マジック研究会
音無さんは親元を離れて、一人暮らしを始めたらしい。
「親がほんっとうざったくて、大学生になったら一人暮らしをするって決めてた」
聞けば、大学から二駅離れたアパートに住んでいるそうだ。一人暮らしに必要な家具や荷物を運びこんだり、生活環境を整えたりするうちに、五月に突入してしまったという。
「手伝えって声かけてくれてもよかったのに」
「ん?」
音無さんは外国語を耳にした時のように目を細めた。
「私たちそんなに仲良くない」
「まあそうね」
僕たちを繋いでいるのは、高校の一年間同じクラスだったということだけ。それも僕はほとんど教室ではなく、保健室に通っていた。
音無さんはクラス委員で、保健室にいる僕にプリントを届けてくれた。一つ二つ世間話をする間柄だった。音無さんが文化祭のクラスの出し物がまとまらないことを話し、僕は保健室の先生の不在を狙って忍び込む不届き者について話した。
同じ大学に進学すると知った時は驚いたけれども、進学した学部は違うし、もうこれっきり会わないだろうと思った。保健室登校児とクラス委員で淡く仲良くしていた僕たちは、わざわざ連絡を取り合って遊ぶほどには至らない。
そんな具合で、僕は高校三年での恩人だった彼女の存在を忘れかけていた。昨日、音無さんから突然連絡が入るまでは。
『マジック研究会の見学に一緒に来て』
久しぶりとか元気など枕詞を挟まないスタイルに恐れ入った。
僕はサークル見学で多忙の身だが、たまたま今日マジック研究会の見学を予定していた。知り合いと見学するのもいいかと思い、音無さんの誘いに乗った。
「今日はどうして僕を誘ったの?」
マジック研究会は三階にある。僕らはサークル棟のマップを見て、廊下を直進した。その先には階段がある。エレベーターはあるが、今日は大きな荷物の搬出をするサークルがあって、階段を使うようにと貼り紙が貼られていた。
「なんとなく。山本がいた方がいい気がしたから」
「出た。音無さんの勘?」
音無さんは第六感めいた勘が鋭い。僕はたびたび、彼女が勘によって厄介事を避けるのを見てきた。
「そう、かな? でも根拠はある」
音無さんはふわふわのスカートの裾を踏まないように注意して、階段を上っている。
「マジック研究会だから、そういう格好してるの?」
「これは私の正装。……でも確かにマジック研究会相手にはうってつけの衣装」
マジック研究会のマジックは、魔術のマジックだ。奇術師のマジックではない。(シルクハットから鳩を出すマジックは奇術師同好会だ)
「もともと西洋のオカルトが好き。実家だと親があれこれうるさいから、抑えてはいたんだ。一人暮らしするようになって、自分の城という感じで楽しい」
「いいじゃん、趣味に生きてるって感じで」
趣味の空間を整えていて、サークルを見学するのが五月になったということか。
「山本、は?」
ようやく階段を三階まで上りきって、音無さんは上がった息を整えている。
「オカルトに興味あるなんてっ、はー、思えないんだけど」
「僕は信じちゃいないよ。でも信じるのと興味を持つのはまた別だろ?」
新入生歓迎期間の魔女集会は特別なおもてなしをすると、マジック研究会のホームページに載っていた。
「魔女集会って何だろう」
「はー……あっきれた。リサーチしてない。興味すら持ってない」
音無さんは冷たい流し目を僕にくれた。
「これから興味を持つかもしれないだろ」
相手から告白されて、好きじゃなくても付き合ってみたら、好きになるかもしれないし。
今から行くマジック研究会だって、僕がその道に染まってハマって、音無さんのようなゴスロリを日常的に着用するかもしれない……それはないな。
「闇雲に自分探ししてる気? らしくない色に髪を染めて」
「これはブラウンベージュ」
「いや興味ないって」
音無さんと言い合っているうちに、マジック研究会の部室に到着した。
部室のプレートには筆記体で『Magic』とある。洒落ているな。
「いい? 余計なことは言わないで。この界隈はそういうの嫌いだから」
「分かったよ」
音無さんがコンコンとノックをした。事前に見学をするとは伝えている。
「いらっしゃい」
