第5話 復活
野球でうまくいかなかった間、どうしてもいろいろなことを考える。
野球に対しての姿勢では、余計なことを考えず、
「目指しているものに対して、最短距離で行ける方法」
ということを考えていた。
本当は、柔軟に考えないと、焦りに繋がって、先に進んだはいいが、結局目標を見失ってしまうだろう。
しかし、目標が決まっているのであれば、見えているものを、一刻も早く仕留めないと、相手は次第に曖昧になってきて、捉えどころが分からなくなってしまう。
それが、
「落としどころを見失う」
ということになるのではないだろうか?
それを思うと、一番大切なことは、
「手術後の養生と、その後のリハビリだ」
ということであった。
せっかく手術が成功しても、焦りが先にくると、せっかく見えているはずの目標を見誤ってしまう。
そうなってしまうと、ゆっくり、もう一度見えてくるまで待って、再度照準を合わせるものなのだろうが、そうもいかないというのは、
「それまでの成績が焦りを生み、その焦りが手術を余儀なくされるようなことい繋がってしまった」
ということに気づいているくせに、見て見ぬふりをしているかのようで、次第に疑心暗鬼になり、心細さが、すべてをあからさまにすることで、一番大切な信頼を失うことになるのだろう。
心細いと思っている人間は、えてして、気持ちが相手に丸わかりだったりする。
それをこっちも分かっているから、お互いに気持ちが相手に知られていることから、疑心暗鬼になり、知られないようにしようとすればするほど、相手の気持ちが分からなくなってくる。
「自分が相手の気持ちが分かるからこそ、相手にも分かられる」
というジレンマがトラウマになっている以上、まるで三すくみに襲われているようで、自分から動くことはできないというものであった。
その時の手術は成功した。
はなから、
「手術は成功する」
ということが大前提としてある、これからの自分の復活に向けた対応だった。
手術を受け、数年表舞台に立たないと、どんなに中心選手であっても、ファンから忘れられてしまう。
フロントは、
「代役、いやそれ以上の選手を引っ張ってこようと必死になる」
からであった。
実際に、それらの選手がやってくると、球団も全面的にバックアップすることであろう。元々、いくら球団が一押しであっても、ケガをしてしまったり、目立てなくなると、その運命は悲惨なものだといってもいいだろう。
「あの選手、どうしちゃったんだ?」
とウワサをしていて、気が付けば、2軍としても、
「戦力外通告」
を受ける場合もあることだろう。
戸次は、毎年そおことが気になっていた。成績はそこそこであるが、2軍から1軍への階段が、どうしても上ることができなかった、
しかし、7年目を迎えたところで、急にブレイクし、そのきっかけが、
「1軍への切符」
であった。
それまで、どんなにいい投球をしても、2軍監督が、
「明日から1軍」
とは言ってくれなかった。
しかし、その日は、戸次は敗戦投手となったにも関わらず、
「明日から1軍だ」
と、その日の夕方2軍監督からm監督室に呼ばれて、そういわれた。
「はい、ありがとうございます」
と答えはしたが、何がよかったのかは、話してくれなかった。
もっとも、1軍への切符を手に入れる選手に、どこがよかったかなどという監督はいない。
逆に、2軍に落とす時の監督も、それに触れる人はいないだろう。ただ、マスゴミに対しては、
「調整の意味で行ってもらった」
と、どちらとも取れる、当たり前のことしか言わなかった。
そもそも、マスゴミも聞きたいのは、本当の理由ではなく、
「けがによるものかどうか」
ということであろう。
故障ということであれば、故障者リストに載ることになるだろうから、後にでも分かるので、監督がウソをいうことはないだろう。ただ、
「様子を見ている」
あるいは、
「結果待ちの間、登録抹消」
ということくらいは普通にあることなので、監督も別に隠すことなく話をする。しかし、ケガもない場合、選手にも、理由をハッキリ言わないのだから、マスゴミのも話すことではないだろう。
しかし、翌日のスポーツ新聞には、その理由が書かれている時がある。
