第7話 結婚
そんな言葉を思い出すようになった頃、女性の存在に気づいたのだったが、その女性のことを、
「どこかで見たことがあるような気がするんだけどな」
と思っていたところ、同僚の2軍選手から、声を掛けられた。
「戸次さんをいつも見ている女性がいるでしょう?」
と言われ、一瞬、ドキッとしたが、彼はお構いなしに喋ってきた。
「羨ましいと思うんですよ」
というではないか。
「女性ファン一人にそんなに羨ましいのかい?」
と聞くと、
「何言ってるんすか。戸次さんは、彼女を知らないんですか?」
というではないか。
「ああ、知らない」
と、まるで知っていることの方が変だと言わんばかりだった。
「彼女は、数年前まで、アイドルとして、よくテレビの歌番組に出ていましたよ。いわゆるアイドルグループの一人ということですね」
という。
「今は、引退したのかい?」
と聞くと、
「ええ、卒業しましたね。グループを卒業しても、芸能界に残る人も結構いるんだけど、彼女の場合は、完全に、芸能活動も辞めてしまったので、結婚なのか? と騒がれたりしたものですよ」
という。
「結婚したのかい?」
と聞くと、
「いいえ、それからしばらくはマスゴミが張っていたようですが、結婚はしていないということでした」
と言われ、
「そんな女の子が、このキャンプに来ているということは?」
「そりゃあ、戸次さんのファンなんじゃないですか?」
と言われた。
嬉しくないわけがない。思わずニンマリとすると、そいつも同じようにニッコリして、
「戸次さん。ファンは大切にしないと」
と言われたことで、戸次も彼女に対して、
「自分のファンだ」
として意識をし始めた。
今までファンというと、自分に群がってくるファンはたくさんいて、次第に億劫に思えてくるほどだったので、
「ファンなんていらない」
と思っていた。
一人を贔屓にしてしまうと、他のファンが暴動も起こしかねないほどだったので、
「誰か真剣に好きになった相手と付き合うならいいが、中途半端なことをすると、ロクでもないことが自分に返ってくるぞ」
とまわりからは言われていた。
「そんなことは分かっている」
とばかりに口にはしていたが、そのことがピンとくるというほどではなかった。
「ファンは相手にするものではない」
とばかりに、マネージャーや広報に任せていたが、実際にそれが正解だったようだ。
だが、今は、もうそんなファンもいない。マスゴミですら、寄ってくることもない。
この間のスラッガーがいう、
「苦手な投手」
ということで名前が挙がったので、
「ひょっとしてインタビューくらいあるのではないか?」
と思ったが、そんなこともなかった。
「まあ、しょうがないか」
と落胆したが、その気持ちも悪いものではなかった。
だから、まわりが自分のことをあまり意識しなくなってくれたことは、却って頭を冷やすという意味ではよかった。
「そういえば、小学生の頃、まだ、スポーツを始めてすぐくらいに、よく足が攣って、痛かったのを思い出すな」
と感じた。
その時の痛みは尋常ではなく、息のできないくらいで、必死になって足を揉もうとするのだが、身体を動かすことができない。
そんな時、まわりに意識されることを嫌って、本当は誰かにさすってもらいたい気分でありながら、
「気づかれたくない」
という思いが強くなっていた。
気づかれると、心配されることが分かっている。心配されてしまうと、こっちも気を遣って、
「大丈夫だ」
と強がりを言いたくなってしまうことで、却ってこの痛みが耐えられないものになるということを、自分で分かっていたのだった。
痛みに耐えながら、人に気にされるところ嫌っていると、
「大丈夫なのか?」
と自分でも考えてしまうが、その気持ちがどこまで続くのかということに疑問が生まれてくる。
「痛みというのは、一人で耐えているから耐えられるというものではないか?」
というのが、戸次少年の考えであった。
その思いは子供の頃だけではなく、大人になってからもあった。
しかも、自分が、野球をやっている間、絶えず頂点にいた気がした。頂点というのは、誰にも邪魔されない世界にいることで、特に、ピッチャを目指し始めてから、その気持ちが強かった。
ピッチャーというのは、マウンドという少し高いところから見下ろすという、
「他のポジションでは感じることのできない、優越感」
というものを感じることができ、
「ピッチャーが最初にボールを投げなければ、何も始まらない」
ということで、特にフランチャイズだと、自分が一番最初にまっさらなマウンドにいるという思いを十分に感じることができるのだった。
