猿島雅臣の素顔


 猿島雅臣さるしままさおみ


「やあ来たかい。こちらへどうぞ」


 あの金髪のマントの男を想定していたが、僕らを出迎えてくれたのは丸眼鏡をかけた長身の女性だった。百七十センチはあるかもしれない。

 丸眼鏡の女性は、人懐っこい笑顔で席に座るように勧めた。

 どこの飲み会にもいそうな、ノリがよさそうな女性だ。

 猿島さんとは、喫茶店で会う約束をしていた。


「僕たちは猿島さんに会いに来たんですが、猿島さんはこれから来るんでしょうか?」

「私が猿島だよ」


 女性は名刺を僕と音無さんに渡した。


 演劇部部長 マルサー部長 文学部史学科 日本史専攻四年 猿島雅臣。


「えっ、じゃああの金髪の男が猿島さんなんですか?」

「いかにも。『そこを動くな!』」


 猿島さんは喉に指を添えて、野太い声を出した。


「演劇部の看板役者として、変装と変声はお手の物なんだ」

「最近の演劇部はすごいですね」


 猿島さんの下の名前は雅臣か。男性名のようだが、目の前の猿島さんは女性の格好をしている。これも変装なのか? それとも本当の姿なのか? 分からなくなってくる。

 それにマルサーとはなんだろう。


「ご注文はお決まりでしょうか?」


 ウェイターさんがやってくる。僕と音無さんは珈琲を頼んだ。

 先にきていた猿島さんは、優雅にティーカップで紅茶を飲んでいる。


「マスターが淹れる珈琲は美味しいんだ。期待していていいよ」

「はあ……」


 音無さんの視線を感じる。相手のペースに呑まれないようにしないと。

 珈琲が運ばれる。苦味で唇を湿らせた。


「あれからマジ研はどうなったんですか?」

「活動停止中だ。入部希望の新入生に時に恫喝をして、押し売りや霊感商法をした罪はどう裁かれるかはまだ分からない。消費者センターが返金可能か調査しているところだ。本当に災難だったね」

「いえ……」


 音無さんが録音した恫喝の音声が、彼らの悪行の大きな証拠となった。


「新入生から被害の訴えが届いてはいたが、部室に踏み入ろうとするとやつらは危険を察知して逃げてしまう。困っていたところに、山本くんの電話と音無さんの電話のおかげで、彼らの悪行を暴くことができた。礼を言うよ。ありがとう」


 猿島さんが深く頭を下げた。

 もっとバチバチと言い合いになると思いきや、調子が狂う。


「……あのゾンビたちは、マジ研に騙された人たちだったんですか?」


 音無さんが聞く。一歩間違えたら、あのゾンビの群れに音無さんも加わっていたのだろうか。


「それは違うよ」


 猿島さんはあっさりと否定した。


「彼らは演劇部の部員さ。被害者とは何も関係がないよ。来月の講演でゾンビパニックホラーをやるんだ。人を怖がらせるゾンビの役作りに悩んでいて、ちょうど人手が必要だったからそのまま来てもらった」


 猿島さんがチラシをテーブルに滑らせた。猿島さんが演じている金髪の男が緑のゾンビと対峙しているポスターだ。

 つまり、マジ研の人たちは被害者の顔を覚えていなかった。肌を緑に塗って、奇抜な格好をしていたら誰だか分からないだろうけど。


「実戦を経て、ゾンビを演じることが板についたようだ。来月に気が向いたら、私たちの公演にぜひ来てほしい」

「はあ……」


 僕は愛想笑いをして鞄にしまった。

 猿島さんは変わらず微笑んでいる。音無さんは無表情のままだ。

 僕から切り出すのを待っているのか? ならばまた行かせてもらおう。


「僕はサークル荒らしではありません」

「してその理由は?」

「それは……見学したサークルの数が、手配されているサークル荒らしとは大きく異なるからです」

「ふうん? サークル荒らしが見学したサークルは二十だったね」

「その数は確かですか?」

「情報源は確かだよ」


 僕は大きく息を吸い込んだ。


「僕が見学したサークルは百です」

「百だって?」


 さすがに猿島さんも驚くかと思ったが、可笑しそうに笑っている。


「それはなかなかどうして頑張ったじゃないか!」

「……やっぱり馬鹿だ」


 音無さんは呆れたように珈琲を飲む。彼女の珈琲には角砂糖がいっぱい投入されている。


「君が見学した百のサークルを片っ端から教えてくれ。活動内容とサークルの雰囲気を言ってほしい」

「分かりました」


 僕は記憶を思い起こして、見学したサークルについて話した。十を超えたころに、猿島さんに「そこまで」と中断された。


「君が真面目にサークル見学していたのがよく分かった。かなり正確にサークルの特徴を掴めている。これで君の潔白を信じよう。これまで疑って悪かったね」


 僕は全身の力を抜いた。サークル荒らしが見学したサークル数と、僕が見学したサークルの数が一致しないと早く言えばよかったのだが、百サークルも見学していると知られるのは少し恥ずかしかったのだ。


「じゃあサークルの見学も再開していいですか?」

「勿論だとも」


 拳をテーブルの下で握った。


「山本くんはどうして、サークルを見学することに拘るんだ? 入ることには拘泥していないようだけど」

「入部するつもりではありますよ。でも、入部の決め手がないんです」

「決め手?」

「自分の居場所だと実感できるところがいいんです」

「その観点で考えたことはなかったな。今、気になっているサークルはないのかい?」

「これから探します」


 猿島さんは鞄からもう一枚チラシを出した。演劇サークルのような写真はなく、文字ばかりの簡素なものだ。


「マルサー?」

「正式名称は、玉坂大学サークル自治会という」


 さっきの猿島さんの名刺に書いてあった団体だ。猿島さんが部長のようだ。

 猿島さんは音無さんにもチラシを渡した。


「この玉坂大学には公認および非公認サークルが七百ある。私たちはその七百のサークルの管理を、大学側から仰せつかっているのさ」

「管理ですか」


 マジ研の人たちに、警察のように『マルサー』と名乗っていたな。


「単刀直入に言わせてもらおう。山本くんにはマルサーに入って欲しい」

「えっ? 僕がですか?」


 猿島さんから勧誘されるとは思っていなかった。


「音無さんにもできれば入って欲しい。無理にとは言わないけれど」


 一体何をする団体なんだろう。

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