もちろん、口には出さなくとも、ハッキリと分かる場合。リリーフに出ていって、逆転ホームランを打たれたなどという、いかにもそれが原因だと言わんばかりの時には、マスゴミは、疑惑だと言わんばかりに、
「?マーク付き」
で、理由を書いている。
「どうせ、憶測で書くというのならいちいち監督に聞くこともないだろう?」
と思われるかも知れないが、理由がケガによるものなのかということだけは、確かめておかなければいけない。
いくら、はてなマークがついているとはいえ、まったくのお門違いのことを書いてしまうと、いかにもである、倫理やモラル違反であるということが分かっているので、簡単にデマと思えることを書くわけにはいかない。
スポーツ紙の中には、
「デマの内容が面白い」
ということで、売れている新聞もある。
芸能ニュースなど、あたかもありえないような見出しで客の目を引き付けて、デマカモ知れないが、いかにして、その結論に至ったかということを、いかに論理的に書くことこそ、
「ジャーナリストの醍醐味だ」
と、担当記者も思っているのか、要するに、
「ちょっとしたウワサを、あたかも本当のことに書くというのは、ちょっとした穴から、どれだけ大きな穴をほじくり出すことができるか?」
というような、テクニックと、さらには、
「読者が見出しを一目見て、読んでみたいと思わせたことに対して、読み終わった後に、デマだということを感じた読者が、それでもまだ、まったくのデマではない」
と、つまりは、
「火のないところに煙は出ない」
という信憑性を、最後まで信じることができるような記事に仕上がっているかということが、問題だったのだ。
この時、1軍からお呼びが掛かったことは、もちろん、嬉しいことであったが、ある意味、大きな不安でもあった、
もちろん、
「1軍に上がるため」
ということで、練習を重ね、2軍戦にも望んできた。
かつての、これまでを考えると、日の当たる場所ばかりをあゆんできた自分の人生を振り返り、正直、
「ここまで落ちるとは」
と思っているに違いないが、2軍に落ちてから、必死のもがいている期間は、すでに数年あり、
「かつての栄光」
というものは、
「夢物語でしかない」
としか、言えないだろう。
そんな精神状態で、すでに、過去の栄光が遠い昔のことだということを感じるようになると、
「落ちるところまで落ちたんだな」
と思うと、ある程度の開き直りがあり、
「後は這い上がるだけだ」
という気持ちで、気も楽になっていた。
「ひょっとすると、今回の昇格は、その開き直りを見てくれたのかも知れないな」
と思ったが、実際に、監督、コーチの考えとしては、その気持ちは間違っているものではなく、
「半分当たっている」
といってもいいだろう。
確かに、開き直りというのは、大切なことで、今までどんなにいい投球をしても、1軍に上がれなかったのは、その覚悟が欠けていたからだった。
抑えることはできたが、それはあくまでも、
「逃げ」
の投球であり、
「何とか、こじんまりとまとめたことで、抑えることができていた」
というだけだった。
それは、
「2軍だから通じることだった」
と、監督、コーチは思っていた。
そもそも、2軍に落ちてきたのは、調整という意味と、それよりも、
「覚悟を持った投球ができるようになること」
という問題があったのだ。
そんな彼が、こじんまりとまとまった投球をしていたのでは、
「1軍に上がれるはずなどないではないか」
ということであった。
だが、それと関連ではあるが、
「彼に、自分の一番の長所を思い出してほしい」
ということであった。
つまりは、彼の一番いいところは、言わずと知れた豪速球だった。けがをしたわけでもない。年齢的に投げられなくなったわけではない。それこそ、精神的なものであり、それさえ克服できれば、
「最初から彼に求めていた」
という豪速球が戻ってくるのだ。
そのことを本人に自覚させるということが一番だった。
だが、今はまだ、自分が上がった理由を分かっていないことで、疑心暗鬼が残っているのは仕方がないことだろう。
それでも、一軍に行くということは、不安がさらに募らせるのだ。