マウンドから投げ下ろす感覚は、誰にも分からないだろう。
しかし、戸次がピッチャーを目指した理由はそこにあったわけではなかった。その理由として一番思いつくところは、
「野手であれば、ボールが飛んでこなければ、出番はないが、ピッチャーは、すべてにおいて主導権を握っている」
というものであり、ちょうど、その当時流行っていた野球漫画で、
「ピッチャーというのは偉いんだ。だから、誰からも後ろ指を指されないようにしないといけない」
ということで、
「ピッチャーを志す人の中でも、一番の心意気を持っていないといけない」
という話をしていた。
確かに、
「熱血根性もの」
という感じであるが、まさにその通りであった。
「ピッチャーをやっていて、実際にそれくらいの気持ちでいなければ、簡単に打たれてしまう」
という気持ちを、中学時代に実際に感じたのだ。
だから、高校になって、本格的に野球をするようになると、
「妥協はしたくない」
という思いから、少々の練習で根を上げるようなことはなかった。
「戸次のやつは、大成するぞ」
というウワサも聞いたことがあったが、なるべく有頂天にならないようにした。
戸次が、高校時代に一番よかったこととして、
「けがをすることがなかった」
ということであった。
少々無理なことをしても、十分に通用したし、ケガもなかった。他の人に言わせると、
「あんな練習をしていたり、無理をしていて、ケガをしなかったのは、運がよかったという以外にはないのかも知れないな」
と言われたものだった。
そういう意味で、ケガをするまでの戸次は、完全に前しか見ていなかった。
「ピッチャーというのは偉いんだ」
ということをスローガンにやってきた。
そんな戸次の考えを、監督もチームメイトも分かっていた。分かっていて、誰も畑井意見を述べなかったのは、それだけ戸次の覚悟が深かったことと、まっすぐだったことが大きな原因だろう。
同じような考えを持っている人もいたようだが、彼ほど徹底したものではなかったのか、途中、ケガをしてしまうと、そのまま野球を辞めてしまったのだ。
人によっては、彼のことを、
「偉くなれなくなったことで、潔く辞めちゃったんだな」
といっていたが、戸次は別の考えを持っていた。
「再度復活する姿を見せてこそ、ピッチャーは偉いと言われるんじゃないか?」
と思っていたことが、
「石にかじりついても復活する」
という気持ちに結びついたのだろう。
監督が、
「もういい加減に諦めて、違う道を模索した方がいいんじゃないか?」
という姿は思い浮かばないと、高校時代の監督を思っていたが、プロに入って、ケガをして、
「これからもがくことになるかも知れない」
と感じた時、
「しっかり、頑張れ」
といってほしいと、監督に連絡を入れたことがあった。
その時、監督から、
「お前は十分にやった。もう少し努力をしてダメだった時は、潔く野球を辞めて、俺のところに戻ってこい」
といってくれた。
最大の励ましという意味だったのだろうが、この言葉は一歩間違えると、
「心が折れる」
という結果を招いたかも知れない。
「野球を続けるということは、一度ケガをしてしまうと、今までと違って、ネガティブな気持ちが生まれてくる。今まで前しか見てこなかった人間には、これは非常につらいことだ。お前にそれが耐えられるか?」
ということだっただろう。
それを思うと、
「監督の優しさが感じられる」
というものなのだが、その時の戸次に対しては、
「余計なことを言わないでほしい」
という意識だったのだ。
そう、脚が攣った時、放っておいてほしいと考えていたあの時に似ているのだ。
というのも、
「本当は、励ましてほしいのに、ネガティブなことをいうと、余計に不安が募ってきて、頑張って耐えないといけないと思っているところを、自分で自分の首を絞めるようなことになるのではないだろうか?」
と思うのだった。
自分にとって、監督というのは、
「支えになってくれる人」
であって、くじける方に進むための人ではなかった。
もし、くじけることで誰かを必要とするのであれば、それは監督ではなく、親であったり、かつてのチームメイトなのだろうと思う。
「どうしても、いつまでも応援していてほしい」
と思う人には、
「超えてはいけない一線がある」
ということなのだと思う。
それが、脚が攣った時、余計なことを言わないでほしいと思う感情に似ているといっても過言ではないだろう。
そう思うと、
「足が攣った時の痛みを、今、ケガから立ち直る時に感じている思いと、重ね合わせて見ているのかも知れない」
と感じるのであった。
