様は鼻を鳴らし始める。
「すんすん」
「な、何を……?」
「うーん、匂いも嗅いだ覚えがある……」
この子は、犬かなにかの生まれ変わりなのだろうか?
「ねえあなた、名前は?」
「俺は……」
「千歳」
お嬢様の迫力に押されて名乗ってしまいそうになった時、付き人こと武市が後ろから安次嶺さんの動きを制した。
「知らない人に迷惑かけたらダメだろう」
高嶺の花扱いされているらしい安次嶺さんの体に遠慮なく触れることができたり、名前呼びだったりするあたり、よほど親しい間柄なのかもしれない。
「彼は転校生だって言ってたよ。千歳と会ったことなんてないはずだ」
「そうかなぁ。絶対どこかで会ったことあるはずなんだけど」
「そう言って。千歳は成績良いくせに肝心な記憶が曖昧な時があるから。この前だって、今の千歳と似たような言葉で怪しい勧誘を受けそうになってただろ」
「そんなことあったっけ?」
「あったんだよ……」
武市は呆れたように頭を振った。
「君。うちの生徒が迷惑かけたね」
武市が俺に向かってくる。
「うちの学園は、多くの資産家が息子や娘を通わせていた由緒ある歴史は確かにあるんだけど、それも昔の話で、今は一般家庭の子が入学してくることだって珍しくない。もはや普通の進学校さ。でも、中等部から通う生徒の中には、未だにそういう歴史こそ貴峰学園の本道と考えている人がいて、中途入学組に失礼な対応をする人もいるんだ。きっと彼らの親世代の卒業生から悪い影響を受けているんだろう。校友会の手伝いをした時は、年配の方々の特権意識が強すぎてまさに地獄絵図でね……」
愚痴っぽくなってきたな、と思ったところで、武市は、こちらに向かって恭しく頭を下げる。
「とにかく、彼に代わってお詫びするよ」
「い、いや、俺は別に謝罪がほしいわけじゃ」
こちらの方が慌ててしまう。
俺は謝罪を受けるような人間でもないわけだし。
「生徒会としては、内部生のそういう意識を変えたいんだけどね。色々動いてはいるんだけど、なかなか難しくて」
武市は生徒会の人間らしい。
じゃあ隣のお嬢様もそうなのかもな。
「僕は武市裕一郎。生徒会の副会長で、こっちの安次嶺千歳が生徒会長なんだ」
なるほど、このお嬢様は生徒会長なのか。
「休み時間はだいたい生徒会室にいるから、また何かあったら教えてくれ。ほら、千歳、行くよ。今日は元々学食に来る予定じゃなかっただろ」
「ええ~。まだ思い出してもらってないのに」
「千歳、頼むから生徒会長としてもっとしっかりしてくれ……。転校してきたばかりの生徒に迷惑かけちゃダメだ」
お嬢様は納得行かない様子ながら、武市に連れられて去っていった。
「そういや、名乗り損ねちゃったな」
まあ、俺の名前を言ったところで、やっぱり別人か、と気づくだけなんだろうけど。
安次嶺千歳、ねえ。
……思い、出せないなぁ。
これは別に、小学生の時から始めたボクシングのせいで過去の記憶が曖昧になっているとかそういうわけではないはず。
だいたい、俺は根っからの平凡な家庭の子だ。
あんなお金持ちそうなお嬢様との接点なんて、どこにもなさそうだ。
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