「今回が最後なのかも知れない」
という思いで、そっちの方が気になってしまったのだとすれば、まだまだ、精神的に復活したとは言えないだろう。
それでも1軍に上げるということは、
「一軍のマウンドを思い出させる」
ということでの、
「精神的な自分への開放を、自分でしてくれるのではないか?」
ということを、監督コーチは望んでいることだったのだ。
最初は、なかなか、フロントの考えが分からなかったが、1軍に合流すると、すぐに分かる時がやってきた。
1軍に合流したその日は、ちょうど、
「ローテーションの谷間」
と言われるタイミングで、そこでいきなり、監督が、
「今日の先発はお前に任せた」
というではないか。
さすがにビックリして、監督に対して、
「えっ」
というリアクションを示したが、いつも、
「奇襲作戦を考えるのが好きな監督」
ということで評判だっただけに、
「今日もいつもの作戦か」
ということで、気楽になっていた。
しかも、今日は、
「ローテーションの谷間」
ある意味、気楽にいける場面ではある。
そういう場面を監督が演出してくれたのだと思うと、意気に感じるくらいでないといけないとも感じたのだ。
実際にマウンドに登ってみると、
「ああ、懐かしい」
と感じた。
同じマウンドには、毎回登っているのに、1軍のマウンドだということで、懐かしさを感じるということは、やはり、
「1軍は特別なんだ」
という意識なのだろう。
「懐かしい」
と感じたことがよかったのかもしれない。
先頭打者を、三振に切って取るという最高のスタート取れたことで、完全に、自分で1軍のマウンドを思い出せた気がした。
「ここは、俺がいる場所なんだ」
と思いながら投げていると、自分でも伸び伸び投げられている気がした。
初回と、2回はさすがに、監督の横顔が気になるのか、ベンチにいると、ソワソワした気持ちがあったが、それ以降は気にならなくなった。
それまで、久しぶりの一軍のベンチということで、遠慮のようなものがあったが、次第に慣れてきて、声も出るようになっていたのだった。
監督もコーチも、決して戸次を見ることはしなかった、じっと、ベンチから前のめりのようにしながら、グラウンドを見ているだけだった。
「これが、この監督の普通の姿なんだ」
と、昔1軍にいた時は、気にもしなかったのに、今回初めて、遠慮がちではあったが、ベンチの中を見渡せるようになったことで、新鮮さがあったのだ。
マウンドを思い出し、ベンチを思い出すと、いよいよ、
「1軍に戻ってきた」
ことを感じ、さらに、
「ここが俺の居場所なんだ」
と思うことで、自信もよみがえってきた。
それがよかったのか、試合でも、
「打たれる気がしない」
と感じたことで、1軍のバッターを、なで斬りにしていったのだ。
「やっぱり、一番いい時期に1軍に上がってきたのかも知れないな」
と思うと、監督やコーチの目が間違っていなかったということを感じたのだった。
そう思うと、後半はあっという間に過ぎていき、最後のイニングは、3人で簡単に終わることができた。
何と、完投勝利を上げることができたのだ。
「1軍では、3年ぶりの勝利、いかがでしょうか?」
と、ヒーローインタビューで聞かれ、
「えっ、そんなにしていなかったんですか?」
と大げさに答えたが、正直、このお立ち台も久しぶりだと感じはしたが、そんなに昔のことだとは思わなかった。
むしろ、手術にリハビリという、最近の苦しかったことが、はるか昔だったように思えるくらいで、
「悦びって、こんな感覚だったんだ」
とその思いに浸っていたのだった。
「野球をできる喜び」
というものは、前から知っているつもりだったが、実際には、できていなかった。
それは、学生時代から、
「努力すれば、何でも叶う」
ということだったから、
「野球はできて当たり前」
と思っていたのだ。
「挫折などというものをまったく知らずに、一生を終えられる」
という人は、実際にいるはずはないのだ。
当たり前のことであるが、その挫折が、人によってまったく違う。人それおれに性格だって違えば、考え方も違う。行き着く先が同じであれば、それこそ、皆同じであればいいだけではないだろうか?
人によっては、
「他の人と同じでは嫌だ」
と考える人がいる。
何が違っていて、どこが同じであればいいというような正確なビジョンを持っている人もいるだろうが、
「基本的に同じ人はいないだろう」
という考えが一般的なのではないだろうか?4
今回の戸次が考えた結論は、
「一度挫折したからこそ、得ることができた考えではないだろうか?」
といっていいだろう。
インタビュアーから、
「この喜びを誰に一番伝えたいですか?」
と聞かれ、いきなりの質問だったので、思い浮かばなかった。
今回の勝利を手に入れることができたことで、そういう相手がいるということになるのだろうが、結局は、
「自分に限界というものを教えてくれた人」
ということになるだろう。
だが、さすがにいきなりだと、
「両親ですね」
と答えた後、
「しまった」
と感じた。
しかし、それをファンがその質問の意味を分かったとして、本当に、戸次に、
「両親と答えてほしかった」
ということなのかであった。
「今だったら、監督であり、コーチなんだろうな」
と思うが、こちらもありきたりだと思い、それ以上、他に考えられない自分の限界を、ひょっとすると、
「情けない」
と感じることであろう。
ただ、もう一つ頭をよぎった考えとして、
「もし、これ以上勝てなくなったらどうしよう」
というものだった。
普通に考えれば、行き着く先だった。
「あくまでも、今回の勝利はまぐれであり、相手も研究してくるだろうから、喜びを一日喜べるとして、一日で終わってしまう可能性がある」
ということになるだろう。
だが、豪速球を投げられることが、現役を続けるうえでのモットーであった。
「先発は難しいのではいか?」
という声があったが、豪速球ということになると、抑えの方が必要である。
球団の事情から、
「個性のある選手の集まりがあればいい」
ということになり、それと、実績とを天秤に架ければ分かるのだろうか?
ちょうど、カムバックの時期としても、よかったかも知れない。
シーズンも、いつものごとく、
「最下位にはならなかったが、優勝もできなかった。もちろん、Aクラスの入れないので、ペナントレース終了とともに、シーズンも終了」
という感じであった。
だから、復帰戦も、ほとんどが、
「消化試合」
の様相を呈していた。
優勝もできないし、それどころか、Aクラスにも入れない。
そうなると、ファンも、
「ああ、今年も終わったな」
という感じで、冷めたものであった。
もっといえば、Aクラスになったチームでも、クライマックスシリーズで敗退すれば、もう、普通にシーズンも終了して、自分の生活に戻っていく。
さらに、日本一になったチームも、ある程度は、浮かれた街ではあるが、次第にその熱も冷めてくると、
「街には、ゴミしか残っていない」
といってもいいくらいになってしまっていることだろう。
それを思うと、
「野球シーズンって、こんなにもアッサリしたものだったんだ」
と、ファンも思うことだろう。
野球少年などであれば、シーズンが終わって、野球放送がなくなると、急に世界が変わったかというくらいに、気持ちが意気消沈してしまうのだろうが、大人になってくると、確かにファン心理は、シーズン中は変わりなく応援するきもちは、 子供の頃と変わりはないのに、シーズンが終わると、ここまで心境が変化するというのは、自分でも理由が分からないと思っていた。
しかし、逆に、大人になると、野球シーズンが終わると、
「普通に季節の風物詩が終わったというだけのことで、その後も、野球程盛り上がりはないが、静に、この季節には、この行事があるとして、気持ちが受け入れるということで、子供の頃ほどの、のめり込みがなくなっていることに、ショックのようなものを感じることもないのだった」
と感じた。
そんな野球シーズンの終わり頃に、監督が上げてくれたのは、一緒の、
「温情のようなものではないか?」
と最初は思ったが、
「あの監督がそんな甘い人ではない」
ということは分かっていたので、
「戸次を使うのは、温情ではなく、あくまでも来シーズンの戦力として考えているだけであり、だからこそ、今まで、少々の活躍をしても、決して一軍に上げようとしなかったのが、そういうことだったのだ」
ということが分かるのだった。
野球をやっていると、監督の気持ちが分かる時がある。
それは、考えていることがテレパシーに載って分かるような感覚である。
一試合だけのことではなく、チームとしての試合の大切さというものが分かってくるからであって、
「一試合一試合という単位だけではなく、ペナントレース全体を見なければいけない監督と、自分のことだけで大変な選手との間に、溝ができてしまうと、選手が、監督が思っているような働きをしてくれないだろう」
と感じた。
「いくら監督が優秀でも、選手が、監督の意を汲んで、動こうとしてくればければ、それは個人競技となってしまい、結果、試合をぶっ潰してしまい、選手だけではなく、ファンまで置いてけぼりにしてしまうことになるのではないか?」
ということになってしまうだろう。
それを思うと、
「野球というものであっても、他のスポーツであっても、クラブチームである以上、選手と、チーム側の思惑が違うのは当たり前で、それをうまく橋渡しするのが監督であり。コーチだったりするのだった」
ということになるだろう。
そういう意味では、戸次のまわりのチーム感覚は、
「結構いいチームなのだろう」
ということであった。
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