第1話 夢が俺を追いかけてくる

 まただ。

 そう思った時、俺はロープを張り巡らされた四角いリングの上に立っていた。

 目の前には、ボクシンググローブを着けたそいつがいる。

 そいつのパンチは、ガードを固めているはずの腕の上からでもズシンと重く響いた。

 まるでレンガを叩きつけられているような重さ。

 それでいて、目で追うことなんて不可能に近くて、感覚でどうにか凌ぐしかないレベルのスピードで放ってくる。

 先輩の面目を保ちたくて、防戦一方でいたくない俺は、左右に体をひねりってそいつの拳をいなしながら、パンチを叩き込もうとする。

 ヤツの動体視力はズバ抜けているから、俺のパンチはなかなかクリーンヒットしない。

 そんな実力者だからこそ、俺は何かに付けてそいつをスパーリングパートナーに指名していたんだ。

 実力はほぼ五分。

 けれど、俺の方が年上で、フィジカル面では一日の長があったから、スタミナ勝負になれば十分に勝機があるはずだった。


 速く重たいパンチのラッシュを乗り切ることができれば、形勢逆転のチャンス。

 次第に俺のパンチも手応えを感じ始める。

 俺より素質があるくせに、ボディが弱いのは相変わらずか。

 そいつも自分の弱点はしっかり理解しているらしい。

 ガードする重心は下に寄りがちになっていく。

 そうなれば俺のペース。

 ガードが下がり、スタミナが削られて判断力が鈍れば、急所の顎を狙いやすくなる。

 そいつが、渾身の右ストレートを撃ってきたちょうどそのタイミング。

 俺はそれに合わせて、フックを放つ。

 それまでの軽いフットワークがウソのように、リングに釘付けになったみたいに動けなくなっていたそいつ。

 ヘッドギア越しでも感じる確かな打撃の手応えとともに。

 俺のパンチは、顎先を正確に打ち抜いていて。


 そして――


 そこで俺は、飛び起きた。

 息が上がる俺の目に飛び込んできたのは、リングを囲むロープでも見慣れた練習場の天井でもない。

 自宅の天井だ。

 小学生の時から、ずっと目にし続けている、何の変哲もない六畳一間。


「……またこの夢か」


 転校を決めてからというもの、もう何度もこの夢を見たことだろう。

 決して逃げることを許さず、何が何でも俺に償わせようとするかのように、過去の記憶が何度も蘇ってくるのだ。

 俺が悪いことはわかっている。

 責任だって、感じている。

 だから俺は、唯一の取り柄だったボクシングを封印することにしたんじゃないか。


「くそっ。嫌な汗かいたな……」


 明日になれば、転校先の寮に入るための準備をしないといけない。

 初めての集団生活だ。

 こんな状況じゃ、先が思いやられる。


「……アラームより一時間も早いが、もう起きるか。嫌な早起きだ」


 スマホをベッドに投げ捨てた俺は、階下へ降りて洗面台へ向かう。

 初秋の冷たい水で顔を洗うと、肌の感覚がサッパリしてくる。

 けれど、胸の内で澱のように溜まっている淀んだ気持ちが晴れることはなかった。

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