野球をやっていると、そんな苦しい時もあれば、栄光に塗れる時もある。
選手の中には、苦しみだけで栄光を掴めない人は、たくさんいるのだろうが、
「俺はそんな連中とは違う」
と思っていた。
「挫折していった連中の気持ちは一番自分が分かっている」
と感じているはずなのに、必死になって否定しようとしている。
その理由としては。
「これから俺がどのように生きていくとしても、挫折を味わったことで、すぐにくじけないようになるために得ることのできるこの時間」
という感覚でいたのだ。
野球をすることが確かに自分の生きがいであり、自分の進むべき道なのだろうが、
「人生のすべてではない」
と、最近感じるようになっていた。
確かに、ケガを克服するというのは、神経のすべてをケガ克服に注がないとできないものではないかと思うのだが、そこにばかり集中していると、大切なことを見失い気がした。
それは、
「人生において」
というだけでなく、目の前の、
「ケガへの克服」
ということを、
「何もできないままに、やり過ごしてしまうのではないか?」
と感じるからだった。
「けがをすることは仕方のないことだが、克服するには、いくつかの方法と、道がある。それを間違いなくしないと、必ず、どこかでひずみが起こってしまう」
と感じるようになっていた。
それは、野球やスポーツに限らず、
「何にでも」
といえるだろう。
野球の場合は、
「成績であったり、体調ということで、結果は目に見えたものになるが、それ以外のものは、目に見えないものが多い」
ということから、
「目に見えるものが気が楽だというわけではないが、少なくとも目に見えないものが見せるものに勝るということはありえないだろう」
と考えていたのだ。
監督からは、今は連絡も来ない。
別に、
「縁を切った」
などということはないが、
「ひょっとすると、気まずい雰囲気を作ったのは、自分ではないか?」
とお互いに思っていて、歩み寄りという出口が見えないのかも知れない。
そんなことを考えているうちに、復活が近づいてきて、グランドのまわりを見渡す余裕もできたことで、彼女の,自分への意識を感じたのだった。
彼女は、元々、同じ年に入団し、一軍と二軍を行ったり来たりしている選手の知り合いで、だから、グラウンドに来ていたのだった。
彼女は、それほど野球を知っているわけではなかったので、実は、戸次の今までの活躍も実際には見ていなかったのだ。
同僚から話は聴いたようだが、
「失礼だとは思いましたが、私は、戸次さんのかつてのご活躍を存じていないんです」
と正直に言ってくれた。
その正直さが嬉しくて、本当は、飛び上がりたくなるくらいに嬉しかったのだが、恥ずかしいという思いと、何ともいえないどうしていいのか分からないという思いから、返事はまともにできなかったような気がする。
苦笑いをするくらいしかできなかったが、相手はそれを見て、さらににこっとなった。
正直、彼女の笑顔を見たのはその時が初めてで、
「かわいい」
と感じたのだが、それが、恋というものへの発展だったに違いない。
「こんな思いは生まれて初めてだ」
と思ったが、相手も同じだったろうと、今もずっと思っている。
そして、戸次は、彼女が、
「アイドルであった」
ということに触れようとはしなかった。
それよりも、
「アイドルであったことで、彼女の過去を調べよう」
という気にもなれなかった。
別に調べようと思えば、ネットでいくらでも調べられる。いわゆる、
「エゴサーチ」
と呼ばれるものだ。
普通のアイドルであっても、調べようとは思わない。なぜなら、その人は、
「自分に関係のない人だ」
ということだからである。
確かに関係のない人をいちいち調べるなど、ある意味、愚の骨頂だといえるのではないだろうか?
そんなことを考えていると、
「他の人だって、俺のことを何と言っているか分からない。どうせ、一年目だけの一発屋といっているんだろうな」
と思ったが、逆に、
「一発屋と言われるだけ、話題になるだけマシだ」
といってもいいだろう。
彼女にわざわざ聞かないのは、
「言いたくなったらいうだろう」
という思いであった。
「ひょっとすると、彼女にも自分にも分からないような葛藤があり、自分を見ていることで癒しのように感じてくれているのであれば、それがありがたい」
と思っていたのだ。
お互いに、
「傷の舐め合い」
などのようなことは、昔の自分ならしたくはなかっただろう。
「そんなものは、自分のためにはならない」
と思っていたのは、それだけ、挫折というものを勘違いしていたからではないだろうか?
挫折をしたことがない人間は、人に寄り添うことを、
「弱い人間だ」
と感じることがえてしてあるのではないか?」
と感じるのだった、
確かに、弱い人間という考えは、
「相手が強い人間」
だという前提があってこそ成り立つものだ。
「強い弱いという考えは、比較対象がなければ成り立つものではないので、問題は、どっちが強く、どっちが弱いかということである」
といえるのではないか?
ただ、
「強いからといって、正義だ」
あるいは、
「弱いからといって、悪だ」
というわけではない。
日本などのように、判官びいきが強ければ、まったく逆のことがありえるわけで、
「弱いものに、味方したくなるという心理」
というものが、いわゆる、
「判官びいき」
というものであった。
それを、
「正しい、間違い」
という枠にはめ込むのは、いささか無理のあることで、それをいかに解釈すればいいのか? ついつい、余計なことを考えてしまうのだった。
ただ、彼女を見ていると、包み込まれるような視線を感じる。そのおかげで、
「優しさが、癒しに繋がる」
ということを、証明してくれているように思えてくる。
それが嬉しかったのだ。
今回の復帰戦も、彼女が見に来てくれていた。そのおかげで、勝てたといってもいい。そのためか、ヒーローインタビューでも、思わず、彼女のことを口走ってしまわないかということが気になっていたのだ。
二人の関係は、一種の、
「公然の秘密」
だった。
「別に週刊誌が報道したって別にかまわないんだけどな」
と、戸次は言ったが、彼女の方も、
「私だってか構わないわ、でも、あなたがもし誹謗中傷されたらと思うとね」
と彼女は言った。
「それはどういうことだい?」
と聞くと、
「だって、私は元アイドルで、今はしがない普通の女でしょう? でもあなたは、少し世間からいわれる立場に言われるようなところにいるから、私などと関係しているということになると、マスゴミの連中は、好き勝手に書くわよ。あなたは、それでも耐えれるというの?」
と彼女が言うと、
「俺だって、それくらいのことは気にならないさ。だって、この世の地獄を見てきたんだ。このまま治らなかったらどうしようとか、真剣に考えたものさ」
というではないか、
それを聴いて彼女は少し考え込んでいた。
「そうね、あなたの苦しみ分かる気がするわ。私も普通に引退したかのように見えているんだけど、実は、歌が歌えなくなったのよ。こうやって普通に話をする分にはいいんだけど、アイドルグループとして、踊りながらの歌は、命取りだって医者から言われたのよ。それに静かに歌うというと、それなりの歌唱力が必要でしょう? そのためには、必死になったレッスンを受けないといけない。こちらも命取りだって言われたのよね」
というのだ。
「そうなんだね。それはきついよね」
というと、彼女も黙ってしまった。
せっかくの、二人だけの食事をそんな形で静かにさせるのは、男としては、望んだことではない。
そんなことを話していると、
「結局、俺たちって、言い方は失礼だけど、似た者同士なのかもよ?」
というと彼女はニコリと笑って、
「だったら、一緒になりましょうか?」
と平気で、たいそうなことをいうではないか。
「ああ、そうだね。結婚しようか?」
と思わずいいかかったところを、その時は必死にこらえた。
「いやいや、ちょっと調子に乗りすぎたか?」
と、自分から否定すると、
「私、本気よ」
と言われ、思わず、戸次は生唾を飲み込んでしまった。
「そっか」
とそれ以上何を返していいのか分からなかったので、そういって、話が飛んでしまったのだが、
「私はいいのよ。私はあなたが、私をそこまで好きになってくれたのかどうかが、一番なんだって思っている」
と、彼女とすれば、
「私の気持ちは何があっても変わらない」
といっているように思えてならないのだった。
その覚悟は、戸次には十分に固まった。
しかし、戸次には、その気持ちに答えるだけの勇気がなかった。
「やっぱり彼女の覚悟というのは、同じようにいばらの道をくぐってきたのだろうが、俺が思っているよりも、かなり深いところにあるんだろうな」
と感じたのだった。
「戸次さんが、今度の試合で勝ったら、私、プロポーズしてもらおうかしら?」
という、そんなことを言い出した。
「ああ、それもいいね」
と思わず言ったのは、
「プロポーズの返事、結婚してもいいといっているのと同じだ」
ということであった。
二人結婚したのは、それから、3カ月後だった。賑やかなことはほとんどなく、さすがに以前のような活躍でもないので、実に地味なものだった。しかし、芸能関係は、思ったよりも賑わっていたようだ。
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