黒い布で顔を隠した人たちに出迎えられる。みんなランタンを提げていた。
なんだか本格的だ。
室内は暗幕が張り巡らされ、研究会の人たちが持ったランタンだけが光源だった。長いテーブルには水晶玉らしきものが鎮座させて、占いがこれから始まるかのようだ。
女性は魔女がかぶるような三角帽子を被り、男性は真っ黒な布で顔を隠している。
音無さんはそんな異様な世界観にゴスロリで馴染んでいる。馴染んでいないのは、僕のファッションだった。
そのうちの一人が、ランタンを揺らしてこちらに近づいてくる。
「君、ちょっと顔をよく見せて」
ドレスコードがあるとは聞いていないぞ。
声をかけてきた女性はランタンをかざし、僕の顔をじっくりと見た。美容師さんセレクトで染めた髪をじっくりと見た。
「会長!」
女性は水晶玉の前に座った人物のもと小走りで生き、ひそひそ話をしている。
そして話が纏まると、僕と音無さんに強く言い渡した。
「お引き取りください。貴方はサークル荒らしでしょう」
女性は僕にあのビラを突き付けた。
「サークル荒らし……?」
音無さんは僕を訝しそうに見た。
「違いますよ! 僕は見学しに来ただけです! サークル荒らしとは無関係です」
「少しでも怪しいものは排除する」
他のマジック研究会の面々もやってきて、僕を取り囲んだ。
「一体なんなの」
「待ってください、誤解です! 音無さん……あっ」
「このことは猿島さんに報告します」
彼らは捨て台詞を吐くと、数人がかりで僕を押し出した。無慈悲にもバタンと閉められるドア。
音無さんと引き離されてしまった。
「ちょっと! なんなんですか!」
ドアを叩いても、なんの応答もなかった。中にはまだ音無さんがいるのに。
僕は排他的な姿勢を見せたマジック研究会に入る気は失せていた。音無さんの言う通り、僕は魔法にもオカルトにも興味がない。
叩いた先のドアから視線を外すと、見覚えのあるものがある。
「これって……」
サークル荒らしのビラが貼ってある。一枚や二枚ではなく、隣の演劇部との壁の隙間を埋めるように何枚も大量に貼ってある。
掲示板にサークルのチラシが貼られているのとは違う。常軌を逸している貼り方だった。
これからどうしよう。
僕はマジック研究会のドアに耳を押し当てた。話し声はうっすら聞こえる。
疑わしき僕が排除されて、音無さんは心置きなくマジック研究会を見学できているとすると、僕は何もせずに去った方がいいかもしれない。
だが、猿島さんに報告するとマジック研究会の人は言っていた。
僕はビラを一枚破って、猿島さんの電話番号を見る。
サークル荒らしではないと弁明をしたいし、何よりあのビラのせいでマジック研究会から手荒い歓迎を受けたのだ。
いかに怖がられている先輩であっても、文句の一つや二つを言える立場のはずだ。
サークル棟の三階の端には電話ボックスがある。得体の知れない人物に携帯番号を知られたくはない僕にはちょうど良い。
廊下の曲がり角で、発声練習をしている男女数人がいる。電話ボックスに入ると、音はかすかに聞こえる程度になった。
僕は十円玉を端に積み上げた。文句を言うだけの時間はありそうだ。
電話ボックスを使うのは小学生以来だな。
十円玉を入れて受話器を持ち上げて、間違えないように気を付けて、十一桁の数字をプッシュした。
『――はい』
ほどなくして、相手が出た。
「猿島さんですか?」
『そうですが』
ハスキーな声から性別はつかめない。
「あなたのせいで、僕はサークル荒らしに疑われて迷惑してるんです。このビラの内容を撤回してください」
『はあ……少々お待ちを』
電話口の向こうは何人もの話し声があった。サークルやバイト中だったのかもしれない。
『静かな廊下に移動しました。十分なら話せますよ。失礼ですがあなたは?』
ありがとうございます、と言いかけて僕はやめた。向こうのペースに呑まれてはいけない。
「僕は教育学部一年の山本です」
『下のお名前は?』
「詭弁です。山本詭弁です 」
フルネームを名乗ったのは久しぶりだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます