【役立たず】と【無能】

「……なんだ?」


 カノンさんが唸るように低くそう呟いて、ワタシも不安げに木々の隙間を見上げる。


 決意も新たに、街で仕事を探そうとした矢先、さっそく幸先が良くない。そんなことある?


 何か、不自然な地鳴りが響く。


 まるで、巨大な何かが近づいてくるような、そんな不穏な気配。


 大地が震え、木々が揺れ、森にすむ鳥や獣が慌ただしく逃げ去っていく。


「ワスレ、逃げろ」


「え……?」


 さっきまでとは違う張り詰めたようなカノンさんの言葉に首を傾げたその瞬間。


 一際大きな木を易々と引き裂いて現れたのは。「キャッ」ほとんど反射的に身を屈む。


「……そ、そんな、ドラゴンなんて、ありえない」


 ドラゴン、という魔物は人前に滅多に現れない。


 孤高の存在、ありとあらゆる魔物の頂点捕食者にして、災害の具現。


 自然の脅威をそのまま形にしたような強大な身体は、ワタシ達の身体なんて簡単に丸呑みにできてしまうほどだ。


 その大きな口から発せられる雄叫びはこの森どころかきっとこの先の街まで響いているに違いない。そんな爆音にワタシ達は急いで耳を塞がなければいけなかった。呼吸の度に炎ちらちらと漏れる巨大な顎から垣間見えるのは、連なる一本一本が大きな柱みたいな牙。あれで噛み砕かれたらひとたまりもない。


 そして、その巨体をまるで岩盤のように分厚い真っ赤な鱗がびっしりと覆う。その鱗の一枚一枚がワタシの顔くらい大きくて、そして、それらは炎のように煌めいていた。


 ばさり、たった一度身体を伸ばすように軽く羽を広げただけなのに、暴風が吹き荒れる。


 金色に輝く感情を読み取れない眼がぎろりと獲物を狙っている。


 あまりにも勇壮なその姿、そして、溢れ出る莫大な魔力と威圧感にどうしようもなく恐怖してしまっている。


 そうか、普段は森の奥にいるはずのオーク達があんなに街の近くまで来てきたのは、コイツのせいだったのか。


 オークは街を襲おうとしていたんじゃない、逃げてきたんだ!


「に、逃げなきゃ……」


 街まで行ってこの非常事態を知らせなきゃ。


 やることは明白なはずなのに、それなのに、なぜか身体が動いてくれなかった。あまりにも強大な存在を目の前にして、完全に怖気づいてしまった。


 だけど、そんな情けなさすぎるワタシの横では。


「ドラゴンか! 腕が鳴るねぇ!」


 にやり、不敵な笑み。真っすぐにドラゴンを睨み付ける眼差し。


 ごきり、不敵に首を鳴らすと、ゆっくりと体勢を低くして拳を構える。握り込んだ拳がぎしりと、よくわからない音を発する。


 そして。


「竜殺拳!」


 大地を一蹴り、常人ではありえないほどの跳躍で一気にドラゴンの眼前まで迫ると、カノンさんはそのまま握りしめた拳を思いっきりドラゴンの顔面に叩き付けたのだ。


 凄まじい衝撃に、ぐらり、巨体が揺れる。すたりと華麗に着地して、かっこいいポーズをキメるカノンさんの後ろで、ついにその巨体がドスンと地面をぐらぐら揺るがしながら盛大に倒れた。


 は? 本当に一撃? 生身の【無能】なパンチで?


 目の前の光景が意味不明すぎて、ワタシはバカみたいにぽかんと口を開けていることしかできなかった。


 この人、一体どれだけ身体を鍛え続けてきたのだろう。ワタシには想像もできない、いや、きっと想像を絶するほどの修行だったはずだ。


 だって、何のバフもなく生身一つでドラゴンを倒してしまうなんて、どんなおとぎ話だったとしても突拍子なさすぎて子どもにだって笑われてしまう。

 だけど、そんなワタシの現実逃避にも似た安堵は一瞬で掻き消される。


「ウソでしょ……?」


 轟音が鳴り響く。


 さらに森の奥からも、そして、上空からも次々とドラゴンが飛来してくる。ワタシ達を獲物ではなく、脅威だとみなしたのかもしれない。仲間を倒された怒りで猛り狂っている。お願いだから、ワタシのことは無視してください。


 ドラゴンの群れ? どんな未曾有の大災害よ。歴史の教科書に載るレベルのありえない事態だ。


 そして、そんな大災害にたった一人で立ち向かうのは、【無能】の青年、カノン。


「どんどん来いや!」


 信じられないことに、この数のドラゴンを相手に、むしろ善戦している。なんだったら、本当に一撃で倒し続けている。ドラゴンを殴り飛ばしながら喜々として笑い続けているのは、英雄というよりは、どちらかというと悪役的な感じがしてしまうけど。


 高々と跳び上がり、思いっきり殴る、勢いよく回し蹴る、尻尾を掴む。


 たったそれだけで。


 ドラゴンの巨体が地面に沈む、空を舞う、振り回されて投げ飛ばされる、目の前でめちゃくちゃなことが起きている。


 だけど。まさかとは思っていたけど。


 次第にドラゴンの数が減ってきて、目の前の光景が信じられなくて、それでも、どうやらなんとかなりそうで、迂闊にもほっと安堵していると。


「                 !!!!!!」


 それはもはや人間の可聴領域を大きく逸脱する轟音の咆哮。


 咄嗟に耳を塞いでも、この大音響の爆撃に鼓膜が破れそうになって、あまりの衝撃と痛みにほとんど倒れ込むようにうずくまる。な、何が、起きて……


「……ドラゴンロード、全ての竜種を統べるドラゴンの最高位」


 カノンさんの声が、未だにキンキン鳴り響く痛みの中でも微かに震えているのがわかって、ゆっくりと彼に視線を向けた。


 その鋭い視線の先には、さっきまでのドラゴンのゆうに2倍はありそうな巨大な身体。金色に輝くその体躯はもはや神々しささえ感じられるほど。


 自然災害の顕現? いや、これはまさに星の破滅の顕現だ。


 その眼光が、ワタシ達を捉えている。それだけで、畏怖に心臓を止めてしまいそうなほどの威光がワタシ達を射抜いている。自身が統べる同族を倒された怒りが、その金色に輝く大きな眼に燃え盛っていた。


 再度の咆哮、それは灼熱を伴って、動けないワタシ達を容赦なく襲う。


「相手にとって不足なし!」


 身体を大きくひねって回し蹴りでドラゴンブレスを掻き消すと、大地を大きくめり込ませながら突撃する。


「竜殺双拳!」


 大きく振り抜いた拳がドラゴンロードの腹部に突き刺さる。まるで金属の塊同士を叩き付けたような鈍い衝撃。ビリビリと空気が震える。生身でどうやってこんな攻撃ができるのかまるで意味不明だけど、だけどこれなら!


 だけど、ワタシの淡い希望は。


「うおッ!?」


 ドラゴンを一撃で倒すはずの彼の拳は、骨を砕くような嫌な音と共に鮮血を撒き散らすだけだった。あまりにも格が違う、自身の拳を壊すほどの渾身の一撃ですら、ドラゴンロードの金色の鱗一枚にヒビすら入れられない。


 咄嗟に後方へと跳躍、その巨体故にほとんど意味を成していないけど、カノンさんは距離を取ろうとしているみたいだった。


 やっぱり無理だった。生身の人間がドラゴンに勝とうなんて、考えることすらおかしかったんだ。


「逃げて! ワタシ達には勝てないわ!」


 いつもならワタシの周囲にいる全てがおっちょこちょいになるはずの【役立たず】がなぜかドラゴンロードには発動しない。どうやら、ワタシよりはるかにレベルが高い相手には無効にされるらしい。なんて【役立たず】なスキルなの!?


 だけど、この人は。


「おいおい、それはオレが【無能】だからか?」


「何を言って……」


「ここでオレがこいつを止めなければ、次は街のみんなが襲われるじゃねえか。【無能】なオレや【役立たず】なワスレが逃げ帰ってみろ、誰もオレらの戯言なんかを信じねえさ!」


 今までの他人なんて気にしてないような態度だったカノンさんがここまで感情をむき出しにして叫ぶのを初めて聞いた。その声に気圧されてびくりと怯む。


 そうか、これが今までカノンさんが受けてきた仕打ちに対する本当の思いだったのか。【無能】なんて明らかなハズレスキルを持つ者がどう扱われるか、なんて想像に難くない。だって、ワタシもそうだったから。


「……オレはやるぜ、やってやるぜ」


 彼の意思はまだ死んではいない、砕けたのは拳だけ。その眼差しに強敵との戦いを楽しむ輝きすら宿して。


 低い体勢から砕けた拳を無理やり握り込んで再度突撃。さらに疾く、限界を遥かに超えて、軋む最高速度。


 だけど。


 この竜種を統べるものにとってそれは、ただの戯れ以下だったに違いない。


 尻尾を軽く振るっただけ、たったそれだけ。咄嗟に両腕で防御したはずのカノンさんの身体にめり込んだ尻尾が「ガッ」、まるで羽虫でも払うように高速で振るわれる。


 木々をなぎ倒しながら遥か彼方まで弾き飛ばされるカノンさんの身体。


 悲鳴すら上げることもできず、その場から逃げ出すようにカノンさんの身体を追いかける。


「ク、クソ、まだ足りねえか……」


 大きな岩にめり込んだカノンさんの姿はあまりにも痛々しかった。というか、死んでない方がおかしかった。


 どうして生きていられたのか不思議だけど、それだけだ。両腕は変な方向に曲がっていて、口からはどす黒い血を大量に吐き出している。内臓もいくつか潰れているはずだ。立つことすらままならない。どう見ても、もうカノンさんは戦える状態じゃない。


「に、逃げましょう! あれは別格です! ワタシ達みたいなハズレスキル持ちなんかが相手にしていい魔物じゃないんです!」


「な、なあ、傷を、治してくれ、ワスレ。あんた、回復術士だったんだろ?」


「……カノンさん、あなた、何を言ってるの?」


 この戦闘狂の筋肉に、ワタシの言葉なんて届いていないのかもしれない。いや、死の淵で意識が混濁しているのかもしれない。


 カノンさんはもうすでに身体に力が入らないのか、ぐらりとワタシにもたれかかる。そのままワタシは彼を抱き留めて膝枕に彼を横たえる。


 彼の言う通り、応急処置だけはできる、でも、それだけ。彼の揺れる視線は未だにドラゴンロードを睨み付けていたけど、傷を癒したところで戦うことなんてできるはずがなかった。


 それなのに。


 この絶望的な状況の中でこの人はまだ抗おうとしている。


 【役立たず】のワタシにまだ希望を持とうとしている。


「……やっぱり無理よ、ワタシには回復なんてできない。【役立たず】なの、何が起きるかワタシにもわからないわ」


「……違う。何かが起きてしまうんじゃない、何でも起きる可能性があるんだ。夢があるすげースキルじゃねえか」


 ごぽりと血を吐き出しながら、その弱々しくなっていく眼差しは今度は、涙目で狼狽えるワタシのことをを真っすぐに射抜いていた。


「オレのスキル【無能】は、オレを活かすあらゆる要因を無効にする。けどな、回復はオレの元の状態に戻すだけ。ほらな、大丈夫だ、マイナスがゼロになるだけだ。安心してオレを回復してくれ」


「で、でも、【役立たず】なワタシは回復魔法で何が起きるのかわからない。もしかしたら爆発しちゃうことだってありえるの」


「爆発オチは良くないな、ああ、良くない」


 カノンさんの声が次第に小さくなっていく。暑苦しかったはずの熱が急速に冷たくなっていく。心臓の鼓動が弱くなっていく。


「ごめんなさい、【役立たず】のワタシには無理だよ……」


「……あんた、スキルに引っ張られて考えまで【役立たず】になっちまったのか?」


 悔しさに俯いていたワタシは、はっと顔を上げる。ワタシの涙はカノンさんの血にまみれてしまっていた。ワタシは【役立たず】で、だから、人一人も救えないのか?


「ハッ、どうせダメで元々だ、やってみてもいいじゃねえか。もしかしたら超絶ピタゴラ一撃かませるかもしれねえぞ?」


「そんな分の悪い賭けに乗るわけないじゃないですか!」


「だが、やらなきゃオレらはここで死ぬ。ワスレ、キミは全暫定事象発生確率不確定的変動能力、【役立たず】を活かさなきゃならない」


「そ、そんな……」


 だけど、ワタシはやらなきゃいけない。どんな事象を引き当てても、せめてこの人だけは絶対に助ける。今はそれだけを考える。


 両手をカノンさんにかざす、手のひらの先から白く光り輝く魔法陣の展開。ワタシのありったけの魔力を込める。


「か、回復魔法! ヒーリン」


「ごぽッ」


「ぎゃ!?」


 し、失敗!? カノンさんの血がワタシの目に直撃して、中途半端な魔法になったついでに、狙いがぶれて横の変な草を対象にしてしまったら、なぜか急成長してワタシの魔法陣を補強するように取り囲み、見たこともないさらに強大な魔法が、カノンさんにぶち当たる。


「おごッ!?」


 奇声と共にワタシの膝枕の上で眩いばかりの光を放つカノンさんの身体。「まぶしッ」思わず目を瞑り、顔を背ける。


「……だ、大丈夫ですか?」


 しばらくして光は凪いだ。……一体どうなったんだ? まさか爆発四散してないでしょうね。おそるおそる目を開けると。


「回復魔法をうっかり外したと思ったら、身体能力の限界を突破して1000%の力を発揮できるようになった件」


「そんなご都合主義的なことある!?」


「超絶ピタゴラドジっ子の神髄発揮したじゃねえか、良かったな、ドジっ子」


「ドジっ子ではないんですけど!?」

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